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仏と菩薩と神の違い

今回は、仏教に説かれる人格である、仏(如来)と菩薩とについて分かりやすく解説していきます。

よく京都や奈良の観光地になっているお寺をめぐると、
仏や菩薩、、さらには仏教の宗派を開いた高僧などが、
仏像となってまつられています。

仏といえば、阿弥陀如来大日如来薬師如来などがご安置されています。
菩薩は、観音菩薩弥勒菩薩など安置されています。
神になると閻魔大王えんまだいおうとか帝釈天たいしゃくてんを見たことがあるかもしれません。

修学旅行に来た子供から年配の方まで、
その仏像が何かも分からずに
手を合わせて拝んでいるのをよく見かけます。

大丈夫でしょうか?

まず、おおまかな仏と菩薩との違いを学んでみましょう。

それぞれの仏や菩薩や神については、最後にこのカテゴリの記事で紹介します。

仏のよくある誤解

」というと、多くの人は、先祖のことだと思っています。
お仏壇に向かって、
おじいちゃんにご挨拶して」と言ったり
仏様にご挨拶して」と言ったりしますので、
先祖のことを仏というのだろうと思ってしまいます。

また、サスペンスドラマで、被害者のことを話題にするときに「ホトケサン」ということがあります。
山林で被害者が悪い状態で発見されると、
これじゃあホトケサンも浮かばれない
と言ってみたり、
まだホトケサンの死後、あまり時間が経っていない
と言ったりします。

このように、仏というと、先祖や死人のことを言われることがあります。
ところが、これらはまったくの誤解です。

もし、仏が死んだ人のことだとすれば、
仏教」は、「」の「」え、「」の説かれた「」え、という意味ですが、
死んだ人の説いた教えということになってしまいます。
死んだ人が教えを説けるハズがありませんので、
仏というのは、死んだ人のことではありません。
仏を死んだ人のことだと思うのはまったくの誤解です。

仏(如来)とは

では、仏とはどういう意味なのかというと、
仏のさとりを開かれた方のことです。

さとりといっても、低いものから高いものまで、
全部で52のさとりがあります。
これを「さとりの52位」といいます。

さとりの位は、何か気づいたという程度ではなく、
一段違えば人間と虫けらほど境涯が違うといわれます。
何か気づいたことなら、他の人にも教えれば分かりますが、
虫にテレビやパソコンのことを教えようとしても不可能です。
さとり一段で、それくらい境涯が違います。

そのさとりの位の、下から数えて52段目の
大宇宙最高のさとりを仏のさとりといいます。

その仏のさとりを開かれて、大宇宙の真理をすべて体得された方を
仏とか、仏さまと言われます。

その大宇宙の真理を「真如しんにょ」ともいいますから、
真如を体得し、「真如より来現した人」ということで、
如来にょらい」ともいわれます。
ですから、「如来」と「」とはまったく同じ意味です。

地球上で仏のさとりを開かれた方は、
お釈迦様ただ一人ですから、
釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし
といわれます。

昔も今も、新興宗教の教祖などで
私は仏のさとりを開いた
私は仏の生まれ変わり
私は仏を超えた
などと言い出す人がありますが、
あまり仏のさとりについて知らない可能性が濃厚です。

じゃあ他の仏さまは?

仏とか如来というと、仏教では、大日如来とか、
薬師如来とか、ビルシャナ如来とか、釈迦如来以外にも
たくさん説かれています。

釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」で、
仏のさとりを開かれた方は、一人だけだったのではないかというと、それは地球上のことです。
地球上にはお釈迦様ただ一人ですが、
大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどありますので、
仏のさとりを開かれた方もガンジス河の砂の数ほどあると
お釈迦様が説かれています。
高いさとりを開くと、それが分かるのです。

どうしてそんなことが分かるかというと、仏のさとりを開けば、こうなると『大無量寿経だいむりょうじゅきょう』に説かれています。

仏と仏、相念ず
(漢文:仏仏相念ぶつぶつそうねん

これは、仏さま同士、心が通じるようになる、ということです。

地球上で唯一仏のさとりを開かれたお釈迦様が、大宇宙の数え切れないほどたくさんの仏方を発見されて、それを私たちに教えられているのです。

一番えらい仏さまは阿弥陀如来

そのたくさんの仏さまの中で、諸仏の王と説かれているのが、阿弥陀如来です。
どこに説かれているかというと、『大阿弥陀経』です。

阿弥陀仏について、このように説かれています。

諸仏の中の王なり。
(漢文:諸佛中之王也)

これは、阿弥陀仏は、諸仏の王である、ということです。
このようなことをお釈迦様が説かれている仏は、他にありません。

さらに『般舟経はんじゅきょう』には、阿弥陀仏はすべての仏の先生だと説かれていると『口伝鈔くでんしょう』に教えられています。

三世の諸仏は、弥陀三昧を念じて等正覚を成ず。
(漢文:三世諸佛 念彌陀三昧 成等正覺)

これは、すべての仏は、
阿弥陀如来のお力によって仏のさとりを開かれた、ということですから、
阿弥陀如来は、大宇宙の諸仏の先生だ、ということです。

また『楞伽経りょうがきょう』にはこのようにあります。

十方のもろもろの刹土に於ける衆生と菩薩の中の、あらゆる法報身と化身と及び変化身とはみな無量寿の極楽界中より出ず。
(漢文:十方諸刹土 衆生菩薩中 所有法報身 化身及變化 皆從無量壽 極樂界中出)

これは、すべての仏は、阿弥陀如来浄土から出て来られた、ということです。
このことから、阿弥陀如来はすべての仏の根本の仏でもあります。

このように、阿弥陀仏は、すべての仏の王であり、先生であり、根本の仏だ、とお釈迦様は説かれています。

ですから、お釈迦様も、大日如来薬師如来も、ビルシャナ如来も、
阿弥陀如来の弟子なのです。

このことについて、詳しくは以下の記事をご覧ください。
阿弥陀如来とは?簡単に分かりやすく解説

実際、全国の寺院の半分以上は、
阿弥陀如来を本尊としています。

ところが、中には、大日如来が最高の仏だという人があります。
その人たちが大日如来が最高だとする根拠については、以下の記事にまとめてあります。
大日如来とは?真言やご利益、阿弥陀仏との関係も解説

菩薩とは

次に、観音菩薩とか勢至菩薩せいしぼさつ弥勒菩薩とか地蔵菩薩
文殊菩薩もんじゅぼさつとか普賢菩薩ふげんぼさつなど、菩薩といわれる人たちがあります。

菩薩と聞くと、味噌汁も吸わなければ、牛乳も飲まなければ、トイレにも行かない、
寒い冬でも道端で立っている、私とは関係ない雲の上の方だと思う人が多くありますが、
それは間違いです。

菩薩」とは何かというと、
菩提薩埵ぼだいさった」の略です。
菩提ぼだい」とは仏のさとりのことで、
薩埵さった」とは、求める人、ということですから、
まだ仏のさとりを得ておらず、仏のさとりに向かって努力している人を
菩薩」といいます。

そのことを仏教の辞典には、このように書かれています。

菩薩
ぼさつ[s:bodhisattva][p:bodhisatta]
サンスクリット語bodhisattvaに相当する音写語であるが、<菩薩>という漢語は、その短縮された俗語形から音写されたものと見なされている。
一般には、悟り(bodhi、菩提ぼだい)を求める衆生しゅじょう(sattva、薩埵さった)の意味であると解釈される。
大士だいじ>(mahsattva)という言葉と対にして用いられることが多い。

衆生」というのは人のことですので、仏のさとりを求める人が、菩薩なのです。

仏のさとりを求める人といっても、ピンからキリまであります。
さとりには52の位がありますから、
そのゼロ段から51段まで色々あります。

観音菩薩とか勢至菩薩、弥勒菩薩のような、
非常に高いさとりを開いている菩薩もいれば、
さとりの位はゼロ段でも、真実の幸福を求めている人は菩薩です。

今この記事を読んでいるあなたも、
おそらく本当の仏教を知りたいと思っておられると思いますので、
菩薩といえます。

観音様とお釈迦様の違い

ここまでで、仏(如来)と菩薩の違いは分かったと思いますが、よく質問されるのが、観音様とお釈迦様の違いです。

簡単に説明すると、観音様(観音菩薩)は、阿弥陀如来の右側の脇士であり、阿弥陀仏の本願を勧め、本願を求める人を守る菩薩なのです。
脇士とは仏の左右に侍して、衆生を助けるもののことで、観音様は阿弥陀如来の「慈悲」の表れだといわれます。

観音様については、以下の記事をご覧ください。
観音菩薩(観音様)の正体とご利益を得る方法

一方お釈迦様は、菩薩ではなく、地球上に現れられた唯一の仏様です。
観音菩薩よりも偉い仏様であり、阿弥陀如来のことや、観音菩薩のことだけでなく、
すべての人が本当の幸福になるための方法を、私たちに教えていかれた方です。
ですので、お釈迦様は地球上で、最も素晴らしい偉人と言われます。

お釈迦様については、以下の記事もご覧ください。
ブッダ(お釈迦様)の生涯と教えを分かりやすく簡単に解説

神とは?

仏教で、菩薩の下に説かれているのが、です。

ここでというと、神社にいる神を思い浮かべると思いますが、
それは「神道の神」で、死んだ人間や動物をまつると、まつった場所に鎮座して
生きている人に幸せや不幸を与える力を持つと信じているものですから、
仏教の」ではありません。

仏教は、因果の道理に基づいて説かれていますので、
そのような因果の道理に反したものは排斥されます。

では仏教のとは何かといいますと、
梵天ぼんてん帝釈天たいしゃくてん
多聞天たもんてん毘沙門天びしゃもんてん持国天じこくてん増長天ぞうじょうてん広目天こうもくてん四天王
地獄閻魔大王などありますが、
そのつとめは、仏法を勧め、仏法を求める人を守ることです。

しかしながら、いずれも因果の道理にもとづいて、
六道輪廻転生している最中の迷いの衆生ですから、
同じように迷っている最中の私たちを救う力はありません。

神様と仏様の違い

世間で大事にされている神はこのような仏教の神ではありません。
世間の神を大きく分けると「日本の神」と「キリスト教の神」があります。
日本の神とは、八百万の神で「山や河、石や木などの物や、死んだ人間や動物」です。
キリスト教の神は、全知全能の人格神であり、神が人々に禍福を与えるといわれます。

しかしこれらの「」はどちらも「人間が空想した架空の存在」であり「人間の運命を左右していると考えてできた」といった共通点があります。

このことについて詳しくは、下記をご覧ください。
神と仏の違い 実際に存在する不幸を呼ぶ神は?

仏と菩薩と神のまとめ

今まで述べてきた仏と菩薩との違いを
表にまとめてみました。

諸仏の王 阿弥陀如来
仏(如来) 釈迦如来(お釈迦様)
大日如来
薬師如来
ビルシャナ如来
菩薩 観音菩薩
勢至菩薩
弥勒菩薩
地蔵菩薩
文殊菩薩
普賢菩薩
梵天
帝釈天
多聞天(毘沙門天)
持国天
増長天
広目天
閻魔大王

この違いを知らないと、
仏教は分かりませんので、
よく知っておいてください。

では、仏教に何が教えられているのかということについては、
電子書籍と無料のメール講座にまとめておきました。
ぜひ読んでみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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