阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

阿弥陀如来は、阿弥陀仏ともいわれ、
全国の寺院の半数以上の本尊は阿弥陀如来という、
仏教で非常に重要な仏様です。

では、阿弥陀如来は
どのような位置づけの仏さまなのでしょうか?

阿弥陀如来と他の仏の関係

阿弥陀如来は、天台宗の『摩訶止観(まかしかん)』の
荊溪湛然(けいけいたんねん)(711-782)による注釈書に
諸教に讃ずる所、多く弥陀にあり
(『止観輔行傳弘決(しかんぶぎょうでんぐけつ)』)
と書いているように、
お釈迦さまは、経典の至るところに阿弥陀仏を讃えておられます。

それというのも、阿弥陀如来は、
信じられないかもしれませんが、
大宇宙にガンジス河の砂の数ほどましますと説かれる
大宇宙の仏方の『本師・本仏(ほんし・ほんぶつ)』だからです。

本師とは先生

本師」とは、先生のことです。
般舟経(はんじゅきょう)』には、
三世の諸仏は、弥陀三昧を念じて等正覚を成ず
と説かれています。

三世の諸仏」とはすべての仏のことです。
弥陀三昧を念じて」とは、阿弥陀仏のお力によって、
ということです。
等正覚を成ず」とは、仏のさとりを開かれた、
ということです。

このように、すべての仏は、
阿弥陀如来のお力によって仏のさとりを開かれましたので、
阿弥陀如来は、大宇宙の仏がたの先生なのです。
大日如来も、薬師如来も、釈迦如来も、
阿弥陀如来のお弟子です。

本仏とは根本の仏

次に「本仏」とは、根本の仏ということです。

楞伽経(りょうがきょう)』には、
十方のもろもろの刹土に於ける衆生と菩薩の中の
あらゆる法報身と化身と及び変化身とは
みな無量寿の極楽界中より出ず

と説かれています。

十方のもろもろの刹土に於ける衆生と菩薩の中の
あらゆる法報身と化身と及び変化身
」とは
大宇宙のあらゆる仏ということです。

無量寿の極楽界中」とは阿弥陀仏の極楽浄土のことです。
すべての仏は、阿弥陀仏の極楽浄土から出てこられた
ということですから、
阿弥陀如来は、一切の仏の本仏なのです。

では、阿弥陀如来とはどんな仏様なのでしょうか?

阿弥陀如来とは

阿弥陀如来」の「阿弥陀」には、2つの意味があります。
1つは、「アミターバ(阿弥陀婆)」で、
光明無量ということです。
阿弥陀仏の光明の届かないところはありませんので、
空間的に限りがないということです。

もう1つは「アミターユス(阿弥陀ユ斯)」で、
寿命無量ということです。
阿弥陀仏の寿命は限りがないので、
時間的に無限ということです。

その空間的にも時間的にも変わらない、
すべての人を本当の幸せにする真理です。

本来はそんな色も形もない、心も言葉も及ばない、
言葉を離れた真如ですが、
それでは私たちの認識に乗りませんので、
救うこともできません。

そこで、私たちと直接関係を持てる立場になって、
私たちを救う縁手がかりを作ろうと、
形を現されたのが阿弥陀如来です。

ちょうど、水の因に、風の縁が加わって、波と姿を変えるように、
真理としての仏は私たちに分かりませんので、
苦しみ悩むすべての人を何とか救ってやりたいという
大慈悲心の風にゆられて
真如の働き実現するために人格的に体現されたのが
阿弥陀如来なのです。

阿弥陀如来の菩薩行

そもそも発端は、私たちが、
果てしない遠い過去から生まれ変わり死に変わり苦しみ悩み続けていたことにあります。
生まれがたい人間に生まれても、
「人間に生まれてよかった」という生命の歓喜がなく、
どれだけお金があっても、どれだけやりたいことをやっても、
心からの安心も満足もなく、一時的な楽しみは、はかなく消え失せ、
次から次とやってくる苦しみにあえぎながら、
苦しみ悩みの人生を送っています。
そして、この先も永遠に苦しみ迷いの旅を続けなければなりません。

法蔵菩薩の願い

そんな過去久遠の昔、53の仏が世に出られ、
54番目に、世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏が現れられました。

その時、1人の国王があって、
世自在王仏の説法を聞いて、深く喜び、
国も王様の地位もなげうって出家され、
法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」と名乗られました。
これが阿弥陀仏の菩薩のときの名前です。

ある日、法蔵菩薩が世自在王仏の前に手をついて、
「お師匠さま、今日はお願いがあって参りました」
「なんじゃ法蔵。どうしたのじゃ」
「はい、すべての人のありさまを見ておりますと、
何のために生まれてきたのか分からず、
どう生きるかばかり考えて苦しんでいます。
このままでは、どんなに頑張っても
永遠に苦しみから離れることができません。

あまりにかわいそうで、とても見ていることができませんので
どうか助けさせてください」

すべての仏に見捨てられた者

「なんじゃ法蔵、そのことか。
そなたも知っての通り、かつて我々三世の諸仏も、
すべての人を助けようと一度は立ち上がったのだ。
しかし、すべての人は、煩悩の塊で、
あまりに罪が重く、とても助けることはできないと、
さじをなげてしまったのだ」

これは、『悲華経』に
煩悩多き衆生は賢劫の一千四仏が放捨する所
と説かれています。

不空羂索神変真言経』には
常に十方三世の一劫の如来、一切の菩薩摩訶薩の棄捨する所
とも説かれています。

「お師匠さま、それはじゅうじゅう存じております。
しかし、それならなおさら、私が助けなければ、
すべての人は絶対助かりません。
どうか助けさせてください」

「それはな、法蔵。そなたの願いは尊いのだが、
すべての人は、金輪際助かる縁手がかりのない者なのだ。
そなたに無駄な苦労はさせたくない、やめておけ」

「それはよく存じております。
存じておりますが、できるかできないかよりも、
かわいそうでじっとしておれないのです。
たとえできなくて、どんな苦しみの中に終わっても、
決して後悔はいたしません。
どうか助けさせてください」

「いや、やつらは金輪際幸せとは無縁なのだ、
無駄な苦労はやめておけ」

このような
「助けさせてください」
「やめておけ」
「助けさせてください」
「やめておけ」
という押し問答が、
何度も何度も繰り返されたあと、
ついに世自在王仏は、
「法蔵菩薩よ、たとえ大海の水でも、わずか一人の人間がますでくみ取って、
何億年とも知れない長い間ながい間続けるなら、
ついには底までくみほして、海底の珍しい宝を手に入れることができるように
まごころこめて一心不乱に道を求めて止まぬなら、
必ず、その目的を果たしとげ、
どんな願いでも成就せぬことはないであろう」
と仰せられたのです。

阿弥陀如来の本願

喜ばれた法蔵菩薩は、煩悩の塊で永遠に助かる縁手がかりのない者を
どのように助けるか、五劫という長期間考え抜かれ、
48の本願をおこされました。

これを「阿弥陀仏の四十八願」といいます。

その四十八願の中でも、
18番目の本願である十八願に本心がお約束されています。

その十八願が、
どんな人も、苦しみの根本を抜き、絶対の幸福にする
と誓われた
阿弥陀仏の本願」です。

これは、大宇宙の仏方が、一仏もおこすことのできない
とてつもない内容の本願でした。

そして、兆載永劫のご修行をなされ、
ついに法蔵菩薩は本願を成就して、十劫という遠い昔に仏のさとりを開かれ、
阿弥陀如来となられたのです。

それで、大宇宙の仏方はみな、
「ものすごい仏様だ」、
「さすがはわれらの先生だ」と
口をそろえてほめたたえておられます。

こうして、苦しみの根元を抜き、
絶対の幸福に救う法は完成していますので
あとはそれを受け取るだけです。

苦しみの根元とは何かについては、
小冊子とメール講座にまとめてあります。

関連記事

目次(記事一覧)へ