ヨーロッパへ広まる仏教

現在、ヨーロッパで大変注目を集めている仏教は、
一体どのように、ヨーロッパへ伝えられたのでしょうか?

14世紀には、マルコポーロがヨーロッパに紹介していますが、
本格的に仏教が意識されはじめたのは、19世紀に入ってからです。

1817~23年頃、「仏教」という言葉がはじめて使われ、
ヨーロッパで明確な学問の対象となりました。

1850年頃には、キリスト教に似た、キリスト教の強敵として
注目を集めています。

ショーペンハウエルが仏教を紹介

やがて、ショーペンハウエルが、
ヨーロッパにおける仏教の受け入れに
決定的な役割を果たしました。

当時の少ない文献の中から、仏教に大きく影響を受けた
『意志と表象としての世界』
を著します。

1870年代中頃から、彼の思想と共に、
仏教の概念が全ヨーロッパに広がるのです。

しかし、ショーペンハウエルは、
仏教の解決を見いだすことは
できませんでした。

その後、ショーペンハウエルによって仏教を発見した
ニーチェが、キリスト教に対抗するものとして賞賛します。

しかし、ショーペンハウエルの思想に解決がないことを知り、
ショーペンハウエルもろとも仏教とも決別してしまいます。

仏教を重視した神智学協会

1875年、ニューヨークで、
オカルト現象の研究に熱中する人々によって
神智学協会が設立されました。

その活動の一つに、仏教の重要性を
証明することがあったのです。

神智学者たちにより、インドのあらゆる教義の中でも、
本源的な叡智としての「宗教」に
もっとも忠実なままである仏教は、
もっとも完成されたものと判断されました。

かなり歪曲しているものの、
仏教をもっとも大きな拠り所とするこの神智学協会が
大変な人気を博し、10カ国に121支部が設立され、
沢山の著名人やエジソンなどの
名のある科学者が入会しました。

そして1890年、仏教の全流派を近代化し
統一するという野望を持って
インドの神智学協会本部で、
アジアのさまざまな仏教流派を集めた会合を開きました。

このときには、日本の代表者も参加しています。

1893年には、シカゴで世界宗教会議が開かれました。

禅仏教が海外でよく知られている要因

ここに、日本の臨済宗の禅僧、釈宗演(しゃくそうえん)が
参加しています。

この時の聴衆の一人、偏執者のポール・ケーラスは、
仏教的な物の見方に感服し、
仏教の基本的文献を英訳して出版したいと思い、
釈宗演に弟子の派遣を要請しました。

この時選ばれたのが、当時23歳の鈴木大拙です。

鈴木は、その後11年間アメリカに留まり、
日本に帰国すると、英語で仏教関連の著作を
数多く著しました。

こうして20世紀に入ると禅という特殊な形で、
1930年代から1960年代にわたり、
アメリカの知識人に仏教が知られてゆくのです。

その他の世界での仏教への関心

哲学の世界では、ニーチェ以降、
仏教に関心を失ってしまいました。

そのかわり、フロイト、ユング、フロムなど、
精神分析学者が接近し始めます。

文学の世界では、ショーペンハウエルの影響で、
19世紀末から20世紀前半にかけて、
トルストイやボルヘス、ハクスリーやヘッセなど、
多くの文学者たちが仏教に注目しています。

20世紀中頃になると、鈴木大拙に影響を受けた
ギンズバーグや、その友人ケルアックなどの詩人が
仏教に熱中します。

そして彼らの作品は、アメリカを中心に現れた、
物質文明を否定し、既成の社会生活から脱しようとする
ビート世代の若者達に熱狂的に支持されます。

やがて、ゲイリー・スナイダーや、
アラン・ワッツとも出会い、仏教に打ち込みました。

1930年代からは、ヨガ、
1940年代からは、空手、
1950年代からは、合気道などが
ヨーロッパに紹介され、関心を集めています。

1960年代になると、ヨーロッパ人が師のラマをヨーロッパに招き、
数々のセンターを作ったり、
若いラマ僧たちが英語とヨーロッパ文化を学ぶためにヨーロッパに派遣され、
チベット仏教が広まってゆきます。

21世紀に入り、同時多発テロが起こると、
従来のキリスト教とイスラム教の対立が危機的局面に陥り、
平和的で心の安心を与える仏教が、ますます注目を集めています。

このように、ヨーロッパに広まっていった仏教ですが、
文明の興亡の観点から「歴史の研究」全25巻を著し、
20世紀最大の歴史家の一人といわれる、アーノルド・トインビーも、
仏教の重要性をこのように言っています。

仏教と西洋の出会いは、二十世紀のもっとも有意義な出来事である。
(アーノルド・トインビー)

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