大乗仏教の起源

大乗仏教の起源は、まだ一般の人にはあまり知られていませんが、
2010年頃から、グレゴリー・ショペンの説が定説になっています。

大乗仏教というのは、小乗仏教が自分の救いを重点的に目指すのに対して、
利他に重点をおいて、すべての人の救いを目指す仏教の教えで、
日本の仏教はすべて大乗仏教です。

大乗仏教の起源の定説の移り変わりを簡単に振り返って見ましょう。

1.大衆部を起源とする説(明治時代)

いまだに大乗仏教は「大衆部(たいしゅうぶ)」を起源とすると思っている人がいますが、
これは明治時代の説です。

前田慧雲という人が、大乗仏教の華厳経や菩薩についての教えと、
インド仏教(部派仏教)の大衆部の教えが似ているので、
大乗仏教は大衆部を起源とするのだろうと推測したものですが、
いつのまにか定説になってしまいました。

ところが、根拠が薄弱なため、
他の部派でも大乗仏教と類似した教えは説かれているなど、
色々と批判を受けてきました。

2.仏塔を信仰する在家の人起源説(昭和時代)

次に昭和時代の後半に、平川彰という人が、
仏塔の近くに住んでいた在家の人を起源とする新説を唱えました。

理由は、大乗仏教の菩薩は、
色々なものを布施することが説かれているのですが、
当時のインドで僧侶になるには、
出家して家族も財産も捨てなければならないので、
出家した僧侶の集団である大衆部を起源とすることはありえないというものです。

それで、仏教の教えの面だけでなく、社会的な面も考慮して、
仏塔の近くに住んでいた在家の菩薩の集まりが、
大乗仏教の起源となったと推測したのです。

よく本に書いてあるので、現在、多くの人が、
これを定説だと思っていると思います。

3.周辺地域の教団を起源とする説(平成時代)

ところが平成時代の後半になると、グレゴリー・ショペンという人が、
考古学的な方法を使って、インド仏教の僧侶たちは、
実は出家しても財産を捨てずに、
私有財産を持ち続けていたらしいことを明らかにしました。
これによって、仏塔を信仰する在家の人を起源とする
平川彰の説は根拠がなくなり、否定されてしまいます。

こうして、大乗仏教はインドの仏教の教団内から現れたという説に戻りましたが、
さらにショペンは、インドから出土した碑文によって、
大乗仏教は、辺境の地域の仏教に起源があったという新説を打ち立て、
現在の仏教界では定説となっています。

このように、大乗仏教の起源は、ここ100年ほど、
もっと多くの様々な説が提唱されていますが、
定説の移り変わりとしては、こんなところです。

大乗仏教の起源を論ずる意味は?

大乗仏教の起源は、もともと上座部仏教(テーラワーダ仏教)のパーリ仏典のほうが
お釈迦さまの説かれた教えに近く、
大乗仏教の漢訳仏典のほうが遠いとする説にもとづいて、
考えられてきました。

ところが、涅槃経をはじめ、色々な経典で、
大乗経典のほうが、パーリ仏典よりも成立が古いことが
今日では明らかになっています。

そして、大乗仏教の経典は、インドでお釈迦さまに次いで有名な
龍樹菩薩や天親菩薩が、
間違いなくお釈迦さまの説かれたものと受け止めて実践され、
救いにあわれています。

お釈迦さまが仏教を説かれて以来、
仏教の教えによって救われた人は数知れませんが、
これらの歴史的なことを研究して救われた人は存在しませんので、
私たちの人生が幸せには役立ちません。

これでは経典の歴史の研究は、仏教でいう自分の人生の救いに関係のない
戯論(けろん)」ということになってしまいます。
歴史研究はきりがなく、これから何十年、何百年かかるか分かりません。
そこに時間をかけるよりも、まずは経典の内容である、
本当の幸せになれる仏教の教えを知り、幸せになることを急いで、
歴史の研究はそれからにしましょう。

どんな人も本当の幸せになれる仏教の教えは、
メール講座と小冊子にまとめてあります。

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