布施(ふせ)とは?

布施」とは、お釈迦さまがあらゆる善を6つにまとめられた
六波羅蜜」の中でも、
一番最初にあげられる重要な行いです。

布施」とはどんなことなのでしょうか。

布施とは

布施」というのは、ほどこしをすることです。
お布施」というと、お寺に払うお金だと思っている人がありますが、
必ずしもそういうことではありません。

まず、お釈迦さまは『増一阿含経』に
如来は二種の施しを説く。法施及び財施なり
と説かれています。
布施を大きく2つに分けると、法施と財施の2つだ、ということです。

まず、「財施」とは、財を施すことです。
」というのは、お金はもちろん財ですが、
お金以外にも物、労力も入ります。
お金だけでなく、お米や野菜、衣類やその他、
何かをプレゼントしたりするのも財施です。

また、お金や物がなくても、あたたかいまなざしや優しい笑顔、
何かのお手伝いも財施となりますので、
布施を一言で言えば、親切のことです。

ところが、財施は相手が大事です。

財施の3通りの相手

例えば、悪人にほどこしをすれば、
ますます世の中が悪くなるかもしれません。

また、なまけものにほどこしすれば、ますます堕落してしまい、
遊び人にほどこしをすれば、ますます身の破滅です。

お釈迦さまは、財施の相手として「福田」を説かれています。

福田」の田とは、田んぼのことです。
田畑に種をまくと、いったん自分の財産が減ったように感じますが、
やがて秋になって何倍もの収穫があります。
田畑は私たちの命をつなぐ米や麦を生み出す土地ですが、
私たちの心の糧となる福徳を生み出す「福田」を、
お釈迦さまは3通り教えられています。

それは、「敬田」「恩田」「悲田」の3通りの人々です。

敬田」とは、敬うべき徳を備えた人のことです。
具体的には、まずは仏様、正しい仏教の先生です。
恩田」とはご恩をこうむった人です。
仏様以外にも両親や学校の先生などです。
悲田」とは、お気の毒な人です。
病気になった人や妊婦の人など大変な状況の人です。

これ以外の人に何かを施しても布施になりませんが
これらの三通りの相手に施しをすれば、
大きな幸せがかえってくると教えられています。

心をこめた親切は、親切をした人に報われます。
幸せになるのは、施しを受けた人よりも、
むしろ、施しをした人です。

次に、このような福田に対して、同じお金や同じ物を与えていても、
布施の功徳が大きく変わってくる、重大なポイントがあります。

布施の重要ポイント

それは布施をするときのです。
布施は、お金や物の量よりも、心が大事なのです。

ある時、ツルゲーネフという、ロシアの作家の門の前に、
乞食が立ったことがありました。

しかし、ツルゲーネフも、その時
自分がその日食べるものがない状態で
何とか何か分けてやりたいと思っても、何もありませんでした。

それで、乞食の手を握って「兄弟」と手を握ったそうです。
あとからその乞食は、
長い間乞食をしていたけれども、
あのとき以上にうれしい頂きものしたことはなかった

と述懐したそうです。

一体、ツルゲーネフは何を施したのでしょうか。
何もなくとも心からの親切が、どんなに周りを明るく、
和やかにするか分かりません。

逆に、100円くれたとしても、乱暴に投げつけられたら
嬉しくないのではないでしょうか。

ではここで、
それなら友達に100円おごろうと思っていたけど、
ツルゲーネフのように心だけにして、100円はやめておきます

という人があれば、この内容を正しく理解しているでしょうか?

もし、お金がある人が心がある場合、ほどこしが増えるはずだからです。
お金や物の「」よりも、一番大事なのは、「
だということです。

布施の心構えとは?

ところが、せっかく何かを施しても、
布施にならなくなってしまう心がけがあります。
それは、
これだけ親切したから、これくらいは見返りがあるのではないか
という心です。これは、商売であって、親切ではありません。

これだけやっているのに何もしてくれない
などと思ったら、よけい腹が立って不幸になってしまいます。

そこでお釈迦さまは「三輪空」といって他人に親切した時、
この3つを空じなさい、忘れなさい。
と教えられています。

施者とは私が、
受者とは誰々に、
施物とは何々を
ということです。

布施は、心が大事ですから、
このような心がけで親切をしてこそ、
本当の布施なのです。

法施とは

次に、布施に2つある「財施」と「法施」のうち、
法施」とは何でしょうか?
法施」は、「」を「」すと書きますように、
仏法を施すことで、仏教の話をすることです。

法施の相手は、三田に限られませんので、
対象は全人類です。
お釈迦さまが一生涯説き明かされた仏教を、
私たちも一生懸命話をします。

財施もすばらしいのですが、
法施はさらにすばらしい善で、
『大般若経』には、
財施は但だよく世間の果を得るのみ。
人天の楽果はかつて得るも還た失し、
今しばらく得といえどもしかも後必ず退す。
もし法施をもってせば未だかつて得ざるものを得、
いわゆる涅槃なり

と教えられています。

これを分かりやすく言った言葉に
財は一代の宝 法は末代の宝
という言葉があります。

財は一代の宝」とは、
お金や物を与える財施は、
相手を生きている間だけ
喜ばせるものだということです。

お金をもらうと喜びますが、
お金は、死んでいくときはもっていけません。
生きている間だけの宝ですから、
しばらくの間、一時的に私を喜ばせるものです。

ところが「法は末代の宝」といわれるのは、
法施を受けて、仏教を聞くと、
絶対の幸福に生かされますから、
不滅の幸せを頂くことになります。

永遠に変わらない幸を頂くということは、
末代の宝を施されるということです。

そんな50年や100年の宝ではありません。

火事にあえば焼けることもなければ
洪水に流されることもない、
泥棒にとられる心配もない、
死によっても崩れない絶対の幸福です。

ですから、仏教を聞かせて頂くということは、
何千万円のお金をもらうよりも、
もっともっと幸せなことなのです。

ですから法施は財施よりもケタ違いにすばらしい
布施行なのです。

ただ、法施をするには、本当の仏教には何が教えられているのか
知らなければなりませんので、絶対の幸福になれる教えを分かりやすく
小冊子と無料のメール講座にまとめておきました。
ぜひ読んでみてください。

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