方便とは

よく「嘘も方便」といわれますが、方便とは何でしょうか?
もともと仏教の言葉ですが、私たちが幸せになるためには、なくてはならないものが方便です。

方便とは

方便というと、「も方便」という言葉が思い浮かびます。
そのため、方便を嘘のことだと思っている人があります。
例えば子供が学校に行きたくないとき、
お腹が痛い」と嘘をついて、後から
嘘も方便だよ
と裏で舌を出したりします。
しかしこの方便の使い方は間違いです。

方便」は、もともと仏教の言葉です。
インドの「ウパーヤ」という言葉を翻訳した言葉で、目的に「近づく」という意味です。目的に近づける手段を方便といいます。

なぜ方便があるのか

なぜ方便があるのかというと、目的を果たすためです。
仏教では目的のことを「真実」といいます。
真実」に対する言葉が「方便」です。
真実に近づけ、真実を体得させるのに絶対必要な手段を方便といいますので、真実なければ方便が出てくるはずがありません。
目的がなければ手段がないようなものです。
方便から真実が出てくるのではなく、真実から方便が出てくるのです。

例えば、東京にいる人が、京都に行きたいとします。
目的地は京都です。
目的地が決まってから、電車で行こうか、車で行こうかと手段が出てきます。
目的地がアメリカなら、飛行機で行こうか、船で行こうかとなります。
目的地が隣の家なら、歩いて行こうか、自転車で行こうか、車で行こうかとなります。

手段というのは、目的を果たすためのものなので、目的から手段が出てくるのです。

ですから、真実と方便はセットです。真実だけあって方便がない、ということもなければ、方便だけあって真実がない、ということもありません。
真実があれば方便がありますし、方便があれば真実があるということです。
仏教に教えられていることは真実と方便だけであり、真実と方便だけを教えられたのが仏教なのです。

手段と方便の違い

方便には、世間でいう手段と違うところがあります。
世間でいう手段は、それを向上させて行くと、手段が役立って目的を果たせます。
例えば、大学に入るためには学力を高めて行くと、合格できます。
仕事で結果を出すためには、能力を高めていけば、結果が出てきます。
世間の手段は、使えば使うほど、それが役立って、目的が達成できます。

ところが、仏教の方便は、真実の世界に入るには、最後は捨てなければなりません。
ブッダは『阿含経』に、これをいかだにたとえられています。
向こう岸へ行くには、いかだに乗らなければなりませんが、いかだを降りなければ向こう岸には到着できません。
しかし、いかだがなければ向こう岸にはいけないのです。

また、ビルを建てるには足場が必要ですが、ビルを建ててしまえば足場は要りません。
しかし、足場がなければビルは建たないのです。

このように、方便は捨てなければ真実に入れないのです。

方便はなくてもいい?

しかしだからといって、方便が必要ないということではありません。
世間では、方便というと軽く考えられていて、あってもなくてもいいもののように思います。
しかし仏教では、あってもなくてもいいものではありません。
私達を変わらない幸せに近づけ、変わらない幸せにするのに絶対必要な手段をいいます。

生まれつき真実の世界に出ている人はありません。
真実の世界を知らずに苦しんでいます。
そこで真実の世界へ導くために、仏様がなされるのが方便です。
方便は、私たちを真実の世界に近づけ、入れようとされた仏様の必要不可欠の手段なのです。

これを「従仮入真(じゅうけにゅうしん)」といいます。
仮より真に入る」と読みます。
」とは方便のことで、目的を果たす手段です。
」とは、真実のことです。仏教の目的である真実の世界のことで、変わらない幸せのことです。

自分で真実に入れる人は誰もいませんから、私たちは方便からしか真実に入れないのです。

真実の世界に出るのに方便なんかいらない
という人がありますが、方便なしに真実に入ることはできません。
真実と方便はセットですから、方便がいらないというのは真実もいらないと言っているようなものです。
方便を馬鹿にしていたら真実の世界には出られません。
私たちは、方便から真実に入るのです。

方便がわからないと本当の幸せになれません

仏教では、この真実と方便がわからないから、変わらない幸せになれないのだと教えられています。
真・仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す
親鸞聖人『教行信証』)
如来広大の恩徳を迷失す」とは、変わらない幸せになれないのだ、ということです。
」とは真実、「」とは方便のことです。
知らざるによりて」というのは、知らないから、ということです。
何が真実やら何が方便やら、真実と方便を2つとも知らないから、本当の幸せになれないのだと教えられているのです。

では、真実と方便は、いつ知らされるのでしょうか?

真実と方便はいつ分かるの?

真実と方便は、同時に分かります。
私は方便はわかるけど真実はわからない、とか
私は真実はわかるけど方便はわからない、ということはありません。
真実の世界に出た瞬間、方便が方便とわかりますから、方便だけがわかるとか、真実だけがわかるということはありません。分かるときは、2つ同時にわかります。

その真実と方便の水際が、変わらない幸せになる瞬間です。
それまでは、目的も手段もわからないということです。

それはちょうど、夢を見ている時、
私はは夢を見ている」ということ分かりません。
ああ夢だったな」と夢が夢とわかるのは目が覚めた時です。
真実が分かったときに、方便がわかります。

真実に入れば誰でもわかるのですが、真実に入らなければ、真実も方便もわかりません。
ですから、方便が必要ないと言っている人は、真実もわかっていないのです。
目覚めた人だけが、夢だったとわかります。
夢を見ている間は、夢を見ていることもわかりません。
真実がわかっていないと、方便は使えるものではないのです。

ブッダは、私たちを真実の世界へ導くための方便として、一切経七千余巻といわれる仏教の教えを説かれているのです。
では、ブッダが導こうとされている本当の幸せとはどんなものなのか、
どうすれば本当の幸せになれるのかについては、小冊子とメール講座にまとめておきました。
一度見てみてください。

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