忍辱(忍耐)とは?

私たちはちょっとしたことでイラッとなったり、感情的になって、大失敗することがあります。
後から後悔しても手遅れです。
ブッダは「忍辱(にんにく)」を非常に大切なことだとして、
心がけるよう教えられていますが、忍辱とは忍耐のことです。
一体どうすれば、忍耐できるようになるのでしょうか?

忍辱とは

忍辱(にんにく)」とは、忍耐のことです。
わかりやすくいえば「我慢」することで、
英語でいえば、「ペイシェンス(patience)」です。

自分の心にまかせ、すぐに腹を立てて、
ふくれっつらをしていたら、誰も相手にしません。

怒りは無謀に始まり、後悔に終わるものだ
という言葉があります。
無謀というのは、無計画ということです。
計画的に腹を立てることはありません。
計画しているのは演技であって、とんでもないことをされると、
本人も自覚がないうちに、腹が立つのです。

そして、この後どうなるのかも考えず、
怒りにまかせて言いたいことを言ったり、
やってはならないことをしたりします。

その結果、投げつけたものは壊れ、ガラスは割れ、
人間関係も壊れます。

怒りは、最後は必ず後悔で終わるのです。

腹を立てて、得をすることは、一つもありません。
感情にまかせて、先のことは何も考えずに、
すべてを焼き払ってしまいます。
そして、後悔に終わるのです。

ですからブッダは、忍耐を勧めておられます。

ブッダの勧められた忍耐

ブッダはどのように忍耐を勧められているかというと、
たとえば『長阿含経』にこのようにあります。

我その時において忍辱を修習して行、卒暴ならず。
常にまたよく忍辱の者を称讃す

卒暴」とは急激な荒々しい態度ですから、
ブッダ自身が常に忍耐されて穏やかであっただけでなく、
忍耐している人をほめられた、ということです。

そして、あらゆるを6つにまとめられた「六波羅蜜」の3番目にあげられて、
忍辱をしなさい、と教えられています。

また、『解深密経』には、忍辱に3種類あると教えられています。
1.耐怨害忍(耐忍)
2.安受苦忍(安忍)
3.諦察法忍(諦忍)
の3つです。

1番目の「耐怨害忍(たいおんがいにん)」、略して耐忍は、
人が自分を怨み憎んで種々の害を加えても
それに耐え忍んで少しも報復の心を起さないことをいいます。

2番目の「安受苦忍(あんじゅくにん)」、略して安忍は、
順境に処しても逆境にあっても安然として心を乱さず、
得意な時も失意の時も毫も心を動かさず
安らかに忍ぶことをいいます。

3番目の「諦察法忍(たいさつほうにん)」、略して諦忍は、
主観客観ともに真空無我の道理を
諦らかに悟ることのできた人には
加害者、被害者などの差別もなく
無我の大忍に安住できるようになることをいいます。

忍耐の壮絶なエピソード

足利尊氏が師と仰いでいた無窓国師(むそうこくし)という有名な禅宗僧侶がいます。

その無窓国師が、静岡県の天竜川に差しかかったときのことです。
おりからの大雨で、天竜川はかなり増水していたため、
無窓国師の一行も数日足止めを食らっていました。

数日後「おーい、船がでるぞ」という声がして、
それまで足止めされていた人が集まってきます。

多くの人たちが列をなして船着き場で待っていると、
べろんべろんに酔っぱらった一人の武士がやってきて、
列に割り込んできました。

みんな心の中では
このやろう!
と思っていますが、脇に差している刀が怖くて、何もいえません。

見るに見かねた無窓国師が
ちょっとちょっとお侍さん、
静かに並んで待っているみなさんが迷惑されますから、
もうちょっと、静かにしてくだされんかな

というと、注意を受けた武士はかんに触り、
カーッと逆ギレしました。
なにーッ、おれに説教するのか!?
おのれぇくそ坊主ー。目にもの見せてくれるわー!!

持っていた鉄扇を、無窓国師の眉間に向かって
ズバーッと打ちおろしました。

次の瞬間、額がぱっくりと開いて、
ドボドボドボッと、鮮血が吹き出します。

ところが、固唾を飲んで周りで見守っていた
無窓国師の弟子たちは、
今は頭を丸めて坊主となっていますが、
もとは北面の武士。腕に覚えのある者ばかりです。
おのれ!お師匠様に向かって何をする!
貴様こそ、目にものをみせてやる

と息巻いたそのときでした。

無窓国師がりんとして、歌を歌ったのです。
うつ人も打たれるひとももろともに
 ただひとときの夢のたわむれ

お前たち、そんなことで腹を立てていては
まだまだ、修行が足りないぞ、
と戒めたのでした。

打っただの、打たれただの、
その時は本気になって怒り狂っているが、
ときがたてば夢で遊んでいるようなもので、
大した問題ではないではないか、
ということです。

無窓国師の額を割った武士は、
たちまち後悔の涙を流して
無窓国師の弟子になったといわれます。

私たちは、さすがにこれほどまでの忍耐はできなくても、
感情にまかせず、忍耐すれば自分が得をします。
最近では、それが科学的にも実証されつつあります。

忍耐の研究結果

実際、1960年代からスタンフォード大学の保育園で
簡単な実験が行われてきました。

子供たちの好きなマシュマロを1個見せ、すぐに食べたらそれで終わり、
20分待てればもう1つもらえるというものです。

20分我慢できた子供は、10年後の学校の成績がよく、
20年後、社会に出ても学歴が高く、
その人なりの大きな目標を達成し、
肥満にもならず、人気者でした。

小学校前の英才教育の効果は、小学3年生頃には消えてしまいます。
今のところ、忍耐力だけが、小さい頃にどんな大人になるか予測できる
唯一の指標と言われています。
満足行く人生を送るには、忍耐力が鍵なのです。

今さえ楽しければいい
と欲に流される人は、今さえも楽しくできず、
時間が経つにつれて苦しくなっていく、ということです。

これはなぜかというと、感情的になると、
普段はすぐれた人でも頭が悪くなるからです。
それで誘惑にかられると
冷静なときには考えられない詐欺にあってしまったり、
腹を立てると取り返しのつかない愚かなことをしてしまうのです。
その結果、大損したり、仲間はずれになったり、
後々までからかわれたり、
後の人生に大きな後遺症を残してしまいます。

このように現代では実験的にも
忍耐は幸せを生み出すことが実証されているのです。

では、忍耐するといっても、
何に忍耐するのでしょうか。

何に忍耐するの?

何に忍耐するのか分からないようでいて、
実際は、朝起きてから、夜寝るまで、
思い通りにならないことばかりです。
今まで一日でも、全部思い通りになった日があるでしょうか。

朝夕の飯さえこわしやわらかし
  思うままにはなにらぬ世の中

という歌があります。

こわし」とは、固いということです。
朝夕のご飯さえ、その日の体調によっては固すぎて、
もっとやわらかい方がいい日もあるでしょう。

やわらかし」というのは、やわらかいということです。
メニューによっては、逆に固いほうが美味しい時もあるでしょう。
炊飯ジャーを使っても、水の量が問題なのか、
なぜかご飯の炊きあがりの固さでさえ、思うままにはなりません。

水の量なら、計量カップで量ったりすれば一定になりますが、
ましてや相手のある、人間関係などはなおさらです。

ままにならぬとおひつをなげりゃ そこらあたりはままだらけ
という言葉もあります。

まま」というのは、ご飯のことです。
しかも、「思うまま」のままとかけてあります。
かなりクリエイティブですよね。

次に「おひつ」というのは、炊飯ジャーのようなものです。
(本当は、よく旅館で出てくるご飯の入った入れ物です)
思うままにならないからといって、心にまかせておひつを投げたら、
そこらじゅうご飯だらけになってしまいます。

自分の思い通りにならないと、
あいつのせいで儲け損なった、
こいつのせいで恥かかせられたと、
怒りの炎が燃え上がり、
信用も人間関係も、すべてを焼き払ってしまうのです。

家族と仲良くする方法

ところが、もし世の中が悪人ばかりだと、けんかは起きません。

あるところに、けんかばかりしている家がありました。
ところが、隣の家からは、1回も怒鳴っている声が
聞こえてきたことがありません。

それで、恥をしのんで、
お宅は、大きな声がきこえてきたことがありません。
それはどうしてですか

ときいてみました。

それは、あなたのいえは、善人様ばかりだからでしょう。
うちは、悪人ばかりだから、けんかにならないのです。

それを聞いて、むかっときた。
こちらが恥をしのんできいているのに
そんな皮肉をいわなくてもいいだろう。

そう思ったとき、家の奥から、
ガッシャーンと音が聞こえてきました。

お嫁さんが、そそくさとして、床に置いてあった茶碗を、
あわてて足にひっかけて、割ってしまったのです。

すると、お嫁さんが、
あらおかあさん、私の不注意でお母さんの大切な茶碗を
割ってしまいました。申し訳ありません。

「いやいや、お前が悪いのではないのだ。
私がすぐに片付ければいいのに、後回しにして、
ずっと出しておいたから悪いのだ。悪かったのう」。

いえいえ、私が悪いのです。

それを聞いた男は自分の家はどうかと考えてみると、
あんたがすぐに片づければいいのに、何か他のことばかり
のろのろやっていて、後回し後回ししているいからでしょう。

姑をいびります。

それに対して、姑は、
おまえが注意力散漫で割っておいて、なんだそれは
とけんかになってしまいます。

腹立ちの原因

なぜこんなことになってしまうのてしょうか。

原因は、「自分が正しい」と思っているからです。

おれが正しい
私が正しい
と出るからぶつかるのです。

私が悪かった
とひっこめば、喧嘩にはなりません。

こんなに一生懸命やっているのに、
どうして私は叱られてばかりなんだろう。

「あの人はそんなに頑張っていないのに、注意も受けない。
どうしてだろう、こんなに私は頑張っているのに。」

「私が、私が」
「私が正しい」
という心が腹が立つ原因です。

ですから、心の方向転換が大事です。

心の方向転換をしましょう

ではどのように方向転換すればいいのでしょうか。

私が正しい
ではなくて、
私が間違っていました
です。

「私が間違っていました」
と、自分の非を認めるのです。
するとそこから、
「申し訳ありませんでした」
「ごめんなさい」

が出てくるのです。

自分の間違いを認めて、お詫びしている人に、
腹を立てようと言う人はありません。

「私は正しい」とおもう時、
それは本当だろうか?
と自分の胸に聞いてみましょう。

「私はこんなに頑張っているのに」
と思ったら、
他の人がもっと頑張ってるんじゃないの?
と自問自答してみましょう。

「私は正しい」という立場から、
「私が間違っていました」

「私はこんなに頑張っているのに」という立場から、
「皆さんが頑張っておられる。」

そのように、心の方向転換をしてみましょう。

方向転換したら、腹は立ちません。

「自分が正しい」
「私はこんなに頑張っているのに」
という所から、
怒りが出てくるのです。

しかも、「私は正しい」と思っていたら、向上はありません。
私は間違っていましたというところに向上があるのです。

これは、それだけの精神年齢がないとできることではありません。
子供は、心にまかせます。
デパートでも欲しいものを買ってもらえないと、
人混みで、大声で泣いています。

もうかってもらえないと思ったら、ぴたりと泣きやめて、
後ろからついてきます。
計算ずくでやっているのです。

心にまかせる子供が、
何回も何回も、忍耐することを教えられて、
できるようになっていくのです。

腹が立つことがあったら、
何か私が正しいと思っていることがありますから、
それは本当だろうか?」と自問自答して、
心の方向転換をするようにしましょう。

ブッダが忍耐を教えられた目的

最後に、ブッダはなぜ忍耐を教えられたのでしょうか?
それは、ビジネスシーンで失敗しないようにとか、
人から好かれるために、ということではありません。
本当の目的は、私たちを本当の幸せに導くためです。

本当の幸せになるには、
仏教に教えられる苦しみの根本原因を知って、
それを断ち切らなければなりません。

では苦しみ根本原因とは何なのかというと、
それは仏教の真髄ですので、小冊子とメール講座にまとめておきました。
以下のページから一度見ておいてください。

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