懺悔(さんげ)とは

懺悔」とはもともと「ざんげ」ではなく、「さんげ」と読みます。
自分の造った罪やを深く受け止めて二度としないことです。

誰しも過去に何かとても悪いことをしてしまって
懺悔したいと思うことがあります。
懺悔するには一体どうすればいいのでしょうか?

懺悔すると?

お釈迦さまはよく、
悪いことをしたら懺悔しなさい
と勧めておられます。

たとえば『四分律』には、
もし自ら犯あることを知らば、すなわちまさに自ら懺悔すべし
と説かれています。これは
悪いことしたら懺悔しなさい
ということです。

また『涅槃経』には、
もし懺悔して慚愧(ざんき)を懐かば、罪すなわち除滅す
と説かれています。

慚愧」とは、
」とは自分に恥ずる心、
」は他人に恥ずる心です。

悪い行いをしたとき、そのことを自分や他人に恥じて
懺悔すると、罪が消えます。

しかも懺悔は、深くすればするほど罪が消えます。
懺悔の深さは、気持ちによって変わります。
本当に悪いことをしたと思えば思うほど、深い懺悔になります。

ただし、懺悔は後悔とは違います。

懺悔と後悔の違い

懺悔と後悔には決定的な違いがあります。
この懺悔と後悔の違いが教えられるのは仏教だけです。

後悔とは、どんなことかというと、
たとえば小学校の時、
クラスのいたずらっ子たちが、校長先生にいたずらをします。

校長先生はかんかんに怒りますが、
誰がやったか分からないので、
自分はやっていないのに、犯人かと思われて、
職員室で立たされます。

だんだん日が暮れて、お腹がすいてきます。
いつもなら帰ってる時間になってくると、
「親は心配してるだろうな、
 ここらで何とかしなければならないな」と思います。
これはもう泣くより仕方がない、ということで、
自分がやったのではありませんが、
謝る立場だから、仕方なく
二度と致しませんからお許しください
ぽろぽろ泣きながら、心から謝ります。

ところが、帰り道、心の中は
あの時はあれが甘かった。今度はうまくやるぞ
と次の作戦考えています。
だからまたやるのです。

このように、後悔した人は、
またやる可能性があります。

本当の懺悔は二度とやりません。
そこが後悔と懺悔の決定的に違うところです。

他の宗教で懺悔といっているのは、仏教でいうと後悔です。
キリスト教などでも悔い改めよ、懺悔せよといわれますが、
その程度では仏教では懺悔の中に入りません。

世界中の人が懺悔といっているのは、
仏教でいうと後悔の中に入ってしまうのです。
仏教の懺悔とは全く違います。

では、仏教でいう懺悔はどんな懺悔でしょうか。

3通りの懺悔

仏教では、その深さによって、
懺悔を3通りに分けて教えられています。
これを「三品(さんぼん)の懺悔」といいます。
三品の懺悔」とは、
「下品(げぼん)の懺悔」、
「中品(ちゅうぼん)の懺悔」、
「上品(じょうぼん)の懺悔」の3つです。

まず「下品の懺悔」は、浅い懺悔です。
目からは熱い涙、全身の毛穴から熱い汗を流して、
私が悪うございました」と懺悔します。
これは最も浅い懺悔ですので、これ以下になると、仏教では懺悔といいません。

さっきの子供の例では、目から涙は流していますが、
間違いなく後悔です。

中品の懺悔」は、中くらいの懺悔です。
目から血の涙、全身から熱い汗を流します。
血の涙ですから、下品の懺悔より上等です。
恐ろしいを知らされるとそうなります。
私が悪うございました、二度といたしません
という誓いがあります。

上品の懺悔」は、最も深い懺悔です。
目から血の涙、全身から血の汗を流します。
仏教では、このような懺悔以外は後悔に過ぎません。
こういう懺悔を懺悔といいます。

懺悔の仕方

仏教は「法鏡(ほうきょう)」といわれ、
自分の真実の姿を映し出す鏡のようなものです。

仏教を聞けば聞くほど、今まで知らなかった
本当の自分の姿が知らされて来ます。

仏教を聞いて、教えの通り進んで行き、
最後、真実の自己がはっきり知らされたとき、
自分を迷わせて続けてきた迷いの元凶が知らされて、
「何と恐ろしい心であったか」と
三品の懺悔と等しい懺悔が起きます。
それと同時に絶対の幸福になれます。

迷いの根元が知らされたときに起きる懺悔は、
三品の懺悔と等しいといわれるものすごい懺悔です。
無二の懺悔」といわれます。
二つとない懺悔です。
そして二度とその迷いの心は起きなくなります。
未来永遠の幸せに救われるのです。

ではその恐ろしい迷いの根元とは何かということについては、
仏教の真髄なので、
小冊子とメール講座にまとめておきました。
一度見てみてください。

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