なぜ宗教が必要なのか・3つの理由

科学がこれだけ進歩した今日、現代人には宗教は必要ないのではないでしょうか?

ところが、宗教は依然として大きな力を持ち、
いまだに人類に大きな影響を与えているのが現実です。
一体なぜ宗教は必要なのでしょうか?

それを明らかにするには、
まず、宗教の成り立ちから知らねばなりません。

なぜ宗教が生まれたか

宗教は、もともと人間にはどうにもならないことが起きたとき、
それを説明するために、生まれたものです。

例えば、津波や雷、噴火などは、当時、原因が分からなかったので、
きっとが怒っているのだろうと考えます。
また、病気や日照り、不作も、怒りではないかと言い出す人がいて、
みんなきっとそうだと信じ込みます。
そのため、儀式を行い、への捧げ物をして、
豊作を願ったり、雨ごいをしたり、病気治しを
祈ったり、願ったりするのが、宗教です。

何か大いなる力に祈って、
自分ではどうにもならない欲望を、満たして欲しいということです。

他にも、なぜ地球があるのだろうかとか、
人間はどうやって生まれたのか、
などの疑問も、
が創ったということで、みんな納得していました。

宗教は、長い間それでよかったのですが、
17世紀頃、科学が始まってから、少しずつ権威が失われ始めました。

宗教の苦境

それというのも、これまで人間に分からなかったことが、
科学によって解明されてきたからです。

キリスト教では、地球の周りを太陽が回っていると教えていたのですが、
ガリレオ・ガリレイなどが、太陽の周りを地球が回っていると主張し始めました。

18世紀になると、ベンジャミン・フランクリンが、雷は、
電気であることを解明しました。

19世紀には、コッホが、病気は細菌が原因になっていることをつきとめ、
ダーウィンは、人間はが創ったのではなく、
別の生物が進化したものだという進化論を発表します。

こうして、客観的な観察にもとづく科学や医学の進歩によって、
の力ではない本当の原因が、次々と分かってきたために、
近年、科学と相容れない宗教の権威は低下してきたのです。

ところが、人間がどうしても知りたいことで、
科学や医学がどんなに進歩しても分からないことが、
3つあります。

科学や医学がどんなに進歩しても分からないこと

まず第一に「幸せ」とは何かが分かりません。

すべての人は、色々なことを目標として生きています。
それは何のためなのか、それは何のためか、と聞いていくと、
最後は「幸せになるため」に行き着きます。

それ以上は出てきませんので、
究極的には、みんな幸せを求めて生きていることになります。

ところが、「幸せ」は、主観的な問題ですから、
あることを幸せと感じる人もいれば、
不幸と感じる人もあります。

科学や医学の方法である「客観的な観察」ができず、
科学で取り扱える領域の外にあるのです。

実際、科学や医学が飛躍的に進歩している現代でも、
幸福感は、昔とまったく変わりません。
よけい苦しくなっているという人もあるほどです。

幸せとは何か、そしてたまに感じる一時的に感じる幸せではなく、
変わらない幸せとは何かとなると、心理学や哲学でも解明できません。
ましてや科学や医学の力はまったく及ばないのです。

科学や医学で解決できない重大な問題

さらに、重大な問題として、
私たちは何のために生まれてきたのか
科学や医学で分かりません。

なぜなら、科学は現実がどうなっているかは分かりますが、
どうあるべきかは分かりません。

たとえば、アインシュタインの相対性理論によって
E=mc2」(物質の質量に、ものすごいエネルギーがある)
ということが分かりました。

ところが、そのことを応用して、
原子爆弾という殺人目的の兵器もつくれますし、
何らかの平和利用もできることでしょう。

しかし、その研究成果を何に使うべきかは、
科学は教えていません。
科学を応用する人の意志に任されています。

このように、科学では、ものごとが「どうあるのか」は分かりますが、
どう使えばいいのか、「どうあるべきか」は分からないのです。

ですからたとえ科学で人生がどんなものかは分かっても、
人生を何に使うべきか、
人生の目的は分かりません。

人生の目的が分からなければ、
人が生きる意味も分かりません。

医学も同様に、苦痛を緩和し、命を延ばすことはできます。
しかし、延ばした命を何に使うかは教えていません。

限りある命を何に使うべきか、
私たちは何のために生まれて来たのかという
人生全体の目的が分からないと、
苦労して生きる意味がなくなってしまいます。

私たちにとって重要な問題なのですが、
医学や科学では分からないのです。

さらに、すべての人が直面する、
決定的に重大な問題があります。

科学や医学がかすりもしない最悪の現実

最後に、すべての人が直面する人生最大の問題が、死です。
死は、どんな人も、避けることのできない100%確実な未来です。

ところが、不治の病にかかって余命を宣告されるなど、
死に直面すると、普段死を忘れて生きている時と、
人生観がガラリと変わってしまうのです。

今まで問題だった、
どうしたらお金が儲かるだろうかとか、
人からほめられるか、
ばかにされないか、
愛情に包まれるかということは、
一切が光を失い、もはや関係がなくなります。

お金や財産、地位、名誉、妻子、才能といったものは、
死んだら何もなりませんから、
線香花火のようなはかない幸せだったことが
知らされます。

そんなものを必死でかき集めてきた自分の人生は
一体何だったのだろうと疑問が起きて、
目前に迫る死んだらどうなるかだけが大問題となります。

しかし、科学や医学で、死ななくなることもできませんし、
死の問題に対しては、何の力にもならないのです。

これらの「本当の幸福」「人生の目的」「」の3つの問題は、
科学や医学では解決しようがありませんから、
解決できるとすれば、宗教によるしかありません。
これらのために、人類の存続する限り
宗教が必要とされるのです。

この3つの大問題を一度に解決する方法

これらの3つは、実は、それぞれ別々の問題ではなく、根っこは一つです。
それは、人生最悪の問題である、死の大問題です。

死ぬときに、一番問題なのは死んだらどうなるかです。

いつ死ぬかは分かりませんから、
死んだらどうなるかハッキリしていないと
今が安心できませんし満足もできません。

実際今晩死ぬとハッキリしたときに、どういう心になるでしょうか。

仏教を聞くと、その死んだらどうなるかが、
ハッキリします。

これは、仏教以外の世界宗教であるキリスト教やイスラム教のように、
人間の考えた、世界を創造したというや、死後の世界を信じるのではありsませんから、
信じ方が深まるにつれてだんだんとハッキリするのではありません。
あっという瞬間に、水際だってハッキリします。

そのとき「人間に生まれてよかった
という生命の歓喜が起きて、
死ぬまで変わらない幸福になります。

人間に生まれて来たのも
今日まで苦しみながら生きてきたのも、
これ一つだったと
人生の目的も、ハッキリします。

それ以外は何も変わりません。
身体も変わりませんし、趣味生き甲斐も変わりません。
怒りねたみそねみ煩悩も、
減りもしなければなくなりもしません。
一切変わらないとハッキリします。

このように、仏教の教えによって、
本当の幸せも、
人生の目的も、
死の大問題も、
これら3つが同時に解決するのです。

それにはどうすればいいのかは、
メール講座と小冊子にまとめてあります。

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