原始仏教とは?

お釈迦さまの説かれた本当の仏教とは?

よくある仏教に関する質問で、
「仏教にはたくさんのお経や宗派があるけど、
結局、お釈迦さまの説かれた本当の仏教というのは何なの?」

というものがあります。

あなたがもし仏教に関心があれば、
同じような疑問をもたれたことがあるのではないでしょうか?

確かにこれが分からないと、
仏教は、一切経七千余巻と言われて経典の数も多く、
宗派も色々あるので、どこから入ればいいのか、
よく分かりませんから、大切な質問です。

よく、
「何年も学んだけど、結局仏教で
 何が教えられているのか分からない」

とか、
「仏教は、学べば学ぶほど混乱してきて
 何が何だか分からなくなる」

という人がありますが、
そんなことになってしまったら大変です。

仏教学者の中にも、一生涯仏教を研究しても、
結局仏教に何が教えられているのか分からない
という人がいる位ですので、
せっかくあなたが仏教には本当の幸せになれる道が説かれているのに、
無駄な勉強に時間を使って一生を棒に振ってしまったら残念です。

そこで、今回は、仏教の学び方を
簡単にガイドしておきます。

仏教の2通りの研究方式

仏教は、約2600年前、インドで活躍された
釈迦が、35歳で大宇宙最高のさとりである
「仏」というさとりを開かれて
80歳でお亡くなりになるまでの
45年間、仏として説かれた教えを
仏教と言います。

その教えは今日一切経七千余巻と言われる
膨大な経典となって書き残されています。

その仏教の研究方式に、
今日では大きく分けて2通りあります。

1つ目は、西洋系の研究
2つ目は、東洋の研究です。

この2つだと、何だか西洋系の研究のほうが
権威がありそうに感じてしまいますよね。

西洋における仏教研究

ではまず、西洋ではどのように研究されたかというと、
19世紀にイギリスの統治下にあった
セイロン島(スリランカ)に伝えられていた
パーリ仏典をもとに、
19世紀後半に研究が始まりました。

当時、キリスト教で、
「史的イエスの探求」がなされていた時代です。

史的イエスの探求というのは、
新約聖書はイエスを誤解しており、
史料に基づいて、歴史上の真のイエスが
客観的に実証できるとする実証主義の研究です。

なんとなくそれらしいので、
18世紀末から19世紀の間、
100年くらい続きました。

その結果、イエスの死後相当の時間が経ってから
神学的に記述された聖書などの文献によって、
歴史上のイエスを再構成することは不可能と結論され、
19世紀末に史的イエスの探求は終了しました。

当たり前ですよね。
100年ほど不毛な時間を使ったわけです。

仏教でも、当時華やかだった実証主義にもとづいて、
釈迦の説かれた事実が、
史料によって客観的に実証されるという、
楽観的な前提で研究が始められます。

しかし仏教の教えは、最初は書きとめられず、
お弟子が全部覚えて伝えていて、
書き残されたのはかなり後です。

これはインドの伝統で、
仏教以外もみんな口伝で伝えられていて、
商人の取引さえも、記帳され始めたのは
11世紀頃
だそうです。

「よく契約書も帳簿もなく、口約束で商売ができるな(笑)」
と思いますよね。とにかくすごいです。

それでもインドの皆さんの記憶は相当正確だそうで、
今日伝えられている色々な経典の内容をもとに
仮説が作られています。

それはまず、釈迦が亡くなってから
100年ほどは統一見解があったと仮定して、
これを「原始仏教」(とか「初期仏教」とか「根本仏教」)
と呼びます。

その後、大衆部と上座部の分裂が起き、
やがて分裂をくり返して、約20ほどの部派に分かれたと推定して、
これらを部派仏教(小乗仏教)と言い、
そこからまたしばらくして大乗仏教が起こったと考えています。

したがって、現存する仏教の経典は、
大乗仏教の漢訳経典と、部派仏教では2つの部派のみですが、
それらの様々な経典から最大公約数をとって、
西洋の仏教学者たちが原始仏教(初期仏教)を推定、
再構築しようとしています。

つまり、原始仏教(初期仏教)というのは、
近代の仏教学者の頭の中のみに存在する架空のもの
であり、
そのような研究は、キリスト教の研究では不毛だと
終了した研究に由来しているものなのです。

その上、最大公約数をとっているので、
あたりさわりのない漠然とした内容になっています。

この西洋の研究が、明治以降の
日本の仏教研究にも入ってきてしまい、
混乱をきたしてしまっていたわけです。

西洋系の研究に提出されている問題点

ですから最近では、キリスト教の研究のように
原始仏教や初期仏教が存在したという仮説には
様々な問題提起がなされています。
例えば以下のようなものです。

最初の100年間は、なぜ統一見解があったと言えるのか?
 (仏教では、最初の仏典編纂会議でも内容を承認しなかった弟子がいたので、
  最初から色々なグループに分かれていたのでは)

・現存するパーリ仏典より、漢訳が新しいと一概に断定できず、
 漢訳よりあとに書きとめられたバーリ仏典もある。
 (パーリ文より、それに相当する漢訳の阿含経のほうが
  原初形態に近い
ことが明らかになっている)

・セイロン島では、パーリ語が
 釈迦の説かれた当時のインド東部の言葉と伝承されていたが、
 どうもインド西部の異なる言語に翻訳されたものらしい。

セイロン島でパーリ仏典が整備されたのは
 結局、5世紀頃
と言われています。

これでは漢訳経典と同時代かもっと遅い位で、
   「パーリ仏典 イコール 原始仏教」
 と誤解している人さえありますが、
 まったくそうは言えません。
 (ちなみにチベット訳は8世紀以降

しかも、パーリ仏典は、
 量としても漢訳経典の約10分の1
で、
 仏教のごく一部です。

こうして最近は日本の学者の一部よりも、
 かえってヨーロッパの学者のほうが、
 漢訳仏典の本源性を認めているくらいです。

西洋の仏教研究最大の問題点

 

しかもこの西洋方式では、
 私たちにとって最大の問題があります。

釈迦の弟子によっては、
 教えが説かれた時点で聞き誤る可能性もあるので
 古ければ正しいとも言えず、
 色々の経典の共通部分だけをとったら、
 重要な部分がそぎ落とされてしまったりもします。

 

西洋の研究によって沢山の説が増えてきて混乱するだけで
 仏教に何が教えられているのか、
 どうしたら仏教によって人生の苦悩から救われるのか、
 結局分からない
のです。

このように「原始仏教(初期仏教)」というものは、
本当のお釈迦さまの教えどころか、
近代の仏教学者が頭で考え出した、
架空のものなのです。

知的好奇心で知識ばかり増やしても、
救われなくなってしまったら、怖いですね。
「仏教は学べば学ぶほど分からなくなる」
と言われるのも、このためかもしれません。

東洋における仏教の分類・体系化

次に東洋では、どのように仏教を研究されたのかというと、
インド、中国、日本などで、2000年以上にわたり、
釈迦の説かれた一切経すべてを仏説と受け止めて
多くの高僧方が、仏教の学問的研究に心血を注いだだけでなく、
実際に教えの通りを実践して、本当の幸せになるために
命をかけて仏教を求め、
釈迦の本心はどこにあるのか、
探し求められてきました。

つまり、西洋の研究は単なる歴史学ですが、
インド、中国、日本では、
本当の幸せになるにはどうすればいいのかという目的

で仏教が求められてきました。

目的も違えば手段も違います。
西洋は単なる理論だけですが、
東洋では実践もなされた
ということです。

こうして一切経は、インド、中国、日本の高僧方の伝統によって
今日、分類、体系化され、釈迦の説かれた本心が
明らかにされています。

ですから、仏教の歴史学を学びたい人は、
西洋系の研究を学ばれたらいいですし、
仏教の教えによって本当の幸せになりたい人は、
インド、中国、日本の伝統にもとづいて仏法を聞かれたほうがいいでしょう。

ではどうしたら本当の幸せになれるのか、
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