原始仏教・初期仏教とは?

原始仏教」とか「初期仏教」と聞くと、あまり仏教を学んだことのない初心者の人は、
何だかお釈迦さまの説かれたオリジナルの教えに近いように感じます。
また、最も純粋で、本物の仏教のように思ってしまいます。

本当に、「原始仏教」や「初期仏教」は、
お釈迦さまが説かれたオリジナルに近いのでしょうか?

原始仏教のよくある誤解

原始仏教」といわれると、現在の日本に伝わる色々の宗派の仏教より、
お釈迦さまが説かれたそのままの仏教に近いと思いがちですが、
今日では、そうではないことが知られています。

よく「原始仏教」と誤解されているものは、スリランカや東南アジアの植民地化に伴い、
19世紀頃にヨーロッパで研究されたパーリ仏典を、
お釈迦さまの当時の原始仏教と信じたものです。
パーリ仏典を原始経典と言っている人まであります。
ところが実際には、スリランカのパーリ仏典は、
お釈迦さまがお亡くなりになって1000年後にある人に編集されたもので、
上座部の中の「分別説部(ふんべつせつぶ)」というある1つの宗派の教えです。
現在この宗派は、上座部仏教という意味の「テーラワーダ仏教」を名乗り、
日本でも布教しています。
そして今日では、パーリ仏典より漢訳の阿含経のほうが古いと推定されることが多くあります。テーラワーダ仏教は、まったく原始仏教ではありません。
1つの仏教の宗派です。

正しい意味での「原始仏教」とか「初期仏教」と言われるものは、
明治時代より前にはなく、新たに作られた言葉であり、教えなのです。

そしてそれは、インド・中国・日本で、伝統的に二千年以上の研究と実践が行われ、
数多くの人が救われてきた教えよりも、
はるかに仏教研究の歴史の浅く、実践もしない西洋のキリスト教徒のやっている仏教の歴史学
の要素が濃くなっています。

一体どういうことなのでしょうか?

お釈迦さまの説かれた本当の仏教とは?

よくある仏教に関する質問で、
「仏教にはたくさんのお経や宗派があるけど、結局、お釈迦さまの説かれた本当の仏教というのは何なの?」
というものがあります。

あなたがもし仏教に関心があれば、同じような疑問をもたれたことがあるのではないでしょうか?

確かにこれが分からないと、仏教は、一切経七千余巻と言われるほど経典の数も多く、
宗派も色々あるので、どこから入ればいいのか、よく分かりませんから、
大切な質問です。

よく、
「何年も学んだけど、結局仏教で何が教えられているのか分からない」
とか、
「仏教は、学べば学ぶほど混乱してきて何が何だか分からなくなる」
という人がありますが、そんなことになってしまったら大変です。

仏教学者の中にも、一生涯仏教を研究しても、
結局仏教に何が教えられているのか分からないという人がいる位ですので、
せっかくあなたが仏教には本当の幸せになれる道が説かれているのに、
無駄な勉強に時間を使って一生を棒に振ってしまったら残念です。

そこで、今回は、仏教の学び方を簡単にガイドしておきます。

仏教の2通りの研究方式

仏教は、約2600年前、インドで活躍された釈迦が、
35歳で大宇宙最高のさとりである「」というさとりを開かれて
80歳でお亡くなりになるまでの
45年間、仏として説かれた教えを仏教と言います。

その教えは今日一切経七千余巻と言われる膨大な経典となって書き残されています。

その仏教の研究方式に、今日では大きく分けて2通りあります。

1つ目は、西洋系の研究
2つ目は、東洋の研究です。

この2つだと、何だか西洋系の研究のほうが権威がありそうに感じてしまいますよね。

西洋における仏教研究

ではまず、西洋ではどのように研究されたかというと、
19世紀にイギリスの統治下にあったセイロン島(スリランカ)に伝えられていた
パーリ仏典をもとに、19世紀に研究が始まりました。

ヨーロッパ人にとっては、数千字の漢字を読みこなすのは困難ですが、
パーリ語なら、それに比べれば習得が簡単で、漢訳仏典よりも、
パーリ仏典のほうがアクセスし易かったのです。
それで当時はパーリ仏典を原始仏典と思ってしまいましたが、
現在では、漢訳にもチベット訳にもサンスクリットにもガンダーラ語にも、
パーリ仏典に伝えられるお経に相当する経典が見つかり、
スリランカの1つの宗派の伝えるパーリ仏典が原始仏典とは言えないことが分かっています。

そして19世紀の当時、西洋では、キリスト教の「史的イエスの探求」がなされていた時代です。

キリスト教の影響

史的イエスの探求というのは、新約聖書はイエスを誤解しており、
史料に基づいて、歴史上の真のイエスが客観的に実証できると考えられていた
実証主義の研究です。
実証主義というのは、キリスト教神学や哲学の形而上学のような、
確認不可能なことを根拠とするのではなく、
五感で経験できることを根拠にして論ずる主義です。

なんとなくそのほうが確実な気がするのと、
実は強すぎる教会の権威を落としたいという裏の目的があったので、
18世紀末から19世紀の間、100年くらい続きました。

ところがその結果、聖書などの文献は、イエスの死後相当の時間が経ってから、
神学的に記述されたものなので、
現存する文献から歴史上のイエスを再構成することは不可能と結論され、
19世紀末に史的イエスの探求は終了しました。

当たり前ですよね。
100年ほど不毛な時間を使ってしまったわけです。

史料にもとづく文献学は仏教に使える?

日本でも、当時華やかだった西洋の実証主義にもとづいて、
釈迦の説かれた事実が、史料によって客観的に実証されるという、
楽観的な前提で研究が始められます。

しかし仏教の教えは、最初は書きとめられず、
お弟子が全部覚えて伝えていて、書き残されたのはかなり後です。

これはインドの伝統で、仏教以外もみんな口伝で伝えられていて、
商人の取引さえも、記帳され始めたのは11世紀頃です。

現代人からすると
「よく契約書も帳簿もなく、口約束で商売ができるな」
と思いますよね。とにかくすごい記憶力です。

ただ、現在のようにコンピューターが発達して、
インターネットで検索すれば大抵のことがわかる現代では、
記憶の価値は低くなってきましたが、ごく最近まで、
記憶や知識はもっと高い価値を持っていました。

ましてや知識人は、ごく最近まで普通に色々なことを記憶する人でした。
たとえば日本の哲学の第一人者であった東京大学名誉教授の廣松渉氏は、
ヘーゲルが専門ですが、カントの全集をドイツ語の原文で丸暗記していたといわれます。
ということは、専門だけでなく、その周辺のドイツ観念論の原著の多くを
暗記していたということです。
 また、昔の中国の科挙という国家公務員試験では、
中国の古典「四書五経」何十万字を一字一句丸暗記していなければ解答できなかったので、
6歳から受験勉強を始めます。
現代日本の東大受験よりはるかに高い難易度です。
そのような猛勉強により、中国の公務員は古典を全員暗唱していたのです。

そのような昔の状況を知らない人の中には、
仏典が口伝で伝えられたことをとても信じられず、
あとから創作したのではないかと推測している人もいます。
しかし、自分の記憶力の程度を「口伝を書き残されたのではない」
と主張する根拠にしてはいけません。
とても恥ずかしいことです。

インドの皆さんの記憶は相当正確なので、
現代人からすると驚くほどの分量を口伝で伝えられているのです。
それは、何百年も隔たった、別の時代に翻訳された異訳のお経でさえ、
内容にほとんど違いがないことからも分かります。

お経は、最初は記憶と暗唱によって伝えられ、
やがて文字に書き残されるようになったのです。

では、原始仏教とはどんなものなのでしょうか?
さらに、初期仏教、根本仏教というのはどんな違いがあるのでしょうか?

原始仏教・初期仏教・根本仏教とその違い

原始仏教とか初期仏教、さらに根本仏教というのは日本の西洋系の仏教の歴史学をやっている人たちの考えた仮説です。

まず、釈迦が亡くなってから釈迦の教えを伝える人々の間に、
100年ほどは統一見解があったと仮定します。
原始仏教」とは、このお釈迦さまが説かれてから、
お亡くなりになって100年くらいまでの間の仏教を指します。
初期仏教」も同じものを指します。
原始仏教」はオリジナルに重きをおいた名づけ方で、
初期仏教」は、時代が早いというイメージの名づけ方です。
さらにこの原始仏教(初期仏教)の中でも、お釈迦さまから直接教えを受けた、
直弟子までの教えを「根本仏教」と呼ぶ人もあります。

お釈迦さまが亡くなられてから100年ほど後に、仏教を伝える人々は、
大衆部と上座部という2つの部派(宗派)に分裂し、
やがて分裂をくり返して、約20ほどの部派に分かれたと推定して、
これらを部派仏教(小乗仏教)と言い、
そこからまたしばらくして大乗仏教が起こったと推定しています。

このような仮説の上で、現存する仏教の経典は、大乗仏教の漢訳経典と、
部派仏教では2つの部派のみですが、それらの
様々な経典から最大公約数をとって、西洋系の仏教学者たちが
推定、再構築しようとしているのが原始仏教(初期仏教)であり、根本仏教です。

その上、自分たちが考えた原始仏教(初期仏教)こそ、
本当の釈迦の教えで、現存するお経は、釈迦が説かれたものではないと主張しているのです。

しかしながら実際には、お釈迦さまが亡くなられてから500年くらい口頭で伝えられ、
その後から書き残され始めた現存の経典から、原始仏教を判別したり、
根本仏教とその後の原始仏教を判断することは不可能です。
書き残された時代が古いほうが、正しく伝えられているという根拠もありません。
原始仏教(初期仏教)というのは、近代の仏教学者の頭の中のみに存在する架空のもの
です。
西洋では、キリスト教の研究ですでに、そのようなことは原理的に不可能で、
不毛な努力だと結論されて終わってしまった研究に由来しているものなのです。

その上、最大公約数をとっているので、
あたりさわりのない漠然とした内容になっています。

この白人尊重の明治時代の仏教研究がいまだに影響を残しており、
現代人に混乱を与えてしまっているわけです。

西洋系の研究に提出されている問題点

ですから最近では、キリスト教の研究のように、
原始仏教(初期仏教)が存在したという仮説には様々な問題提起がなされています。
例えば以下のようなものです。

最初の100年間は、なぜ統一見解があったと言えるのでしょうか?
 (仏教では、最初の仏典編纂会議でも内容を承認しなかったお弟子がいたので、
最初から色々なグループに分かれていたと考えたほうが自然です)

・現存するパーリ仏典より、漢訳が新しいと一概に断定できず、
漢訳よりあとに書きとめられたバーリ仏典もあります。
 (パーリ文より、それに相当する漢訳の阿含経のほうが原初形態に近いことが
明らかになっています)

・セイロン島では、パーリ語が釈迦の説かれた当時のインド東部の言葉と伝承されていましたが、どうもインド西部の異なる言語に翻訳されたものらしいです。

セイロン島でパーリ仏典が書き残されてからどんどん修正されて行き、最終的に現在の形に編集されたのは5世紀頃と言われています。

これでは漢訳経典と同時代かもっと遅い位です。「パーリ仏典 イコール 原始仏典」と誤解している人がありますが、まったくそうは言えません。
 (ちなみにチベット訳は8世紀以降

しかも、パーリ仏典は、量としても漢訳経典の約10分の1で、仏教のごく一部です。

こうして最近は、日本の学者の一部よりも、かえってヨーロッパの学者のほうが、
漢訳仏典の本源性を認め、注目しているくらいです。

西洋の仏教研究最大の問題点

このように「原始仏教(初期仏教)」というものは、
本当のお釈迦さまの教えどころか、近代の仏教学者が頭で考え出した、
架空のものなのです。

しかもこの原始仏教を推定している西洋方式の仏教研究では、
私たちにとって大きな問題があります。

釈迦の弟子によっては、教えが説かれた時点で聞き誤り、
そのまま間違って伝え続ける可能性もあるので、古ければ正しいとも言えません。
そして、色々の経典の共通部分だけをとったら、
正しく伝えられている重要な部分がそぎ落とされてしまう可能性もあります。

このように根拠が薄いにもかかわらず、西洋の歴史学的な研究は、
主観的に自分の説を正しいと主張して、
現存のお経を釈迦の説かれたものではないと否定し始めるため、
仏教に何が教えられているのか、
どうしたら仏教によって人生の苦悩から救われるのか、結局分からない
のです。

そのため、原始仏教で本当の幸せになった人は、一人もいません。
知的好奇心で知識ばかり増やしても、救われなくなってしまったら、
どんなに後悔しても後悔しきれません。恐ろしいことです。
仏教は学べば学ぶほど分からなくなる
と言われるのも、このためかもしれません。

原始仏教(初期仏教)というのは、明治時代の文明開化の名残ですから、
西洋崇拝の時代遅れの仏教学です。

もちろん最近の仏教学者は、そんなことは知っています。
東京大学の馬場教授の『初期仏教』という本には、こうあります。
初期仏教では口頭で仏典が伝承されていた以上、
歴史上の人物としてのブッダの思想を文献研究によって復元するのは、
不可能である

口頭伝承に対して文献学は手も足も出ませんから、
昔の仏教学者たちが追及していた、文献による初期仏教の復元は不可能なのです。

ヨーロッパの仏教学者たちは、すでにパーリ仏典よりも、
もっと古くて深遠な漢訳仏典に注目しています。

では東洋では、どのように仏教が研究されてきたのでしょうか?

東洋における仏教の分類・体系化

次に東洋では、どのように仏教を研究されたのかというと、
インド、中国、日本などで、2000年以上にわたり、
釈迦の説かれた一切経すべてを仏説と受け止めて多くの高僧方が、
仏教の学問的研究に心血を注いだだけでなく、実際に教えの通りを実践して、
本当の幸せになるために命をかけて仏教を求め、
釈迦の本心はどこにあるのか、探し求められてきました。

つまり、西洋の研究は単なる歴史学ですが、インド、中国、日本では、
本当の幸せになるにはどうすればいいのかという目的
で仏教が求められてきました。

目的も違えば手段も違います。
西洋は単なる理論だけですが、東洋では理論研究に加えて実践もなされたということです。

こうして一切経は、インド、中国、日本の高僧方の伝統によって
今日、分類、体系化され、釈迦の説かれた本心が明らかにされています。

ですから、仏教の歴史学を学びたい人は、西洋系の研究を学ばれたらいいですし、
仏教の教えによって本当の幸せになりたい人は、インド、中国、日本の伝統にもとづいて
仏法を聞かれたほうがいいでしょう。

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