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天台宗とは

比叡山延暦寺根本中堂
比叡山延暦寺根本中堂

天台宗といえば、
本山は、京都と滋賀県の間の比叡山延暦寺で、
平安時代には仏教の中心地でした。
その後、僧兵が現れたり、織田信長の焼き討ちにあったり、
歴史でも有名ですが、現在も天台宗の教えに基づいて
修行をする人があります。
天台宗は一体どんな教えなのでしょうか?

天台宗の教えとは

天台宗の教えとは何か、天台宗の公式ホームページにこのように書かれています。

第一 全ての人は皆、仏の子供と宣言しました。(悉有仏性)
釈尊が悟りを開かれたから、悟りの世界が存在するのではありません。
それはニュートンが林檎の落ちるのを見ようが見まいが引力が存在するのと同じことです。
悟りへの道は明らかに存在するのです。
そして悟りに至る種は生まれながらにして私たちの心に植付けられていると宣言しました。
あとはこのことに気付き、その種をどのように育てるかということです。

第二 悟りに至る方法を全ての人々に開放しました。
仏教には八万四千もの教えがあると言われていますが、それらは別々な悟りを得る教えではなく、全ては釈尊と同じ悟りに至る方法の一つでもあるのです。
例えば座禅でも念仏でも護摩供を修することでも、巡礼でも、写経でも、もっと言えば茶道、華道でも、また絵画、彫刻でも方法はさまざまでいいのですが、そこに真実を探し求める心(道心)があれば、そのままそれが悟りに至る道です。
日常の生活にもそれは言えることです。
多くの開祖を輩出した天台宗が日本仏教の母山と言われるのも、また日本文化の根源と言われるのもこのことからです。

第三 まず、自分自身が仏であることに目覚めましょう。
そのために天台宗ではお授戒を奨めています。
戒を授かるということは我が身に仏さまをお迎えすることです。
仏さまとともに生きる人を菩薩といい、その行いを菩薩行といいます。

第四 一隅を照らしましょう。(一隅を照らす運動)
心に仏さまを頂いた人たちが手を繋ぎ合って暮らす社会はそのまま仏さまの世界です。
一日も早くそんな世の中にしたいと天台宗では考え「一隅を照らす」運動を進めています。
まず自分自身を輝いた存在としましょう。
その輝きが周りも照らします。
一人一人が輝きあい、手をつなぐことができればすばらしい世界が生まれます。

「自分自身が仏であることに目覚める」というのは、本覚思想といわれます。
本来、仏となる性質をそなえているということで、極端な言い方をすると「本来仏である」となります。
さらにそれが行きすぎて「だから修行は必要ない」と主張して批判されることもあります。

そもそも本覚は、釈迦さまのお経に説かれていることではありません。
後世の人がそのように考えたという一つの考え方です。

一隅を照らす運動

天台宗では現在「一隅を照らす」運動が行われています。
この意味は、以下のとおりです。

一隅とは、あなたがいるその場所のことを指します。
今、あなたが置かれている場所や立場で努力することであなたが輝きます。
あなたが輝くことで、周りの人々も輝くのです。

一人ひとりが光る存在となり、周囲へ良い影響を与えていこう
ということでしょう。
一般の人が聞くととても勇気づけられると思います。

しかし実際の天台宗の修行は、深い論理があり、そして過酷です。
以下で詳しく説明します。

天台宗の本山と開祖、御本尊

日本の天台宗を開いたのは、平安時代の最澄さいちょうという人です。
中国で天台宗を学び、日本に伝えました。
他にも、密教禅宗や、戒律、浄土教などを伝え、
比叡山を開きましたので、色々な仏教が学べる
総合大学のようなところでした。

ご本尊は、阿弥陀如来や釈迦如来ですが、
在家の家庭では阿弥陀如来の場合が多くあります。

もともとの中国の天台宗の開祖は、中国の智顗ちぎといわれる人です。
中国の天台山にのぼって修行し、教えを確立しましたので、
智顗のことを天台大師といわれ、その教えを天台宗といわれます。
つまり最澄が興した日本の天台宗は、天台智顗のベースとしているのです。

彼は、天台智顗の教説を、すべての仏教の教説の中で、もっともすぐれた教説であると考え、この教説を学ぶ根拠地を、日本につくろうとしたのである。

では、天台宗はどんなことを教える宗派なのでしょうか?

天台宗の根本聖典

天台宗では根本聖典を『法華経』に求めます。

天台智顗は、『法華経』を真実の教え、すなわち実教とし、その他の経典を仮の教え、すなわち権教とみなした。

日本の天台宗では最澄が、
円(法華経)・密(密教)・禅(坐禅止観)・戒(戒律)を取り入れ(四種相承)、
今日ではさらに念仏を付け加えて、
法華経』を中心にこれら5つを統合するという立場をとっています。

天台宗は宗祖大師立教開示の本義に基づいて円教・密教禅法・戒法・念仏等いずれも法華一乗の教意をもって融合しこれを実践する。

いずれにせよ、天台宗の教えは、『法華経』が根本にあります。
この『法華経』をもとにして、どのような教えを説いているのか、次に見ていきます。

私たちはなぜ苦しむのか「三惑」

天台宗では、私たちの苦しむ原因として、
3種類の煩悩を教えています。
これを「三惑さんわく」といいます。
」とは煩悩のことです。

この煩悩を断ち、さとりを開くことを
断惑証理だんわくしょうり」といいます。

では3つの煩悩とは何かというと、
三惑の1つ目が「見思けんじ」で、
普通の108の煩悩にあたるものです。

2つ目が、「塵沙じんじゃ」で、
世の中の知識がないために、相手と話が合わせられず、
導くことができないことです。

3つ目が、「無明むみょう」です。
無明とは中道真理に無知なことで、
ここでは煩悩のことです。

この3つの煩悩を断つことによって、
煩悩即菩提生死即涅槃
真実のさとりを開くことができます。

このことを天台智顗は、以下のように言っています。

見思の垢を破するが故に真諦三昧成じ、悪業の垢、塵沙の垢を破するが故に俗諦三昧成じ、無明の垢を破するが故に中道王三昧成ず
(漢文:破見思垢故 眞諦三昧成 破惡業垢塵沙垢故 俗諦三昧成 破無明垢故 中道王三昧成)

真実の仏のさとりまでのコース

お釈迦さまは、4つの教えによって声聞も、縁覚も、菩薩も、
全員真実の仏のさとりへと導かれています。

これを蔵・通・別・円の四教といわれます。
それぞれの教え(コース)には、優劣があります。

1.蔵教

1つ目が、「蔵教ぞうきょう」で、
小乗仏教のことです。

小乗仏教については下記をお読みください。
大乗仏教と小乗仏教(部派仏教)の違い

テーラワーダ仏教も本質的に同じです。
蔵教」は、一番初歩的な教えで、
見思の惑を断ずるために、
分析によって、我は空であることを観じます。

空については、こちらをお読みください。
色即是空しきそくぜくうの恐ろしい意味

相手の境涯に応じて、
声聞は四諦八正道によって阿羅漢のさとりを目指し、
縁覚は十二因縁によって辟支仏を目指し、
菩薩六波羅蜜修行によって仏のさとりを目指します。

ところが「蔵教」でいわれる菩薩は、お釈迦さまただ一人を指しており、
声聞の阿羅漢や、縁覚の辟支仏では、
真実の仏のさとりとは言えません。

そこで次の通教が立てられました。

2.通教

通教は、声聞、縁覚、菩薩に共通の教え
ということで、大乗仏教の初歩です。
蔵教よりも深い精神集中に入って、
諸法が空であることを体験的に知らされます。

やっていることは、蔵教と同じ(通同)、
四諦八正道十二因縁六波羅蜜ですが、
今度はもっと高い段階(別教、円教)に導くために(通入)、
声聞も縁覚も菩薩も、共通してこの3つを行います。
ここでいわれる菩薩は、お釈迦さまだけではなく、
仏のさとりを求める人全員です。

この教えにしたがって進んでいくと、
普通の人は、見思の惑を断ずるだけですので、
仏といっても声聞の阿羅漢のさとりと同じですが、
すぐれた人は、もっと高い境地があることが分かりますから、
さとりの何段目になるかは人によりますが、
途中で進路変更して、次の別教に入ったり、
さらにその次の円教に入ったりします。

3.別教

別教は、大乗仏教に特有の特別な教えで、
蔵教、通教、円教とも別なるがゆえに、別教と名付けられています。

菩薩が対象の教えです。
声聞、縁覚は対象ではありません。

六道輪廻をしているときは、自分の意志と関係なく、
迷いの世界を永遠に生まれ変わり続けてしまうのですが、
悟りを開き、六道を離れた場合でも、
苦しむ人を救うために、自分の意志で生まれ変わることが
できるようになります。

その六道を離れた世界を4つに分けて、
六道と合わせて全部で十界といいます。
地獄界餓鬼界畜生界修羅界、人間界、天上界
声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の10の世界です。

この生死からも出離するために、
見思」だけでなく「塵沙」、「無明」の惑も
断じなければなりません。

その方法として、くうちゅう三諦さんだいがあります。

空観」によって見思の煩悩を断ち、
真仮観」によって塵沙を断ち、
中観」によって無明を断ちます。

そのときには、さとりの52位
10段までは、見思の煩悩をおさえ、
17段までに見思の煩悩を断ち、
20段までに六道の塵沙を断ち、
30段までに十界の塵沙を断ち、
40段までに無明をおさえ、
52段の仏のさとりまでに一切の無明を断つというように、
順序正しく1段1段進んでいきます。

すると、無明がそのまま法性であったと知らされ、
生死即涅槃、煩悩即菩提のさとりが開けます。

このような別教が説かれる代表的なお経は、
華厳経』です。

華厳経』についてはこちらをご覧ください。
華厳宗の教え・奈良公園の東大寺の教えの秘密を公開

しかしこれには大変な時間がかかります。

4.円教

円教とは、円融・円満の教えという意味で、
欠けたることのない完全な教えを意味します。

お釈迦さまが説かれた自力の仏教の中で、
もっとも深い教えで、『法華経』の教えのことです。
ですから『法華経』を「自力の出世本懐経」ともいわれます。

円教の「」とは、人間の想像することができない、
すべての徳がおさまった欠け目がない境地で、
教えの通りに実行できれば、
一瞬でさとりが開けることをいいます。

別教では、順番に行った
空観」「真仮観」「中観」を3つに分けるのではなく、
真理は1つなので、それを三方向から見たものとして、
円教では同時に行います。
これを「一心三観」といいます。

それによって体得する境地を「諸法実相」といい、
目の前の現象そのままが真理の現れということです。
一つ一つの現象の中に、すべての真理がおさまっていますから、
一即一切」ともいいます。

これを説明したのが、「一念三千」です。

一念三千

三千」とは、ありとあらゆる現象のことで、
地獄餓鬼畜生修羅、人間、天上
声聞、縁覚、菩薩、仏の十界の一つ一つに、
また十界を備えて百になります。

そのそれぞれに十如是にょぜといわれる10の真理を備えて千になります。

さらに、五陰世間、国土世間、衆生世間の三種世間を配して
三千世間になり、これでありとあらゆる現象がおさまります。

そのすべてが、どの一つの現象にもおさまっているのですが、
一番手近な、自分の一瞬の心に三千がおさまっていると観察し、
それを体得することを「一念三千」といいます。

天台宗の修行方法

法華経』を拝読するだけではどのように実践すればいいか分かりにくいため、
天台大師智顗は、次のように教えています。

四種三昧

天台大師智顗の『摩訶止観』に教えられる、
この最高の境地に至るための修行方法が、
円頓止観」で、その具体的な実践方法が、
四種三昧」です。

四種三昧」とは、
1.「常坐三昧
2.「常行三昧
3.「半行半坐三昧
4.「非行非坐三昧
の4つです。

1.「常坐三昧」は、90日間一心に真理を観じ、座禅をすることで、
立ったり歩いたり横たわったりしてはいけません。

2.「常行三昧」は、90日間、阿弥陀仏の周りを歩きながら、
阿弥陀仏を念じ、名号を称え続けます。
止まったり座ったり横たわってはなりません。

3.「半行半坐三昧」は、一定の言葉を称えながら仏の周りを回る方等三昧と、
懺悔を強調する法華三昧があります。

4.「非行非坐三昧」は、上記の3つ以外のすべての三昧のことで、
よほどの人でないとできません。
いずれも大変な難行です。

千日回峰行

平安時代の初期に、日本に天台宗を伝えた最澄は、
この「四種三昧」を修行の中心としたのですが、
最澄から100年後くらいに現れた相応という人が、
法華経』に基づいて、「千日回峰行」という荒行を考えました。

これは、深夜2時に出発して一日約30キロの比叡山の山道を、
千日間、白装束で巡る修行です。
途中で、コースに京都市内も入り、最大84キロの日も100日間あります。
7年間かけて行いますが、最も過酷なのは、5年目の堂入りです。
9日間、飲まず食わず寝ず、堂内で、一定の言葉をとなえ続けます。

尚、常に短刀を携帯し、
途中で行が続けられなくなった場合は、
自害しなければなりません。

この修行が始まって以来、千年以上経って、できた人は、50人しかいません。

この行を終えると、周囲から「生き仏」とみなされ、
北嶺大先達ほくれいだいせんだつ大行満だいぎょうまん大阿闍梨だいあじゃりと呼ばれます。

このような過酷な修行ができ
生き仏」と言われたからといって、
本当のさとりには遠く及びません。

最近やった人によれば、一番きつかったのは、堂入りよりも、
昔はなかった京都の町のアスファルトが膝にくることで、
この修行で何がえられたのかは分からず、
何もえられなかったかもしれないそうです。

法華経の修行をできた人はいるの?

摩訶止観』の作者で、天台宗の開祖である天台大師智顗は、どの位まで悟りが開けたのでしょうか?
隋天台智者大師別伝』、『仏祖統紀』第6巻、『続高僧伝』など、色々な所に伝えられている有名なエピソードがあります。

それは、臨終に、弟子の智朗から
師は、いずれの位にいるや」と聞かれたというものです。
その時、智顗はこのように告白しています。

我、衆を領せずば必ず六根を浄めん。
されど他の為に己を損して、ただこれ五品位のみ。

(漢文:吾不領衆 必淨六根 爲他損己 只是五品位耳)

衆を領する」というのは、弟子の育成のことです。
弟子の指導育成をしなければ、「六根を浄めん」というのは、
六根清浄位」に至ったであろう、ということです。
六根清浄位」とは、円教のさとりの位です。
天台宗では、一瞬でさとりを開くので、悟りの段階は52段よりも、もっと少ないのですが、
さとりの52位でいえば、「六根清浄位」は十信(52段中10段)のことです。

五品位」とは「五品弟子位」のことで、十信の前段階です。
利他のために自分の修行の時間がなくなってしまい、
思うようにさとりが開けなかったと言っています。
天台宗を開いたような人でも、一生涯修行をして、52段中、10段目までも悟れなかったということです。

天台大師の先生である南嶽彗思
六根清浄位のさとりを得たと言っていますが、それでも10段です。
どちらもいまだ凡夫ですから、聖者でもありません。
仏のさとりがいかに高遠な境地か分かります。

このように、天台宗は、理論的にはすばらしいのですが、
その実践は、開祖でさえもさとりが得られないほどの難行なのです。

修行できない人が救われる方法

今回の記事では、天台宗の教えについて詳しく解説しました。

日本の天台宗は、比叡山延暦寺を本山とし、最澄を開祖とする宗派ですが、
その教えは中国の天台大師智顗の教えをベースとしています。

天台大師智顗の教えは、『法華経』をもっとも重要な経典とし、
法華経』を基にした修行を教え、実践しました。

しかしそれでも最高の悟りである仏覚(阿耨多羅三藐三菩提)をさとることはできませんでした。

天台大師は最期、
他力の教えが説かれている『観無量寿経』を掲げて、
その内容を讃えて亡くなったといわれますが、
仏教にはさらに、生死即涅槃、煩悩即菩提の境地を、
どんな人でもえさせる、
お釈迦さまの「他力の出世本懐」の教えが存在しています。

その、すべての人が煩悩即菩提の境地になれる仏教の真髄については、
以下のメール講座と電子書籍にまとめておきました。
まずは読んでみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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