虚しい人生の理由と対処法

人並み以上の幸せを手に入れても虚しく感じたり、
趣味に没頭しても、何をやっても虚しいと感じることがあります。
趣味や仕事などではごまかせない人生の虚しさは、
どこからくるのでしょうか?
そして、心から充実した人生にするにはどうすればいいのでしょうか?

虚しい人生の実態

小学校、中学校、高校と、たくさんの友達や、恋人ができても、
卒業すると会わなくなります。
人間関係も一時的で、移ろいゆくものだと知らされると、
虚しさを感じるようになります。

やがて社会に出て嬉しいことも悲しいこともありますが、
何か虚しい気持ちがつきまといます。

仕事に頑張れば、やがて悠々自適な生活をして、
別に不満はないのですが、
なぜかふと、虚しい気持ちを感じることがあります。

ずっと会社で働いてきて、最後、退職すると、
今まで何のために働いてきたのか
と虚しい気持ちを感じます。

そして、人生を振り返ってみても、大変だった割に
これといって何もなく、何も残っていないことを、
虚しく感じます。

このように、人生には、人並みには幸せな気がしているけれど、
それでもやっぱりどこか、虚しいとか、
特に何かが足りないというわけではないけれど、
やっぱり何か物足りない、という感じがします。
ところがその足りない何かが、分からないのです。

そこで、仕事に頑張ってみたり、
生きがいとなる、自分のやりたいことをやってみますが、
才能を活かして多くの人に喜ばれても、
やはり何か虚しいという人がたくさんあります。

やりたいことをやっても虚しい?

虚しいと感じたとき、
自分が本当にやりたいことをやる
という人がありますが、
本当にやりたいことをやった人でも、
虚しさを感じている人がたくさんあります。

ビートルズのリーダー、ジョン・レノン

ビートルズのリーダー、ジョン・レノンは、
才能を発揮して、世界中から高い評価を得ましたが、
このように言っています。

ビートルズは、欲しいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、
そして何も無いことを知った
」(ジョン・レノン)

ボクシング世界チャンピオン、鬼塚勝也

ボクシングのジュニアバンタム級世界チャンピオンになった
鬼塚勝也選手も、このように言っています。

「少年の頃、世界チャンピオンはスーパーマンみたいな存在やと思ってきた。
俺にとっては神様に近い存在ですよね。
凡人の俺が、そんな凄い場所に辿りつくことができたら、
いったいどんな凄い人間になれるんだろう。
そのことだけを励みにここまで頑張ってきました。

しかし、試合に勝ってはみたものの、あるはずのものが何もないんです。
エッ、何なのこれ? なんで、何もないんや
いや、次勝てばきっと何かが得られる
そう信じて、次から次へと試合を積み重ねていきました。
だけど何も残らない。
試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが何もなかった
という寂しさで発狂しそうになりました。
俺は常に素直に飛び跳ねる自分でおりたいのに、充足感がないから、
何でや?」という思いばかりが虚しく深まっていく。
最後の試合までずっとその繰り返しでした」
(『週刊文春』平成6年11月)

文豪・夏目漱石

文豪・夏目漱石も同じです。
吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』『三四郎』『それから』『こころ』と、
教科書に載るような名作を残し、お札に顔が出るほどの高い評価を得ながら、
死の前年、最後の随筆『硝子戸の中』には、こう記されています。

今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した
(夏目漱石)

世界で最も魅力的な男、ブラッド・ピット

世界で最も魅力的な男と言われ、
ハリウッドで非常に高額なギャラをとる名優、
ブラッド・ピットもこう言います。

ハリウッドではたくさんの人が仏教徒になっている。
アメリカの至上命令である「金持ちになって有名になれ
では幸せにはなれない

(ブラッド・ピット)

このように、富や名誉などは虚しく、
さらには、自分の生きがいも虚しくなってくるのです。

このような虚しい心を見ないように、考えないようにしても、
一時的には虚しさを紛らわすことはできますが、
根本解決にはなりません。仕事や趣味に没頭したり、
お酒やゲームで憂さ晴らししても、ただのごまかしです。

この虚しさから目を背けず、虚しさと向き合って、
原因を突き止め、根本から解決しなければなりません。

虚しさの3段階

私たちが毎日感じている虚しさを
20世紀最大の哲学者と言われるハイデッガーが、
哲学的に分析し、浅いものから深いものまで
3段階に分類しています。

1.手持ち無沙汰の虚しさ

まずは一番浅い虚しさです。
ハイデッガーは、ドイツの片田舎で4時間、電車を待つような虚しさを
手持ちぶさたの虚しさと言っています。

この虚しさは、気晴らしで対処ができます。
私たちも電車を待つときに、中途半端な時間が手持ち無沙汰になるので、
駅のキオスクには、新聞や雑誌、漫画を買います。
手持ちぶさたでぼーっとする虚しい時間を埋めるため
暇つぶしをすれば、手持ちぶさたは解消されるのです。

2.友人のパーティーの後、自宅で机に向かう虚しさ

次はもう少し深い虚しさです。
これは、仕事の途中、友人に招かれて、パーティーに行き、楽しい時間を過ごします。
親しい仲間と語らいながら、ワイングラスを片手におしゃれな夜を送ります。
そして「楽しかったー」と家に帰って自分の部屋で仕事に戻ります。
そのとき、やはりあれは楽しかったようでいて、
虚しかったのだと思う虚しさです。

私たちも、学校のときの文化祭のようなイベントがあると、
それまでバラバラだったクラスが、一丸となって準備します。
そんなとき充実を感じます。

そしていざ当日、一日があっという間に終わって、
あー楽しかった
と二次会に行きます。
そこでも盛り上がって、
夜遅く、みんなと別れて家に帰ります。

最後家に着く頃にはひとりぼっちになって、
何か虚しく感じます。

祭りの後」という言葉がありますが、
パーッと騒いだ後ほど、虚しい気持ちが起きてくるのです。
趣味や生きがいに熱中するほど、
虚しさが大きくなります。

これを漢の武帝は
歓楽尽きて哀情多し
と言っています。
ハイデッガーはそれを言っているのです。

これも、そのとき何かもっと楽しい気晴らしをすれば、
解消することは可能です。

3.根源的な虚しさ

この虚しさは、気晴らしの許されない虚しさで、
多くの人はこの虚しさを軽視していますが、
この深い虚しさに目ざめることが大事だと
ハイデッガーは言っています。

これは、いつでもどこでも突然襲ってきます。
ふとしたきっかけで、いい知れない人生の無意味さの中に
おかれていることに気づく、
得体の知れない虚しさです。

自分はなんで生きてるんだろう
という思いがいつもあります。
常に虚しさがつきまとってるような感じです。

太宰治の『トカトントン』という短編小説があります。

主人公が何かしようとすると
頭の中から「トカトントン」という音がします。
その音がしたら、何やってんだ、
と思って急にやる気がなくなります。

最初に主人公がその音を聞いたのは玉音放送です。
日本が太平洋戦争に負けた瞬間です。
大変なショックを受けるのですが、その時、
遠くで誰かが「トカトントン」と金槌で釘を打っているのを聞くと、
何やってきたんだろう、という虚しい思いが胸を覆います。

その後、郵便局で働きますが、その音が鳴り響いてきて、
冷めてしまいます。

政治運動に参加していても「トカトントン」と音がします。
こんなことをやっていて何になるんだと
ばからしく思ってやめてしまいます。

誰かを好きになりますが、また「トカトントン」と音がして別れます。
自殺をしようとしても「トカトントン」と音がしてやめてしまいます。

小説の終わりの方には、
世の中のことはたいがいのようですが、
このトカトントンだけは本当のようです

と書かれています。

これは小説の形ですが、太宰治の人生を
そのまま書いているといっても過言ではありません。
何をやっても、これが本当に俺のやるべきことなんだろうかと
ばからしくなって、常に虚しさがおそってきます。

色んなことをやってはみても、
本当にこれでいいのだろうか」と思います。
これは一度きりの人生でやるべきことなのか
と思うと虚しさが襲ってきてやめてしまいます。

この根源的な虚しさは、一体どこから来るのでしょうか?

虚しさはどこから?

それは、人生には制限時間があり、必ず死んで行かなければならないのに、
その間に何をすれば悔いのない人生になるのか分からないからです。

一言でいうと、何のために生まれてきたのか分からない、
ということです。

禅宗の僧侶・一休は、
人生はタライからタライにうつる50年
と歌っています。

タライからタライというのは、
産湯桶から棺桶ということです。

生まれてから死ぬまで、当時は約50年、
現代では約80年の人生の間に、
一体何をすればいいのでしょうか?

この人生の制限時間を意識すればするほど、
最後死んだらすべて終わりなのに、何のために生きるのか
という虚しい気持ちが大きくなります。

一体何のために生きているのか分からないから
人間存在そのものの虚しさです。

ところが、仏教には、
私たちは何の為に生まれて来たのか、
何のために生きているのか、
なぜ生きねばならないのか
という本当の生きる目的が教えられています。

その本当の生きる目的を果たしたとき、
人身受け難し 今すでに受く」(お釈迦さま)
生まれがたい人間に生まれてよかった
という生命の歓喜が起きて、
変わらない安心と満足がえられるのです。

ではその本当の生きる目的は何かということについては、
仏教の真髄ですので、メール講座と小冊子にまとめてあります。
一度目を通しておいてください。

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