死ぬのが怖い

死ぬのが怖い」と思う人は、約3割あるといわれます。
中でも、死ぬのが居ても立ってもいられないくらい怖い人は、
タナトフォビア(死恐怖症)といわれます。

死ぬのが怖い」とはどのような心で、
どのような接し方をすればいいのでしょうか?

死ぬのが怖いと思うのは正常

死ぬのが怖い」と思うのは約3割ですから、
大半の人は「死ぬのが怖い」と思いません。

日常は死を忘れて生きていますし、
そんなこと考えていたら生きていけないよ
と死から目を背けて生きています。

また、死ぬのが怖い心の対処として、
死ぬことを考えずに、生きることに目を向けましょう
というものがあります。

しかし人は誰でも100%確実に
死んでいかなければなりませんから
死について考えるのは大切なことです。

もし飛行機で太平洋上空を飛んでいるときに、
この飛行機は目的地の飛行場がわかりません。
燃料は5時間ほどでございます。
その間、運行に支障はございませんので
空の旅をごゆっりお楽しみください

というアナウンスがあったらどうでしょう?

燃料に限りがありますから、
しばらくすれば100%確実に墜落します。

墜落を忘れて空の旅を楽しむこともできなければ、
そんなこと考えていたら飛んでられないよ
という人もないでしょう。

この場合、墜落が怖いと感じない人はそのまま墜落していきますが、
墜落が怖いと感じる人は、何かの対処を考えます。

人生においても、死は確実な未来です。

死ぬのが怖いと感じない人は、
そのまま何の対策もなく死んで行きますが、
死ぬのが怖いと感じる人は何か対処を考えますから、
より本当の幸せに近い人なのです。

死が確実なのであれば、現実から目を背けず、
直視しなければなりません。

死は受け入れられる?

もちろん死についてはすでに考えたことがある
という人でも、
死は怖くない
自分はいつ死んでもいい
死は受け入れられる
という人がほとんどです。

その代表は、世界的ベストセラー『死ぬ瞬間』という本で、
死の受容」を説いたエリザベス・キューブラー=ロスです。

彼女はアメリカで活躍したスイス人精神科医で、
1万人以上の死に行く人によりそい、
死は人生で最もすばらしい経験になりうる
と語りました。

ところが、キューブラー=ロスが69歳になったとき、
脳卒中で倒れ、今度は自分が死を待つばかりとなってしまいます。

6年間寝たきりで過ごし、75歳のとき、
日本のNHKから死に関するインタビューを受けて、
こう答えた記録が残っています。

NHK:「苦しむ患者を助けてきたのに、なぜ(死の苦しみから)
自分を救えないのですか?

キューブラー=ロス:
いい質問ね。
 私はおかしくなっているんではなくて、
ただ現実を直視しているだけ。むしろ頭はさえてるわ。
だって今の自分に満足なんて、そんなフリはできないわ……

NHK:「あなたは(死にゆく)自分を愛するべきと本に書かれてますね

キューブラー=ロス:
いや、それにはふれないで。愛の話なんてしたくないわ

NHK:「なぜですか?

キューブラー=ロス:
気分が悪くなる。(死にかけの)自分自身を愛せって?
よく言ったもんだ。大嫌い。私の趣味じゃない

死の専門家として、「死の受容」を説いてきた
キューブラー=ロスも、いよいよ自分の番になったとき、
死は受け入れられませんでした。

それはなぜかというと、
他人の死」と「自分の死」はまったく違うからです。

キューブラー=ロスは、他人の死は受容できたのですが、
自分の死に直面したときは、
今まで頭で考えていた死とまったく違い、
とても受け入れることはできなかったのです。

やりたいことをやればいつ死んでも悔いなし?

よく「自分はこれをやって死ねるなら本望だ、
これさえ成し遂げればいつ死んでも悔いはない

という人がありますが、それは、
死を遠くに見ている間だけのことです。

1年以上の努力と忍耐によって
ついに主君の仇討ちを成し遂げた英雄、
大石内蔵助は、討ち入りの後、主君の墓前で
あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる
 浮き世の月に かかる雲なし

と歌いました。

仇討ちは切腹に決まっているが、
念願を果たして、何と楽しいことか、
澄み渡る月のようにすがすがしく、
この世に思い残すことは何もない、
あとはいつ死んでも後悔はない
という意味です。

ところが2カ月後、実際に切腹するに際して、
死ぬのが怖くて切腹にができませんでした。
名誉に傷がつくのを見かねた介錯人が
首をはねたと言われます。

大石内蔵助ほどの豪傑でも、
いざ自分が死ぬとなると、
怖くて死ねないのです。

死ぬのが怖いのが人間の本音

江戸時代に、仙崖という禅宗僧侶がありました。
たくさんの弟子がある有名な僧侶でした。
やがて88歳で生涯を閉じるとき、
弟子の一人が
先生、どうか今の心境を表すようなお言葉を
 一筆お願いできないでしょうか

とお願いしました。

すると、そこに書かれていたのは、
驚くべき言葉でした。

死にともない、死にともない

びっくりした弟子たちは、
お師匠様の辞世にふさわしくないと話し合い、
先ほどのお言葉も結構なお言葉ではございましたが、
もう一言頂けないでしょうか?

とお願いすると、そこには
ほんまに ほんまに
と書いてあったそうでした。

仙崖は大変正直な人でした。
それが人間の本音なのです。

では、この「死ぬのが怖い」という心は、
どのように対処すればいいのでしょうか?
それにはまず死ぬのが怖い心の
本質を知らなければなりません。

死ぬのが怖い心の本質は?

死ぬのが怖いというと、
死ぬときに痛いから怖いとか、
苦しむのが怖いと思っている人がありますが、
そうではありません。

現代の医療技術では、
モルヒネをはじめ、
死ぬときの苦痛は簡単に消すことができます。

自殺するにしても、
睡眠薬の場合は、
苦痛を心配すめ必要はありません。
それでも死にたくないのです。

鼻の奥に膿がたまる蓄膿症(ちくのうしょう)という
病気があります。
昔、蓄膿症の手術は、
あらゆる手術の中で最も痛いといわれていました。

当時は、脳に近いので、麻酔ができません。
麻酔なしで、口から上の部分をはいで
外科手術しなければなりませんでした。

大の大人が泣きわめく、
最も痛い手術だったといいます。
それでも、蓄膿症は脳に転移すると、
最悪の場合、死にます。

手術しなければ死ぬとなれば、
あなたも麻酔なしの手術をするのでは
ないでしょうか?

ということは、「死ぬのが怖い」というのは、
肉体的な痛みが怖いのではないのです。
精神的な恐怖なのです。

これは、現代では「スピリチュアル・ペイン」ともいわれる
心の痛みです。

死ぬのが怖い理由

ではなぜ死ぬのが精神的に怖いのかというと
死んだらどうなるか」が
分からないからです。

仏教では、自分が死ぬことを自覚すると、
「それまでの人生に対する後悔」と
「未来(死後の世界)に対する怖れ」が、
かわるがわる起きてくる
と教えられています。

その「死んだらどうなるかわからない心」を
根本的に断ち切って、「死の恐れなし」という
死が来ても崩れない幸せになる方法を教えられのが仏教です。
それは大安心大満足の未来永遠の幸せです。

では、どうすれば死が来ても崩れない
永遠の幸せになれるのかというと、
それは仏教の真髄ですので、
小冊子とメール講座にまとめておきました。
一度見ておいてください。

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