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四聖諦とは?

四聖諦ししょうたい」は「四諦したい」とも言われ、仏教の基礎です。
たい」とは、真理ということですので、
四聖諦」は、4つの聖なる真理
四諦」なら4つの真理のことです。

仏教に教えられていることは、この4つの真理なのです。
この記事では、その4つの真理とは何なのか、それぞれ分かりやすく解説します。

四聖諦とは?

四聖諦の4つの真理とは、苦しみの原因と結果、幸せの原因と結果の4つの真理です。
お釈迦さまが説かれたことは、この4つの真理以外にはありません。

仏教は、「すべての結果には必ず原因がある」という因果の道理を根幹として説かれています。

ですから、人生にやってくる色々の苦しみにも原因があります。
そして、幸せになるにも、その原因があるのです。

その4つの真理を、お経にはこう説かれています。

いわく四聖諦あり。
苦諦、集諦、滅諦、道諦なり。

(漢文:謂有四聖諦 苦諦 集諦 滅諦 道諦)

四聖諦」とは、苦諦、集諦、滅諦、道諦の4つだということです。

この4つをそれぞれ簡単にいえばこうなります。

四聖諦
  • 苦諦くたい」……「人生は苦なり」という真理
  • 集諦じゅうたい」……苦しみの原因を明かされた真理
  • 滅諦めったい」……真の幸福を明かされた真理
  • 道諦どうたい」……真の幸福になる道を明かされた真理

この四聖諦は、苦諦、集諦、滅諦、道諦の頭文字をとって「苦集滅道くじゅうめつどう」ともいわれます。

病気の治療でいえば?

この4つの真理である四聖諦を分かりやすくいえば、医者が病気を治療するようなものだと、
お釈迦さまは『 雑阿含経ぞうあごんきょう』にこのように説かれています。

四法成就あり。
名づけて大医王という者は、まさに王の具し、王の分たるべきところあり。
何らをか四と為す。
一つには善く病を知る。
二つには善く病の源を知る。
三つには善く病の対治を知る。
四つには善く病を治しやみ、当来に更に動発せずを知る。

(中略)
如来はまさに等正覚をなり大医王と為すべし。
四徳を成就し、衆生の病を療することまたまた是の如し。
如何が四と為す。
いわく如来は知る、
これはこれ苦聖諦如実知なり
(苦諦)
これはこれ苦集聖諦如実知なり(集諦)
これはこれ苦滅聖諦如実知なり(滅諦)
これはこれ苦滅道跡聖諦如実知なりと。(道諦)
(漢文:有四法成就 名曰大醫王者 所應王之具王之分 何等爲四 一者善知病 二者善知病源 三者善知病對治 四者善知治病已當來更不動發
中略
如來應等正覺 爲大醫王 成就四徳 療衆生病 亦復如是 云何爲四 謂如來知 此是苦聖諦如實知 此是苦集聖諦如實知 此是苦滅聖諦如實知 此是苦滅道跡聖諦如實知)

これはどういうことかというと、名医といわれるような医師は、名医たる条件として、4つのことを知らないといけないということです。
それは、病気の症状、病気の源、病気が治った状態、病気を治す方法の4つです。
如来にょらい」とは仏様のことで、「等正覚とうしょうがく」は仏のさとりですから、
仏様は、仏のさとりを開いて名医となり、人々の苦しみを治療するのも同じようなものだ、ということです。
病気でいえば症状にあたるのが、苦しみの結果である「苦諦」です。
病院に行くと、まず診断を行います。
熱が出て、意識がもうろうとして、鼻水が出て、咳が出て、全身の節々が痛むとします。
この症状なら、風邪かなと診断します。

ではなぜ熱が出たり、もうろうとするなどの症状が出るのかという原因があります。
それが苦しみの原因を明かされた真理である「集諦」です。

そして、生まれつき病気だった人には、病気が全快したらどんな幸せになるのか知りませんので、それも教えなければなりません。
私たちも、果てしない遠い過去から迷い苦しんでおり、病気が治った試しがありませんので、 病気の完治した世界が教えられています。
それが「滅諦」です。

そして最後に、どうすれば病気が治るのかという処方箋があります。
それが「道諦」です。

仏教は、幸せになるために、幸せになれないという心の病を治療するようなものですから、このように肉体の病の治療に似ているのです。

これは何も病気の治療に限らず、どんなことでも同じです。
例えば、何かの夢や理想を実現したいのに、今はできていないという
理想と現実がある場合、そこにはギャップがあるわけですから、
なぜ今のような状態なのかという原因を知り、
どうすれば理想を実現するのかという方法を知る必要があります。

その現実が苦諦、
なぜ今のような現実があるのかという原因が集諦、
理想が滅諦、
理想を実現する方法が道諦です。

ではそれぞれどんなことが教えられているのでしょうか?

1.苦諦とは?

人生の本当の姿

仏教は、まず現実を直視することから始まります。
例えば借金があると苦しいです。
現実があまりに苦しいと、お酒を飲んだりして、現実から目を背けるということがあります。
ですが、それでは借金はなくなりません。
時間が経つにつれてもっとひどい運命がやってきます。
借金をなくすには、まず借金があるという現実を直視しないと、何の対策も始まりません。
ましてや借金をなくすなど到底無理です。

そこで仏教では、まず人生とはどんなものかという現実を直視します。
それが苦諦です。

苦諦」とは、「人生は苦なり」で、すべての人が苦しみ悩んでいる、ということです。

ちなみに、「人生けっこう楽しいよ」という人があるかもしれません。
その楽しみはどんな楽しみかというと、結局は欲望を満たす楽しみです。
欲望を満たす楽しみは、結局苦しみになってしまうことを仏教では教えられています。
欲望については、以下の記事で詳しく解説してあります。

欲望の種類と意味・仏教で欲望をコントロールせずに対処する方法

また、「六十二見ろくじゅうにけん」といわれる62種類の外道の中に、現法涅槃げんぽうねはんというものがあります。
外道とは、真理に外れた教えのことです。
その中の一つに、現在、五欲を欲しいままにして涅槃を得たという思想があります。
欲望を満たすのが本当の幸せという考え方です。
これは真理ではないので、欲望を満たす快楽では幸せにはなれないのです。

人生は当然苦しい?

逆に、人生は苦なりといわれれば、「そんなこと分かっているよ」と思う人もあるかもしれません。
そんな人でも、
お金があったら……
周りの人から一目置かれれば……
好きなことを仕事にできれば……
愛情につつまれれば……
あれがあったら……
こんなことができれば……
幸せになれる、満足できる、と思っています。
その延長線上のどこかに幸せがあるように思って、そんなことばかりに一生懸命です。

こうして迷いの深い私たちも、その方向に幸せがないことに気づかず、苦しみから離れられずに、あっという間の人生を終わってしまいます。

病気でも、自分が病気にかかっている自覚がなければ、その病を何とかしようという気持ちが起こりません。
苦しみから離れられない原因を知らせ、私たちを本当の幸せに導くために、お釈迦さまはまず、
すべての人は苦しんでいる
という真理を教えられています。
これは、いつの時代、どこの国の人でも変わりません。

古今東西の人生の苦しみ

例えば、天下を統一した徳川家康(1543-1616)はこのような遺訓を残しています。

徳川家康徳川家康

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し
(徳川家康)

人の一生」といっても、家康自身の一生のことです。
徳川家康といえば、天下を統一し、征夷大将軍になり、徳川幕府の基礎を築いた人です。
それにもかかわらず、重荷を下ろせなかったといいます。
重荷というのは苦しみのことですから、苦しみがなくならなかったということです。
そして苦しみをなくすことができず、遠い道をはてしなく、死ぬまで歩き続けなければならなかったのです。

天才的な作家・芥川龍之介はこう言います。

芥川龍之介芥川龍之介

人生は地獄よりも地獄的である。
(引用:芥川龍之介侏儒しゅじゅの言葉』

地獄というのは仏教で苦しみの世界ですが、地獄よりも地獄的ということは、人生はそんな苦しみの世界よりももっと苦しい、ということです。
人並み外れた才能に恵まれていても、やはり人生の苦しみはなくならないのです。

ドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアー(1788-1860)は、こう言います。

ショーペンハウアーショーペン
ハウアー

もし人間の目下の存在目的が苦悩することでないというならば、私たちの存在は、その目的から遠くかけ離れていることになる。
(ショーペンハウアー『世の苦しみについて』)

オーストリアの心理学者、ジークムント・フロイト(1856-1939)はこう言います。

フロイトフロイト

人生に望めるのはせいぜい、悲惨な苦しみが月並みの不幸に変わることぐらいだ。
(ジークムント・フロイト)

このように、洋の東西を問わず、どんな人も苦しんでいます。
いつの時代、どこの国でも、「人生は苦なり」です。

苦諦の具体的な内容

ではどんな苦しみがあるのでしょうか?
それを詳しく説かれたのが「四苦八苦しくはっく」です。

四苦八苦」とは、「四苦」といわれる生苦、老苦、病苦、死苦の4つの苦しみと、さらに4つの苦しみを加えた合計8つの苦しみのことです。
お経にはこのように説かれています。

いかんが苦聖諦くしょうたいなる。
いわく生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎会苦、愛別離苦、所求不得苦、略五盛陰苦なり。

(漢文:云何苦聖諦 謂生苦老苦病苦死苦 怨憎會苦 愛別離苦 所求不得苦 略五盛陰苦)

これらの苦しみは、とても分かりやすく、いつの時代、どこの国の人でも、どれだけお金があっても、愛情に包まれていても、人間として生まれたならば必ず受けねばならない苦しみなのです。

仏教には、この人生の苦しみを解決する道が教えられているわけですから、この人生の苦しみが知らされれば知らされるほど、仏教を聞こうという気持ちが強くなります。
仏教を聞く気持ちがあまり強くないとか、まったく起きないのは、この自分の姿が分からないからです。
それは頭で理解できないという意味ではなく、自分のこととして受け止められていないのです。

特にこれらの八苦の中でも、「死ぬほど辛いことはない」と言われるように、死苦は人生最大の苦しみです。
いよいよ死んで行くときには、今まで努力して手に入れたものもすべて置いて、愛する人とも別れて、ひとりぼっちで死んでいかなければなりません。
しかも誰も死を逃れることはできません。
必ず死んで行かなければならないのです。
そうなると、私たちが生きるのは、どんなに頑張っても苦しんで死ぬだけになってしまいます。
どうしてそんなことになってしまうのでしょうか?
その原因を教えられているのが次の集諦です。

2.集諦とは?

苦しみの原因とは

集諦じゅうたい」とは、
」とは「集起」のことで、原因ということですから、
集諦」とは、苦しみの原因を明かされた真理ということです。

肉体の病気でいえば、病気の原因にあたります。
例えばお腹が痛いという症状が現れた時、原因をつきとめる必要があります。
何か悪いものを食べたのか、
寝冷えしたのか、
盲腸炎になったのか、
胃潰瘍なのか、
胃癌なのか。
もし胃癌なのに、素人判断で、
きっと何か悪いものを食べたのだろう
と思って放っておいたら、大変なことになります。

病気の原因を誤診してしまうと、病気は治らないばかりか、もっと悪化してしまいます。
正しい診断をして、病気の原因を正しく知ることが極めて重要です。
それでお釈迦さまは、苦しみの原因を明かされた真理を教えられているのです。

人生が苦しいのは誰のせい?

ではなぜ私たちの人生は苦しいのでしょうか?

普通に考えるのは、
お金がないからだとか、
仕事が自分に合っていないとか、
好きな人と結婚できないからだと思います。

ではお金があって、好きな仕事をして、好きな人と結婚できたら幸せでしょうか?

お金があればあったで、やはり何か別の不安や心配が起きてきます。
好きな仕事をしても、苦しみはなくなりません。
好きな人と結婚しても、末永く幸せに暮らせるのはおとぎ話くらいです。

ではなぜ好きなことを仕事にしても、
どんなにお金があっても、
好きな人と結婚しても、
生まれてから死ぬまで苦しみはなくならないのでしょうか?

それは、お金がないからでも、子供がないからでもありません。
子供があるからでもなく、他人に悪口を言われるからでもありません。
お金や財産、地位、名誉、妻子、才能、美貌、趣味や生きがいなどがないからではないのです。

苦しみの原因は自分の外側にではなく、内側にあります。
それはつまり周囲の人や社会環境にあるのではなく、自分の心に原因があるということです。

人生を苦に染める原因

その苦しみを生み出す原因について、お釈迦さまはまず、
煩悩ぼんのう」を教えられています。

煩悩とは苦しませ、悩ませるもの、ということで、全部で108あります。

中でも最も私たちを苦しめる煩悩を三毒といい、怒りねたみやうらみの3つです。
私たちが求めている、お金や財産、地位、名誉というのは、本質的にはあれが欲しいとか、これをやりたい、人から認められたい、楽がしたいという欲望を満たす楽しみです。
その欲望は限りがありませんので、どこまでいってもこれで満足したということはありません。
その上楽しみは一時的で、すぐに色あせてしまいます。
欲望を満たす楽しみは、続かない、儚い幸せなのです。

それにもかかわらず、私たちは欲望に強烈に引きつけられて、欲望に振り回されてしまうために、続かない幸せに命を費やして、何の不審も持ちません。
そして最後は必死で手に入れたものすべてを置いて死んで行かなければなりません。
欲望を満たすためだけに一生を全部使い切ってしまうのです。

政治や経済、科学、医学なども全部欲望を満たす幸せの追求ですので、どれだけ科学が進歩しても、経済が発展しても、苦しみ悩みはなくなりません。
このような欲望だけでなく、煩悩は他にも107ありますので、私たちはこれらの煩悩に振り回されて、苦しんで死ぬだけの人生になってしまうのです。

そこで、どうすればこの苦しみを解決して、本当の幸せになれるのかを教えられているのが仏教です。

3.滅諦とは?

滅諦」とは、真の幸福を明かされた真理です。

私たちは、生まれて以来、ずっと苦しみ迷いの中にありますので、本当の幸せとは何か、誰も分かっていません。
政治も経済も科学も医学も、みんな幸せを目指して努力しています。
政治は戦争を減らし、経済は食糧の供給を増やし、科学は生活を便利にし、医学は病気を減らしています。
それでもなお手に入らないのが「幸せ」です。

二千年以上前から、哲学者もずっと考え続けていますが、徳を磨くことなのか、精神的な心地よさなのか、欲を抑えて現状に満足することなのか、平常心を保つことなのか、それがどんな状態なのか、いまだに本当の幸せとは何か、分かりません。

そのことをスイスの哲学者、カール・ヒルティは『幸福論』にこう言っています。

ヒルティヒルティ

人間だれ一人として幸福を求めないものはない。
幸福を求めるということ以上に、あらゆる人に共通した考えはない。
ただ、幸福の内容はどんなものか、また、この世で幸福を見出せるかどうかは、考えが一致しない。

(ヒルティ『幸福論』

心理学でも、
欲望を満たす快楽が幸せなのか、
好きなことに没頭するフローに入ることなのか、
より大きなものの中で自分に意味を感じることなのか、
と考えています。
それらも勿論どこかしら幸せではありますが、どれも一時的な儚い幸せで、
心からの安心と満足が得られるような、本当の幸せというものではありません。

人類が何千年も考え続け、求め続けていることであるにもかかわらず、本当の幸せとは何なのか、いまだに分からないのです。

そこでお釈迦さまはまず、変わらない、本当の幸せとして、煩悩が滅した世界「涅槃ねはん」があることを教えられています。
これが究極の目的です。
ところが人間である以上、煩悩はなくせないので、その涅槃に至ることができる、真の幸福とはどんな心なのか教えられています。

4.道諦とは?

道諦」とは、真の幸福になる道を明かされた真理です。
狭い意味では、お釈迦さまがまず教えられた「八正道はっしょうどう」です。
お経にはこのように説かれています。

いかんが苦滅道聖諦なる。
いわく正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定なり。

(漢文:云何苦滅道聖諦 謂正見 正志 正語 正業 正命 正方便 正念 正定)

ここでは、道諦を「苦滅道聖諦」といわれて、八正道を教えられています。

そのほかにも、お釈迦さまは色々のを説かれ、実践を勧められています。

それらの教えにしたがって進んで行くと、煩悩しかない、自分の本当の姿が知らされていきます。
そして、仏法を聞かなければ知らされることのなかった苦悩の根元を知らされて、真の幸福へ導かれて行きます。

その苦悩の根元とその解決こそが、仏教の真髄ですので、メール講座と電子書籍にまとめておきました。
今すぐご覧ください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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