生き方の正しい選び方

生き方が分からない時、迷う時が誰しもあります。
自分の生き方は間違っているのではないか、
このままでは後悔するのではないか、
色々な生き方の疑問や不安が出てきます。

仏教には、なぜ生き方に迷うのか、正しい生き方の決め方を
シンプルに教えられています。

なぜ生き方がわからないのか

なぜ人は、生き方の迷うのでしょうか?

それは、生き方ばかり考えているからです。
生き方だけ考えていて、正しい生き方が定まることはありません。

なぜなら「生き方」というのは、
どう生きるか」という
生きる手段」だからです。

手段は、目的を果たすためのものですから、
目的がわからないと手段は決まりません。
目的あっての手段です。

生きる目的があって、それを果たすためにどう生きるか
というのが生きる手段であり、生き方です。
生きる目的を知らずに、どれだけ生き方を考えても、
生き方が分かるはずがないのです。

生き方と生きる目的の関係

生きることを歩くことや走ること、
飛行機なら飛ぶことにたとえると、
生き方というのは、歩き方や走り方、飛び方にあたります。

歩き方や走り方には色々あります。
ではどんな歩き方や走り方が正しいのでしょうか?

それは、どこへ行くのかという目的地によって変わります。

なぜなら、歩き方や走り方は、手段だからです。

歩く目的地が分からずに、
歩き方だけ努力向上しても、最後歩き倒れになるだけです。

走る目的地が分からずに、
走り方だけ努力向上しても、最後走り倒れになるだけです。

飛んで行く目的地の飛行場が分からずに、
色々な飛び方をしてみても、最後は墜落するだけです。

生きる目的が分からずに、
色々な生き方をしてみても、
あっという間に人生は終わって
後悔の人生になってしまいます。

何のために生まれてきたのか、
何のために生きているのか、
なぜどんなに苦しくても自殺してはいけないのか
という生きる目的が、もっと大切なのです。

ところが、その生きる目的を誤解している人があります。

政治・経済・科学・医学は生き方

生きる目的は何ですか?
と聞くと、政治や経済、科学や医学の進歩だと
思っている人があります。

ところが、政治も経済も科学も医学も生き方であり、
どう生きるかという生きる手段です。

分かりやすいのは医学です。
医学は、どうすれば快適に、一秒でも長く生きられるかということですから、
やはりどう生きるかという生きる手段です。

飛行機にたとえると、どうすれば快適に、少しでも遠くへ飛べるか
ということです。もし目的地の飛行場なしに、
快適に遠くへ飛ぶことばかり追及していたらどうでしょうか?
最後は墜落の悲劇あるのみです。

同じように、政治も経済も科学も医学も、
どうすれば仲良く豊かに便利に長く生きられるかという
生きる手段です。

天才科学者、アインシュタインはこのように言っています。
手段は完全になったというのに、肝心の目的がよくわからなくなったというのが、
この時代の特徴と言えるでしょう
」(アインシュタイン)

どれだけ科学が進歩しても、
心からの安心も満足もないのはそのためです。

同じように、お金や財産、地位、名誉などを
生きる目的だと思っている人がありますが、
それらもみな生きる手段です。

それ自体どれだけあっても、
これで満足したということはありません。
人間に生まれてきたのはこれ一つためであった」という
本当の生きる目的ではないのです。

なぜ心からの安心も満足もないのか

なぜどんな生き方をしたところで、幸せになれず、
心からの安心も満足もないのでしょうか?
仏教では、このように教えられています。

真・仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す
(親鸞聖人『教行信証』)

真・仮」とは、
」とは生きる目的
」とは生き方や生きる手段のことです。

知らざるによりて」とは、
区別がつかないから、ということです。

如来広大の恩徳」とは
人間に生まれてよかった」という喜びです。
喜びといっても、欲望を満たす喜びとは違います。
人間に生まれてよかったという生命の歓喜です。

その生命の歓喜が起きず、つまらない人生ないのは、
生きる手段」を「生きる目的」のように思い、
本当の生きる目的と、生きる手段の区別がつかないからだ
と仏教では教えられています。

逆に、本当の生きる目的が分かれば、
それに応じて生き方を選んで行くことができます。

正しい生き方選びの原則

では、どのように生き方を選べばいいのでしょうか?

本当の生きる目的は、仏教に教えられていますから、
浄土宗を開かれた法然上人はこのように教えられています。

現世を過ぐべきようは、念仏申されんようにに過ぐべし。
念仏の妨げになりぬべくば、何なりともよろづをいとい捨てて、
これをとどむべし。

念仏申されんように」とは、仏教を聞けるようにということです。
本当の生きる目的は、仏教に教えられているから
この世は仏教を聞けるように生きなさいということです。

さらにこのように続きます。
いわく、聖で申されずは、妻をもうけて申すべし。
妻をもうけて申されずは、聖にて申すべし

結婚して仏教を聞ければ結婚すればいいし、
結婚せずに仏教を聞ければ結婚しなければいい
ということです。

また、蓮如上人はこのように教えられています。
仏法を主とし、世間を客人とせよ」といえり。
仏法の上よりは、世間のことは時にしたがい相働くべき事なり
仏教に教えられる本当の生きる目的が主人で、どう生きるかという生き方はお客さんですよ、
本当の生きる目的にしたがって、その時その時の生き方を考えなさい
ということです。

本当の生きる目的が分からなければ、
生き方は分かりませんし、
生き方に正しいも間違いもありません。
生き方上手」も「生き方下手」もありません。
生き方が分からずに悩むだけです。

ところが、仏教を聞いて、本当の生きる目的が分かれば、
あとは、人それぞれ、
自分に最適な正しい生き方を選ぶことができるのです。
まず生きる目的を知ることが、
生き方選びの原則です。

では、本当の生きる目的は何だと
仏教に教えられているのでしょうか?

本当の生きる目的は、仏教の真髄ですので
小冊子とメール講座にまとめておきました。
一度目を通しておいてください。

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