自業自得(じごうじとく)とは?

自業自得」というのは、『正法念経(しょうぼうねんぎょう)』に出てくる
仏教の言葉で、『往生要集』にも引用されています。

自業自得」の「」は、行いのことです。
自得」とは、自分が得た結果ですから、
自業自得」とは「自分の運命は、自分の行いの報いですよ
ということです。

あなたの運命は誰のせい?

仏教では、「すべての結果には必ず原因がある
という因果の道理に立脚して説かれています。
自分に起きるすべての運命は、
自分の行いの結果だと教えられています。

仏教では、因果の道理を根幹として、
善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)
と教えられています。

善いたねをまけば幸せな運命が生み出され、
悪いたねをまけば不幸や災難が引き起こされ、
自分のまいたたねは、自分が刈り取らなければならない
ということです。

自分のたねまきに応じて、自分の運命が決まりますから、
因に応じて果が報う「因果応報(いんがおうほう)」ともいわれます。

自業自得と思えないときもあります

ところが、そう簡単に自業自得と思えないときがあります。

それは、どんなときかというと、
自分に不幸や災難がやってきたときです。

自分に幸せがやってきたときには、
自分の努力の結果だと思いますが、
不幸や災難がきたときは、
自分の責任ではないと思いたくなります。

例えば、
「今朝、遅刻してしまったのは、いつもと違って、急に渋滞したからだ」
「うまく売り上げが伸びないのは、不況だからだ。それとライバルが参入してきたからだ」
「子供がいじめに会合うのは、学校のせいだ。もっと言えば行政の責任だ」
などなど。

このように、不幸については、
少しも自分の行いに責任があるとは頭をよぎらないのです。

そんなときも自業自得なのでしょうか?

結果が起きるのはどんなとき?因縁について

仏教では、すべての結果は、
」と「」が和合して現れると教えられています。

お釈迦様は、このように説かれています。
一切法は因縁生なり。(大乗入楞伽経)

一切法」とは、すべてのもののことです。
すべてのものは、因と縁がそろって生じるということです。

因だけでも結果は起きませんし、
縁だけで結果は起きません。
図に書くとこのような感じです。

┌─┐ ┌─┐
│因├┬┤縁│
└─┘│└─┘
  ┌┴┐
  │果│
  └─┘

では因と縁とは何かといいますと、
」とは、自分の行いのことです。
」とは、環境や他人の行いなど、自分の行い以外のすべての要因です。

米でいいますと、
因は、モミダネ、
縁は、水や空気、温度、養分など、
モミダネが米になるのを助けるものです。

┌─┐ ┌─┐
│因├┬┤縁│
└─┘│└─┘
 モ┌┴┐水
 ミ│果│空気
 ダ└─┘温度…
 ネ 米

なぜ自業自得?

では、例えば
「今朝、遅刻してしまったのは、いつもと違って、急に渋滞したからだ」
がなぜ自業自得なのでしょうか?

もし遅刻したのが本当に渋滞のせいだとすれば、少し不可解なのは、
この朝、渋滞が起きたのに、同じ道を通って通勤している同僚の中で、
遅刻したのは自分だけでした。
何か自分に、他の同僚にはない原因がありそうです。

では「」と「」と「」は、それぞれどうなるかというと、
まず「(結果)」が遅刻です。
次に、渋滞は、自分の行いではありませんから、
因ではなく「」となります。

では「」は何かというと、
渋滞が起きる可能性があるのに、
ぎりぎりに出発したという自分の行いにあります。
他の人たちは、余裕を持って出発していたのです。

結果は、因だけでも起きませんから、
確かにぎりぎりに出ても、渋滞という縁が来なければ、
遅刻にはなりません。

しかし、縁だけでも結果は起きませんから、
渋滞が起きても、ぎりぎりに出ていなければ、
遅刻にはならないのです。

因だけでも縁だけでも結果は起きませんので、
不幸や災難が起きたときには、
必ず何か因があります。

ですからやはり自業自得です。

その行いを見ずに、結果を縁の責任にして、
自分の行いを改善しなければ、
次に同じ縁が来たときに、また同じ不幸が繰り返され、
進歩も向上もないのです。

では生まれつきのことは?

生まれた時点のことについても、
すべての結果には必ず原因がありますから、
原因なしに何かが起きるということはありません。

原因は結果よりも前にありますから、
すべての結果には必ず原因がある」ことを認めれば、
原因は、生まれる前にあることになります。

仏教では、私たちは、果てしない遠い過去から、
永遠の未来に向かって、生まれ変わり死に変わり、
生死生死を繰り返していると説かれています。

これを「輪廻転生(りんねてんしょう)」といいます。

ですから、生まれた時点での結果は、
生まれる前の自分のたねまきを原因として、
その報いが現れている
と教えられています。

しかし、この記事を読めるということは、
今のあなたは生まれた時点ではないと思いますので、
生まれてからのたねまきだけでも、考えるべきことは
足りなくならないのではないでしょうか。

自分の行いを変えるのさえ難しいのに、
他人の行いは変えるのは至難の業です。

因果の道理を信じ、自分の行いを反省して、
反省向上していきましょう。

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