あの世とは?

あの世とはどんな世界なのでしょうか?
生ある者は必ず死に帰すと言われますように、
死は、100%確実な未来です。

では、死んだらどうなるのでしょうか?
日本でいわれるオーソドックスな冥土の旅を見ていきましょう。

日本人の最後

日本では、約7割の人が病気で死にます。
そのトップは癌です。
普段から食事と運動、睡眠に心がけ、
くれぐれも健康に気をつけてください。寿命が延びます。

ただ、いくら寿命が延びても、死ななくなるわけではありません。
そういうわけで、あなたもついに人生最後の病気にかかりました。

病院で、二度と退院できる見込みのない闘病生活を送ります。
どんなに検査をしても、薬を飲んでも、身体は弱る一方で、
起き上がることもできません。
日本は、経済的に豊かで、科学技術、医療技術もすぐれています。
今まで働いてためたお金で、高額な延命装置をつけますが、
命はそれほど延びません。
どんなにお金があっても、科学の進歩も、医学の進歩も、もはやこれまで。
ついに、最後のときを迎えます。

日本で言われる基本的な冥土の旅

気がつくと、あなたは独りぼっちで、
真っ暗な所にいます。
いよいよ「冥土の旅」ともいわれる
死出の旅」へ出発するのです。

生前に五逆罪法謗罪のような、重い罪を造った人はすぐに地獄に堕ちますし、
逆に仏教を聞いて、流転輪廻の原因が根本から断ち切られていれば、
死ぬと同時に浄土へ往生できるのですが、
どちらでもない人は、次に生まれる世界を決めるための
裁判を受けなければなりません。

死出の山路

冥土の旅の最初は、死出の山路です。
真っ暗な山道を独りでとぼとぼ歩いて行かなければなりません。
約800里の遠い道のりです。

その長い長い道のりを、独り寂しく歩いて行くと、
やがて見えてくるのが、三途の川です。

賽の河原

三塗の川が近づいてくると、たくさんの子供がいるのが見えてきます。

三途の川の手前の岸が「賽の河原(さいのかわら)」です。

賽の河原にいるのは、親よりも先に死んだ子供たちです。
「えっ、子供だったら、大人よりも純心だし、
まだ悪いこともあまりしていないんじゃないの?」
と思うかもしれませんが、実は、子供ならではの罪があります。

それは、親より先に死んで、親を非常に悲しませたということです。
仏教では、親の大恩は山より高く海より深いと教えられていますが、
その大恩ある親を悲しませるのは、大変な重い罪なのです。

そのため、子供たちは、河原の石を積んで、塔を作る、
起塔の行を修めなければなりません。

ところが、少し石が積み上がると、
鬼がやってきて、金棒でぶち壊されてしまいます。

そして、わんわん泣いていると、
鬼は「何を泣いているんだ。恨むなら、オレではなく、両親を恨め
と教えてくれますが、鬼は基本的に無慈悲ですから、
ここでだまされてはいけません。
鬼の言う通りに親を恨んだら、余計罪を造ってしまいます。
仏教では、自業自得因果の道理がありますから、因果応報です。
恨むなら自分のたねまきを恨み、反省しなければなりません。

こうして、積み上げては崩されて、積み上げては崩されて、
永遠に石を積み続けなければならないのが賽の河原です。

三途の川

しかし、他人の心配をしている場合ではありません。
自分も死出の旅路の途中ですから、
三途の川を渡らなければなりません。

三途の川には橋がかかっているのですが、
比較的罪の軽い人は、渡ることができます。
罪が重い人は、川を歩いて渡らなければなりません。

ところが、渡し船がいた場合は、
渡し賃を払うと、乗せてもらえる時があります。
その値段は、六文です。
真田家の家紋が「六文銭」なのも、
いつでも死ぬ覚悟を示しているそうですが、
その位の時代の話でしょう。

現代では、六文はかなり珍しいので、渡し船を利用するのは極めて困難です。
60円とか600円で乗せてくれるかは分かりませんので、
三途の川は徒歩で渡る心づもりをしておいてください。

そして、三途の川の向こう岸に渡ると、
二度とこちらの岸には戻って来れません。

脱衣婆

三途の川を渡ると、そこには「脱衣婆(だつえば)」と、
懸衣翁(けんねおう)」がいます。

脱衣婆が、服を脱がすお婆さんで、
懸衣翁が、脱がせた服を木に懸けるお爺さんです。

脱衣婆が、あなたの服をはぎ取ると、
懸衣翁が、「衣領樹(えりょうじゅ)」という木の枝に
その服をかけます。

すると、生前の罪の重さにしたがって、枝がしなります。
この後の裁判でも、重さによって目盛りに行く先が表示される
「業のはかり」がある所がありますので、要チェックです。
ここでかなり枝がしなるようだと、かなり先行きが暗い兆候です。

そこで身ぐるみ剥がれて、
あとは裸一貫で死出の旅を続けることになります。

死出の旅路はすごく寒いので、ぶるぶるがたがた震えながら
独り寂しく歩いて行きます。

やがて閻魔大王の法廷が見えてきます。

閻魔大王

閻魔大王の法廷に着くと、
牛頭(ごず)、馬頭(めず)、赤鬼、青尾になどの獄卒に引きたてられて
閻魔大王の前へ突き出されます。

閻魔大王の所には、浄玻璃(じょうはり)の鏡があります。
ここでは、一切のごまかしはできません。
生前の行いが全部映し出されます。

ちょうど、車で言えばドライブレコーダーがついていて、
事故に遭ったときに、それを見れば状況が分かりますので、
言い争いや弁護士の仕事が減っているようなものです。

生前に1匹でも生き物を殺したことがあり、
この浄玻璃の鏡に、殺生罪が映し出されると、
地獄行きになります。

閻魔大王のお言葉

そして閻魔大王は、あなたをハッタとばかりにらみつけて
破れ鐘のような大声で怒鳴りつけます。

「お前は娑婆にいた時、老人をみなかったか。
頭は白く、歯はぬけ、眼はくぼみ、肌はシワより、身体はふるえ、
気力は衰え、うめきつつ、杖にすがって歩む者、これこそ第一の天使じゃ」

「次にお前は娑婆にいた時、病人を見たことはなかったか。
身体はやせ細って衰え、傷みが走り、立つことも自由にならず、
飲食やトイレにさえ人の助けを待ち、
一日中寝たきりでうめき苦しむ者、これこそ第二の天使じゃ」

「最後にお前は死人を見なかったか。
命終って最後の息がながく絶えたならば、身体は崩れて枯木のようになり、
塚の間に捨てられて鳥や獣に食われ、棺に納められて
火葬場から立ち上る一条の煙となり、一つまみの白骨が残る。
この者こそ第三の天使じゃ」

「このようにお前は娑婆に於て、三天使に会いながら仏教を聞かず、
地獄へ堕ちて苦しみを受けるのは、父母両親の過ちでもなく、
兄弟の為でもない。まさしくお前自身の自業自得であるぞ」
こうして最後、獄卒に命じられ、罪人として地獄の奈落へ送られることになるのです。

もしあなたがすでに殺生罪を造ってしまっている場合、
最大の対策としては、殺生罪を造っても
地獄に堕ちない方法が仏教に説かれていますので、
それを聞いておいてください。

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