涅槃(ニルヴァーナ)とは?

涅槃(ねはん)」とは、
もともとインドの言葉の「ニルヴァーナ」に
そのまま中国語の漢字をあてたもので、
意味から翻訳した言葉では「滅度(めつど)」ともいわれます。
意味は「吹き消すこと」です。

怒りねたみそねみなど、一切の煩悩の火を吹き消した
最高のさとりの境地のことを
涅槃」とか「ニルヴァーナ」、「滅度」と言い、
仏教究極の目的です。

ところがこの「涅槃」には2つあります。

2つの涅槃

涅槃」に2つあるというのは、
有余涅槃(うよねはん)」と
無余涅槃(むよねはん)」の2つです。

」とは、残余のことで、肉体のことです。
お釈迦さまは、35歳で仏のさとりを開かれましたが、
そのときは肉体がありますので、食べ物も必要ですし、
病気にもなりますから、肉体の束縛を受けます。
まだ完全とは言えず「有余涅槃」といいます。

ところが、仏のさとりを開かれたお釈迦さまが、
80歳でお亡くなりになりますと、肉体はなくなって、
無余涅槃」となります。これが完全な涅槃です。

仏のさとりを開かれた方は、
地球上ではお釈迦さまただお一人ですから、
お釈迦さまがお亡くなりになることを
涅槃の雲に隠れられる」ともいわれます。

この「無余涅槃」のことを「完全な涅槃」ということで、
般涅槃(はつねはん)」ともいわれます。
」というのは完全ということです。

般涅槃」に大の字をつけて
大般涅槃(だいはつねはん)」ともいわれ、
大般涅槃経』というお経もあります。

ところが、この完全な涅槃である「般涅槃」について、
重大な聞き誤りがあります。

聞き誤った完全な涅槃とは?

それは、煩悩の火を吹き消して涅槃の境地に達したならば、
生死輪廻を離れるので、涅槃の境地に達した人は、
死ねば何もなくなってしまう」というものです。

これは、上座部仏教の目指す最高のさとりの境地です。
今日スリランカや東南アジアに残っている、
テーラワーダ(上座部)仏教も同じです。

この死ねば何もなくなってしまうという聞き誤りを
灰身滅智(けしんめっち)」といわれます。
身を灰にし、智が滅しますので、心身共に無になる、というもので、
それで昔西洋人は、テーラワーダ(上座部)仏教から仏教の研究を始めたので、
仏教は虚無主義だという誤解を与えてしまったのです。

このように、上座部仏教では、
布施や慈悲を教えないことはありませんが、
布施は在家の人のするべき程度の低い行だと教え、
出家の人は八正道など、自分の修行の完成を優先します。

そして、さとりが完成すれば何もなくなってしまうとすれば、
お釈迦さまの説かれた仏教とは異なる利己的な教え
自分だけが救われる小さな乗り物ということで、
小乗仏教」と言われるのです。

では、真実の涅槃とはどんな境地なのでしょうか?

真実の涅槃とは?

真実の涅槃とはどんな境地かというと、
智慧あるが故に生死にとどまらず
 慈悲あるが故に涅槃に住せず

といわれる境地です。

智慧あるが故に生死にとどまらず」とは、
智慧がありますから、生死輪廻を
限りなく続けるということは、もはやありません。

しかしだからといって、自分だけ助かれば、
他の人はどんなに苦しんでいてもかまわない
ということでは無慈悲です。

慈悲心がありますから、まだ苦しみ迷っている人が大勢いるのに、
自分だけ涅槃でじっとしていることはできません。

慈悲あるが故に涅槃に住せず
何とか助けてやりたいと、
すぐに生死の世界に戻ってきて、
すべての人を助ける救済活動をせずにおれなくなってきます。

これを「無住処涅槃(むじゅうしょねはん)」と言います。
生死にも涅槃にとどまらず、すべての人が救われるまで、
助けずにおれないのです。

これを「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」ともいわれます。

真実は言葉にかからないから、
言っても分かることではないと思っても、
言わずにおれなくなります。

それが、真実の涅槃であり、
仏のさとりなのです。

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