存在意義(レゾンデートル)

存在意義」は、フランス語でレゾンデートルともいいます。
中学生くらいから、自分の存在意義を意識し始めます。
存在意義がわからず、それを感じることができないとき、
人は自殺したり、暴力や殺人などの非行に走ることもあります。
どうすれば存在意義を見出せるのでしょうか?

ボクは透明な存在だ

1997年、神戸の中学校の校門前で、切断された小学生の頭が発見されました。
その口にくわえさせられていた警察に対する挑戦状の差出人は、酒鬼薔薇(さかきばら)とあります。
犯人像は30〜40代男性かと思われていましたが、
逮捕されたのは、14歳の中学生でした。

神戸新聞社に対する声明文には、世間の注目を集めたのは、
透明な存在であるぼくを認めていただきたい
とありました。

そして、
警察はぼくの存在をもみ消そうとしているのではないか
存在理由、目的は殺人
透明な存在であるぼくを作り出した義務教育と社会への復讐も忘れていない
とあることから、自分に存在意義が感じられず、
存在意義かを感じるために殺人を行った事件でした。

このように、自分の存在意義が感じられないことが、殺人につながることがあるのです。

そして、殺人だけでなく、自殺につながることもあります。

存在意義がわからず自殺

1903年、東大の前身である旧制一高の学生、藤村操は、
落差97メートルの日光華厳の滝から投身自殺しました。

滝上の傍らの木には「巌頭之感」(がんとうのかん)と題した遺書が書き残されていました。

そこには、
悠々たるかな天壤、遼々たるかな古今、
五尺の小躯をもってこの大をはからんとす。
ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチィーに価するものぞ。
万有の真相は唯だ一言にしてつくす、
曰く、「不可解」。
我この恨みを懐いて煩悶、ついに死を決す

とありました。

悠々たるかな天壤、遼々たるかな古今、
五尺の小躯をもってこの大をはからんとす

とは、広大な大宇宙に比べると、地球などはそこに浮かぶ塵のようなものです。
その地球の表面にへばりついて生きている人類は何十億もありますが、
自分はその何十億分の一の存在です。

そして、悠久の時間の流れからすれば、人の一生など短いものです。
地球の歴史を一年間とすれば、人類が生まれたのは
12月31日の午後23時37分、産業革命が始まったのは、
23時59分58秒です。

ホレーショ」は、英語の人命で、シェイクスピアのハムレットに出てくる登場人物といわれますが、
ホレーショの哲学」は、西洋哲学のことです。

藤村操は、この世界にどんな意味があるのか、自分はなんのために生きるのか知りたいと
西洋哲学を学んだのですが、
いわく不可解」わからなかった、ということです。
自分の存在意義がわからないことに苦しんだ藤村操は、
ついに死ぬことに決めた、ということです。

明治時代に旧制一高に進学するというのは、
現代の東大生よりはるかにエリートです。
藤村操の自殺は国家の損失とマスコミで騒がれます。
それほど将来を期待されている頭のいい学生でも、
存在意義はわからないのです。

存在意義のわからない若者たち

かつて女子高生のカリスマとして一世を風靡した浜崎あゆみの
デビューアルバム『A Song for XX』は、約150万枚を売り上げました。

自ら作詞を手がけた『A Song for XX』には、
居場所がなかった 見つからなかった
 未来には期待出来るのかわからずに

と歌っています。

居場所がないと感じるのは、
社会の中に自分の存在意義が感じられないからです。
そして、将来的に存在意義が見いだせる期待もできません。
未来は不透明です。

他にも、『TO BE』という曲では、
自分の事を「ガラクタ」と歌っています。

ガラクタというと値打ちがないので、誰からも大事にされません。
自分なんか居ても居なくても一緒だと感じているのです。
こんな歌が多くの人の共感を呼び、NHKのクローズアップ現代にも
自分を歌う少女たち」というタイトルでとりあげられます。
それほど、存在意義のわからない人は多いのです。
それによって、自殺や暴力、殺人などの社会問題につながる可能性があるのです。

では、存在意義とは一体何なのでしょうか?

存在意義(レゾンデートル)とは

存在意義とは、自分が存在する意味ということで、
自分はなんのために存在しているのかという意味です。

これは、誰にとっての意味かということから、
大きく2つあります。

1つは、他人にとって自分の存在にどんな意味があるのか、
もう1つは、自分にとって、自分の存在にどんな意味があるのか
の2つです。

そしてほとんどの場合、論じられているのは、
比較的わかりやすい、
他人にとっての存在意義です。

1.他人にとっての存在意義

他人にとっての自分の存在意義とは、
社会やグループの中で自分はどんな役に立っているかということです。
会社なら会社での仕事の内容、
地域なら地域の役割、
家庭なら家庭での役割分担などです。

この存在意義を見出すときには、
自分の強みを考えて、
他人にどんな貢献ができるのか、
自分を必要としているのは誰か、
どんな役割を担えるのかを考えれば見出せます。

これは、生きがいをもって生きるときに大切で、
自分の生き方を大きく左右することです。

では、もともと障害などがあって、
他人に貢献するほどのことができない人は、
存在意義はないのでしょうか?

また、これまで会社で活躍していた人が定年退職したり、
だんだん年をとって、社会に貢献するというより
社会の世話になったりすると、存在意義はなくなるのでしょうか?

社会の中で自分の役割があり、多くの人に貢献しているのに、
なんとなく虚しく、自分に存在意義が感じられないという人があります。

そんな人に必要なのは、自分にとっての存在意義です。

2.自分にとっての存在意義

自分にとっての存在意義というと何か変な感じがしますが、
別の言葉でいうと、自分が生きる意味ということです。

他人の役に立つことは大切ですが、
他人にとっての存在意義だけでは、
他人の役に立たなくなったとき、
存在意義がなくなってしまいます。

小学校で運動が苦手な子が、球技大会で
お前は見てればいい」と言われて仲間はずれにされ、
校庭の隅っこに寂しく体育座りをしているようなものです。
球技で他の人の役に立たないからです。

ところが、たとえスポーツができようができまいが、
友達がいようがいまいが、
才能があろうがなかろうが、
他人の役に立とうが立つまいが、
そんなことには一切関係なく、
生きている一人一人に重要な生きる目的があると
仏教で教えられています。

その目的を果たすために、
自分が存在していることが
自分にとって大切になってくるのです。
それが本当の自分の生きる意味です。

そんな存在意義は、実はすべての人にあります。
すべての人に生きる意味があるということです。

存在意義を見出す方法

ですから、その本当の生きる意味を教えられている仏教を聞けば、
どんな人でも、自分の存在意義を見出すことができます。

この存在意義が見出せれば、自殺する必要もありませんし、
殺人事件を起こして社会の注目を集める必要もありません。

他人の役に立つかどうか、
社会の役割があるかどうかにかかわらず、
どんな人でも「人間に生まれてよかった
という喜びの人生を送ることができます。

では、その自分の生きる意味とは何かというと、
それは仏教の真髄ですので、
メール講座と、小冊子にまとめておきました。
一度見ておいてください。

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