他力本願とは

他力本願」というと、
文字の印象から、他人の力に頼ることを本心から願う意味かと思います。
そんな他人に依存する心では人としてどうか」という軽蔑的な意味を持ちます。
ところが仏教で、特に日本の最大宗派である浄土真宗
2番目の浄土宗では最高の救いに関わる超重要キーワードなので、
下手に間違えると非常に危険です。
一体どんな意味なのでしょうか?

他力本願の単純な誤用

他力本願の誤用は、政治やスポーツの世界でよくみられます。
まず、大々的に誤用された3つの分野での例をみてみましょう。

1.政治家の他力本願の誤用

1968年、倉石忠雄農水大臣は、
なにしろ軍艦や大砲を背景に持たなければだめだ。
他国の誠意と信義に信頼している憲法は他力本願だ

と発言しました。

これは「他力本願」を他国の軍事力に頼るという意味で使っており、
浄土真宗各派から抗議を受けました。
この発言によって、倉石農水大臣は最終的に辞任しています。

1981年には、鈴木善幸首相が、年頭の記者会見で、
わが国の防衛は他力本願ではいけない。
自分の国は国民の手で守っていかなければならない

と発言しました。
これも、他力本願を他国の防衛力に頼るという意味で使っています。

それに対して浄土真宗本願寺派の宗務総長は
一国の首相でもあり社会的影響も大きい
と善処を要求し、浄土真宗十派の真宗教団連合も要望書を提出しています。

その結果、首相は内閣秘書官を通じて
今後充分に注意させていただきます
と謝罪しました。

このように、政治の世界では、他国の軍事力に頼るという文脈で
他力本願」とよく使われます。

2.スポーツの世界での他力本願の誤用

スポーツの世界でも他力本願の誤用はよくあります。

2009年、横綱朝青龍が大相撲10日目で1敗したとき、
白鵬が10連勝で単独トップに立ちました。
白鵬があと5回のうち1回以上負けなければ、もう朝青龍の優勝はありません。
そのとき中日スポーツ新聞では、
絶好調の白鵬に他力本願は難しい
と報じました。

これは、他人のミスによって自分が勝つことを、他力本願と使われています。

2018年のサッカーワールドカップ予選では、
日本代表はポーランドに0対1で負けていました。
ところが試合終了15分前、同時に試合をしていたセネガルが負けたという情報が入り、
この点差を維持すればワールドカップに出られることが分かります。
そのため最後の10分間、日本は攻撃せず、ボールを回すだけという作戦で、
見事ワールドカップ出場を果たしました。

ところが、この消極的な作戦に対してブーイングが沸き起こり、
俳優の石田純一などは腹を立てて
サンケイスポーツに
情けない!他力本願で、最後は何もしないで攻めないなんて!
日本代表に失望した。くそ食らえだ
」と珍しく怒りを爆発させた、
と報道されました。

このように、スポーツの世界では、
他人が負けることによって自分が勝つことを
よく「他力本願」と使われます。

3.その他のマスコミでの誤用

2002年には、オリンパスがデジタルカメラの宣伝のため、
複数の新聞に、全面広告で
三日坊主から抜けだそう
大樹の陰から抜けだそう
井の中から抜けだそう
無芸大食から抜けだそう
その場しのぎから抜けだそう
二番煎じから抜けだそう
箸にも棒にもから抜けだそう

という7つのよくないものからの脱却をうたった最後、
8つ目に
他力本願から抜けだそう
とありました。

他力本願」を
三日坊主」「無芸大食」「その場しのぎ」「二番煎じ
などと同列にされた浄土真宗本願寺派は、
本来の意味を無視した『他人まかせにする』という意味での使用は、
私たちがこの『他力本願』の教えによって力強く生きていくことと、
全く反対の生き方を示すことになる

という抗議文を出しました。

真宗教団連合も「広告の表現は多くの門徒の心を踏みにじる」と抗議をし、
その後オリンパスは配慮が足りなかったと謝罪し、
広告を作った電通も勉強不足だったと謝罪しています。

このように「他力本願」は、他人の力に任せる悪い意味に誤用されますが、
マスコミでこの使い方をすると、苦情が殺到します。
なぜなら日本最大の宗派浄土真宗、2番目の浄土宗では、
究極の救いに直結する重要な言葉だからです。

そして事実、出家の方法して難行苦行ができない限り、
仏教では他力本願の意味を知らずして本当の幸せになることはできません。
一体どんな意味なのでしょうか?

他力本願とは

他力本願」とは、日本で最大の宗派である浄土真宗や、
2番目に大きい浄土宗で使われる言葉です。

浄土真宗の親鸞聖人が、
他力と言うは如来の本願力なり
(教行信証行巻)
と明示されているように、
他力」と「本願」は同じ意味で、
他力」イコール「本願」です。

ですから「他力本願」は、
他力」といっても「本願」といっても「本願他力」といっても同じです。

では他力とか本願力とは何かというと、阿弥陀如来の本願の力です。

阿弥陀如来」とは地球上に現れたブッダの先生の仏で、
最強の力を持つ大宇宙の諸仏の王です。

本願」とは本当の願いのことで、
大宇宙の諸仏の王である阿弥陀如来は、
すべての人の苦悩の根元を破り、必ず変わらない幸せにしてみせる
という本願を建てられています。

この阿弥陀如来の本願の力を他力とか本願力といいますので、
他力本願とは、すべての人の苦悩の根元を破る働きのことです。
他力といっても、他人の力ではなく、この本願力だけを言うのです。
これ以外は他力とはいいません。
他力本願とは、どんな極悪人も救う究極の救済力のことなのです。

他力本願の正しい使い方

では、「他力本願」はどのような文脈で使えばいいのでしょうか?
浄土宗浄土真宗の救いに直結する、超重要キーワードですから、
正しい使い方は、浄土宗の法然上人や浄土真宗の親鸞聖人に聞くのが一番です。
浄土真宗の8代目の蓮如上人も含めて3人の方に聞いて見ましょう。

1.法然上人

浄土宗を開かれた法然上人は、他力本願をこのように使われています。
往生を遂ぐべきとおもう時に他力本願に乗ずるなり
(法然上人行状絵図)
他力本願に乗ずる」とは、阿弥陀如来の本願力に救われる、
ということです。
ちなみに「往生を遂ぐべきとおもう時」といわれているように、
念仏を称えれば救われるのではなく、浄土往生間違いなしとハッキリしたときが、
他力本願に救われたときです。

2.親鸞聖人

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、このようにいわれています。
名号をとなうというとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生まるべし
本願他力を深く信ぜん輩は、なにごとにかは辺地の往生にて候べき

(末灯鈔)
他力本願」も「本願他力」も同じ意味で、阿弥陀如来の本願力のことです。
名号をとなう」とは、念仏を称えることですが、
念仏を称えても、阿弥陀如来の本願力に救われていなければ、
どんな善人でも極楽浄土の片田舎の辺地にしか生まれられません。
ところが、阿弥陀如来の本願力に救われていれば、
どんな極悪人でも極楽浄土のど真ん中に生まれられるとハッキリする、
ということです。

3.蓮如上人

浄土真宗日本最大の宗派にまで広めた蓮如上人は、
他力本願をこのようにいわれています。
一心一向に阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、後生たすけたまえと申さん人をば、
みなみな御たすけあるべしと思いとりて、さらに疑いの心、ゆめゆめあるべからず。
これすなわち弥陀如来の御ちかいの他力本願とはもうすなり

阿弥陀如来に救われた人は、いつ死んでも極楽往き間違いなしとハッキリして、
苦しみ迷いの根元はまったくなくなる、これが他力本願なのだ、
ということです。

他力本願を他人の力に任せるという意味に使うのは論外で、
いずれも「阿弥陀如来の私たちを救う働き」という意味で使われています。

他力本願の意味を聞いた人の誤解

ところが、この他力本願の本当の意味を知らずに、
他力本願を他人の力に任せるというのは間違いだと聞いた人たちに
よくある誤解があります。

それは、
ああなりたい、こうなりたいという願いやはからいを捨てるのが他力、
はからいをすてれば浄土へ往ける
」とか、
あれが足りない、これが足りないと不足に思うのではなく、
 今あるものに感謝する……生かされていることに感謝というのが他力

などと誤解していることがあります。

一般人でもそうですが、本を書くような知識人でも、
自分を超えた大いなるものの力だと思っている人もあります。
他力とは、目に見えない自分以外の何か大きな力が、
自分の生き方を支えているという考え方なのです

(五木寛之『他力』)

他力は、苦悩の根元をぶち破り、未来永遠の幸福にする働きなのですが、
これでは快適に生活できるという程度の続かない幸せにしてしまっています。
他力をこんなものだと思っていたら、本当の幸せにはなれません。

自分の考え方はもちろん自力ですし、
阿弥陀如来を疑わないように信じるのも自力なら、
はからいを捨てるのも自力です。
捨てようとする心も自分の心だからです。

では、他力本願によって破られる苦しみ迷いの根本原因とは何なのか、
どうすれば他力本願に救われるのかについては、仏教の真髄ですので、
分かりやすいように以下のメール講座と、小冊子にまとめてあります。
一度見ておいてください。

関連記事

目次(記事一覧)へ