生きがいとは?

毎日生きていても、生きがいが感じられず、
生きがいが欲しい」と思うことがあります。
なぜ生きがいが感じられないのでしょうか?
生きがいとはどんなもので、
どうすれば生きがいが感じられるのでしょうか?

生きがいがないと?

人生は、生きて行くだけでも大変です。
毎日仕事をして、生活していかなければなりません。

苦しい人生、何の生きがいもなく、
苦しいだけだったら、とても生きてはいけません。
自分は何のために生きているのだろう?
これでは何のために生きているのか分からない
という疑問が出てきます。

そこで、生きがいを探して、
生きがいのある、充実した明るく楽しい人生にしようとするのです。

では、生きがいとは何なのでしょうか?

生きがいとは?

生きがいというのは、楽しみのことです。

価値観は人それぞれ違いますから、
何を楽しいと感じるかも人それぞれ違います。

代表的な生きがいの具体例をあげると、
まずは仕事を生きがいとしている人が多くあります。

特に、自分の好きな仕事をしていたり、
得意なことをしてライバルといい勝負をして、
価値を生み出しているときは、
働きがいがあり、生きがいになります。

また、子供の成長を生きがいとしている人もあります。
子育てに大忙しでも、子供が成長していくのを喜びとして、
忙しいけど充実した毎日になるのです。

また、趣味を生きがいとしている人もあります。
好きなアニメを見たり、関連グッズをコレクションしたり、
犬や猫などのペットを生きがいとしたり、
年に一度の旅行を生きがいにしたりします。

また、好きな勉強や、
スポーツなどのトレーニングをして、
自分の向上を生きがいにしている人もあります。
今まではできなかったことができるようになるのが
楽しいのです。

他にも「人の役に立つこと」を生きがいとしている人もあります。
それによって感謝されることを楽しみとしています。
どんなに人の役に立っていても、感謝もされず、
単に利用されるだけでは生きがいは感じられません。
やはり、他人に貢献して、感謝されたり評価されることが
楽しみなのです。

仕事が終わった後の晩酌が楽しみで働いているという人は
晩酌が生きがいですし、
中には「寝ること」が生きがいだという人もあります。

このような自分が楽しいと感じるものが生きがいです。
何を楽しみとするかは人それぞれですが、
自覚するかどうかは別として、必ず生きがいを持っています。
その楽しみを目標として、生きる力がわいてくるようなものが生きがいです。

生きがいを失うと?

ところが、この生きがいは、
何かの拍子に失うことがあります。

例えば、仕事を生きがいとしていた人が、
仕事に失敗して、仕事を失うと、
お先真っ暗になります。

野球を生きがいにしていた人が、
怪我をして野球ができなくなってしまうと、
人生真っ暗になります。

恋愛を生きがいにしていた人が、
相手がだんだん冷めていって、
ふられてしまうと、
人生終わったかと思います。

子供の成長を生きがいとしていたのに、
子供が事故や病気で死んでしまうと、
救いようのない真っ暗になってしまいます。

それというのも、私たちは、
生きがいを「心の明かり」として生きているからです。

生きがいが必要だということは、それだけもともと心は暗いということです。
このことをフランスの哲学者・パスカルはこのように言っています。
もし人間が幸福であったら、聖者や神のように、
気を紛らすことが少なければ少ないほど、それだけ幸福であろう

(パスカル『パンセ』)

もともとの心が暗くてつまらないから、
それを何とか明るくしようとして、
楽しいと感じるものを心の明かりとしているのです。

ですから、一時的に、大きい心の明かりが3つなくなると
人は自殺してしまうとも言われます。
例えば、仕事を失って、離婚して、子供を失うと、
生きがいが感じられず、死にたくなります。

ところが、生きがいがあるのに、
どうもむなしいという人もあります。

なぜか生きがいが感じられない人

例えば漢の武帝という人は、
歓楽尽きて哀情多し
と言っています。

どんちゃん騒ぎをした後は、
急にむなしい気持ちに襲われますが、
昔の中国の皇帝も、やはりむなしさを感じています。

また、松尾芭蕉は、
おもしろうて やがて悲しき 鵜飼かな
という句を詠んでいます。

岐阜県の長良川には、鵜という鳥を使って魚をとる
鵜飼いという人がいます。
それは岐阜の夏の風物詩でとても楽しいのですが、
終わるとあたりは静まり返って、
漆黒の闇が広がります。

楽しみの絶頂にあっても、
何かむなしい心が広がってくるのです。
これはどうしてなのでしょうか?

生きがいが感じられない原理的な理由

なぜ、色々な楽しみを持っているようでいて、
心から充実した人生にならないのでしょうか?

それは、生きがいは一時的で、続かないからです。

生きがいというのは、ちょうど打ち上げ花火のようなものです。
夜、打ち上げ花火をあげると、ヒューッと登って行って、
バーンと花開いたときは明るくなりますが、
すぐにパラパラパラと散って消えてしまいます。

何をするにしても、楽しさは一時的なので、
すぐにもっと楽しみを求めなければなりません。

次の打ち上げ花火をあげるようなものです。
ヒューッとあがっていって、バーンと破裂したときは
明るくなるのですが、またすぐパラパラと散って消えてしまいます。

すぐ暗くなるので、
ヒュー、ヒュヒュヒュヒューと連発して打ち上げると、
バーン、ババババーンと明るくなりますが、
やはり打ち上げ終わると、すぐに暗くなってしまいます。

このように、楽しみが続かないことを、
お釈迦さまは、
苦しみの新しい間を楽しみといい、
楽しみの古くなったのを苦しみという

と教えられています。

ですから、どんなに生きがいに努力しても、
原理的に心からの満足を得ることはできないのです。

心からの満足を得る方法

生きがいは一時的な明かりに過ぎません。
問題は心の闇にあります。

心に太陽が出て、昼のようになれば、
生きがいの有る無しにかかわらず、
大安心大満足の幸せになれます。

仏教では、一時的な心の明かりではなく、
そのような根本的な解決を目的としています。

では、心の闇とはどんなもので、どのようにすれば、
心の闇が晴れるのでしょうか?
それは仏教の真髄なのですが、分かりやすく
小冊子とメール講座にまとめておきました。
一度目を通しておいてください。

関連記事

目次(記事一覧)へ