唯我独尊な人は謙虚?

天上天下唯我独尊」というと、
よく夜中にバイクを乗り回している元気な若者たちが、
橋の下にスプレーで書いたり、特攻服の背中に書いたりしてますよね。

大変仏縁深い若者だと思います。

それというのも、「天上天下唯我独尊」という言葉は、
世界の三大聖人といわれてもトップにあげられる
お釈迦さまのお言葉だからです。

ただ、「唯我独尊」というのは、
お釈迦さまのお言葉であることからも分かるように、
オレが一番偉いんだ」とか、
オラオラおめーら、虫けらどもめー」という意味ではないので、
若者たちは、何か誤解している可能性もあります。

まず、「天上天下唯我独尊の意味」は、
どのように読むのでしょうか?

天上天下唯我独尊の読み方

天上天下唯我独尊」の読み方は
てんじょうてんがゆいがどくそん」と
てんじょうてんげゆいがどくそん」の
2通りあります。

これはどちらでも構いません。

上下」の場合は「じょうげ」と読みますから、
てんじょうてんげゆいがどくそん」とも読みますし、
聞いたときのイメージのしやすさは、
てんじょうてんがゆいがどくそん
のほうが分かりやすいという人が多いようです。

ではお釈迦さまは、このお言葉を
どんなときに言われたのでしょうか?

お釈迦さまはいつ言われたの?

このお言葉は、お釈迦さまが
お生まれになられたときのお言葉です。

お釈迦さまがお生まれになられると、
東西南北に7歩ずつ歩かれて、
右手で天を、左手で地を指さされ、
天上天下唯我独尊」と言われたと説かれる、
非常に有名なお釈迦さまのお言葉です。

あの花祭りのときに甘茶をかける
右手で天を、左手で地を指さされた、
生まれたばかりのお釈迦さまが言われたお言葉です。

でも、お釈迦さまのお言葉ということは、
もし天上天下唯我独尊が
この世でオレが一番偉いんだ
という意味なら、お釈迦さまが言われたことと
合わなくなります。

普通、自分で自分を偉いという?

普通、「自分は偉い」と自画自賛する人は、
あまり偉い人ではありません。

実るほど頭をたれる稲穂かな
という歌もあります。

稲も、まだ若くて青いときは、
ツクンツクンと天に向かって突っ立っていますが、
だんだん秋になって実ってくると、
頭が下がってきます。

それと同じように人間でも、
まだ若くて青二才といわれるときは、
自惚れて頭が高く、反り返って虚勢を張っているものですが、
だんだん円熟してくるほど、頭が低く、腰が低くなる
ということです。

自分で自分が偉い」という人は、
まだそんなに人格を高めているとはいえないのです。

ところがお釈迦さまといえば、
世界の四大聖人、三大聖人といわれても
トップにあげられる方です。

こんな、大人なら誰でも知っているようなことが
分かられないはずはありません。

天上天下唯我独尊」は、
オレがこの世で一番偉いんだ
という意味ではないのです。

ではどんな意味でしょうか・

天上天下唯我独尊の意味

天上天下唯我独尊」はどんな意味かといいますと、
まず「天上天下」とは、天の上にも天の下にも、
ということで、大宇宙広しといえども、ということです。

次に「唯我独尊」ですが、
」は、オレとか私という意味ではありません。
我々とか私たちということです。

なぜそんなことが分かるかというと、このあとお釈迦さまは、
三界皆苦 吾当安此」(三界は皆苦なり。吾まさに此に安んずべし)
といわれて、この一節では、ご自分のことを「」と
言われているからです。

ですから「唯我」とは、ただ、私たち人間だけに、
ということです。

人間以外には何があるのかというと、
仏教では、私たちは、果てしない遠い過去から、
地獄餓鬼畜生修羅、人間、天上の6つの迷いの世界「六道」を、
生まれ変わり死に変わり、輪廻転生を繰り返していると
教えられています。

唯我」とは、その六道の中で、ただ私たち人間に生まれたときだけ、
ということです。

独尊」とは、たった一つの尊い使命がある、ということです。
使命」とは、「命を使う」と書きますように、
命の使い道」のことで、究極の目的のことです。

独尊」とは、たった一つの究極の目的がある
ということですから、
唯我独尊」とは、「私たち人間に生まれなければ果たすことのできない
たった一つの究極の目的がある
」ということです。

ですから、「天上天下唯我独尊」とは、
犬や猫、虫けらに生まれたら果たすことのできない、
私たち人間に生まれたときしか果たすことのできない、
たった一つの目的がある」という意味です。

だから、「どんなに苦しくても自殺してはいけませんよ、
その目的果たすまで、生き抜きなさいよ

とお釈迦さまは教えられています。

ではそれはどんな目的でしょうか?

唯我独尊の目的とは?

それは、お釈迦さまがお生まれになって、
天上天下唯我独尊」といわれるとき、
7歩ずつ歩かれたことに関係があります。

7歩とは、6歩+1歩です。
6歩」は、「六道」を表しています。
私たちが果てしなく遠い過去から、
生まれ変わり死に変わり輪廻転生を繰り返している
地獄餓鬼畜生修羅、人間、天上の「六道」です。

その苦しみ迷いの「六道」を出て離れることを
6歩+1歩の7歩で表されています。

この六道輪廻から離れることは、
仏教を聞かなければできませんが、
仏教は人間に生まれたときしか聞けませんので、
人間に生まれた目的は、仏教を聞いて果てしない苦しみ迷いの輪廻を離れ、
未来永遠の幸せになることなのです。
それが本当の生きる意味なのです。

では「天上天下唯我独尊」の次の
三界皆苦 吾当安此」とはどんな意味でしょうか?

どこかに幸せな人はいますか?

三界皆苦 吾当安此」の
三界皆苦」は「三界は皆苦なり」と読みます。

三界」とは「欲界」「色界」「無色界」のことで、
いずれも迷いの世界です。

欲界」は、五欲のみで生きている世界です。
食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の五つの代表的なをいいます。
食べたい飲みたい楽がしたい、どうすれば楽に儲かるか、
人から褒められるかと欲望のままに生きている世界です。

色界」の「」とは物質のことで、
絵画や彫刻、文学などの芸術に生きる意味を求める世界です。

やはり欲望を満たす快楽は、刹那的で続かないと分かると、
芸術を求めたらいいのではないかと思います。
ところがこの世は諸行無常の世界です。
形あるものはいつかは必ず滅びますので、
本当の生きる意味にはなりません。

無色界」は物質を超越した哲学や思想の精神の世界です。
諸行無常の世界では、形あるものは必ず崩れるとすれば、
形のない、精神的なことに生きる意味を見いだせるのではないか、と考えますが、
哲学や思想の世界にも本当の生きる意味は見つかりません。

三界はみな迷いの世界ですから、
三界は皆苦なり」とは、
どんな人の人生も苦しみである、ということです。

お釈迦さまの宣言

次の「吾当安此」は
吾、まさにここに安んずべし」と読みます。
」とはお釈迦さまのこと、
」とは三界のことです。

三界はみな苦しみの世界だから、ここでは幸せになれない、
 どこかへ行って幸せになろう

というのではなく、
この釈迦は、この三界にいながら仏のさとりを開こう、
そして、苦しみ悩む人々を本当の幸せに導こう
」ということです。

これをお釈迦さまはお生まれになられてすぐに言われたと聞くと、
生まれてすぐ歩いたりしゃべったりできるの?
と思う人がありますが、そんなことができるかどうかは別として
お生まれになられたときのこととして説かれたのは、
仏教には、そのような
苦しみ悩むすべての人を本当の幸せに導く教えを説くぞ
というお釈迦さまの一大宣言なのです。

ではどうすれば、生きているこの世で、苦しみ悩みを離れて、
本当の幸せになれるのか、ということは、仏教の真髄ですので、
分かりやすいように小冊子とメール講座にまとめておきました。
ぜひ読んで見て下さい。

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