ぶりっこ・媚びる(綺語)
あなたの周りに上司に媚びる人やぶりっこはいませんか?
仏教では「綺語」といわれ、十悪の一つです。
一体どんな悪なのでしょうか?
媚びる意味
まず「媚びる」の言葉の意味を辞書で確認してみましょう。
こ・びる【媚びる】
〔自バ上一〕こ・ぶ〔自バ上二〕他人に気に入られるような態度をとる。
へつらう。
特に、女性が男性の気をひこうとしてなまめかしくふるまう。(出典:小学館『スーパーニッポニカ 国語大辞典』)
女性だけでなく男性も、上司に媚びる、権力者に媚びる、異性に媚びるなど、
人は誰かに媚びながら生きていますが、なぜ媚びるのでしょうか。
媚びる人の心理
一般的に、以下のような心理から媚びてしまうといわれます。
・素のときの自分に自信が無い
・承認欲求が強い、目立ちたい
・嫌われたくない、好かれたい
・相手を利用して得したい
このような心になる原因の一つは、
「優越コンプレックス」にあるとアドラー心理学ではいわれます。
優越コンプレックスとは、
自分が優れた人間であるかのように見せることで劣等感へ対応する態度です。
簡単にいえば、劣等感を隠すために、相手に認めてもらおうと必死になってしまうことです。
アドラー心理学については、こちらの記事をご覧ください。
➾嫌われる勇気の要約・あらすじ・まとめと3つの問題点を解説
また劣等感がなくても
相手に認められたいという名誉欲や、利用したいという利益欲が強い場合も、媚を売ってしまいます。
名誉欲や利益欲については、下記をお読みください。
➾欲(五欲)の仏教的意味と欲望への対処法を解説
媚びる人の中には苦しくなる人も
生きていく中で誰かに媚びることは、必要なことではあります。
特に人間関係をスムーズにしたいときには、媚びることもあるでしょう。
しかし、自分の本心と違うにもかかわらず、誰彼かまわず媚びることで、自己嫌悪に陥いり、苦しんでいる人がいるのも事実です。
表面上の言葉と本心が異なることで、嘘をつき続けているような状態が苦しいからです。
媚びだしたら途中でやめることもできず、疲れてくることも原因でしょう。
媚びないようにするためには、自分の軸が必要になってきます。
嫌われる勇気の記事を参考にしてみてください。
➾嫌われる勇気の要約・あらすじ・まとめと3つの問題点を解説
次に、媚びる人の特徴を見ていきたいと思います。
ぶりっこの特徴
ぶりっこというのは、かわいいふりをして
男に媚びる女性のことをいわれます。
ぶりっこは、男の前に行くと、
自分をかわいく見せるために、
態度が豹変します。
純朴そうな表情で、
目は上目遣い、
口はアヒル口、
声はアニメ声で
「私わかんなぁーい」
「へー、そぉなんですかぁー?」
「すごぉーい☆」
と言って高感度なリアクションをとります。
小股でトコトコと歩きながら近寄り
どさくさに紛れて、ボディータッチを繰り返します。
ところがそれは、男にモテるために計算して演じているだけなので、
裏表があります。
女子の間では、低い地声で、
「そんなことくらい知ってるに決まってんだろ」
「うぜーんだよ」
「バカじゃねーのか?」
と普通に言い放ちます。
もともとの性格は冷たいのですが、
男好きで、男にモテるために、
男の前ではうぶでかわいいふりをしているのです。
しかしぶりっこは男ウケがよく、
本人も高度なテクニックを使っているため、
男にはあまりばれませんが、
女子たちにはバレバレで、嫌われています。
ぶりっこは、口でうまいことを言って
男を自分の意のままにコントロールするための
嘘なのです。
上司に媚びる人の特徴
男の場合は、ぶりっこに似た言動として、
上司に媚びる人があります。
上司にいつも近づいて、食事について行ったり、
「いいネクタイですねー、イタリア製ですか?」
と言ったり、
一緒にゴルフへ行けば、大したことなくても
「ナイッショーッ!」
と拍手喝采します。
上司に対しては非常に腰が低く、
常に調子を合わせるイエスマンで、
もし何か言われれば、やる気がなくても、
「はいッ承知いたしましたッ!全力を尽くします!」
と歯切れよく言います。
その上で、できない場合は
あとで何かと理由をつけてやり過ごします。
それでも言われた上司は気持ちがよく、
それほど仕事ができなくても、
媚びる部下を
「可愛いヤツだ」
と出世させます。
ところが媚びる人が腰が低いのは
上司に対してだけです。
出世すると今度は部下に対して
自分がやってきたような腰の低い態度を求めて
傲慢で偉そうな態度をとります。
出世や権力を求める野心・欲望から
権力のある上司にこびへつらう、
権威主義者なのです。
ですから、媚びる人は、
上司にはかわいがられていますが、
部下からは嫌われています。
ぶりっこや媚びる人の問題
このような、ぶりっこや、媚びる人は、
なぜ嫌われるのでしょうか?
もちろん、相手の幸せを願って、
相手のすばらしいところをほめるのは、
大変いいことです。
ところがそれとは正反対です。
ぶりっこなら、
そんなにかわいい性格ではないのに、
男好きで、男にモテたいという欲望から、
本来の性格を偽って、かわいく演じているのです。
上司に媚びる男なら、
自分にそんな力もなく、上司に対する忠誠心もないのに、
出世や権力を求める欲望から、
心にもないおべんちゃらを言って、
上司を自分のために利用しようとしているのです。
このように自分が得をしたいという自己中心的な欲望で、
相手を自分の思い通りにする下心のために、
本当は心にもない嘘をついているのが問題なのです。
ブッダはこびへつらう心について、『遺教経』というお経に、
このように教えられています。
諂曲の心は道と相違す。
この故に宜しく応にその心を質直にすべし。
当に知るべし、諂曲はただ欺誑を為すことを。
入道の人は則ち是の処りなし。
是の故に汝ら宜しく端心にして質直を以って本と為すべし。
(漢文:諂曲之心與道相違 是故宜應質直其心 當知諂曲但爲欺誑 入道之人則無是處 是故汝等 宜應端心以質直爲本)(引用:『仏遺教経』)
「諂曲」とはこびへつらうことです。
こびへつらう心は、仏道に背くのです。
だから、飾り気のない、正直な心にすべきだ、ということです。
「欺誑」とは、あざむき、たぶらかすことですから、こびへつらうのは、嘘をついて、相手を迷わせているのです。
仏法者としてあるまじきことだから、そなたがたは、まっすぐな心で、素朴で正直でありなさい、
ということです。
十悪の1つ、綺語とは
このように自分のために心にもないおべっかやお世辞を言うことを
ブッダは「綺語」といわれ、
人間の作る十悪の1つに数えられています。
綺語
きご[s:saṃbhinna-pralāpa]
意味のない、無益なおしゃべり。
<雑穢語>とも訳す。
けがれた心から発せられたことばのうち、嘘いつわり、仲違いをはかることば、他人を傷つけることばを除くすべてをいう。
『倶舎論』巻16では、おもねること、心を惑わせるような歌をうたったり、せりふを語ること、誤った教説を述べることをあげている。
十悪の一つ。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
そして、人間の口は綺語で燃え盛っていますが、
綺語を言うと苦しみの世界に向かい、
綺語を言わなければ良い世界に向かうから、
綺語をやめなさいと『長阿含経』に教えられています。
いかんぞ七法、悪趣に向かいたる。
いわく殺生、不与取、婬逸、妄語、両舌、悪口、綺語と。
いかんぞ七法、善趣に向かいたる。
いわく不殺生、不盗、不婬、不欺、不両舌、不悪口、不綺語と。
(漢文:云何七法向惡趣 謂殺生不與取婬逸 妄語兩舌惡口綺語 云何七法向善趣 謂不殺生不盜不婬不欺不兩舌不惡口不綺語)(引用:『長阿含経』卷第十)
ところが私たちは、自覚のないところで、
どれだけ綺語の悪を造っているか知れません。
よくある綺語と対処法
知り合いが赤ん坊を連れているのを見ると、
「まあかわいい赤ちゃんね〜」
といってあやします。
ところが家に帰ってくると、
夕食の会話で
「ねえねえ、あそこの子供見た?
あ、見た?すごい顔だったよねー。
どっちに似たんだろうねー、
あれだと将来どうなっちゃうんだろうねー」
と言います。
また、知り合いや目上の方に対しては、
「いつもお若いですねー」
「全然変わりませんねー」
「いつまでもお元気ですねー」
と言います。
ところが家に帰ってくると、
「あの人最近急に老け込んだわねー
急に20歳くらい年とっちゃったみたい、
どうしたのかしらー
しゃべり方もゆっくりになっちゃって、
ちょっと痴呆も入ってるそうよ、
もう長くはないかもしれないねー」
と言っています。
人間関係をよくしたいという自分の都合から、
思ったこととまったく逆のことを言っているのです。
そんな、自分のために人を騙すのは、悪いことですから、
綺語を言わないように、
相手の幸せのために、相手の本当によいところを見つけて
ほめるようにしなければなりません。
そうすれば、相手をだますこともなく、
人間関係もいい状態に保てます。
綺語なんかやっていない?
このように聞きますと、
「自分は正直だから綺語なんかやっていない、
そんなことは思いもよらないことだ」
という人がありますが、
それは、自分の心に気づいていないだけの話です。
心がけて相手の長所を発見してほめるようにすれば、
どれだけ自分が綺語ばかり言っているか分かります。
綺語ばかり言う人は幸せになれる?
今回は、「媚びる」の意味と、媚びる人の特徴について説明し、
最後に仏教の「綺語」についても詳しく解説しました。
「媚びる」の意味は、他人に気に入られるような態度をとることで、
男性では上司に媚びる人がいたり、女性はぶりっこだと言われたりします。
媚びる心理としては、優越コンプレックスがあったり、名誉欲や利益欲が非常に強かったりするところに原因があることも。
無理に媚び続けると、自己嫌悪に陥る人がいることも説明しました。
媚びることを仏教では、「綺語」といわれ、悪い行いと教えられているので、できるだけやらないようにしなければなりません。
自分は綺語をやっていないと思う人は、相手の長所をほめるように一生懸命心がけてみましょう。
すると、綺語ばかり言っている本当の自分の姿が見えてきます。
綺語ばかり言う人は、本当の幸せになれるのでしょうか?
仏教は法鏡といわれるように、
真実の自分の心の姿をうつす鏡のようなものです。
仏教を聞いていきますと、
今まで気づかなかった、自分の心が照らし出されてきます。
仏教を聞けば聞くほど、自分の姿が知らされていき、
最後、自分の姿がハッキリ知らされたとき、
本当の幸せになれるのです。
私たちが本当の幸せになるには、
自分の心が知らされなければ、幸せにはなれませんから、
ブッダは、このような私たちの本当の姿を
教えられているのです。
ではどうすれば、本当の幸せになれるのかについては、
仏教の真髄ですので、メール講座と電子書籍にまとめてあります。
一度目を通しておいてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)