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ブッダ(お釈迦様)とは?

ブッダ」とは、仏のさとりを開かれた方のことです。
お釈迦様とはどう違うのかというと、お釈迦様は35歳で仏のさとりを開かれたので、それ以前はブッダではありませんが、35歳からはブッダです。
約2600年前、仏教を開かれ、世界の三大聖人のトップにあげられます。
ブッダは神ではなく、お父さんもお母さんもいる歴史上の人物です。
ブッダは、一体どんな方で、どんなことを教えられたのでしょうか?
ブッダが悟りを開かれるまでにどんなことがあったのかを知れば、
ブッダがどんなことを教えられているかが分かります。

「お釈迦様」と「ブッダ」 名前の由来と違い

お釈迦様は別名ブッダ(仏陀)とも言われ、同じ人を指しますがそれぞれ由来が違いますので説明します。

お釈迦様の由来

お釈迦様は、釈迦族の王子であるため、釈迦族の尊い人という意味で、敬意を込めてお釈迦様と呼ばれています。
他にも釈迦牟尼世尊とか、釈尊と言われます。

パーリ仏教の研究者・水野弘元は、このように言っています。

釈尊とは釈迦牟尼世尊の略であって、釈迦牟尼とは釈迦族出身の聖者のことであり、世尊とは仏のことである。
故に釈迦牟尼仏ともいう。
また釈迦族の姓をゴータマ(瞿曇)ともいうから、釈尊をゴータマ仏ともいう。

ブッダ(仏陀)の由来

仏陀は、サンスクリット語のブッダ「buddha」に漢字をあてたものです。
「buddha」は「悟る」とか「目覚める」という意味の動詞ブドゥ「budh」の過去分詞「buddha」が普通名詞となったものです。
ですので、仏陀の意味は「さとりを開いた人」です。

仏とは仏陀のことで、インド語のbuddhaを音訳したものであり、義訳して覚者(さとった人)といい、社会・人生の真理を覚った人のことである。

そういうことからしますと、仏のさとりを開いた人はみんな仏陀です。
ですが、地球上で仏のさとりを開かれた方は、お釈迦様ただお一人ですので、
地球上でブッダといえば、お釈迦様のことを指します。

お釈迦様(ブッダ)の生涯を簡単に解説

以下では、お釈迦様の生涯を簡単に分かりやすく解説します。

誕生日は4月8日

約2600年前、インドのカピラ城に
浄飯王マーヤー夫人という妃が住んでいました。

2人には長い間子供がなかったのですが、
もう子供ができないかと思っていた頃、
マーヤー夫人が身ごもられました。

今日同様、マーヤー夫人は出産のため、隣の国の実家に帰ろうとしたところ、
ちょうどルンビニー園という花園にさしかかった時、
産気を感じ、そこで出産されました。

時あたかも4月8日、ルンビニー園には
一面花が咲き誇っていました。

そのため今日でも、お釈迦様の誕生日、
4月8日を「花祭り」といって祝います。

お釈迦様がお生まれになったときのエピソードは、下記に書いていますのでご覧ください。
花祭りとはとは

マーヤー夫人は、もう実家へ返る必要がなくなり、
カピラ城へと帰ってゆきました。

お母さんが亡くなる

ところが、高齢で産後の経過が悪かったのか、
1週間後に亡くなってしまいます。

浄飯王は、最愛の妻が亡くなった悲しみもありましたが、
もう無理かと思っていた跡取り息子ができたということでは、
大喜びでした。

シッダルタ(悉達多)太子と名づけてかわいがりました。
やがてかわいがっているうち、
「見れば見るほど賢そうだ。さては将来大物になるに違いない、
どんな立派な人物になるのだろう」

当時、国一番の占い師・アシダ仙人を城へ呼び、
聞いてみることにしました。

アシダ仙人の予言

ところがアシダ仙人は、じーっとシッダルタ太子を見ていたと思うと、
やがて涙を流しました。
知り合いに自分の子供を見せたら、
急に泣き出したとしたら、何事かと思います。

浄飯王も「このめでたい席で不吉な涙を見せるとは何ごとか。
事と次第によっては許さん」
激怒して刀に手をかけました。

アシダ仙人は
「これはこれは申し訳ございませんでした。
私が見たところ、太子様は一目でただ人ではないと分かりました。

将来は、全世界を支配する伝説の転輪王(てんりんのう)となられるか、
無上のさとりを開かれる仏陀となられましょう。
いずれにしろ、二度とこの世に現れないようなお方です。
しかも、どちらかといえば、私には仏陀(ぶつだ)になられるように感じます。

ところが私はもう年ですから、この方が将来無上のさとりを開かれて、
真実の教えを説かれるころには、もうおりますまい。
目の前にそんな真実を説かれる方を目の前にしながら、
その真実が聞けないなんて、なんと残念なことかと、
涙せずにはいられなかったのです」

それを聞いた浄飯王は、
「なんだ、そういうことであったか、ならば許そう」
と大変満足したのですが、
それならぜひとも転輪王になって欲しいと、
教育によって何とかしようと思ったのです。

抜群の才能

浄飯王は、シッダルタ太子がまだ非常に若い時に
文武の家庭教師をつけました。

当時国一番の学者であったバッダラニー(跋陀羅尼)と、
国一番の武芸の達人、センダイダイバー(羼提提婆)の2人です。
今で言えば、ノーベル賞学者とトップアスリートを
家庭教師につけて英才教育を始めたようなものです。

バッダラニーの申し出

やがてしばらくすると、バッダラニーが
どうかやめさせてください
と王様のところへやってきました。

浄飯王は驚いて
「どうした、何か太子がいたずらでもするのか?
給料が足りないのなら、2倍にしてやる」
と言うと、バッダラニー、
「いえいえ、王様、とんでもございません。
太子様は、大変まじめに学んでおられますが、
一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知る大変聡明な方です。
最近は何か私の知らないことまで知っておられるようで、
太子様の質問に答えられません。
もう私には教えることがありませんから、どうかやめさせてください
と言います。

浄飯王は
「まあそれなら仕方ない」
とやめることを許したそうです。

センダイダイバーの申し出

またあるとき、センダイダイバーがやってきました。
「私もついでにやめさせてください」
「一体どうした?」
浄飯王が尋ねると、
「実は私は、特に弓の達人と言われていますが、
そんな私でも、100回射れば1発は外します。
ところが、太子様は百発百中すべてど真ん中を射ぬかれる。

乗馬をしても、私は息切れしながらやっとやっと乗りこなしますが、
太子様はどんな暴れ馬も乗りこなされる。
もう教えることは何もありません。どうかやめさせてください」
それを聞いた王様は、
「まあそういうことなら仕方がない」
とやめさせたそうです。

それ以降、太子は一人で学問に励んだり、
武芸の鍛錬をされるようになりました。

悩みと結婚・子供

ところが成長するにつれ、
太子は物思いにふけられるようになりました。

浄飯王は、アシダ仙人が言っていたことを思いだし、
心配になってきます。
何度も理由を尋ねるのですが、
憂鬱な太子は何を聞いても答えません。

そこで浄飯王
「太子もそろそろ年頃だし、きっとお嫁さんが欲しいんだろう。
私の時がそうだった」
と、妻をめとらせることにしました。

そこでシッダルタ太子は19歳のとき、
国一番の美女といわれたヤショダラ姫をお嫁にもらいました。
するとしばらくは明るい太子になったのですが、
それも一年間だけでした。

やがて子供が生まれると、太子は「ラーフラ(羅睺羅)」と名づけています。

ラーフラについては、下記で書いてありますのでご覧ください。
ラーフラ(羅睺羅)とは

ラーフラ」とは「束縛者」という意味です。
子供が生まれると、何とか子供に健康に育ってもらいたいと、
自分がやりたかったことを我慢して、
お金と時間を使って子供を育てるので、
束縛されて苦しみますよ、ということかもしれません。

そして太子はまた、憂鬱な生活に入ってしまいました。

毎日遊び暮らす……

浄飯王は、仏のさとりを悟ろうなどという望みをなくさせなければなりません。
一体何を悩んでいるのだろう。金か、おいしい食べ物か。
色々与えてみますが、何を与えても、太子の顔色は晴れません。

太子の悩みは、浄飯王の考えていたことではなかったのですが、
普通、人が欲しいと思うありとあらゆるものを与えて尽くしてしまいます。

そしてついに浄飯王は、季節毎に一番快適に過ごせるように、
四季の御殿をつくらせ、500人の美女をはべらせて、
太子を明るくしようとしました。

あなたはもし豪邸で、毎日仕事もなく、美味しいものを食べ、
ずっと遊んで暮らせるとしたら、うらやましいでしょうか?

太子の悩みはそんなことではなかったので、
まったく悩みはなくなりませんでした。

一体太子の悩みは何だったのでしょうか?

3つの願いとは?

やがてある日、シッダルタ太子は、浄飯王に手をついて、
私をこの城から出させてください
とお願いに来たのです。

浄飯王は驚いて、
「四季の御殿も建ててやったし、
五百人の美女もはべらせた。
美味しいものを食べて毎日遊ぶだけなのに、
一体何が不足でそんなことを言うのか?」

「お父さん、実は私の望みは3つあります。
それさえかなえてくれるなら、城を出なくてもかまいません」
はじめて、その悩みを打ち明けました。

1つ目の願いは、いつまでも今の若さで年老いないことです。
2つ目の願いは、いつも達者で病気で苦しむことのないことです。
3つ目の願いは、死なない身になることです

それを聞いた浄飯王、
「それは、どんな権力をもってしても、どうしようもない。
年をとれば、病気になるし、やがては死んでいかねばならない」

「私はそれが悩みなんです。老・病・死、これが解決されなければ、
何のために生まれてきたのかわかりません。
死ぬために生きているようなものです。
これを解決するために、城を出させてください」

太子が言うと、
「それはどんな人でもさけられないことなのだから、
何とかあきらめて私の後を継いでくれないのか……」
と浄飯王は、城を出たいという太子の願いを
一旦保留にしたのでした。

出家の動機─四門出遊─

シッダルタ太子が、このように思うようになったのも、
元はと言えば
小さい頃、はじめて城から出て外の世界を見たときの
衝撃からでした。

東の門

はじめ、城の東の門から外に出てみると、
そこには今まで見たこともないような人が、よろよろと歩いていました。

肌はしわより、腰は曲がり、杖をついています。
おつきの者に
「あれは一体何者だ?」
と尋ねると、
「あれは老人でございます」
「老人とは何か」
「はい、人は年を取ると、あのような老人になるのでございます」
「何!?それは王でもなるのか」
「はい、申し訳ございません。
王様といえど、年がいけば、必ず老人にならねばなりません
これを聞いたシッダルタ太子は、ショックでその日は元気をなくし、
城へ帰ってしまいました。

南の門

しばらくたって城の南の門から出てみると、
またもや、見たことのない人が、むしろの上に横たわっていました。
体はがりがりにやせ細り、うめき苦しみながら、
虚空をかきむしっています。
「あれは一体何だ」
「はい、あれは病人でございます」
「人は老い、必ずあのように病にかかって苦しまねばなりません」
「何!?それは王でもか」
「はい、申し訳ありませんが、王様といえども、やがて病にならねばなりません
またもやショックを受けたシッダルタ太子は、
外へ出る元気をなくして城の中へ帰ってしまわれました。

西の門

またしばらくして西の門から出ると、
また見たこともない人が運ばれて行くのを目撃しました。
骨と皮ばかりにやせ細り、全く動かなくなった人が、
悲しそうにすすり泣いている人たちに囲まれて、
ゆっくりと運ばれて行きます。
今でいう、葬式の行列でした。

「あれは一体何だ?」
「はい、あれは死人でございます」
「死人?何だそれは」
「はい、人はやがてあのように、必ず死んでいかなければなりません」
「何!?それは王でもか」
「はい、申し訳ありませんが、
王様といえども100%死んでいかなければなりません
これを聞いたシッダルタ太子は、今までで一番の大きなショックを受けて、
もはや外へ行く元気はなく、そのまま城へ帰ってしまいました。

北の門

それからまたしばらくして今度は北の門から出てみると、
そこには、老いと病と死の問題を解決しようと
修行している修行者がいました。 それを見たシッダルタ太子は、
内心、まさに人生は、老いと病と死の問題を解決せねば、
大変なことになると思ったのです。

普通なら「今さえ楽しければいいや
と思ってそこまで考えないのですが、
よく考えて見ると、すぐに消える、
一時的な幸せでは、誰も満足できません。

それなのに、やがて人生はあっという間に過ぎ去り、
老い、病にかかり、死んでしまったら
一切の幸せが崩れてしまいます。

このことは、人生を真面目に見つめないと、
なかなか起きてこない悩みです。
幸せが崩れてから、それに苦しみ悩む人はあるでしょうが、
シッダルタ太子は、幸せが崩れてからではなく、
まだ若く、能力もあり、欲しい物は何でも手に入る幸せなときに、
人生の本質を見抜かれたのです。

それで、この解決を求めさせてくださいと、
お父さんに言われたのでした。

29歳・出家

太子の出城の願いは差し止められ、
これまで通りの同じ毎日が繰り返されていたのですが、
どんなに健康や財産、地位、名誉、妻子、才能などに恵まれていても、
やがてすべてに見捨てられる時がくることは避けられません。

どんな幸福も続かない人生のすがたを知っておられたシッダルタ太子は、
もはや心からの安心も満足もできませんでした。
どうすれば、崩れない本当の幸せになれるのだろう?
シッダルタ太子の、真実の幸福を求める気持ちは、
日に日に強くなってゆかれました。

やがてある日の夜、シッダルタ太子は四季の御殿で目を覚まされました。
そこには昼間、美しく着飾って踊っていた女たちが、
みっともない様子で寝ていたのです。
太子は幻滅を感じ、深く後悔しました。
私はだまされていた!
これこそ本当のすがたなのだ。
こんなことをしている間に、もう結婚して10年が過ぎ、
あっという間に29歳になってしまった。
こんな所でうだうだしていたら、
私は何のために生まれてきたのか?
このままでは生きている意味がなくなってしまう

シッダルタ太子はもう誰にも言わず、
健陟(カンタカ)」という白馬に乗って出ていってしまいました。

ときにシッダルタ太子、29歳の2月8日のことでした。
これが有名な「出城入山(しゅつじょうにゅうせん)」です。

捜索作戦

翌朝、城ではてんやわんやの大騒ぎです。
浄飯王は
「お前ら500人もいて、1人も気づかなかったのか。
何をやっているんだ」
と激怒すると、
キョウチンニョ(憍陳如)という人が現れて
「どうか私に太子様を探させてください」
と申し出ました。

「おお、探してくれるか」
喜んだ浄飯王は、キョウチンニョをはじめとする五人を使わし、
全国を捜索します。

やがてついに、修行している太子を発見できたのです。

キョウチンニョは、尋ねました。
世の中には、出家の動機に4通りあると聞いています。
長い病気の苦しみで、もはや喜びを見いだすことができないとか、
老人になって体が動かず、希望を失ったとか、
お金や財産を失い、生活に困っているとか、
家族を亡くして世をはかなむからと聞いています。
ところが、太子様は4つともあてはまりません。
若く、健康で、勉強もでき、運動神経も抜群でらっしゃる。
そしてお金はいくらでも手に入る。ご家族はみなさん健在。
なぜそれらの楽しみを捨てて、
一衣一鉢の姿で遠いさとりを求められるのでしょうか?

すなおな疑問をたずねてみました。

なぜ楽しみを捨てて悟りを求めるのか

するとシッダルタ太子は、
そなたがたには あの激しい無常の嵐が分からないのか。
一切は続かないのだ。どんなに今楽しいと思っても、
やがて必ず衰え、ほろんでいくのだ。
快楽のかげには、無常の響きがこもって不安を感じるではないか。
美女の奏でる音楽や歌は、欲をもって人を惑わすのみだ。
欲に迷わされているうちに、人生は、
夢のように幻のように消えていってしまうのだ。
いつまでも若いままでいたいと思っても、
若い時はあっという間に過ぎ去って、
老いと病と死のために
すべてに裏切られてしまうのだ。

そなたがたにはまだ分からないのか!」
と一喝されたのです。

お金も財産も、地位や名誉も、目の前にあるときは、
意味に満ちあふれているように見えるのですが、
やがて老と病と死によって、必ず崩れ去ってしまいます。
せっかく苦労してかき集めても、最後裏切られるときには、
苦労の意味がまったく分からなくなってしまいます。

王様の太子として生まれ、勉強も一番、スポーツ万能、
欲しい物は何でも手に入り、国一番の美女と結婚して、
将来の地位も名誉も約束されていたお釈迦様も、
やがては崩れてしまう儚い幸福では、
本当の満足はえられないと知っておられたのです。

キョウチンニョたちも、言われてみれば確かにそうだと深く納得し、
城へ帰ると浄飯王に、太子様と共に修行したいと申し出て、
共に修行に励むようになっています。

お釈迦様が仏のさとりを開かれる瞬間

そしてお釈迦様は、私たちが想像もできない
厳しい修行を6年間なされ
35歳の12月8日、ついに仏のさとりを開かれました。

35歳で仏のさとりを開かれたお釈迦様は、
80歳でお亡くなりになるまでの45年間、
すべての人が、本当の幸せになれる道一つを
説き続けていかれました。

これを今日、仏教といわれます。

ですから、仏教を聞けばどんな人でも老いと病と死を超えた
絶対変わらない絶対の幸福になることができるのです。

お釈迦様の十大弟子

お釈迦様には、十大弟子と言われる、10人の特別なお弟子がありました。
これらのお弟子がお釈迦様の説かれた本当の幸せになれる教えを伝えるために、
様々なエピソードがあります。

  1. 舎利弗しゃりほつ……智慧ちえ第一
  2. 目連もくれん……神通じんずう第一
  3. 大迦葉だいかしょう……頭陀ずだ第一
  4. 須菩提しゅぼだい……解空げくう第一
  5. 富楼那ふるな……説法第一
  6. 迦旃延かせんねん……論義第一
  7. 阿那律あなりつ……天眼てんげん第一
  8. 優波離うぱり……持律じりつ第一
  9. 羅睺羅らごら……密行みつぎょう第一
  10. 阿難あなん……多聞たもん第一

これらの十大弟子の概要は下記に詳しく書いてありますので、ご覧ください。
十大弟子(じゅうだいでし)とは

お釈迦様(ブッダ)の教え

今回は、お釈迦様の名前の由来から、生涯、お弟子について簡単にわかりやすく解説し、お釈迦様とはどういう方なのか明らかにしました。
このお釈迦様が生涯をみても、仏教には老いと病と死を超えた、死によっても壊れない、本当の幸福について教えられているのが分かります。
それをお弟子たちが多くの人に伝え、今日はお経となって書き残されています。

ではどうすればその本当の幸せになれるのか
ということについては、仏教の真髄なので、電子書籍とメール講座にまとめました。
一度見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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