なぜ人を殺してはいけないのか
テレビでは、若者の、信じられないような殺人事件が世間を騒がせています。
あなたは「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたら、答えられるでしょうか。
ここで、生きる意味に関係の深い、
この問題について考えてみましょう。
なぜ命は尊いのか
学校のホームルームの時間にも、
人命の尊厳とか、
なぜ命は尊いかとか、
そういうテーマが論じられるようになっています。
かつて、あるテレビ番組で、17才の少年をパネラーとして集めて、
世の識者たちが話し合ったことがあります。
その中で「じゃあ先生方に聞きたいのですが、なぜ人を殺してはいけないのですか?」と聞くと、
口角泡を飛ばす評論家達が、みんなシーンとなってしまい
コマーシャルに入ったことがありました。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、
一般的に愚かで危険な問いだと言われます。
確かに危険ではありますが、決して愚かではありません。
哲学的な問題を含んだ問いなのです。
危険な問いに対する答え
では、どんな答えが用意されているかというと
大きく分けると、以下の3つです。
1. 倫理的水準の答え
2. 社会的水準の答え
3. 哲学的水準の答え
倫理的水準の答え
倫理的水準の答えというのは、倫理道徳、モラルの水準で出る答えです。
たとえば、
「なんで人を殺したらいけないんですか?」
「ダメに決まってるだろ、ばか。
そもそもそんなこと言うこと自体がオマエはおかしい。
そんなこと言うやつは、げんこつだ」
というようなものです。
確かに、こういう人が多い時代は、健全な時代かもしれません。
これも1つの答えですが、この答えは、あなたは答えになっていると思いますか?
他の質問に同じように答えると次のようになります。
「なんでダメなの?」
「ダメだからダメ!」
「なんで空は青いの?」
「青いから青いの!」
これでは、その答えを知りたい人にとって、
本当に答えたことにはなりません。
社会的水準の答え
社会学を勉強すると、この水準の答えをレポートにまとめることができます。
どんな答えかというと、
人を殺すということは、社会に不利益をもたらす。
社会に不利益をもたらすものを、社会は罰する。
これも社会学で説明できます。
ということは、
「人をあやめると、あなたは社会から罰せられますよ。
罰せられたくなかったら、やめなさい」
ということになります。
よく、少年法を改正した方がいい、もっと重くした方がいいというのは、
この社会的水準から出てくる答えです。
「何で人を殺したらいけないの?」
「殺したら、あんたも刑務所に入ってくさい飯くわなきゃいけないよ。
殺したら、社会からあなたも殺されるよ。
人生めちゃくちゃになるよ」
こういう答えです。
ところが今日、この社会的水準の答えでは、
止められないところまで来てしまっていると言われています。
アメリカの銃乱射の犯人は、最後必ず、自分のこめかみに拳銃をあてて死んでしまいます。
「もうどうせいい」
「そもそも自分の人生ガラクタなんだ」
「自分をこんな風にした社会に仕返ししてやりたい」
「もう殺してくれよ」
罰せられますよ、と言われても、どっちでもいいとなってしまうのです。
ここまで来ると、もう止められません。
自分の人生が大事だという気持ちがある人なら、歯止めになります。
ですが、自分の人生どうなってもいいくらいに投げてしまっている人からすれば、
少年法を改正しても、どれだけの効果があるでしょうか。
時代は、エゴイズムからニヒリズムへと言われます。
ニーチェが「私が死んで100年経たなければ私の思想は理解されない」といって20世紀が始まりました。
そして21世紀、ニヒリズムの時代となりました。
エゴイズムで生きている人は、自分がかわいいから社会的水準の答えで止められます。
しかし、ニヒリズムの人は、自殺したい。
そんな人に対して、どれだけの効力を発揮するでしょうか。
そうなると、いよいよ哲学的水準の答えがハッキリしなければ
止めることはできないということです。
つまり、なぜ人命は尊厳なのか。
自分の人生、あるいは人間が生きるということに、
どんな意味や価値があるのだろうか。
実は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、
人生の意味が分からないと、本当の意味で、答えが出てこないのです。
哲学的水準の答え
いらない紙を破いても、誰も何も言いません。
ところが、同じ紙でも、
1万円札の束を窓から投げようとすると、わーっとかきゃーっとか言います。
人の物でも、1万円札は破れません。
まだ使えるパソコンを、あなたは人のものだと言って蹴飛ばせますか?
人の命が重い、人生に意味がある、とハッキリしている人は、
めったなことで、ゴミ箱に捨てるように、人を殺すことはできないのです。
ですから、人生の意味がハッキリしなければ
なぜ人を殺してはいけないのかということについて、答えは出ないのです。
これが、哲学的水準の答えです。
ここまで来ると、
なぜ人を殺してはいけないのかということも
なぜ苦しくても自殺してはいけないのかということも
同じことが問われていることに気づきます。
一体なぜ、人間は生きなければならないのでしょうか。
人生の意味は何なのでしょうか。
それを知る鍵となる、仏教に説かれる苦悩の根元について、
電子書籍とメール講座にまとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)