生きる意味とは?

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「生きる意味が分かりません」
「生きる意味って何なんでしょうか?」

人生に辛いことはつきものです。
苦しいことがたくさんあると、何のために生きているのか分からなくなります。
別に生まれたくて生まれてきたわけでもありません。
色々な大変なことを乗り越えて、どんなに頑張っても最後は死んで行きます。
人が生きる意味は何なのでしょうか?

長南瑞生・

こんにちは。
生きる意味に関する5万部のベストセラー『生きる意味109』を書いた 長南瑞生です。

生きる意味が分からないということで悩んでいる人はたくさんあります。
それは、生きて行く上でとても大切なことです。
なぜかというと、生きる意味が分からなければ、
苦労した割に、意味のない人生になってしまい、
最後に人生を振り返ったときに、
意味のない人生だった
後悔することになってしまったら大変だからです。

ただ、生きる意味は、「答えのない問題」という人もあるくらい、自分で考え続けても分からないものです。
それは、どんなに頭が良くても、ほとんどの人に分からないのが生きる意味だからです。
ですが安心してください。
生きる意味には答えがあります。

しかし、生きる意味を誤解してしまうと、生きる意味が分からないよりも大変なことになってしまいます。
また、生きる意味を探すカテゴリーを間違えると、努力が徒労に終わります。

人生には制限時間があり、
光陰矢の如し」と言われるように、
あっという間に過ぎて行きます。
一刻も早く生きる意味を明確にしなければなりません。
そこでこの記事では、生きる意味というのはどんな問題で、その答えは何なのか分かりやすく解説して行きます。

1.生きる意味がある人とない人の7つの違い

まず、生きる意味がある人と、生きる意味がまだ分からない人には色々な違いがあります。
生きる意味がなかった人が、本当の生きる意味を知ればどうなるのか、となると無限といってもいい位の違いが出てきます。
7つあげると以下のようになります。

1.心の底から満足できる

まず、生きる意味がないと、好きなことをして、幸せであっても、心の底では満足していません。
本当にこれが幸せなんだろうか、という虚しい心が出てきます。
ところが本当の生きる意味が分かれば、心の底から生まれてきて良かった!という喜びが起きます。
そして毎日が文句なしに幸せの充実した日々になります。

2.すべての苦労が報われる

世の中には色々な矛盾や、理不尽なことがあります。
もし生きる意味が分からないと、
学生なら何のために勉強するのか
社会人なら働く意味はあるのか、
どうしてこんなに辛くても生きるのか、という疑問にも答えがでません。
苦労が報われない不条理感があります。

ところが本当の生きる意味がわかれば、
この身になるための人生だったのかと、今までの苦労がすべて報われます。

3.今までの人生に後悔がなくなる

生きる意味が分からないと、よく、あの時もっと違うことをしておけばよかった、もっと勉強しておけばよかったと人生に後悔します。
それは、生きる目的が分からずに、あっへ行ったりこっちへ行ったり右往左往するので当然のことです。

ところが、本当の生きる目的は、今まで頑張って来た努力や苦労や、乗り越えて来た試練などが、乗り越えてきて本当に良かった!とすべて報われて、一切後悔がなくなります。

4.自分の存在意義が明確になる

生きる意味が分からない人は、何か困難なことに直面すると、
「自分は、こんな生まれ方をして、こんな生き方をして来てしまったから、もう生きる価値がないんじゃないか」
「自分にはムリだと最初から決まっているんじゃないか」
と思います。

ところが本当の生きる意味が分かれば、
今まで不器用で、色々な失敗や後悔を繰り返して来たけどこれで良かった!
自分の命は、本当に地球よりも重かったんだ、
と自分の存在意義が明確になって、心の底から喜べます。

5.前向きで明るい人生になる

生きる意味が分からない人は、毎日が同じことの繰り返しで、何のために生きているのだろうと思います。
日本の若い人の死因の第一位が自殺です。
自殺する人は、今が苦しいから、死んだら楽になれると思っています。
ですが、実際には、死んだら楽になれる根拠は何もありません。
死んだらもっと苦しかったら大変なので、自殺を思いとどまっている人もたくさんあると思います。

ところが、「生まれてきて良かった!」という素晴らしい生きる意味が分かれば、自殺なんてしていられません。
今、たとえどんなに苦しくても、それを乗り越えようという力になります。
そして、本当の生きる目的を知り、それに向かって進めば、毎日が、本当の幸せに向かう、素晴らしい日々ですから、積極的・情熱的・前向きで明るい・希望に満ちた人生になります。

6.いつ死んでも悔いがなくなる

諸行無常といわれるように、すべてはうつり変わって行くから、人生は最後までどうなるかわかりません。
今は調子が良くても想定外の事件に巻き込まれて、転落人生になり、非業の最期を遂げる可能性はいくらでもあります。

ところが、本当の生きる目的を果たせば、生きて良し、死んで良し、本当の幸せに生かされ続けるから、いつ人生が終わっても、ハッピーエンド間違いなしになります。

7.健康で長生きできる

生きる意味がハッキリした人は、昔から若死にせず、長生きできると言われています。
それは心に喜びが溢れますので、ストレスも減り、病気にもなりにくくなるというものです。

実際、東北大学大学院医学研究科の曽根稔雅氏らが、4万3000人を7年間追跡調査して2008年に発表した研究の結果、自分の人生が生きるに値するものだと確信している人は、そうでない人に比べて死亡リスクが低くなることが分かっています。
他の幾つかの研究でも、生きる意味を感じている人は、心臓や脳卒中のリスクが減ると報告されています。
生きる意味が分からない人よりも、分かっている人のほうが長生きできる確率も高まるのです。

まとめると、生きる意味が本当に分かれば、このような7つの違いが出てきます。

生きる意味が分かると……
  1. 心の底から満足できる
  2. すべての苦労が報われる
  3. 今までの人生に後悔がなくなる
  4. 自分の存在意義が明確になる
  5. 前向きで明るい人生になる
  6. いつ死んでも悔いがなくなる
  7. 健康で長生きできる

このように、生きる意味があるのとないのとでは大違いです。
逆に、こういうものが本当の生きる意味ともいえます。

こういう本当の生きる意味とはいえないものを生きる意味と思い込んでいる人もたくさんありますから、
生きる意味が分からない
と生きる意味の疑問が起きるのは、大変すばらしいことです。
それは、何かの苦しみがきっかけとなって本当の生きる意味に導かれることもよくあります。

2.生きる意味に悩むのはチャンス

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人は、色々なきっかけで生きる意味に悩むようになります。

たとえば、生きるためには働かないといけないですが、仕事は辛いのに、
別に何か夢や趣味があるわけでもなく、
何のために生きなければいけないのか、
生きる意味が分からないという人もあります。

他にも、今までは幸せに生きる意味をもって生きていたのに、
事故で夫を亡くして、生きる意味を失い、
生きる意味とは何か
これから自分はどう生きていくべきか
悩むようになったという方もあります。

家庭の環境が複雑になり、今までの生き方を後悔し、
絶望的に落ち込んでいる状況となったとき、
生きる意味が分からなくなって、
自分は何のために生きているんだろう?
と悩む場合もあります。

人間関係のストレスによる心の不調から、
なぜ、こんなに苦しんでまで生きていなければならないのか?
いっそ死んだ方が楽ではないか?
と思う人もあります。

そのような苦しいことがなくても、
日々に希望がもてず、死なないから生きている、という状況で、
漠然と生きる意味に悩む場合もあります。

小さい頃から、生きる意味は何だろうと考え続けている人もあります。
別に生まれたくて生まれてきたわけでもないのに、なぜ頑張って生きないといけないのか。
そんなに面白いと思えることもないし、どんなに努力しても、最後は死んでしまうのだから、わざわざ辛い経験をして生きなくてもいいのではないかと思っている人もあります。

生きる意味に悩み始めるきっかけは人それぞれですが、それは悪いことではなく、本当の生きる意味を見つけるチャンスにもなります。
生きる意味を知ろうと思わなければ、知りようがないからです。
本当の生きる意味を知り、充実した幸せな人生を送ることもできません。
生きる意味に悩んで初めて、生きる意味を探し始めるのです。

生きる意味を探求することはすばらしいことなのですが、中には
生きる意味なんて考える必要がない
という人もあります。

3.生きる意味は考える必要がない?

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生きる意味を友達に聞いたりすると、よくあるのは、
お前そんなこと考えてるの?
そんなことに悩む必要ないんじゃないの?
大丈夫か?自殺したりすんなよ
という反応です。
まるで生きる意味を考えるのは危ない人で、考えずに生きるのが健全であるかのような言い方です。

また「生きる意味って何ですか?」と聞いたりすると、
「そんなことを考えられるのは贅沢な質問だ。
生きるのに精一杯で、そんなこと考える余裕のない人がたくさんあるのに、それを考える余裕があることに感謝しないといけない」
という人もあります。
そんなこと考える必要あるのかな?
生きていること自体がありがたいことなんだから、生かされていることに感謝しないいけないと思うよ」
という人もあります。
こんなことを言われると、生きる意味を聞いているのに、はぐらかされているように感じます。
生きる意味を考える必要はない、と言っているからです。

生きる意味を考える必要はないと思っている人は考えなくてもいいでしょうが、生きる意味に悩んでいる人にとっては、考える必要があると思っているのですから、釈然としません。
そういう時は、「生きる意味を考える必要はない」という意見を必ずしも受け入れる必要はありません。
本当の生きる意味が分かれば、7つの違いであげたような、充実したすばらしい人生になるのですが、生きる意味を考える必要はないと思っている人は、あまり考えたことはないはずですから、そういう人に聞いても分かるはずはないのです。

ちょうど「物理学って何ですか?」と聞いた時に、
そんなこと考える必要ないと思うよ
と答える人に、それ以上突っ込んで聞いていても、物理学については分からないようなものです。

それは、別に悪いということではなく、それはその人の考え方です。
もしかしたら物理学は必要ないと思っていても、サッカーについて聞けば、喜んで教えてくれるかもしれません。
その人が重要視していることについて教えてもらえばいいのです。

ですから、生きる意味については、少なくとも生きる意味が重要で、考えたことのある人に聞かなければなりません。
ところが、生きる意味が重要だと思っている人にも、よくある誤解があります。
その誤解に陥っていると、生きる意味に答えはでなくなってしまいます。

4.生きる意味にまつわるよくある4つの誤解

生きる意味はない

世の中には「生きる意味がない
と言っている人が案外たくさんあります。

例えば、ただ自然発生的に生まれてきただけで、
生きる意味は特にないといいます。
死にたくないから生きているだけ
という人もいれば、
人はいつか死ぬのだから無意味
という人もあります。

まず間違えてはならないのは、その人たちは、生きる意味がないことを証明したわけでも、実証したわけでもありません。
たいてい根拠もあげられません。
ということは、生きる意味は「ない」のではなく、
自分には分からない」とか、
自分にとってはない」というだけです。
実際には生きる意味はあります。

生きる意味は生きること

次に、似たようなよくある誤解として、
生きること自体に意味がある
という人があります。
生きることに意味があるというのは答えたようで、答えになっていません。

学校の校庭の円形トラックをぐるぐる走らされて、
走る意味を教えてください」と聞いたら、
走ること自体に意味がある
と言われたらどうでしょう?
いやいやいや、そんなのないから。
それで、何のために走らないといけないんですか?

と思います。
走ること自体に意味があるというのは、答えになっていないのです。

生きること自体に意味があるという人に
「じゃあ生きること自体にどんな意味があるの?」と聞きますと、
その肝心の生きる意味は分かりません。
生きること自体に意味があるというだけでは、答えにならないのです。

他人から見た意味

次に、生きる意味を考える人には、
現代社会の巨大な歯車の中で、自分のような小さな存在はいてもいなくても大差ない。
だから生きる意味はほぼない
」という人があります。
また、さらに大きな地球の歴史や宇宙の歴史と比較して、自分の存在はほとんど意味がないという人もあります。
そこには、生きる意味は、周りの人から見た自分の果たす役割だという前提があります。
周りの人にとっての自分の意味です。

ところが、これでは生きる意味は分かりません。
それは、同じ人でも、誰から見るかによって意味が変わるからです。
その最も分かりやすい例は、テロリストです。

例えば伊藤博文を暗殺した安重根あんじゅうこんは、日本ではテロリストとして悪者ですが、韓国では英雄として讃えられています。
第一次世界大戦の引き金となったらサラエボ事件で、オーストリアのフランツ・フェルディナント大公を暗殺したセルビア人のプリンツィプもそうです。
オーストリアではテロリスト、セルビアでは英雄です。

歴史に影響するほどではない、狭い範囲でも同じことが言えます。
同じ職場であっても、他の人から見た意味は、その人にどんな影響を与えたかによって変わりますので、生きる意味はマイナスから生きる意味なし、プラス評価まで色々あります。
これでは生きる意味はまったく決まりません。

その上、その意味は変化して行きます。
職場である時期には意味があっても、やがてなくなることもあります。
定年退職したらリアルタイムでの意味は消えてしまい、人々の記憶がある間の意味になります。
やがては意味があると思っていた人もみんないなくなってしまうのです。

このように他人から見た意味は、誰から見るかによって変わりますし、その他人にとっての意味も変化して行きます。
やがてはその他人も死んでしまいますので、ここに生きる意味を見いだすことはできないわけです。

生きる意味は何かといった時、それは他人から見た意味のことではなく、自分にとっての意味なのです。

今を生きる意味

こうして、自分にとっての生きる意味を考え始めた時、次に出てくるよくある誤解は、今を生きる意味を考えてしまうことです。
今を生きる意味なら、誰でも持っていますし、やっていて楽しいと感じることなら何でも大丈夫です。
仕事でも趣味でも、夢中になれることや没頭できることが今を生きる意味になります。
心理学ではフローという状態に入れるようなことです。

また、今は苦しくても、将来の夢を実現するために生きるというのも今を生きる意味です。
自己実現とか、自分の可能性を形にするというのも同じです。
家族のためとか、子供を育てるためというのも、今を生きる意味です。

今を生きる意味は、生きがいともいわれます。
生きがいは、生きる力を生み出しますので、とても大切なものです。

生きる意味を聞いた時に、普通に出てくる答えはほとんどこの生きがいです。
生きる意味を知るにはまず経験が大事だとか、色々見聞を広めるために、旅行をしたり本を読んだりするのが大事だというのも、この生きがいを自分で見つけなさいという意味です。
生きる意味は、自分で作り出す、というのも今を生きる意味を見つけなさいという意味です。

たとえば、ロゴセラピーで有名なフランクルがいう生きる意味はこの今を生きる意味です。
フランクルは、その中でも代表的な、
やり残した仕事」や、
待っている人」を提唱しています。

ただし、具体的には一人一人が自分で探さないといけないので、フランクルもこう言います。

ロゴセラピストといえども患者に、その意味がいったい何であるのかを告げることはできない
(ヴィクトール・フランクル)

確かに価値観は人それぞれですし、その人その人の得意なことも違います。
これは自分で探すしかありません。

これが、今を生きる意味です。

ところが、この今を生きる意味は、残念ながら続きません。
それをライフワークと呼んで、一生続けようと思っても、できるとは限りません。
たとえば、パブロ・ピカソは、絵を楽しんで描いていましたが、筆を置くと不機嫌になったといいます。
どうしても楽しみは続かず、楽しくないことが起きてきます。

フランクルのいうやり残した仕事をやってしまえば終わりで、
何か次の仕事を見つけないと今を生きる意味がなくなりますし、
待っている人も、会えれば終わりです。

今を生きる意味というのは、一時的なのです。

人生には苦しいことが色々やってきますので、夢が破れたり、家族が事故や病気で亡くなることがあります。
仏教で「諸行無常」といわれるように、この世に続くものは何一つありません。
一切は崩れて行きます。
自分が生きがいだと思っていたことができなくなると、生きる意味を失います。
例えば、印象派の画家のルノワールは、たぶん絵を描くことがライフワークだったことと思いますが、晩年にはリウマチで絵が描けなくなり、こう言っています。

ルノワールルノワール

手足がきかなくなった今になって、大作を描きたいと思うようになった。
ヴェロネーゼや、彼の『カナの婚礼』のことばかり夢みている!
なんて惨めなんだ!

(A・ディステル著、高階秀爾監修、柴田都志子・田邊希久子訳『ルノワール』)

また、諸行無常の諸行には、自分の価値観も入ります。
自分の価値観も変わってしまって、ライフワークと思っていたものに価値が感じられなくなることがあります。
例えばピカソは、こう言っています。

ピカソピカソ

絵はわれわれが信じていたようなものではなかった。それどころか正反対だった。
(中略)
誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる?

(アリアーナ・S.ハフィントン(著)高橋早苗(訳)『ピカソ 偽りの伝説』)

こうなってしまうと、今まで力を入れてきたことが虚しくなります。
そして特に生きがいもなく、生きるのが苦しいだけとなると、将来は真っ暗です。
何のために苦しい中を生きて行かなければならないのか、生きる意味は分からなくなります。

このような今を生きる意味で、答えとして満足できればそれでいいのですが、一時的なものなので、諸行無常のこの世界では、いつも今を生きる意味を探し続けることになります。

ですから生きる意味というのは、一時的な今を生きる意味ではなく、生まれてから死ぬまでの人生全体の意味のことなのです。

本当の生きる意味とは

これまでのことをまとめると、生きる意味にまつわるこのような4つの誤解があります。

生きる意味にまつわる4つの誤解
  1. 生きる意味はない
  2. 生きる意味は生きること
  3. 他人から見た意味
  4. 今楽しいこと

このように、本当の生きる意味は、他人から見た意味でもなく、今たまたま楽しいと感じる、今を生きる意味でもありません。
自分にとっての自分の人生全体の意味です。
まずこれが分からないと、本当の生きる意味は見つからないのです。

つまり「生きる意味」とは、「人間に生まれた意味」ということです。
何のために人間に生まれてきたのか。
何のために生きているのか、
なぜ生きねばならないのか、という
人生の目的」のことです。

趣味や生きがいは大切ですが、それは生きる意味の答えにならないのです。
ところが、趣味や生きがいならいくらでも出てきますが、人生全体の意味となると、結構難問になります。
そしてすでにこれまで多くのすぐれた人たちが探しても見つかっていない分野があります。
それは奥が深いので、その分野について学ぶだけでかなり労力が必要なのですが、生きる意味が見つかることはありません。
そこに力を入れると努力が水の泡になってしまいます。

5.生きる意味を探しても徒労に終わる3つのカテゴリー

自分にとっての、人間に生まれてきた意味となると、難問になります。
私も昔は、色々な本を読みましたが、なかなか分かりませんでした。
それというのも、このようなまともな生きる意味になると、相当の知識人でも分からないのです。

例えば20世紀最高の天才科学者といわれるアインシュタインはこう言います。

アインシュタインアインシュタイン

われわれはいろいろなことをするが、なぜそうするのかは知らない。
(アインシュタイン)

科学では物質的なことしか扱いませんので、生きる意味をもとめても見つからないのは無理ないことでしょう。

もっと最近では、人類発生から250万年の歴史を書いて、
全世界200万部のベストセラーとなり、
NHKクローズアップ現代でも特集された
サピエンス全史』でも、こうあります。

人間には数々の驚くべきことができるものの、
私たちは自分の目的が不確かなままで相変わらず不満に見える。

(サピエンス全史)

人類の歴史書を書くほどの知識があっても、歴史上どこにも私たちの生きる意味は見いだせないのです。

生きる意味を身近な人に聞いても分からないとなると、どこか本に書いていないかと思います。 それで、心理学や哲学の本を読み漁っても、どこを探しても答えがなく、
かれこれ何年も何十年も悩んでいるという人もあります。

私も次の3つのカテゴリーで本を読んでみましたが、見つけることはできませんでした。
この3つの分野では、やはり相当の実力者たちが、生きる意味は見つからないと言っているので、少なくともそれ以上の人が、それ以上の努力をしない限り、生きる意味は見つからない公算が高いです。
それでも挑戦したければ、ぜひ自分で挑戦をしたらいいと思いますが、そんなことをして人生を費やしたら、もったいないことになりがちです。
そうとは知らずに無駄な苦労に終わったら大変ですので、その3つの分野を紹介します。

文学

まずは昔から多いのが、文学に生きる意味を求める人です。
これは、文学というのは、他の人の物語ですので、他人の人生をバーチャルに経験することになります。
それで現実には体験できない色々な時代や国の色々な人々の気持ちを感じて、生きる意味を探そうとするものです。

文学作品は星の数ほどありますが、その中にどれだけ生きる意味を探しても見つからないことでしょう。
実際、文学を生み出した文豪たちが見つからないと言っています。

例えば夏目漱石は、若い頃から「腹の中は常に空虚」で、人生の目的を探求していました。
そして作家として成功をおさめて、色々な名作を残しましたが、晩年の『行人』でも、目的も手段も分からないと苦しみ、最後の随筆『硝子戸の中』では、こう言っています。

夏目漱石夏目漱石

今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。
(夏目漱石『硝子戸の中』)

天才といわれ、芥川賞の由来となった芥川龍之介も、
自伝的作品『或阿呆の一生』では、長男の誕生についてこう言います。

芥川龍之介芥川龍之介

なんのためにこいつも生まれて来たのだろう? この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。
(芥川龍之介『或阿呆の一生』)

そして最後は、将来に対するぼんやりとした不安で自殺してしまいました。
自ら命を断つということは、生きる意味が分からないのです。

文学史に出てくる人たちでは、太宰治もそうです。
大地主の家に生まれ、東京帝国大学に入学するほど恵まれています。
38歳の時には、没落していく上流階級を描いた代表作『斜陽』がヒットし、人気作家になります。
ところがそこには、このように書いています。

太宰治太宰治

生まれて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。
(中略)
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。

(太宰治『斜陽』)

人間に生まれた喜びがなく、生きる意味が分からないといって、翌年自殺してしまいます。

もっと最近の作家では、五木寛之氏が『人生の目的』という100万部突破のベストセラー本でもこう言います。

人生に目的はあるのか。 私は、ないと思う。
何十年も考えつづけてきた末に、そう思うようになった。
(五木寛之『人生の目的』)

そもそも文学に生きる意味を探すのは、自分の経験や価値観を磨いて、自分で生きる意味を見つけようというものです。
すでに論じた今を生きる意味のカテゴリーになりますので、自分にとっての人生全体の意味は見つかりようがないのです。

心理学

次に、心理学であれば、人間の心を解明して、自分にとっての生きる意味を見いだせるのではないかと思います。
まず、心理学者で有名な、精神分析の創始者のフロイトはこう言います。

フロイトフロイト

これまでに何度となく、人生の目的は何かという問いが問われてきたが、まだ満足できる回答を示した人はいない。
(ジークムント・フロイト(著)中山元(訳)『幻想の未来/文化への不満』)

フロイトと並び称され「アドラー心理学(個人心理学)」を創始した心理学者アルフレッド・アドラーは、『人生の意味の心理学』という本を書きました。
タイトルからして生きる意味が分かるのかと思ったら、その冒頭にこう記してあります。

アドラーアドラー

絶対的な人生の意味を持っている者は誰もいない。
(アルフレッド・アドラー(著)高尾利数(訳)『人生の意味の心理学』)

人生には無条件で意味があると主張するヴィクトール・フランクルも、すでに見た通り、生きる意味を告げることはできないと言っています。

もう少し最近の心理学者では、ミハイ・チクセントミハイはどうでしょうか。
ハンガリー出身のアメリカの心理学者で、時間を忘れて物事に熱中する、フローを発見した人です。
ところがフローはすでに見た通り、今を生きる意味ですので、人生全体としてはどうかというと、こう言っています。

チクセントミハイチクセントミハイ

我々に「ここに君が人生を捧げるに値する目標がある」などと教える者はどこかにいるというわけではない。
(チクセントミハイ(著)今村浩明(訳)『フロー体験 喜びの現象学』)

このようなことから、イギリスのニューカッスル大学の心理学者、ダニエル・ネトル教授もこう言います。

心理学は、フロー体験や目的意識というものがウェルビーイングの重要な要素であるということはできても、どんな目的を持てばいいのか、フローはどこから得られるのかといった質問には、残念ながら答えることはできません。
(ダニエル・ネトル『幸福の意外な正体』)

大学で教授をするような心理学者でも分からないとなれば、心理学を学んでもちょっとやそっとで生きる意味が分かるものではありません。
心理学でも、今を生きる意味の範囲内で研究が進められており、自分にとっての人生全体の意味はもともと考えられていないようです。

哲学

そうなると、生きる意味を探求する上で、思いつくのが哲学です。
人生哲学という言葉もありますし、哲学は真理を探究する学問なので、何となく生きる意味が見つかりそうです。
それで哲学を学ぼうとするのですが、哲学というと西洋哲学のことで、意外と人生についてはあまり考えられていません。
生きる意味意外の問題ばかり出てきます。

そして、哲学者たちも、生きる意味は分からないと言います。
例えばドイツの哲学者ニーチェはこう言っています。

ニーチェニーチェ

人間の存在はぶきみであり、依然として意味がない。
(ニーチェ(著)氷上英廣(訳)『ツァラトゥストラはこう言った』)

もっと最近の哲学者では、アメリカのカリフォルニア大学で長年哲学の教授をしていたイギリスの哲学者、フィリッパ・ルース・フットは、『道徳的相対主義』にこう書いています。

現存の哲学者であれ、過去の哲学者であれ、この観念を説明できた人を私は知らない。
(フィリッパ・フット(著)戸田省二郎(訳)「道徳的相対主義」)

「この観念」というのは、命に価値があることですから、生きる価値であり、生きる意味です。
哲学者になるには、過去の哲学者の業績は学んでいるものと思いますが、哲学者でも、生きる意味を説明できた人はいないのです。

ちなみにアメリカの哲学者、トマス・ネーゲルは、『人生の意味』と題してこう言います。

人生は単に無意味であるだけではなく、不条理であるかもしれないのです。
(トマス・ネーゲル(著)岡本裕一朗/若松良樹(訳)『哲学ってどんなこと?』)

哲学者は、生きる意味がないだけでなく、人生は不条理かもしれないというのです。
これでは西洋哲学を学んで、生きる意味が分かるはずがありません。

このように、文学はもちろん、心理学や西洋哲学でも、まともに生きる意味を考えた場合、その答えは解明されていないのです。

生きる意味が見つかりそうで見つからない3つの分野
  1. 文学
  2. 心理学
  3. 哲学

では、どこに生きる意味の答えがあるかというと、それは仏教です。
仏教を説かれたブッダは、生きる意味をどのように教えられているのでしょうか?

6.仏教ではどう教えられている?

仏教では、自分にとっての人生全体の意味があります。
それは幸せになることです。
仏教では、それをこのように教えられています。

人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん。

これは、多くの仏教の本の最初に載っている大変有名な仏教の言葉です。

どんな意味かというと、最初の「人身」とは人間のことです。
人身受け難し今已に受く」とは、
生まれがたい人間に生まれることができてよかった
という喜びの言葉です。
よくぞ人間に生まれたものぞという生命の大歓喜です。

人生の目的を果たすと、このように、
人間に生まれてよかった
という大満足の身になれるのです。
それは、色あせることのない喜びです。

その本当の生きる目的は、
サピエンス全史』を書くような
人類250万年の歴史を知っている学者でも見当もつかないように、
仏教以外には教えられていません。
ですから次の「仏法聞き難し今已に聞く」とは、
その本当の生きる目的を教えられている
聞き難い仏法を聞くことができてよかった

という喜びの言葉です。

仏教を聞くことがなければ、
人生の目的を知ることもできなかった、
もちろん果たすこともできなかった、
仏教を聞くことができてよかった、ということです。

では、その人生の目的とは何でしょうか?

7.人間に生まれた目的とは?

本当の自分とは?(生命の本質)

次に「この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん
」とあります。
この身」とは、人間に生まれた自分自身のことです。

自分が生きる意味を知るには、
その生きている自分とは何かをよく知らなければなりません。

私たちは、自分というものは
生まれてから死ぬまでのことだと思っていますが、
本当はそうではありません。
生まれる前、果てしない遠い過去から、
死んだ後、未来永遠に続いていく、永遠の生命があります。

生まれる前を「前生
生まれてから死ぬまでを「今生
死んだ後を「来生」といいます。

そして、生まれ変わり、死に変わり、
果てしなく苦しみ迷いの旅を続けています。

生まれ変わりといっても、人間だけではありません。

地獄餓鬼畜生修羅、人間、天上の6つの迷いの世界、「六道」を
生まれ変わり死に変わりします。
それは、あたかも車の車輪が同じ所をぐるぐるぐるぐる回るように、
果てしなく生死を繰り返すので、「六道輪廻」といわれます。
六道輪廻については詳しくはこちらの記事からご確認ください
その果てしなく苦しみ迷いの旅を続ける永遠の生命が、本当の私であり、
この身」なのです。

人間に生まれた時しかできないこと

この身今生に向かって度せずんば」の
今生」とは、人間に生まれている今のことです。

度する」とは、この迷いの輪廻を離れることです。

この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん
」とは、
もし人間に生まれている今、
この迷いの解決ができなかったならば、いつできるというのだろう。
危ないところを救われた、ということです。

なぜかといいますと、この迷いを離れる方法は、
仏教にしか教えられていないのですが、
仏教を聞けるのは、6つの迷いの世界の中でも、
人間界だけだからです。

地獄界餓鬼界畜生界修羅界の4つの世界では、
苦しみにせめられて仏教が聞けず、
天上界では、楽におぼれて仏教が聞けません。

ですから唯一仏教を聞ける人間に生まれた目的は、
仏教の教えを聞いて、この永遠の迷いの解決し、
未来永遠の幸福になることだと教えられています。

これを仏教で「人界受生の本懐(にんがいじゅしょうのほんがい)」といいます。
本懐」とは目的のことですので、人間に生まれた目的のことです。

チャンスはいくらでもある?

ところが、人間界に生まれるには、大変難しいことです。
人間に生まれるには「五戒」といわれる
以下の5つの戒律を守り続けなければなりません。

人間に生まれるための5つのルール「五戒」
  • 殺生(ふせっしょう)……生き物を殺さない
  • 偸盗(ふちゅうとう)……他人の物を盗まない
  • 邪淫(ふじゃいん)……不倫や浮気をしない
  • 妄語(ふもうご)……嘘をつかない
  • 不飲酒(ふおんじゅ)……お酒を飲まない

ですから、1回でも生き物を殺したり、をついたり、
お酒を飲んだらもう人間に生まれられません。

こんな厳しい戒律を一生守り続けることは、
普通はとてもできませんので、
人身受け難し
人間に生まれることは大変難しい、
といわれています。

人間に生まれることは何億年に一度もない、有り難いことなのです。

その何億年に一度もない、生まれがたい人間に生まれたときしか果たせない、
迷いの解決をすることが、人間に生まれた意味なのです。

ですから
人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん

とは、生まれがたい人間に生まれ、
聞き難い仏法を聞いた今、
果てしない迷いを解決して、永遠の幸福にならなければ、
いつ解決するというのか。
永遠のチャンスは今しかない。
何とかあなたも、生きている今、
この人間に生まれた目的を果たして、
決して後悔のないようにしなさいよ
、ということです。

では、どうすれば、迷いを解決して、
苦しみ迷いの輪廻を離れることができるかというと、
その迷いの根本原因を知らなければなりません。
それについては、メール講座と、電子書籍にまとめてあります。

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長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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