煩悩(ぼんのう)とは?

煩悩(ぼんのう)」というと、世間では、欲望のことだと思われています。
特に、お金や名誉の名利(みょうり)、男や女などの愛欲を求めて燃え盛っている心をイメージします。
しかし、仏教で教えられる煩悩は、それだけではありません。
一体どんなものなのでしょうか?

どんな人の人生にも苦しみが絶えない

私たちは幸せを求めて生きているのですが、意に反して、人生には、さまざまな苦しみがやってきます。

欲しいものがあるのに、お金がないので、我慢しないといけないこともあります。
仕事がうまく行かずに、プレッシャーや不安に押しつぶされそうになることもあります。
家族と意見が合わなくて、けんかになることもあります。
事故や病気で、体調を崩すときもあります。

私たちはなぜこのように苦しむのでしょうか?

私たちはなぜ苦しむのか

私たちは、自分が苦しんでいるのは、
「お金がないからだ」とか、
「仕事がうまく行かないからだ」とか、
「こんな人と結婚したからだ」とか、
「こんな子供を持ったからだ」とか、
「こんな病気を持っているからだ」と思います。

では、仕事がうまく行って、お金があって、家族がうまく行って、健康なら幸せかというと、やはり有無同然で、今までなかった苦しみ悩み、心配が起きてきます。

どんな環境にあっても、ものごとがうまく行っても、苦しみ悩みはなくならないことが知らされてくると、私たちを苦しめているのは、自分の外側にあるのではなく、内側にあるのではないか、と、自分の心に目が向いていきます。
では、自分の内側の、どんな心が、私たちを苦しめているのでしょうか?

私たちを苦しめている心

仏教では、私たちを苦しめる心を「煩悩」と教えられています。
この自らの煩悩が、自覚するとしないとにかかわらず、自らを苦しめ、悩ませているのです。

では「煩悩」とはどんなものでしょうか?

煩悩」とは、「」わせ「」ませるもの、と書きますように、私たちを苦しめ、悩ませる心です。

このことを、インドの高僧で、八宗の祖師と尊敬されている龍樹菩薩(ナーガールジュナ)は『大智度論(だいちどろん)』にこのように教えられています。
煩悩とは能く心をして煩わしめ能く悩みをなす、故に名づけて煩悩となす」(大智度論)

このように、煩悩とは、自分の心でありながら、自らを苦しめる心なのです。

では、煩悩の数は幾つくらいあるのでしょうか?

煩悩の数は?

煩悩に幾つあるのかというと、1つや2つではありません。

1人に108あります。
その108もの煩悩が、私たちを苦しめているのです。

大晦日に除夜の鐘を108つくのは、
「今年も一年間、煩悩に苦しめられてきたので、煩悩をなくして、来年は幸せな一年になるように」
という願いをこめて、お寺で108回鐘をついています。

しかし、そんなことくらいで煩悩はなくなりませんので、毎年煩悩に苦しめられ、大晦日に108回、除夜の鐘をつくことになります。

108の中で最も苦しめる3種類の煩悩・三毒

108ある煩悩の中でも、私たちを最も苦しめ、悩ませる煩悩を、「三毒の煩悩(さんどくのぼんのう)」といいます。

」といわれるのは、蜂に刺されたくらいなら、しばらくすれば治りますが、この三毒で相手の胸をさすと、
「もう絶対許せない!」
と一生忘れないくらいの猛毒です。

それが、「貪欲(とんよく)」、「瞋恚(しんい)」、「愚痴(ぐち)」の3つの煩悩です。

1.欲の心が苦しめる

貪欲」とは、欲の心です。

お金が欲しい、物が欲しい、あの人が好き、愛されたい、ほめられたい、認められたい、眠たい、楽がしたい、もっともっとと限りなく欲しがり続けます。

欲にはこれで満足したということがありません。

どれだけお金があっても、仕事がうまく行っても、もっともっとと欲しがり続け、目の前にぶら下がった人参を追いかける馬のように、欲の心に馳せ使われて苦しむのです。

好きな人、大切な人に愛されたいと思うから、愛が感じられなくて苦しむのです。

無限に欲しがり続ける欲の心が、思い通りにならないと、次の怒りの心が起きてきます。

2.怒りの心が苦しめる

次の「瞋恚」とは、怒りの心です。
欲の心が妨げられると、怒りの心が燃え上がります。

同僚の発言によって、自分の都合の悪い状況におかれると、腹が立ちます。

挨拶を無視されたり、メールを無視されたりすると、腹が立ちます。

遅刻しそうで急いで車を走らせているときに、信号が赤になると、腹が立ちます。

怒りの心は瞬間的に燃え上がりますので、気づかないうちに、人間関係も、いい話もすべて焼き払って、気づいたときには後悔にくれています。

どれだけお金があっても、仕事がうまく行っていても、家族の仲が良くても、怒りの心によって苦しめられます。

3.愚痴の心が苦しめる

愚痴」というのは、うらみやねたみの心です。

知り合いが、自分よりいい車やいいスマホを持っていると、うらやましくなって、自分もそれ以上のものが欲しくなります。

大学受験で志望校に落ちたとき、一緒に受験した友達だけ合格したら、ますます暗くなります。

同じ職場の友人や後輩が、自分より先に出世したときは、もちろん祝ってあげるのですが、内心は面白くありません。

一生懸命働いているのに、上司が自分を認めず、もっと遊んでいる人の肩を持つと、いついつまでも恨み続けます。

このような、三毒の煩悩によって私たちは日々苦しめられるのですが、煩悩は、まだあと105もあり、私たちを苦しめ続けます。

ではどうすればいいのでしょうか?

煩悩は消すことができる?

このような私たちを苦しめる心が煩悩であるならば、煩悩を消せれば苦しまなくてもよいのに、と思います。
ところが仏教では、私たち人間は「煩悩具足(ぼんのうぐそく)」と教えられています。

具足(ぐそく)」とは、それでできているということであり、これ以外にないということですから、煩悩100%ということです。

煩悩と人間の関係は、ちょうど、雪と雪だるまのようなものです。
雪だるまから雪をとったら何もなくなってしまうように、私たちから煩悩をとったら何もなくなってしまいます。
煩悩の塊ということです。
ですから、確かに煩悩を消せれば苦しまなくてもいいのですが、煩悩を消す方法はありません。

では、苦しみはなくならないのでしょうか。

ありのままで煩悩即菩提になるには?

仏教では、苦しみ悩みの原因は煩悩と教えられているのですが、苦しみ悩みの根本原因は、煩悩ではなく、別にあると教えられています。
その煩悩ではない苦悩の根元の心をなくせば、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」、煩悩あるがままで絶対の幸福になれるのです。

その苦悩の根元と、その苦悩の根元をなくす方法は、仏教の真髄ですので、メール講座と小冊子にまとめてあります。
今すぐご覧ください。

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