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生きる意味を、知ろう。

生きがいとは?「生きがいない」「生きがいが欲しい」人に向けて生きる意味を知る方法

「生きがいがありません。何を目標に生きたらいいのでしょうか?」
「毎日つまらなくて何のために生きているか、生きる意味が分かりません。
生きがいとは何でしょうか?」

世の中には何か不幸なことがあって、生きがいを失ったという人もあれば、
恵まれた生活を送っていても、毎日が同じことのくり返しで虚しく感じ、
生きがいが欲しい」と思うことがあります。

生きがいについて悩むのは年代に関係なく、10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代であっても生きがいを欲している人が大勢います。
誰もが生きがいに満ち、喜びにあふれた生き方をしたいと願っているのですが、なかなかそんな生き方をしている人は少ないのではないでしょうか。
それは、生きがいについて非常に誤解されているからです。

そこでこの記事では、
0. 生きがいとは?
1.生きがいがある人と、ない人の違い
2.生きがいの条件とは何か
3.具体例と本質
4.生きがいの見つけ方
5.失うとどうなるか
6.生きがいがあっても虚しく感じる時
7.生きがいが感じられない原因
8.生きる目的との違い
9.心からの満足を得る方法
という9つの側面から、生きがいについて詳しく解説します。

これで生きがいとはどんなものなのかよく分かると思いますが、
そこにはいい面も悪い面もありますので、
生きがいについて深く理解して、心から充実した人生を送るのに役立てて頂ければと思います。

0.生きがいとは

生きがいについてアンケートをとってみると、約45%の人が持っていないと回答しています。

生きがいとは、辞書によると以下のように書かれています。

生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと。

生きていることに意義・喜びを見いだして感じる、心の張りあい。

1.生きているだけのねうち。生きている意義。
2.生きていくはりあい。生きるめあて。

また、百科事典には以下のように出ています。

人生の意味や価値など,人の生を鼓舞し,その人の生を根拠づけるものを広く指す。〈生きていく上でのはりあい〉といった消極的な生きがいから,〈人生いかに生くべきか〉といった根源的な問いへの〈解〉としてのより積極的な生きがいに至るまで,広がりがある。

この内容だと少しむずかしいと思いますので、以下でわかりやすく説明いたします。

1.生きがいがない人とある人の違い

生きがいがない人とある人を比較してみましょう。

生きがいがない人

人生は、生きて行くだけでも大変です。
毎日仕事をして、生活していかなければなりません。
それなのに、何の生きがいもなく、
苦しいだけだったら、とても生きてはいけません。

何のために生きているのか分からなくなって、
自分は何のために生きているのだろう?
これでは何のために生きているのか分からない
という疑問が出てきます。

生きがいがないと、えてして人から必要とされていない感じがしてきます。
それでいて、生きがいがないまま、人と接する時に笑顔をし続けるのも疲れます。

楽しいことが何にもないので、心の隙間を埋めるためにどうしても他人に依存しがちになったりもします。
それで、生きがいを探して、充実した明るく楽しい人生にしようとするのです。

つまり、生きがいがないと、人生が楽しめませんし、生きる気力もわきません。
心の支えも感じられず、生きている必要のない人間のように思えてきます。

生きがいがないと?
  • 何のために生きているか分からない
  • 必要とされていない気がする
  • 楽しいことがない
  • 心に隙間を感じる
  • 生きる気力がわかない

生きがいがある人

ところが、生きがいがあれば、生きる気力に満ちた、明るく楽しく充実した人生になるのです。

「病は気から」ともいわれるように、生きがいの効果として、行動力や免疫力があがるなど健康面・肉体面でもプラスの効果があるのはよく知られています。
たとえば生きがいのある人は、笑顔が増えますので、体内のNK細胞(ナチュラルキラー細胞)が活性化し免疫力が向上するからです。

さらに、生きがいについてスペイン人のエクトル・ガルシアさんやフランセスク・ミラージェスさんたちが日本人が長寿である原因を研究して書いた『外国人が見つけた長寿ニッポン幸せの秘密 (IKIGAI)』という本に面白い分析があります。
それによれば、日本人、とりわけ沖縄の人が長寿なのは、食生活や文化など以上に、生きる喜びを持っていることが大きいといいます。
その生きる喜びの核心が生きがいだといいます。

このように、生きがいはぜひ必要なのですが、
では、生きがいとは何なのでしょうか?

2.生きがいの条件とは?

生きがい
生きがいの図

左の図は、マーク・ウィン氏による生きがいの図です。
生きがいはすでに"ikigai"として英語になり、海外でも研究されています。

それは、図のような得意で、好きで、必要とされ、儲かるという4つの要素の重なっている部分が生きがいだといいます。

この4つの中で、2つだけ重なった部分についてはこのようにいわれています。
得意で好き……情熱
好きで必要とされる……使命
必要とされ、儲かる……天職
得意で儲かる……専門職

さらに、3つだけ重なった部分はこうです。
得意で好きで必要とされるけど儲からない……喜びと満足があるけどお金がない
好きで必要とされ儲かるけど不得意……興奮するし充足感はあるけど確信できない
得意で儲かり必要とされるけど好きではない……心地よいけど虚しい
得意で好きで儲かるけど必要とされない……満足だけどお呼びでない空気感

これが得意で好きで必要とされ儲かると、4つとも満たされた時に生きがいになる、という生きがいの条件を提案しているものです。

マーク・ウィン氏の生きがいの条件
  • 得意
  • 好き
  • 必要とされる
  • 儲かる

では、具体的には、どんなことをみんな生きがいにしているでしょうか。

3.生きがいの具体例と本質

代表的な生きがいの具体例をあげてみます。

仕事

まずは仕事を生きがいとしている人が多くあります。

そして確かに、生きがいの分析にあるように、
自分の好きな仕事をしていたり、
得意なことでライバルといい勝負をして、
価値を生み出しているときは、
働きがいがあり、生きがいになります。

子どもの成長

また、儲かるのかどうかは分かりませんが、現実には、子供の成長を生きがいとしている人もたくさんあります。
子育てに大忙しでも、子供が成長していくのを喜びとして、
忙しいけど充実した毎日になるのです。

趣味(アニメや旅行など)

また、趣味を生きがいとしている人もあります。
好きなアニメを見たり、関連グッズをコレクションしたり、
犬や猫などのペットを生きがいとしたり、
年に一度の旅行を生きがいにしたりします。

また、好きな勉強や、
スポーツなどのトレーニングをして、
自分の向上を生きがいにしている人もあります。
今まではできなかったことができるようになるのが
楽しいのです。

人の役に立つこと

他にも「人の役に立つこと」を生きがいとしている人もあります。
それによって感謝されることを楽しみとしています。
どんなに人の役に立っていても、感謝もされず、
単に利用されるだけでは生きがいは感じられません。
やはり、他人に貢献して、感謝されたり評価されることが
楽しみなのです。

その他の生きがい

仕事が終わった後の晩酌が楽しみで働いているという人は
晩酌が生きがいですし、
中には「寝ること」が生きがいだという人もあります。

ちなみに、平成8年の内閣府の高齢者向けの調査では以下のようなアンケート結果が出ています。

生きがいを感じる時
出典:内閣府調査:10 生きがいを感じる時

上記の4つ以外にも、雑談やおいしい物を食べる、家族との交流などが見られます。

生きがいの本質

確かに4つの条件が満たされれば一番いいかもしれませんが、やはり価値観は人それぞれですのので、自分が楽しいと感じるものが生きがいです。

つまり、生きがいの本質は、楽しみが得られるということです。

価値観は人それぞれ違いますから、
何を楽しいと感じるかも人それぞれ違います。

何を楽しみとするかは人それぞれですが、
自覚するかどうかは別として、必ず生きがいを持っています。
その楽しみを目標として、生きる力がわいてくるようなものが生きがいです。

4.生きがいの見つけ方

では、どうすれば生きがいを探し、見つけることができるのでしょうか?

それは、このマーク・ウィン氏の図で考えるのが一番分かりやすいと思います。

生きがい

すでにこの4つの条件を教えてくれていますので、自分にとってその4つを満たすものを探せばいいのです。

その4つの条件というのは、以下の4つです。

生きがいの条件
  • 得意
  • 好き
  • 必要とされる
  • 儲かる

先ほどの具体例を参考に、この4つをリストアップしていきます。
それを組み合わせたりして、全部満たすものができあがれば、それで見つかります。

特に最初の2つの、自分が何を得意で好きなのかは、人それぞれです。
他人に合わせる必要はありません。
今知っている範囲でなかなか見当たらなくても、世の中には自分の知らないことはいくらでもあります。
色々探しているうちに必ず見つかります。
そうはいっても、普通はこういうことを知らずに、生きがいが見つかっていない人もたくさんあります。
見つかったらラッキーくらいの気持ちで、見つかるまで諦めずに探してみてください。

その上で、ここから先は、さらに生きがいの本質的な問題に入って行きます。

5.生きがいを失うと?

ところが、この生きがいは、
何かの拍子に失うことがあります。
生きがいを失うと大変な真っ暗な気分になります。

例えば、仕事を生きがいとしていた人が、
仕事に失敗して、仕事を失うと、
お先真っ暗になります。

野球を生きがいにしていた人が、
怪我をして野球ができなくなってしまうと、
人生真っ暗になります。

恋愛を生きがいにしていた人が、
相手がだんだん冷めていって、
ふられてしまうと、
人生終わったかと思います。

子供の成長を生きがいとしていたのに、
子供が事故や病気で死んでしまうと、
救いようのない真っ暗になってしまいます。

心が暗くなる理由

それというのも、私たちは、
生きがいを「心の明かり」として生きているからです。

生きがいが必要だということは、それだけもともと心は暗いということです。
このことをフランスの哲学者・パスカルはこのように言っています。

パスカルパスカル

もし人間が幸福であったら、聖者や神のように、
気を紛らすことが少なければ少ないほど、それだけ幸福であろう。

(出典:パスカル『パンセ』

もともとの心が暗くてつまらないから、
それを何とか明るくしようとして、
楽しいと感じるものを心の明かりとしているのです。

ですから、一時的に、大きい心の明かりが3つなくなると
人は自殺してしまうとも言われます。
例えば、仕事を失って、離婚して、子供を失うと、
生きがいが感じられず、死にたくなります。

ところが、生きがいがあるのに、
どうも虚しいという人もあります。

6.なぜか生きがいが感じられない時

例えば漢の武帝という人は、
歓楽尽きて哀情多し
と言っています。

どんちゃん騒ぎをした後は、
急に虚しい気持ちに襲われますが、
昔の中国の皇帝も、やはり虚しさを感じています。

また、松尾芭蕉は、
おもしろうて やがて悲しき 鵜飼かな
という句を詠んでいます。

岐阜県の長良川には、鵜という鳥を使って魚をとる
鵜飼いという人がいます。
それは岐阜の夏の風物詩でとても楽しいのですが、
終わるとあたりは静まり返って、
漆黒の闇が広がります。

楽しみの絶頂にあっても、
何か虚しい心が広がってくるのです。
これはどうしてなのでしょうか?

7.生きがいが感じられない原因

なぜ、色々な楽しみを持っているようでいて、
心から充実した人生にならないのでしょうか?

それは、生きがいは一時的で、続かないからです。

ノーベル賞を受賞したバートランド・ラッセルは、
幸福論』にこう言っています。

ラッセルラッセル

趣味や生き甲斐は、多くの場合、いや、おそらく十中八、九まで
根本的な幸福の源泉ではなくして、むしろ現実からの逃避の方法である。

(出典:ラッセル『幸福論』

このような一時的な現実逃避の生きがいというものは、
ちょうど打ち上げ花火のようなものです。
夜、打ち上げ花火をあげると、ヒューッと登って行って、
バーンと花開いたときは明るくなりますが、
すぐにパラパラパラと散って消えてしまいます。

何をするにしても、楽しさは一時的なので、
すぐにもっと楽しみを求めなければなりません。

次の打ち上げ花火をあげるようなものです。
ヒューッとあがっていって、バーンと破裂したときは
明るくなるのですが、またすぐパラパラと散って消えてしまいます。

すぐ暗くなるので、
ヒュー、ヒュヒュヒュヒューと連発して打ち上げると、
バーン、ババババーンと明るくなりますが、
やはり打ち上げ終わると、すぐに暗くなってしまいます。

お釈迦さまのお言葉

このように、楽しみが続かないことを、
お釈迦さまは、こう教えられています。

たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。
「快楽の味は短くて苦痛である」としるのが賢者である。

これは、苦しみの新しい間を楽しみといい、
楽しみの古くなったのを苦しみという、ということです。

ですから、どんなに生きがいに努力しても、
原理的に心からの満足を得ることはできないのです。

8.生きがいと生きる目的(意味)との違い

たまに、生きがいと生きる目的(意味)を同一視している人がありますが、それは誤解です。
生きる目的は、人間に生まれた目的であり、人生これ一つというものですので、
生きがいのように、一時的で、心からの満足が得られないものは、生きる目的にはなりません。

このことを、長年ハンセン病患者に寄り添い、生きがいの研究を行った精神科医、神谷美恵子氏は、『生きがいについて』の中でこう述べています。

一つの目標が到達されてしまうと、無目的の空虚さを恐れるかのように、大急ぎで次の目標を立てる。
結局、ひとは無限のかなたにある目標を追っているのだともいえよう。
(出典:神谷美恵子『生きがいについて』

このように、その時その時の目標は、達成されると楽しみが続かないので、次の目標が必要になります。
これが生きがいの特徴で、無限に追い続けなければなりません。
そういうものは、生きる目的とはいえません。
生きがいは、生きる目的と違って達成がなく、果てしなく追い続けるだけです。
そのため、その時は生きる力が湧きますが、どこまで行っても果てしがないので、心からの安心も満足もないのです。

生きる目的については以下の記事に詳しく解説してあります。
生きる目的が見つからない、わからない、見失うとき、仏教の方法

9.心からの満足を得る方法

生きがいは一時的な明かりに過ぎません。
それはなぜかというと、問題は心の闇にあります。

心に太陽が出て、昼のようになれば、
生きがいの有る無しにかかわらず、
大安心大満足の幸せになれます。

仏教では、一時的な心の明かりではなく、
そのような根本的な解決を目的としています。

では、心の闇とはどんなもので、どのようにすれば、
心の闇が晴れるのでしょうか?
それは仏教の真髄なのですが、分かりやすく
電子書籍とメール講座にまとめておきました。
一度目を通しておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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