自殺は地獄行き?仏教は自殺防止の教え

自殺は深刻な社会問題の一つで、世界で年間100万人を超えています。
日本でも1988年に3万人を超え、一時は年間3万4千人に達しました。
日本の自殺率は、世界平均よりもかなり多く、今でも1日に50人以上の人が、自殺によって自ら命を絶っています。
人はなぜ自殺するのでしょうか。
そして仏教では、自殺についてどのように教えられているのでしょうか?

この記事では、
・日本の自殺が起きる時期、自殺の原因
・世間で自殺を論ずる基準
・自殺を止められたお釈迦さまの物語
・自殺したら死後の世界はどうなる?
・お釈迦さまは自殺を容認された?
・お釈迦さまが自殺を禁じられた経典上の根拠
・死ぬまでにしておくべきただ1つのこと
について分かりやすく解説します。

自殺の原因

日本で自殺する人の特徴は、40〜50代が多く、
自殺率は女性より男性のほうが高くなっています。

自殺のリスクが高まる時間帯は、統計では
中学生と高校生は2学期の始まる9月1日がダントツで多く、
仕事のある中高年男性は月曜日の朝に集中しています。
これはおそらく学校や仕事の悩みでしょう。
もっと上の退職後の世代では、男女とも昼間が多くなります。

なぜ自殺するのかという自殺の原因は、
統計上、多いほうからこうなっています。

自殺の原因
  1. 病気
  2. お金の問題(失業・倒産・借金など)
  3. 家庭の人間関係
  4. 職場の人間関係

これらの組み合わせもありますので、
仕事で失敗して首になり、生活が苦しくなって奥さんに責められ、
うつ病になって自殺するということもあります。

自殺の対策としては、こうした統計調査の結果から、
上記の悩みのある人に対して、
自殺のリスクが高まる9月1日や月曜朝にサポートする、
と考えがちですが、それは表面的な対症療法に過ぎません。
根底には、もっと根深い原因があるのです。

自殺の間違った対策

例えば、ある小学校で自殺する子供がたくさん出ました。
その時、校長先生は、自殺の対策を聞かれたインタビューで、
うちの学校の屋上のフェンスが低かったのでたくさんの子供が自殺してしまいました。
急きょフェンスを高くしましたのでもう安心です

こう言って、多くの人からひんしゅくを買いました。

それというのも、子供たちは、屋上のフェンスが登れなければ、別のところから飛び降りるかもしれません。
別の方法を使うかもしれません。
屋上のフェンスが低いことは、自殺の原因ではなく、自殺のきっかけに過ぎないからです。

ある大学では、自殺者が多くなった原因を調査しました。
その結果、「自分は必要とされていない」と思って死んで行く人が多いと分かりました。
そこで、大学側がハムスターを無料で学生に提供することにしたところ、希望者が相当あって、あっと言う間になくなりました。
そして受け取った学生は、ハムスターを世話することを通して自分の存在意義を確認することができ、自殺は少し減ったといいます。

これはフェンスを高くするよりはいい対策ですが、やはり一時的な対症療法です。
ハムスターに必要とされて存在意義が見いだせるとすれば、ハムスターが死ねば、また存在意義がなくなってしまいます。
一時しのぎの対策ではなく、もっと根本的な解決が望まれます。

自殺の原因というのは、上記の統計で見られるように、病気やお金の問題、人間関係など、色々あります。
これらに共通するのは、苦しいことです。

自殺する人に共通していえるのは
人生に起きてくる様々な苦しみにすっかり気落ちしてしまって、
将来に明かりも見えず、周りの人も冷たく、
これ以上生きていても仕方ない
こんなに苦しいのならい死んだほうがましだ
という理由が自殺を引き起こしてしまうのです。

自殺する人に共通する本質的な原因

自殺対策として政府は、
誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現
を目指して、
生きることの包括的な支援」をするといいます。
これは生きることを応援するということなので、
とにかく頑張って生きよ」ということです。

人生には、どんな人でも苦しいことは色々やってくるもので、
苦しいことが何もなくなることはありませんので、
このまま生きているのは苦しいだけだから、死んだほうがまし」という人に、ただ
応援するから頑張って一生懸命生きよ」というだけでは、
もっと苦しめ」ということになりかねません。

自殺する人は、苦しいことが1つや2つやってきて、その日に即日自殺するわけではなく、大きな苦しみが幾つもやってきて、ずっと悩んでいます。
一日じゅう悩み続けて、夜寝ている間も悩み続けて、この先生きていても特に何もよくならないと感じてお先真っ暗になります。
それで死んだほうがましだと思って自殺してしまうのです。
つまり、色々な苦しいことがあって、それが将来も続いて行く中で、生きなければならない理由が分からないところに自殺の本当の原因があるのです。
つまり生きる意味が分からないことに自殺の原因がありますから、自殺対策には、生きる意味が必要なのです。

世間で自殺を論ずる基準は善悪

世間では、自殺について
自殺は」とか、
自殺はだと思えない」とか、
自殺を善悪で論じます。

自殺を善悪で論じるのはもともとキリスト教の考え方です。
キリスト教では、命は神から与えられたものと思っていますから、
から与えられた命を自ら断ち切るのは、
に対する反逆です。
それで、キリスト教では自殺はなのです。

しかし法律では自殺はだとは定められていません。
それは、山の中で静かに首を吊って死んでも、
誰にも迷惑をかけないからです。

仏教を説かれたお釈迦さまも、
自殺を善悪では論じておられません。
では、お釈迦さまは、自殺について
どのように教えられているでしょうか?

自殺を止められたお釈迦さま

あるときお釈迦さまが托鉢からお帰りになる途中、
ガンジス河のほとりで、20歳くらいの女性が、
身投げをするつもりと見えて、小石を拾って服に入れ、
うつろな目をしてゆるゆるとガンジス河の岸辺のほうへ
近づいているのをご覧になられました。

近寄られたお釈迦さまは、その女性を制止され、
生は難く、死は易し。
一日でも長く生きたいと思うのが世の常なのに、
たまたま生まれ難い人間界に生を受けながら、
なぜそなたは身投げをしようとするのか」
とやさしく尋ねられました。

やがてその女性が言うには、
「実にお恥ずかしいことですが、
私は両親に隠して、ある男の人と付き合っていたのですが、
結婚していないのに、子供を授かってしまいました。
2〜3カ月は隠し通していたのですが、
今となってはもう隠すに隠せなくなりました。
その男に相談したところ、
世話してやろうとは言いませんでした。

親兄弟に責められて、あまりに辛くてたまりません。
いっそ身を投げて死んだらこの苦しみから逃れられるかと思いまして、
死ぬ覚悟を決めたのです。
ですが考えてみると、1人の命ではなくて、2人の命です。
この上なく悲しいのですが、
親にも責められ、近所の人や友達にも悪いが立って、
これ以上は生きていけません。
もう身を投げますので、このまま死なせてくださいませ」

一部始終をお聞きになられたお釈迦さまは、
「なるほど今の話を聞いてみれば、事情はよく分かった。
そなたの小さい心から、いっそ死のうと決心したというのも無理はないが、
一つの昔話があるからこれを聞くがよい。

牛のたとえ

あるところに、毎日毎日重荷を引いて、
山坂を越えなければならない牛がいた。
あまりの辛さにその牛は、
この車さえなければ、重荷を持つこともないだろう
 何とかこの車を壊してしまいたいものだ

と常々思っていた。
ある日、意を決した牛は、下り坂のときに
岩の角へ車をゴツンとあてて、壊してしまった。

それからというもの、20日間ほどは、
車がないから重荷もつけられず、牛部屋につながれた牛は、
こんな気楽なことになるとは、これはうまいことをした
と喜んでいた。

ところがそこの主人は、
そうそう遊ばせてもおれないので、やがて新しい車を作ってきた。
それも、こんな乱暴な牛では、普通の車ではまた壊されると思って、
荷台も車も何もかも鋼鉄製だった。

荷物を積む前から、以前の車に荷物を積んだよりもはるかに重い。
そこに重荷を積んで歩くのだから、到底堪えられるものではない。
歩くのも遅くなって、ムチで叩かると、体中から血が流れ出す。
牛は、「ああ愚かなことをした、こんなことなら
やっぱりもとの車のほうがましだった。
ああバカだった、バカだった
……」
と深く後悔したのだ。

今、そなたの身の上もちょうどこの牛と同じである。
恋人に捨てられ、親に責められて、
いっそ死んでしまったら、それは車を壊したようなものだ。
未来はそれよりももっと恐ろしい火の車があるから、
そのとき後悔しても、もう二度と人間に戻ることはできないのだ。
よくよく思案するがよい」

それを聞いた女は驚いて、これまでの心得違いを反省して、
仏教を聞くようになり、幸せになったと
お経に説かれています。

自殺する人の死後についての思い込み

自殺する人は、「こんなに苦しいなら死んだほうがまし」と思っています。
ということは、死ぬ時は苦しいかもしれないけど、死んだ後は苦しみはないだろうと思っています。

日本人に死後はどうなると思うか尋ねたアンケートでは、
3割の人が死んだら無になると考えているので、
その人たちは、死んだ後は苦しみはないと思っていると思います。

ところが残りの7割の人はわからないか、何かの次の世界があると考えています。
多数派の人にとっては、死んだら苦しみがなくなるとはいえないのです。

科学的にも、死んだら無になるとは言えません。
普通、死んだらどうなるかは誰も根拠を出せないので、
実は「死んだほうがまし」というのは思い込みで、
死んだらどうなるかは分からないというのが本当ではないでしょうか。

もしそうだとすれば、この扉の向こうに行くと
何があるか分からないけれども、
二度と戻ってくることはできないという扉があった時、
その扉の向こうに行くのは
極めてハイリスクです。

では、自殺したら、死後はどうなるのでしょうか?

死んだらどうなるかは知ることができる?

死後の世界を知る手がかりが、因果律です。
仏教では「すべての結果には必ず原因がある」という因果の道理を根幹としています。
仏教の教えのすべては因果の道理に立脚して教えられているということです。

この「すべての結果には必ず原因がある」ということを認めれば、
この世に生まれたというのも結果ですので、その原因が必ず生まれる前にあります。
普通、現代人の場合、「それはDNAが原因ではないか」と多くの人は思うのですが、
実は現代科学では、脳神経とそこを伝わる電気信号で心を生み出すことはできません。
例えばパソコンをどんなに複雑にしても心は作れないということです。

ですから、心が生じるということは、
DNAのような物質的な原因以外に
何か心の原因となるものがあります。

その原因を仏教では、過去世の心だと教えられています。

過去世があるとすれば、
過去世からみたら現在世は未来世になりますので、
現在世からみて未来世もあることになります。

死ねば肉体も土にかえったり色々な状態に変化しながら続いて行きますし、
心も変化しながら次の世界へ旅立って行きます。
では自殺したらどうなるのでしょうか?

自殺したら死後の世界はどうなる?

仏教では、自殺に限らず、死んだら、それまでの行いによって、
因果応報で、死んだ後の行き先が決まります。

ところが生き物を殺す殺生罪を生涯に一回でも造っていれば、
その結果は地獄行きとなります。

ですから自殺する人が、今までに魚を食べたことがあるとか、
虫けら一匹でも殺したことがあれば、死ぬと地獄へ堕ちて行くのです。

ですから『涅槃経』には、こう教えられています。

人趣に生まるるものは、爪の上の土のごとし。
三途に堕つるものは、十方の土のごとし。

これは、人間に生まれる人を爪の上の砂の数くらいだとすれば、
人間よりはるかに苦しい地獄餓鬼畜生の三つの迷いの世界に堕ちる人は、
大宇宙の砂の数のように多い、ということです。
3つの迷いの世界でも一番多いのは地獄です。
自殺をすればリセットしてもう一度ゼロから人間をやり直せるのではありません。
これではもう二度と人間に生まれられることはないでしょう。

それにもかかわらず自殺するのは
真っ赤な焼火箸を平気で握りにゆく赤ちゃんのようなもので、
無知ということです。
ことわざで言えば「飛んで火に入る夏の虫」と同じですから、
仏教では自殺は愚かなことだと教えられているのです。

お釈迦さまが自殺を容認された?

まれに「お釈迦さまは自殺を容認された、止められなかった
などと主張する人がありますが、
それは、すでに仏教を聞いてさとりを開き
死ねば涅槃に入るような人が、自ら死期をさとり、
「これから涅槃に入ります」と言っただけです。
それはお釈迦さまも分かりますので、止めるも容認するもありません。

それを明確にせずに、すべての人に対して
自殺を止められなかったように主張するのは、
仏教の教えの理解が浅いだけで、悪意はないでしょうが、
あまり仏教を知らずにそんなことを言っていると、
多くの人を混乱させ、自殺する人を増やしてしまうのでよくありません。

お釈迦さまは、自殺を禁じられたことが、戒律の由来を記された『根本説一切有部毘奈耶』や『鼻奈耶』に伝えられています。

お釈迦さまの自殺と自殺幇助の禁止

お釈迦さまはある時、「不浄観」を説かれたことがありました。
私たちは、この世にきよらかなものがあると思っていますが、それは迷いであって、真実は不浄である、ということです。

例えば、どんなにきれいな人がいても、一皮むけばウミ血が流れており、それをきれいだと思う人はありません。
どんなハンサムな人もレントゲンをとれば、骨の連鎖です。
唾を吐いて、それを飲んで下さいと言われても、自分のであっても飲めません。
誰もが共通して、そのようなものでできているのが人間なのです。
また、心の中もきれいな心があるように思っていますが、実際には人に言えないような悪いことばかり思っています
みんなきよらかなものがあると思っているのですが、トイレの中にいると鼻がバカになって臭いと感じなくなるようなもので、実際には不浄なのです。

このお釈迦さまの説かれた不浄観を聞き誤って、修行していたお弟子が、極端に自分の肉体を嫌うようになり、自殺しようと決心しました。
あるお弟子は、自ら刀で自殺し、
あるお弟子は、毒薬を飲んで服毒自殺をし、
あるお弟子は、首に縄をかけて首つり自殺をし、
あるお弟子は、高い崖から飛び降りて飛び降り自殺しました。

その中でもあるお弟子は、ある他のお弟子がもともと猟師だったことを思い出して、殺してくれるようたのみます。
快く引き受けたそのお弟子は、刀で斬り殺してしまいました。
その刀を川で洗っていると、どこからともなく
お前は実に立派なことをした。
涅槃に入りたくても入れなかったお弟子を涅槃に入れてやったのだ

と悪魔の声がしました。
それを聞いて自分は善いことをしたと思い込んだそのお弟子は、他のお弟子にも希望者を募ります。
すると、不浄観を勘違いして、肉体を嫌いになっていたお弟子たちが次々と「この命を断ってくれ」と希望します。
こうして60人が刀の露と消えていきました。

やがて次のお釈迦さまのご説法の日になると、いつもより参詣者がだいぶ減っています。
お釈迦さまが、
どうして今日はこんなに少ないのか
と聞かれると、阿難は、
不浄観を聞き誤ったお弟子が、自ら命を断ってしまったのです
と答えます。
それを聞かれたお釈迦さまは、お弟子を集めてこう尋ねられました。
お前たちは、みんなが死んで行くのを放っておいたのか
はい、おっしゃる通りです。
自ら死にたいという人を引き留めるのもどうかと思いました

それを聞かれたお釈迦さまは強い口調でこう言われます。
お前たちのしたことは、出家にあるまじきことであり、仏教にかなわない。
まったく不浄なことである。
明らかに聞くがよい。
本日ただ今をもって戒律を定める。
仏の教えを聞く者は、自殺してはならない。
人に刀を与えて自殺を助長してはならない。
罪深い肉体に何の価値があるかと間違った不浄観によって死を勧めたり、人を死に至らしめた者は教団を追放する

このように、お釈迦さまは、自殺も、自殺幇助も固く禁じられているのです。
仏教は人間に生まれたときしか聞けませんから、仏教が大事であればあるほど、肉体の健康が大事なのです。

もちろん最初に出てきたように、お弟子以外の、まだ「仏教を聞いていない人」に対しても、
もちろん自殺を止めておられます。
現代の自殺をしようという人は、
ほとんどが仏教を聞いてさとりを開いた人ではないでしょうから、
死んだら大変なことになります。
もしあなたがお釈迦さまに自殺の相談をすれば、
お釈迦さまはもちろん自殺を止められるでしょう。

死ぬまでにしておくべきただ1つのこと

それというのも、お釈迦さまは、
天上天下唯我独尊」といわれています。
(この意味については、以下の記事にも詳しく解説してあります。
唯我独尊的な人は謙虚?天上天下唯我独尊の本当の意味

ですが、一言でいうと、大宇宙広しといえども、人間に生まれたときにしか果たせない尊い目的がある、
ということです。
それを果たすことが本当の生きる意味なのです。

それは、生まれ変わり死に変わり輪廻転生する、果てしない苦しみ迷いから離れることですから、
仏教を聞いて、その迷いの根本原因さえ断ち切れば、
自殺しても地獄に堕ちません。
死ぬと同時に悟りの世界である浄土に生まれます。

ところが仏教は人間に生まれたときしか聞けませんから、
お釈迦さまはこのように教えられています。

人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん。

生まれがたい人間に生まれ、
聞きがたい仏教を聞けたときにしか、
迷いの根本原因を絶ちきることはできません。
今生にそれを果たさなければ、いつ果たすというのか。

だから、
仏教を聞いて、輪廻転生の根本原因を断ち切るまでは、
どんなに苦しくても生き抜きなさいよ

と教えられたのがお釈迦さまです。

輪廻転生の根本原因については、
以下の電子書籍とメール講座にまとめてありますから、
もし自殺をされる場合には、
その前に迷いの根本原因は何かを知って、
必ず断ち切っておいてください。

目次(記事一覧)へ

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

著作