「現代人の仏教教養講座」

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生きる意味を、知ろう。

人生は無常

「人生は無常というけれど、それが分かったところでどうすればいいのか」
「はかないですね、で終わってしまう」

人生無常」という言葉があります。
意味は誰でも分かります。
ところが、分かった後にどうすればいいのかは、どこにも書いてありません。

大切な人を見送った時、
当たり前だった毎日が、ある日から変わってしまった時。
なるほど人生は無常だ、と思ったのではないでしょうか。

ところが、その先が続きません。

そういうものだ
みんな同じだ
そう言われても、失ったものは戻ってきません。

それどころか、無常だと分かるほど、不安のほうが大きくなっていく気がします。

ではなぜ、無常だと不安になるのでしょうか?
そして仏教では、無常の先に何が説かれているのでしょうか。

「人生は無常」とはどういうことか

無常」とは、常が無い、と書きます。
続かないということです。

この世のすべてが続かない、移り変わっていく。
それを、お釈迦さまはこう説かれています。

外事げじ荘彩しょうさいことごとに帰し
内身ないしん衰変すいへんもまた同じくしか
ただ勝法しょうぼうのみ滅亡めつもう有ること無し
もろもろの智ある人はまさに善く察すべし

(漢文:外事荘彩咸帰壊 内身衰変亦同然 唯有勝法不滅亡 諸有智人応善察)

外側をかざっているものは、どれも最後は壊れてしまう。
自分自身が衰えていくのも、また同じである。
ただ1つ、勝れた法だけは、滅びることがない。
智慧ちえのある人は、よくよくこのことを見極めよ。
という意味です。

前半の2行と、後半の2行で、言われていることが反対になっています。

前半は、外のものも、自分自身も、変わっていくということ。
後半は、それでもなお、滅びないものが1つある、ということです。

人生は無常」というのは、まだ前半だけです。

なお「人生は諸行無常」ともいわれることがあります。
人生で出会うものは、諸行無常なのだ、ということですが、
諸行無常」という言葉そのものの意味や、
仏教全体の中での位置づけについては、以下の記事で解説しています。
「諸行無常の響きあり」の意味と仏教が教える無常の真実

では、私たちの人生に無常はどんな影響を与えるのでしょうか。

外のものは壊れていく

まず、お経の前半にあった「外事げじ荘彩しょうさい」とは、外側のかざりのことですが、
まず外にあるものから説かれています。

築いたものは崩れる

形あるものが壊れるのは、誰でも知っています。
ところが、壊れるのは形のあるものだけではありません。

一生かけて築いた信用も、
をついたりするのは論外だとしても、
たった一度の失敗で崩れます。
何年もかけて覚えた技術が、機械や人工知能に置き換えられていきます。
一生ものだと思っていた仕事が、10年で通用しなくなることもあります。

変わり方に、大小の違いはあります。

火山が噴火して、一晩で景色が変わってしまうこともあれば、
小さい頃に見慣れた街並みが、久しぶりに帰ってみると、
いつの間にか別の街になっていることもあります。
速いか遅いかの違いだけで、止まっているものは1つもありません。
すべては移り変わっていきます。

家を買った人が、ローンを払い終わるのは50を過ぎた頃です。
やっと自分のものになったと思った時には、家のほうが古くなっています。

人との関係も変わっていく

大切な人と別れるのが苦しいのは、言うまでもありません。
ところが変わっていくのは、別れる時だけではありません。

うまくいっている関係が、そのまま続くでしょうか。
半年も経てば、少しは変わります。
たった一言で、大きく変わってしまうこともあります。

子供を1人育てるのに、3,000万円かかるといわれます。
それだけのものを、見返りなしに渡せる相手は、そう多くありません。
ところがその子も、いつの間にか口をきかなくなり、家を出ていきます。

相手が変わってしまったからだ、と思いがちです。
ですが、変わっているのは相手だけでしょうか。

変わっていくのは自分の心も同じ

外にあるものが変わるのは、まだ分かります。
お経には、2番目に、内側も外側と同じように衰え、変わっていくと説かれています。
中でも一番見落とされているのは、自分の心です。
思い当たることはないでしょうか。

お店で見かけた時は、どうしても欲しかった。
ところが買って帰ると、2回ほど使って、そのままになっている。

通販で注文する時は、あれほど気になっていた。
ところが数日して届いた時には、何を頼んだのかすぐに思い出せない。

欲しかったのは本当です。
届くまでの間に、心のほうが動いてしまっただけです。

もっと大きなことでも、同じことが起きます。

結婚して驚くことの1つに、こういう話があります。
結婚するまでは、一番好きだった人が、
いつの間にか、一番腹の立つ相手になっている。

あの頃は「この人さえいれば、他に何もいらない」と思っていたはずです。
その気持ちに、嘘があったわけではありません。
心のほうが、変わってしまっただけです。

手に入れるまでは、夢中になります。
手に入れた瞬間から、冷めていきます。

これは、意志が弱いということではありません。
どんなに固い決心も、何年も同じ強さのまま続いた人はありません。
元日に立てた誓いが、2月にはどこにも残っていないのと同じです。

先ほどのお経に「内身の衰変も亦た同じく然り」とあったのは、体のことだけではありません。
変わっていくものを、変わっていく心で追いかけている。
これが、無常の人生を生きる私たちの姿です。

「今を大切に」で解決するのか

人生は無常だ」といえば、大抵その次にこう続きます。
だから、今を大切に
だから、1日1日を丁寧に

もっともなことです。
ところが、大切にしているその1日も、無常です。

どんなに丁寧に過ごした日も、過ぎれば戻ってきません。
今日という日を大切にするというのは、
やがて手から離れていくものを、もっと強く握る、ということです。

握る力が強いほど、離れる時は痛みます。

今を大切に」で気持ちが落ち着くのは、
まだ大切なものが、手の中にあるうちだけです。

なぜ無常だと不安になるのか

ここまで来ると、不安の正体が見えてきます。

私たちは、今の状態が続く前提で予定を立てています。
来年も同じ会社にいて、同じ家族がいて、同じ体が動く。
そう思って、来月の約束をし、何十年ものローンを組みます。
ところが、その前提だけは、一度も保証されたことがありません。

そして誰でも、何かを心の支えにして生きています。
家族であったり、仕事であったり、健康であったり、貯えであったり。

ところが、心の支えにしているものは、すべて無常です。
頼りにした瞬間から、それは崩れ始めています。

頭では続くつもりでいながら、腹の底では、いつか裏切られると知っている。
だから、まだ失っていないうちから不安になります。

ある女性が、結婚式の日にこう言っていたそうです。
こんなステキな人と結婚できて、幸せ過ぎて怖い

幸せの絶頂のはずなのに、なぜ怖いのでしょうか。

山の頂上に立った人を思い浮かべてみてください。
そこから先は、どちらへ進んでも下りです。
一番高いところに立った時に、
最も落ちることが見えてしまうわけです。

信じなければ、支えがありません。
信じれば、いつか裏切られます。
無常の世界で何かを頼りにするというのは、こういうことです。

変化が速まるほど不安は大きくなる

しかも今は、その変化の速さが上がり続けています。

縄文時代は、1万年以上ほとんど同じような暮らしが続きました。
稲作が始まってからも、千年ほどは同じような生活です。

ところがこの100年の変化は、その1万年よりも大きいのではないでしょうか。

歩くしかなかったのが、車や飛行機で移動するようになり、
新聞が届くのを待っていたのが、手元の画面で世界中の出来事を見ています。

仕事の世界も変わりました。
長く勤めれば収入が増えていく時代から、
結果を出し続けなければ追い抜かれる時代になりました。
何か成果を出しても、喜べるのは一時です。

立ち止まれば置いていかれますから、走り続けるしかありません。
会社も同じで、今どんなに繁盛していても、
少し気を抜けば時代遅れになります。

暮らしのほうも、便利になったはずなのに、
忙しさは減っていません。
連絡がすぐ届くようになった分、すぐに返さなければならなくなりました。

技術が進んできたのは、もともと安心して暮らすためでした。
ところが変化が速まるほど、今の状態もすぐに変わりますから、
不安はかえって大きくなっています。
安心を求める努力が、そのまま不安を大きくしているわけです。

どこまで走れば、終わるのか。
どんどん加速して変わり続け、
死ぬまでゴールはありません。

そして最後は、必ず死んでいきます。
無常」には、死という意味があります。
それは、多くの人が見落としていることですが、
人生に最も大きな影響を与えるのが死だからです。

人生は無常だ」といった時、
人生はどんどん変わっていくとか、
幸せは続かないという程度では、まだ本質が分かったとはいえません。
浅い理解です。
必ず死ななければならない」というのが、
人生は無常」の本質的な意味なのです。

ただ1つ滅びないもの

人生は無常だ」で止まってしまえば、残るのは絶望だけです。
続かないものばかりの中で、続くものを探して走り続けるしかなくなります。

ところが、先ほどのお経には、後半がありました。

「ただ勝法しょうぼうのみ滅亡めつもう有ること無し」

ただ1つ、滅びないものがある、と説かれています。
勝法しょうぼう」とは、勝れた法ということで、
それを説かれたのが仏教です。

昔から人は、変わらないものを探してきました。
財産に求め、地位に求め、愛する人に求め、健康に求めてきた。
ところがどれも、手に入れた途端に変わり始めます。
自分の力で築いたものは、自分の力では守り切れません。

ここで、誤解されやすいことがあります。
仏教を聞けば、変化が止まるのでしょうか。
心が動かなくなるのでしょうか。

そうではありません。
世間でよくある宗教は、信じれば病気が治る、お金が入る、心が安らぐといいます。
仮にそうなったとしても、その状態もまた無常です。
すぐに別の心配が起きてきて、最後は老いと病と死で崩れます。
無常なものを、無常なもので支えようとしているからです。

仏教で説かれているのは、そういうことではなくて
お金がないならないまま、病気なら病気のまま、
変わり通しのまま、変わらない安心が得られるのです。
だから、死が来ても崩れません。

心が動かなくなるのではなく、動いたまま、それがさわりになりません。
無常が、無常のままで、不安の材料ではなくなります。

今持っているものを1つも手放さずに、そのまま出られる世界です。
しかも、死んでからのことではありません。
変わり通しのこの人生の上で、生きている今、はっきりすると説かれています。

これを仏教では「無碍むげ一道いちどう」と教えられます。
では、どうすればその世界へ出られるのでしょうか。

仏教では、私たちを苦しませ、悩ませている
苦しみの根本原因があると教えられています。
そんな「苦悩の根元」が断ち切られた時、
無碍の一道の世界へ出ることができます。

では、その苦悩の根元とは何なのか、
それが、どうすればなくなるのか。
それについては、仏教の真髄ですので、
メール講座と、電子書籍にまとめてあります。
一度見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細お問い合わせ

X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。