欲望の対処方法
欲望とは、欲しがる心です。
お金が欲しい、物が欲しい、
美味しいものが食べたい、好きなことがやりたい、
男が欲しい、女が欲しい、
愛されたい、理解されたい、認められたい、他人に勝ちたい、
と限りなく求め続ける心です。
仏教では「貪欲」といわれ、
108の煩悩の中で最も恐ろしい三毒の一つです。
対処を誤ると、人生を棒に振ることになります。
そこで、欲望の意味や種類と3つの特徴、対処方法について分かりやすく解説します。
欲望の意味
欲とは何か。
辞書によれば、このような意味です。
よく【欲】
[音]ヨク(呉)(漢) [訓]ほっする ほしい
[学習漢字]6年
1 不足、不満を満たしたいと願う。ほしがる。「欲求・欲情・欲心・欲念・欲望」
2 (「慾」と通用)ほしがる気持ち。「欲火・欲界/愛欲・意欲・禁欲・五欲・強欲(ごうよく)・私欲・嗜欲(しょく)・情欲・食欲・性欲・大欲・貪欲(どんよく)・肉欲・物欲・無欲・利欲」(引用:デジタル大辞泉)
生まれてからすべての人がもっている、本能的な心です。
欲望は、モチベーションの源であり、
私たちの行動の原動力です。
何をするにも、欲望に突き動かされています。
これがいいことならいいですが、
(そして、自惚れ強い私たちは、
いいことだと思い込んでいるのですが)
ほとんど悪いことばかりです。
欲望の種類
たとえば、「マズローの5段階欲求」。
マズローという学者が欲望を5段階に分けて、上に行くほど高次元の欲求だとしました。
マズローの5段階欲求を簡潔にまとめるとこのようになります。
- 第1段階:生理的欲求:本能的な欲、食欲、睡眠など。
- 第2段階:安全欲求:安全を求める欲求。病気や事故、災害を避けたい心。
- 第3段階:社会的欲求:友達や、家族、知人から受け入れられたいという欲求
- 第4段階:承認欲求(尊重欲求):他人から認められたいという欲求
- 第5段階:自己実現欲求:自分が求めるものになりたいという心。
他にも性欲、睡眠欲、物欲、金銭欲、知識欲、自己向上欲、名誉欲、自己顕示欲などさまざまな欲があげられるでしょう。
仏教では、代表的な欲望を「五欲」と
教えられています。
それが次の5つです。
- 食欲
- 財欲
- 色欲
- 名誉欲
- 睡眠欲
それぞれどういう意味なのでしょうか?
1.食欲
1.食欲とは、食べたい、飲みたい心です。
食べ物が乏しく、お腹がすいてくると、強烈に食べたくなります。
食べ物に困っていない人も、グルメになってきて、
美味しくないものに文句を言い、
美味しいものが食べたくなります。
他人と会食をすれば、同じメニューなのに微妙におかずが違うと、
「そっちのほうがいい」といって苦情を言い始めます。
「美味しい物を食べて、好きなものを飲んで死ねればそれで満足だ」
という人が珍しくないほど、食欲は強烈な欲望です。
2.財欲
2.財欲とは、お金が欲しい、物が欲しいという心です。
毎日、少しでも安いスーパーに買い物に行き、
1円でも安いガソリンスタンドでガソリンを入れます。
欲しいものがあるのに、お金が足りないから買えず、
寂しい気持ちになっています。
職場の友人やお隣さんが持っているものは、
自分も欲しくなります。
収入が下がったりすると、ものすごく苦しみ、
少しでも収入をアップさせようと苦しみます。
お金も財産もあまり持っていない時も欲しがりますが、持てば持つほどもっと欲しくなります。
お百姓さんが、日本の土地を全部手に入れたら満足するのではないかと思います。
ところが豊臣秀吉は、最初は水呑百姓から始めて天下統一し、日本全国を手に入れたのに満足できません。
朝鮮出兵し、中国も占領し、その次はインドを占領すると言っています。
財欲もどこまでいっても飽き足らず、苦しみます。
3.色欲
3.色欲とは、男が女を求め、女が男を求める心です。
好きな人に愛されたい、男女ともに性欲が抑えきれずに苦しみます。
結婚しても、結婚相手以外の人が好きになり、周囲のウワサになります。
不倫がパートナーに見つかると、それで離婚になって苦しみます。
離婚しなくても、死ぬまで許してもらえず苦しみ続けます。
近代哲学の父といわれるルネ・デカルトは、このような言葉で有名です。
我思う、故に我あり。
(出典:デカルト『方法序説』)
それまでの神中心の考え方を人間の理性中心にしたといわれます。
ところがそのデカルトも、お手伝いさんに子供を産ませています。
歴史に名を残すような頭のいい人でも、やはり理性よりも色欲のほうが強かったということです。
現代でもそれなりに立場のある人が、チカンや盗撮でニュースで報道されたりします。
見つかったら大問題になって、立場を失う悪いことと分かっていても色欲にはかなわないのです。
4.名誉欲
4.名誉欲とは、ほめられたい、認められたい、
馬鹿にされたくない、という心です。
挨拶をして、挨拶が返ってこないだけでムッとします。
意図的に無視されたり、相手にされないと、
軽んじられている気がして、その人が嫌いになります。
他人が自分のウワサをしていると、
すごく気になります。
ましてやインターネット上の掲示板に
何か悪いことが書き込まれていたら、
大きなショックを受けます。
少しでも認めて欲しい、理解されたいのに、
話を聞いてくれたり、認めてくれる人はほとんどいないので、
苦しみます。
美しくなりたいというのはよく見られたいということです。
美容に大金をつぎ込むのは、名誉欲です。
大金をつぎ込むだけでなく、小野小町はこんな歌を歌っています。
「面影の 変わらで歳の積もれかし
たとい命に 限りあるとも」
命に限りがあってもいいから、見た目は変わらないで欲しいということです。
美人になると、死んでも美しくありたい、と名誉欲に死ぬほど苦しみます。
5.睡眠欲
5.睡眠欲とは、
眠たい心のほかに、少しでも楽がしたい心も
睡眠欲に入ります。
他の人のいびきや、歯ぎしり、蚊が飛ぶ音など、
少しでも睡眠欲が妨げられると苦しみます。
睡眠欲によって朝起きられないと
会社に遅刻したり、待ち合わせに遅れたり、
不幸な結果を招きます。
それは目覚ましがならなかったせいだと言い訳しますが、
お寝坊さんは、強い睡眠欲によって、
無自覚のうちに自分で目覚ましを止めてしまっているのです。
そして、積極的に働くのは面倒だから、
何も考えないで生きたほうが楽でいいと、
少しでも休もうとします。
積極的に働くモチベーションも、
財欲や色欲、名誉欲などの欲の心なら、
怠けるモチベーションも、やはり欲の心です。
どの欲なのかの欲望の種類が違うだけで、
私たちは、朝から晩まで、何かしらの欲望に引きずられて生きています。
欲望の何が悪いの?3つの特徴
では、このような五欲に代表される色々な欲望は、どうしてよくないのでしょうか?
これらの欲望がなければ生きられないので、必要なのは間違いありません。
ですが、欲望には以下のような3つの恐ろしい特徴があるのです。
- 自己中心的
- 満足を知らない
- なくすことができない
このような特徴を知らずに、対処を間違えると、大変な人生になってしまいます。
それぞれどんな特徴でしょうか?
特徴1:他人よりも自分優先
この欲望の特徴として「自己中心的」
ということがあげられます。
仏教では、「我利我利」といいます。
「我利我利」とは、我が利益、我が利益と書くように、
自分の得しか考えていません。
名誉欲のために子供を殺した愚か者
ある占星術を学んでいたバラモンが、自分の名前を売りたいと思っていました。
そこである日、自分の子供を抱いて泣いていると、親切な人から
「あなたはなぜ泣いているのですか?」
と尋ねられます。
「今この子供は、7日後に死ぬことになっているので、悲しんでいるのです」
と答えると、
「人の命は、そんな簡単に計算できるものではありませんよ。
7日経っても死なないこともありますから、そんなに泣かないで下さい」
と慰めてくれました。
ところがそのバラモンは、
「これは星占いに基づいていますから、間違いのないことです」
と言います。
果たして7日後に、バラモンは自分の子供を殺して、自分の予言の正しさを証明しました。
ところが、予言の通り子供が7日後に死んだことを聞いた世の中の人は、
「この智者の言うことには間違いがない」
と驚嘆し、そのバラモンを信じて敬うようになったといいます。
ブッダは、この名誉欲のために子供を殺した愚か者は、未来に限りない苦しみを受ける、
と説かれています。
(出典:『百喩経』)
私たちは、
自分の利害には敏感ですが、
他人のことには鈍感です。
自分が一円でも得するためなら、
他人がどれだけ苦しんでいても無関心で、
自分ができもしないことを他人にやらせます。
資本主義では、昔から、少しでも安くできるなら、
アメリカのプランテーションで他人を奴隷のようにこき使おうが、
イギリスの工場で他人の子供を安く働かせようが、おかまいなしです。
自己中心的で、他人のことには冷酷なまでに無関心なので、
相手を思いやることが大変困難です。
今日の日本でも、上司が少しでも身を守り、得をするためには
部下をこきつかい、社内政治の勢力争いに余念がなく、
ブラック企業といわれます。
自己中心的な人が集まって生きていますから、
一人一人の欲望から利害が一致せず、
人間関係が壊れて苦しまなければなりません。
特徴2:満足を知らない
「欲を少なくして足るを知ることが大切」とか、
「ほどほどで満足したらよい」とか言いますが、
実際に満足することはできません。
具体的に考えてみれば分かります。
食欲に「これで満足した」ということがあるでしょうか。
美味しいものも、初めてのときはいいのですが、
2回目3回目と回数を重ね50回目くらいになってくると、
別の美味しいものが食べたくなります。
満足できないのです。
色欲も、好きな人と、最初に手がふれたときにはドキドキするのに、
手にふれるだけで数十回目になってくると、
少しは進展しないと焦ってきます。
関心が別の人に移ることはあっても、
色欲に「これで満足した」ということはないのです。
財欲でも、自分の収入は「これで十分です」
という人がいるでしょうか。
「もちろん仕事のノルマは達成しますが、
給料は今の2/3でいいです」
という人がもしいれば、きっと会社に喜ばれますが、
実際には少しでも楽して収入を増やして欲しいと思っています。
「これで満足した」ということはありません。
欲望にはきりがないのです。
「ノミはノミのふんをする、象は象のふんをする」
と言われるようにお金は持てば持つほど欲しくなります。
「ふん」というのは欲の心です。
ノミは小さいので、ふんも僅かです。
お金がない人なら、千円もらっても飛び上がって喜びます。
ところが象はノミより大きいので、ふんもはるかに大きくなります。
お金持ちになると、お金を置いておくだけで増えないのはもったいないといって投資します。
何億円も投資して1年後、千円増えたと言ってもそれほど喜びません。
持っているお金の量に応じて欲も大きくなるのです。
これで満足という金額はありません。
限りなく欲しがります。
隴を得て蜀を望む
例えば「隴を得て蜀を望む」という諺があります。
これは、『三国志』で、魏の曹操もいったといわれますが、もともとは後漢を統一した光武帝の言葉です。
隴というのは地名で、現在の甘粛省にあります。
蜀は四川省です。
光武帝の天下統一事業の最後に、隴と蜀が残っていましたが、
「隴を得ると蜀も欲しくなる、人は足を知るということがなくて苦しんでいる。
領土を広げる度に、白髪が増えていく」
と言っています。
このことから、人の欲望にはどこまでいっても限りがないことを表す時に使われるのが、「隴を得て蜀を望む」という諺です。
欲望は満足を知らず、得れば得るほど、ますます欲しくなるのです。
ロックフェラーも欲を満たせなかった
これまで史上最高にお金を稼いだ人は、
石油王のロックフェラーというアメリカの人です。
石油がお金になるということに一番最初に気づき、油田を買い占めたために、莫大な富を築きました。
個人資産が数十兆円あったそうなので、
現在の日本人1億2千万人全員の一年間の税金よりも
多くのお金を持っています。
そのロックフェラーが巨万の富を築いて引退した後、
ある新聞記者から、
「お金はいくらあれば満足ですか?」
と聞かれたことがあります。
3億円くらいあれば一生遊んで暮らせると思うので、
一生で使い切れないどころか、
1万回以上の人生を遊んで暮らせます。
ロックフェラーは一体何と答えたでしょうか。
なんと、こう答えたそうです。
もう少し欲しい。
地球上の石油資源が枯渇するほど頑張っても、
一人の欲望さえも満たし切るこはできないのです。
このことをブッダはこのように教えられています。
たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。
「快楽の味は短くて苦痛である」としるのが賢者である。(引用:『ダンマパダ』186)
たとえお金の雨が降っても欲が満たされることはないのです。
最近は、それがどうしてなのか、脳科学でも分かってきています。
以下のビデオでご覧頂けます。
このようなわけで、欲望は決して満たされません。
それどころか、欲望は、満たせば満たすほど、もっと欲しくなります。
このことをブッダは、『増一阿含経』にこのように説かれています。
欲、厭うことなく患うこと、鹹水を飮むがごとし。
(漢文:欲無厭患 如飮鹹水)(引用:『増一阿含経』)
鹹水とは塩水のことです。
これは、人間の欲にははてしがない。
それはちょうど塩水を飲むものが、いっこうに渇きがとまらないのに似ている、という意味です。
また『妙法念処経』には、こう教えられています。
たとえば渇ける人、塩水を飲むに、渇き免れるよしなきがごとし。
(漢文:譬如渇人 飮於鹽水 渇無由免)(引用:『妙法聖念処経』)
喉が渇いた時に、海水を飲んでも渇きは少しもいやされず、むしろもっと喉が渇くようなものだ、ということです。
欲望は、満たせば二倍の度を増して渇くのです。
欲望には限りがないということです。
3人の泥棒
そんな不要なお金を限りなく稼ぐために
限りある人生の時間を使ってしまい、
満足できないままで一生を終わるのです。
お経の中には、こう説かれています。
3人のバラモンが、泥棒をして大金をせしめ、人里離れた場所までやってきます。
山分けしようとした時、その前に腹ごしらえしようと、食糧調達のために1人を町に行かせます。
町へ買い出しに来た1人は、欲を起こして、盗んだお金を独り占めしようと考え、食べ物に毒を入れます。
待っていた2人も欲を起こし、食糧調達から帰ってきた1人を協力して殺してしまいます。
「やれやれ、これで大金が手に入った」
とその2人も、食糧調達係が持ってきた毒入りの食べ物を食べて死んでしまいます。
結局みんな死んでしまい、そこに残ったのは大金だけでした。
(出典:『旧雑譬喩経』24)
ブッダはここで、大金を盗賊と言われています。
その盗賊に、3人は一体何を奪われたのかというと、命であり、時間です。
この大金に、3人は命を奪われてしまったのです。
この3人の泥棒の話は、譬喩であり、例え話ですが、
何を例えられているのかというと、
私たちの人生のすがたです。
私たちも、一生の間働いて、お金をかき集めます。
ところが、死んでいく時には一銭も持っていけません。
たくさんのお金を残して死んでいくのです。
一体何のために生きてきたのでしょうか?
欲望だけを求めて生きていると、こういう人生になってしまうのです。
しかも、楽して欲を満たすことはできないので、欲を求めて苦しみます。
欲望に限りがないということは、死ぬまで苦しみ続けなければならないということです。
それをブッダは『無量寿経』に、このように説かれています。
心の為にはせ使われて、安き時あることなし。
(漢文:爲心走使無有安時)(引用:『無量寿経』)
一生の間、自分の心に動かされ続けて、安心できる時がない、ということです。
無駄な欲望に馳せ使われて、
あっという間の人生を
酔生夢死してしまうのです。
特徴3:なくすことができない
では、欲望はどうすればいいのでしょうか。
よく、欲望を抑えたり、なくすことを教える人がありますが、
仏教では、私たち人間は「煩悩具足」と教えられています。
「具足」というのは、それでできているということで、
100%煩悩の塊ということです。
雪だるまから雪をとったら何も残らないように、
人間から煩悩をとったら何も残らなくなってしまうのです。
つまり欲はなくせないのです。
欲を無くしたような人・ミニマリストは?
最近では、あまり物を所有しないミニマリストという生き方をする人がいます。
物に執着しないことで、心が穏やかでいられるからでしょう。
地位や名誉、所有物に執着してしまうから、他人と争って朝から晩までクタクタになってしますのです。
「今ある現状に満足する」「足るを知る」ことで、幸福感を感じられるのです。
しかし、これでも欲がなくなったわけではありません。
「欲を掻き立てるものがなくなった」だけです。
きっかけがあれば、また欲がでてきてしまいます。
またミニマリストというステータスに満足する心があり、これは名誉欲になるでしょう。
欲をなくすことはできません。
煩悩は、死ぬまで、減りもしなければ、なくもならないのです。
煩悩がなくせないとなったら、
どうすればいいのでしょうか。
煩悩あるがままで、救われる道があります。
欲望をコントロールせずに幸せになる方法
仏教では、欲望などの煩悩は、苦しみの「原因」と教えられているのですが、
苦しみの「根本原因」は、煩悩ではなく、別にある
と説かれています。
その、苦しみの根本原因をなくせば、
煩悩あるがままで煩悩即菩提
煩悩がそのまま喜びの元となる、
絶対の幸福の身になれるのです。
その苦悩の根元は何かということは、仏教の真髄ですが、
メール講座と電子書籍にまとめてあります。
関連記事
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)