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生きる意味を、知ろう。

成功しても虚しい

「成功しても虚しい」
「望んだものは手に入ったのに、満たされない」

欲しかった地位に就きました。
数字も出しました。
周りからは、「よかったね、おめでとう」と言われます。
その言葉にはありません。

ところが、祝ってもらった席から帰る道で、
何も起きていないことに気がつきます。
嬉しくないわけではありません。
思っていたものが、来ないのです。

そのことは、誰にも言えません。
言えば「贅沢な悩みだ」と返ってきます。
言われた相手の顔も曇ります。
こちらが手に入れたものを、その人はまだ手に入れていないからです。
それが分かるので、とても口に出せません。

望んだものが手に入ったのに、なぜ満たされないのでしょうか?

成功した人にしか分からない

成功していない人は、こう思っていられます。
自分が満たされないのは、まだ手に入れていないからだ。
あれさえ手に入れば、この感じは消えるはずだ。

この一言があるうちは、まだ楽です。
今日が苦しくても、先に置いておけるからです。

ところが、手に入れてしまった人には、それがありません。

地位に就けば満たされるのかどうかは、
就いてみなければ分かりません。
あなたは就きました。
そして、満たされませんでした。

「成功しても虚しい」と言えるのは、成功した人だけです。

これは、あなたが弱いということでも、
成功の仕方を間違えたということでもありません。
多くの人が一生「あれさえ手に入れば」と思ったまま終わるところを、
あなたは実際に手に入れて、確かめてしまったのです。

確かめた結果が「満たされない」でした。
気づいてしまったものは、もう知らないことにはできません。

手に入れる前、そこに何があると思っていたでしょうか。
はっきり思い描いていたわけではないはずです。
ただ、そこまで行けば、追われている感じが止まって、
安心して座っていられるようになるだろう、と思っていました。

そして、ついにそこに立つことができました。
見える景色は変わりました。
名刺も、呼ばれ方も、通される部屋も変わりました。
変わらなかったのは、そこに立っている自分のほうです。
追われている感じは、止まりませんでした。
満たされない感じもそのままです。

では、世間はこの結果に、何と答えるでしょうか。

世間の答えは3つ

成功した人が虚しいと言った時、返ってくる答えは、
大きく分けると3つあります。

次の目標を持ちなさい

一番よく言われるのが、これです。
目標がなくなったから張りがないのだ、というわけです。

ですが、これは、
もう一度同じことをやってみなさい、と言っているのと同じです。

今期の数字を達成した会社を思い浮かべてみてください。
達成の祝賀会があり、乾杯があり、社長のあいさつがあります。
そしてその席で、来期の数字が配られます。
昨日まで全員で追いかけていた数字は、その瞬間に古いものになります。
来期の数字を達成すれば、また新しい目標が配られます。

ここで確かめておきたいのは、
次の目標を持つことで、何が解決するのかということです。

解決するのは、手持ちぶさたです。
目標がない日は落ち着かないので、置いておく的を新しく用意する。
それで、明日から動けるようになります。

ところが、今回の目標を達成しても満たされなかったのなら、
次を達成した時にも、同じことが起きます。
同じ実験を、もう一度やることになるだけです。
これでは、満たされる日は来ません。
どこまで走り続ければいいのでしょうか。

燃え尽きているだけ

疲れているだけだから、しばらく休みなさい」とも言われます。
これには一理あります。
実際、走り続けた後は疲れています。

そこで、思い切って長い休みを取ったとします。
初めの2日は、よく眠れます。
3日目には、体は軽くなっているのに、落ち着かなくなります。
5日目には、見なくていいはずの連絡を開いています。

休んで戻ってくるのは体の元気です。
戻ってきた時に机の上で待っているのは、休む前と同じものです。
これでも、満たされる日は来ません。
疲れを癒すのは大切ですが、単なる対症療法で、
少しも解決にはなっていないのです。

贅沢な悩みなんじゃない?

3つ目は、答えというより、話を打ち切る一言です。

こういうことを言う人は大抵、まだ成功していません。
成功すれば満たされるはずだと思っている人が、
実際に成功した人の報告を退けている
わけです。

すでに成功した人と、まだしていない人と、
どちらが確かでしょうか?
成功者の告白を事前に聞いておいたほうがいいのに、
その方も残念でしたね。

ちなみに虚しさそのものについては、以下の記事で解説しています。
「虚しい気持ち」「虚しい人生」になる理由と対処法

では、なぜ達成しても満たされないのでしょうか。

支えていたのはどちらか

目標を持っている間、私たちには張りがあります。
朝早く起きられます。
断られても平気でいられます。
体はしんどいのに、心のほうは元気です。

この張りは、どこから出ていたのでしょうか。

手に入れたものから出ていたのではありません。
その時点では、まだ何も手に入っていないからです。
私たちを支えていたのは「まだ手に入れていない」という状態です。

ですから手に入れた瞬間、支えていたものがなくなります。
達成した日の夜に力が抜けるのは、そのためです。

手に入れたものは、確かに残ります。
役職も、銀行口座の数字も、実績も、なくなりはしません。
ところが、残ったものは、もう引っ張ってくれません。

受験に受かった時の合格通知を、まだ持っている人があります。
今日それを取り出して眺めて、明日の朝、早く起きられるでしょうか。
あの紙が力を持っていたのは、まだ手に入っていなかった時だけです。

だから、達成すればするほど、
自分を引っ張ってくれるものを1つずつ失っていきます。
成功が積み上がるほど、次の目標が要るようになるのは、そのためなのです。

若い頃のほうが元気だった、と言う人があります。
あの頃は何も持っていませんでした。
持っていなかったから、欲しいものだらけでした。

今は、当時欲しかったものを、大抵持っています。
持っている分だけ、引っ張ってくれるものが減っています。
体力が落ちたからではありません。

これは、目標の立て方が下手だということなのでしょうか。

成功しても満たされない原因

パーリ仏典の「中部」82経『頼吒惒羅経らいたわらきょう』にも、成功者の告白が説かれています。
それはすでに繁栄したクル国を治めるコーラヴャ(拘牢婆)王です。

ラッタパーラ(頼吒惒羅)がコーラヴャ王に、
東に富み栄えた国があり、征服できるとしたらどうするか?
と尋ねます。すると王は
それも征服する」と言います。
では西に富み栄えた国があり、征服できるとしたらどうするか、
北は、南はと尋ねると、全部「それも征服する」と言います。
そしてコーラヴャ王は、こう言います。

実にこの世は足ることなく、飽満することなく、愛の奴隷なり。

もう一生使い切れないお金を手に入れても、もっと欲しいと思う心に、
コーラヴャ王は気づいたのです。
続けてこう説かれています。

王は暴力を以て天下を征服し、海に至るまで全土を領し
海の此方に満足せず、海の彼方をも欲す。
王者とその他多くの人々は、愛を離れざるに命終に到る。
足りることなくして人身を捨つ。
この世において諸欲もて満足することなければなり。

このように、どれだけ手に入れても、欲望には限りがなく、
満たされることなく人生が終わると教えられています。
なぜ成功しても、同じなのか。
それは、欲望に限りがなく、満足がないからです。

人は、成功を得るために身を粉にして働き、悩み、苦しみます。
ですが、どこまで手に入れても、もっと欲しくなります。
王になっても、まだ満たされません。
やがて人生の終わりが近づいても満足できないことに気づき、
こんなことのために、自分は多くの時間を使ってきたのか
後悔するのです。

そして、命には限りがありますから、欲望が満たされないうちに、人生が終わります。
その時は、必死で稼いだものもすべてこの世に置いて、
一人で旅立っていかなければなりません。
成功して手に入れた人には、失う怖さが一緒についてきます。
しかも、高く上がった分だけ、落ちる高さも増えます。
手に入れたものが多い人ほど、失う苦しみが大きいのです。

人生が終わる時には必ず、手に入れたものすべてを失うことも、
成功しても満たされない理由です。
成功して虚しくなったのではなく、
成功したからこそ、憂いと恐れの数が増えているのです。

お金の面から見た虚しさについては、以下の記事をご覧ください。
お金持ちは幸せ?お金で幸せは変えないブッダの説かれた有無同然

では、成功してもしなくても関係のない幸せは、ないのでしょうか。

上がる必要も、守る必要もない

仏教に説かれている本当の幸せは、
比べて喜ぶ幸せではありません。
一人居て喜べる、絶対変わらない幸福です。
それは色あせることも壊れることもないので、
絶対の幸福」といわれます。

上下のない幸せですから、これ以上、上がる必要がありません
誰かにとられることもありませんから、守る必要もありません
絶対変わらないので、死によっても崩れません。
失う怖さがないということです。

成功した人のほうが近いのでも、していない人が遠いのでもありません。
成功してもしなくても関係なく、
どんな人でも、生きている今、この幸せになれるのです。

これまで走ってきた道も、何一つ無駄になりません。
望んだものを手に入れて、それでも満たされなかった夜があったからこそ、
成功では満たされないと、人から聞くのではなく、
自分で確かめられたのです。

あれは遠回りだった」ではなく、
あの道を通ったからこそ、ここへ来られた」と、
これまでの一つ一つが意味を持ちます。
何一つ後悔することはありません。
人間に生まれてよかった」と大満足できます。

では、どうすればその変わらない幸せになれるのかというと、
苦しみ悩みの根本原因を知り、
それを断ち切らなければなりません。

それはどんな心で、どうすれば断ち切れるのか。
それについては仏教の真髄なので、
メール講座と、電子書籍にまとめてあります。
どちらも無料ですので、一度見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細お問い合わせ

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著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。