「現代人の仏教教養講座」

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生きる意味を、知ろう。

仕事が虚しい

「仕事が虚しい」
「毎日同じことの繰り返しで、満たされない」

朝、同じ時間に起きる。
同じ電車に乗る。
職場へ行き、同じ席について、同じ画面を開く。
気がつけば夕方になっていて、また同じ電車で帰ってくる。
それが、もう何年も続いている……。

不満があるわけではありません。
給料は出ていますし、周りの人も悪くありません。
ただ、この毎日が来年も再来年も同じように続くのかと思うと、
胸のあたりが、スーッと冷たくなります。

仕事が虚しいのは、なぜなのでしょうか?
そしてどうすれば解決できるのでしょうか。

仕事の中身を変えても虚しさは残る

仕事が虚しいと感じた時、まず疑うのは、その仕事そのものです。
自分に合っていないのではないか。
もっと意味のある仕事があるのではないか。

ところが、その線で考えていくと、すぐに行き詰まります。
仕事を変えた人も、同じことを言っているからです。

思い切って転職した人が、半年後にこう言います。
最初の3か月は新鮮だった。今はまた、同じ気分になってきた
仕事の中身は入れ替わったのに、同じ気分だけが引っ越してきています。

やりがいのある仕事なら虚しくないのかというと、そうともいえません。
人に感謝され、必要とされ、任される範囲も広がった。
それでも、一人になった時に、
自分が会社という大きな仕掛けの一部分でしかないような感じが残ります。

忙しさのせいでもありません。
休みの少ない人は、考える時間がないだけです。
時間ができた途端に、同じものが顔を出します。
暇な部署へ移った人は、もっと早く、もっと強く感じます。

では、好きなことを仕事にできた人はどうでしょうか。
子供の頃からの夢を叶えた人が、10年経ってこう言います。
好きだったはずのことが、いつの間にか休みが恋しくなっていた
それで、あっという間に人生が過ぎていき、
本当にこれで人生が終わっていいのだろうかという疑問が起きてきます。
好きかどうかという物差しでも、虚しさは止められなかったのです。

仕事の中身、やりがいの有無、忙しさ。
どれを入れ替えても、虚しさが残ります。
ということは、虚しさの出どころは、仕事の側にはありません。

働く意味そのものについては、以下の記事で解説しています。
働く意味と目的|意義がない、分からない時の仏教の答え

では、仕事が虚しいと打ち明けた時、周りは何と答えるでしょうか。

世間でよくある3つの答え

返ってくる答えは、大きく分けると3つあります。

環境を変えなさい

まず、よくあるのがこれです。
その職場が合っていないのだから、転職しなさい、というものです。

確かに、合わない職場はあります。
人間関係の悪い所に居続けて心も体も壊してしまうくらいなら、
早く転職したほうがいいのも、その通りです。

ですが、転職先で虚しさは終わるでしょうか。

これは前漢の説話集『説苑ぜいえん』の「ふくろう、鳩に逢う」を思い出させます。

鳩曰く「子、将に安くにかかんとする」と。
(鳩・これからどこ行くの?)
ふくろう曰く「我、将に東にうつらんとす」と。
(ふくろう・オレ、東に引っ越そうと思うんだ)
鳩曰く「何の故ぞ」と。
(鳩・なんで?)
梟曰く「郷人、皆我が鳴くをにくむ。故を以て東に徙る」と。
(ふくろう・この里の人たちはオレが鳴くのを嫌うんだもん)
鳩曰く「子、能く鳴くをあらたむれば可なり。鳴くを更むる能わずんば、東に徙るとも、なお子の声を悪まん」と。
(鳩・お前それ鳴くのをやめればいいけど、鳴くんだったら東へいっても同じでしょ)

環境を変えると、確かに景色は変わります。
新しい建物、新しい顔ぶれ、新しい手順。
そこに慣れるまでの数か月は、考える暇もありません。
そして慣れた頃に、同じ気分が戻ってきます。

環境を変えて片づくのは、その環境から来ていた苦しさです。
嫌な上司も、虚しい仕事も、置いてくることができます。

でも、また嫌な上司、虚しい仕事が現れるかもしれません。
合わないと感じるたびに職場を変え、慣れた頃にまた変える。
履歴書の行数は増えていきますが、
仕事が虚しい原因を突き止めないことには、
環境を変えても同じことの繰り返しになることでしょう。

仕事に意味を求めすぎ

次によくあるのが、仕事は生活の手段なのに、
そこに意味まで求めるから苦しくなる、というものです。

これには筋が通っています。
ですが、それでは仕事には生活のため以外には意味がないのを受け入れよ、
ということになります。

ただ、この答えで満足できるのは、
仕事に意味はないと本当に割り切れた人だけです。
それが割り切れている人は、そもそも「仕事が虚しい」とは言いません。

こういう答えを返す相手とは「仕事が虚しい」という点では意見が一致していますが、
それが嫌だから悩んでいるのであって、
これでは何の解決にもなっていません。

単に受け入れるのではなく、
仕事が虚しいことを何とかすることはできないのでしょうか?

仕事の外に楽しみを持ちなさい

3つ目によくあるのは、仕事は仕事と割り切って、
休みの日に打ち込めるものを持ちなさい、というものです。
ワークライフバランスともいいます。

これは、実際に効き目があります。
金曜の夜から日曜の昼までは、確かに気分が違います。
楽しみがあるから今週も乗り切れた、という人は大勢います。

ですが1つ、見落としていることがないでしょうか。
日曜の夕方に、何が起きているかです。

楽しかった時間が終わりに近づくと、急に静かになります。
明日からまた同じ5日間が始まると分かった瞬間に、
今週の楽しさは、どこかへ引いていきます。
そして月曜日の朝には、先週の月曜日と同じ所に立っているのです。

楽しみが増えたことで、虚しい時間が減ったのは確かです。
けれども減っただけで、なくなったわけではありません。
むしろ、楽しい時間を知った分だけ、
戻ってきた時の落差が大きくなります。

3つの答えで満足できる人もいるかもしれません。
ですが、大抵の場合は、
環境も、考え方も、休日の過ごし方も入れ替えたのに、
心は同じ状態に戻ってきてしまいます。

ところが、同じことの繰り返しの毎日の中に、
心の奥底から虚しさを醸し出している、大きな変化があります。

同じことの繰り返しに見えて同じではない

毎日毎日、同じことを繰り返しています。
毎週同じことを繰り返し、
毎月同じことを繰り返しています。

それが、1年、2年、5年、10年と続くうちに、
日一日と、時間が減っています。
それが、私たちの残り時間です。
命といえば時間ですので、同じ毎日と引き換えに、
命が減っているということです。

仕事が虚しいと感じるのも、ここからです。
同じことを繰り返しているので、特に何か新しいことが身につくわけでもなく、
若さは失われ、肉体的に衰え、
人生の残り時間は刻々と減り続けています。

給料は毎月入りますし、経験も年々積み上がります。
増えているものが少しもないわけではない、と信じたいところです。

けれども、そのお金も経験も、
命と引き換えにしてまで手に入れるものでしょうか。
お金で命は買えません。
誰にも止められずに、時間はあっという間に過ぎていきます。

満たされないとか虚しいというのは、入ってくる量が少ないという意味ではなく、
仕事もお金も、命と引き換えにするほどのものではないということです。
心の奥底では、それに気づいているので、
虚しいとか満たされないという気持ちが起きてくるのです。

この仕事の虚しさに、はっきり気づいている人は多くありません。
ただ、日曜日の夕方に胸が重くなったり、
何でもない夜に、ふと手が止まったりする時、
心のどこかで、それを感じ取っています。

お釈迦さまが2匹のネズミで説かれたこと

その命の減りゆく有様を、お釈迦さまは説かれています。
それが『仏説譬喩経ぶっせつひゆきょう』です。
お釈迦さまが勝光王しょうこうおうという王様に、
人間の本当の姿を説かれたものです。

1人の旅人が、広い野原を歩いていました。
そこへ飢えた大虎が現れ、追いかけられます。
逃げ場がなく、走っているうちに、断崖絶壁に追い詰められてしまいます。
幸い、1本の松の木から藤蔓が垂れ下がっています。
旅人はその藤蔓からスルスルッと、崖の中腹にぶら下がりました。

ひとまず大虎からは逃れました。
ところが下を見ると、底の知れない深い海には、3匹の毒龍がいます。
上を見ると、いつの間にか白と黒の2匹のネズミが、
代わる代わる、旅人がしっかりと握っている藤蔓をかじっています。

藤蔓が切れれば、必ず深海に落ちて毒龍の餌食になります。
そこへ5滴の蜂蜜がしたたり落ちてきました。
お腹の減っていた旅人は、それを手に受けて舐め、
その甘さに夢中になります。
もう藤蔓の細さも、大虎のことも、毒龍のことも忘れ、
どうしたらもっと蜂蜜を舐められるかと、藤蔓をゆさぶり続けています。

この旅人の姿が何を表しているのかを、
お釈迦さまはご自身で解説されています。
そのうちの2匹のネズミについて、こう説かれています。

黒白こくびゃくの二鼠は、昼夜にたとう。
樹根をむとは、念念ねんねんに滅するに喩う。

(漢文:黒白二鼠,以喩昼夜。齧樹根者,喩念念滅)

白と黒の2匹のネズミは昼夜にたとえられていますから、
白いネズミは昼、黒いネズミは夜です。
旅人がつかんでいる藤蔓は、寿命です。
昼と夜が代わる代わるやって来て、命を削り続けている。
念念ねんねんに滅する」とは、一瞬一瞬減っていく、ということです。

昼に死んだ場合は、白のネズミに蔓を噛み切られたということですし、
夜に死んだ場合は、黒のネズミに蔓を噛み切られたということです。
必ず白か黒のネズミのどちらかに噛み切られる時が来ます。

それにもかかわらず旅人は、蜂蜜の甘さに夢中で、
藤蔓がかじられ続けていることを全く忘れています。

お釈迦さまはこの蜂蜜を、五欲にたとえられています。
五欲というのは、一言でいえば、
食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲という代表的な5つの欲です。

五欲について詳しくは、以下の記事をご覧ください。
欲(五欲)の仏教的意味と欲望への対処法を解説

これらの五欲の楽しみに心を奪われて、旅人は、
細い藤蔓が今にも噛み切られようとしていることを忘れています。

知らないわけではありません。
知っているにもかかわらず、
藤蔓をしっかりと握りしめて、落ちてくる蜂蜜を舐めることに一生懸命です。

このいつ落ちるともしれない状況を何とかしませんか?
必ず藤蔓が切れて死にますけど、それを解決しませんか?
というと、旅人は
今、蜂蜜を舐めるのに忙しいですから、結構です
と断ります。

お釈迦さまは、このおかしな旅人を誰か特殊な人として説かれているのではありません。
すべての人間の姿として説かれています。

仕事が忙しいから、仏教は聞いている時間がないと思います。
自分のこととなると、なかなか分かりませんが、
俯瞰してみれば、それは実はこの旅人の姿なのです。

毎日同じことの繰り返しだと感じている、その毎日は、
白いネズミと黒いネズミが代わる代わる来ているということです。
昼が来て、夜が来て、昼が来て、夜が来て、
同じことが延々と繰り返されるように思いますが、
そうではありません。
確実に藤蔓が細くなり、寿命が減っているのです。
そしてある日、プツリと切れる時が来ます。

仕事が虚しいというのは、気持ちが弱ったから出てくるものではありません。
蜂蜜の甘さに隠れたところで、蔓が細くなっている、
と心が気づいているしるしです。

若い時よりも、働いてきた年数が長くなるほど強く感じるのは、
それだけ根がかじられて、残り時間が少ないことからきています。

虚しさが仕事の中身で決まらなかったのも、ここに理由があります。
仕事を変えても、割り切っても、休日を充実させても、
2匹のネズミは同じ速さでかじり続けています。
手を打ったところと、虚しさの出所が、かみ合っていないので、
虚しさはなくならないのです。

では、私たちは、命が終わるまで仕事をし続けるしかないのでしょうか。

繰り返しが繰り返しでなくなる

もし、時間が減っていくことが虚しさの正体なら、
誰一人その虚しさから抜け出せないことになります。
若い人も年配の人も、減っていく点では同じだからです。

その私たちのために、お釈迦さまは、
減っていく日々の中で、死が来ても変わらないものを手に入れる道を説かれています。

それさえ果たされれば、生きている今、
人間に生まれてよかった」と大満足できます。
それが人間に生まれてきた目的なのです。
仕事の種類も、役職も、年収も関係ありません。
どんな人でも、その本当の生きる目的を知り、
果たすことができます。

その本当の生きる目的がはっきりすれば、
毎日が変わります。
仕事をするのはこのためだ、とすべての行為が意味を持ち、
心から充実した人生になります。
なかなか結果が出なくても、人間関係に悩んでも、競争に敗れたとしても、
この大きな目的を果たすため、乗り越えなければ
と生きる力が湧いてきます。

そして、その大目的が果たされた時、
同じことの繰り返しに耐えてきた年月があったからこそ、
この大満足の幸せの身になることができたんだと知らされ、
これまでの毎日も、1つも無駄になりません。

では、その死によっても崩れないものとは何なのか。
それを知るには、苦しみ悩みの根本原因を知り、
それを断ち切らなければなりません。

それはどんな心で、どうすれば断ち切れるのかについては仏教の真髄なので、
メール講座と、電子書籍にまとめてあります。
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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細お問い合わせ

X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。