本当の生きる目的とは?

私たちは毎日生きていますが、「何のために生きているの?」と聞かれると
答えられないことがあります。
生きる目的がもともと分からなかったり、見つからない人もあれば、
今まで生きる目的だと思っていたものがそうではなかったと分かって、
生きる目的がなくなったり、見失う人もあります。

生きる目的が分からずに生きていると、
どんな人生になるのでしょうか?

目的なんかなくても生きていける?

目的なんかなくても生きていけます
という人があります。
確かに目的なしで生きている人もたくさんあります。
実際にはほとんどの人はそうでしょう。
ですが、それはおかしな話です。
目的なしに生きたらどうなるでしょうか?

人生を旅にたとえると、
生きるということは、
歩くことや
走ること、
飛行機なら飛ぶことにあたります。

この人生の旅を、禅宗僧侶一休はこのように歌っています。

一休一休

門松は 冥土の旅の 一里塚
(一休)

冥土」とは死後の世界のことです。
一日生きたということは、一日死に近づいたということですから、
生きるということは、死へ近づくということです。
それは死に向かう行進ですから
冥土への旅」なのだと一休は言っています。

年が明けると、みんな
おめでとう」「おめでとう」と言います。
しかし一年たったということは、
それだけ大きく死に近づいた、ということです。

平均寿命が80才だとすれば、
80才から年齢を引いてみてください。
それが、死に向かうカウントダウンですから、
元旦は冥土の旅の一里塚なのです。

私たちは去年から今年、今年から来年へと
生きるということは、
歩くことであり、
走ることであり、
飛行機なら飛んでいるのと同じです。

そんな時、目的なしに歩いたら、最後は歩き倒れになります。
ゴールなしに走り続けるランナーは、最後は走り倒れになります。
目的地の飛行場を知らずに飛ぶ飛行機は、最後は墜落するだけです。

目的なしに生きるということは、
生きれば生きるだけ死に近づいていき、
最後死ぬだけの悲劇の人生となってしまいますから、
必ず生きる目的が必要です。

それなのに多くの人は、何のために生きているのか、生きる目的が分からずに生きています。
それは変なことなのに、変なことだと思わずに生きているのです。

では生きる目的とは何でしょうか?

生きる目的とは?

生きる目的とは、今、目の前にある小さな目標のことではありません。
人生これ一つという人生全体の目的です。

例えば、レストランに入ったのは、食事をするのが目的です。
他にも、マンガを読んだり、テレビを見たり、友達としゃべったり、
パソコンで作業したり、いろいろなことができますが、
レストラン」ですから食事をせずに帰ったら、入った意味がありません。

逆に、目的である食事が終われば、いつ出ても大丈夫です。
もし、レストランで食事が終わった後、パソコンを開いていたら、
店の人から、
昼時で混んできましたので、申し訳ございませんが……
と言われれば、
あ、すみません
と出ていくことができます。

ところが、目的である食事が済んでいないのに、
申し訳ございませんが、混んできましたので出ていただけないでしょうか
と言われたら、
は? まだ食事が来ていないのに……?
と疑問が起きてきて、目を白黒させてしまいます。
とてもすんなり出ていくことはできません。

このように、「目的」というのは、
レストランに入ってから出ていくまでに、
必ずしなければならないことです。
それをしなければ、レストランに入った意味がありません。
出ていくまでに何をすればいいのかが「目的」です。

人生では、レストラン以上にいろいろなことができます。
そんないろいろの中で、人生へ入ってから出るまで、
つまり生まれてから死ぬまでに、何をすればいいのか、
何をしなければならないのか、
というのが生きる目的
です。

それ一つ果たせば、
人間に生まれてよかった」と大満足できるものが、
本当の生きる目的なのです。
そして、その生きる目的を果たすのが、
生きる意味であり、本当の人生の意味
です。

生きる目的が見つかる質問のワナ

そうなると次に思うのは、
生きる目的は人それぞれではないですか?
ということです。

ところが、この人それぞれといっている人は、実は人それぞれではありません。
じゃあ具体的にはそれぞれどんなものですか?
と聞くと、
それは人それぞれだから分からない
という人がほとんどですが、その人それぞれの見つけ方を教えてくれる人もあります。
それが「生きる目的が見つかる質問」です。

生きる目的が見つかる質問というのは、
たいてい複数の質問のセットですが、その中によく、
あなたの本当にやりたいことは何ですか?
という質問があります。

それで、自分のやりたいことや、
ライフワークを見つけて、
それが生きる目的だという人があります。

生きる目的は人それぞれと言っている人は、
全然人それぞれではなく、みんな共通して、
その人その人の自分のやりたいことをやるのが生きる目的
と言っているだけです。

それなら話は簡単で、生きる目的なんかに悩まずに、
さっそくやりたいことをやり始めればいいだけです。
それなのになぜみんな生きる目的に悩むのかというと、
少し考えれば、やりたいことをやることが
本当の生きる目的にならないことは、
すぐ分かるからです。

なぜやりたいことをやることが生きる目的にならないかというと
やりたいこと」というのは、
欲望によるものだからです。

欲望を満たした喜びは一時的で、すぐにもっと欲しくなります。
欲望は無限ですが、人生は有限ですから、欲望を追い求めている限り、
欲望を満たしきって、「これで満足」ということはありません。
先に人生が終わります。
そして必ず「あれもやりたかった」「これもやりたかった」という後悔の人生になります。
人間に生まれてよかった」と心から満足することはありませんから、
やりたいことをやることが本当の生きる目的ではないのです。

この本当の生きる目的は、
そんな簡単に分かるものではないのですが、
人間誰しも欲望には流されやすいので、
気をつけなければなりません。

実際、思う存分やりたいことをやって、多くの人に貢献し、認められた人でも、生きる目的は分からないと言う人がたくさんあります。

生きる目的が分からない人たち

本当の生きる目的は、これまで多くの人が
考え続けてきたのですが、みんな分からないと言っています。

天才科学者アインシュタインは、こう言います。

アインシュタインアインシュタイン

手段は完全になったというのに、肝心の目的がよくわからなくなったというのが、この時代の特徴と言えるでしょう。
(アインシュタイン)

文学者も生きる目的は分からない

登場人物の人生を、豊かな表現で文章につづる有名な文学者たちも、
口をそろえて生きる目的は分からないと言っています。

文豪、夏目漱石は、こう言います。

夏目漱石夏目漱石

私はこの世に生れた以上何かしなければならん、
といって何をして好いか少しも見当が付かない。

(夏目漱石)

天才作家、芥川龍之介は、自殺直前の自伝的小説で、
長男の誕生をこのように言っています。

芥川龍之介芥川龍之介

なんのためにこいつも生まれて来たのだろう?
この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。

(芥川龍之介)

太宰治はこう言います。

太宰治太宰治

生まれて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、
世の中を、よろこんでみとうございます。
(中略)
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、
それが全然わからないのです。

(太宰治)

人生論の著者、武者小路実篤はこう言います。

武者小路実篤武者小路実篤

人間は何の目的で生まれたのか。
また何か目的があって自然は人間を生まれるようにしたのか。
僕にはそれはわからない。

(武者小路実篤『人生論』)

ロシアの作家チェーホフはこう言います。

チェーホフチェーホフ

自分の生存の意義や目的を知ろうとしたって、
なんにも教えられはしません。

(チェーホフ)

人気作家の五木寛之はこう言います。

人生に目的はあるのか。私は、ないと思う。
何十年も考えつづけてきた末に、そう思うようになった。
(五木寛之『人生の目的』)

このように、自分のやりたいことをやって成功をおさめた文学者でも生きる目的は分かりません。

心理学者も生きる目的は分からない

人間の心を探究する心理学者も、
生きる目的は分かりません。

心理学者のフロイトはこう言います。

フロイトフロイト

これまでに何度となく、人生の目的は何かという問いが問われてきたが、まだ満足できる回答を示した人はいない。
(フロイト)

何かに熱中する幸せの状態である「フロー」を
提唱した心理学者、チクセントミハイもこう言います。

チクセントミハイチクセントミハイ

我々に「ここに君が人生を捧げるに値する目標がある」などと教える者はどこかにいるというわけではない。
(チクセントミハイ)

このように、心理学者にも生きる目的は分からないのです。

哲学者も生きる目的は分からない

真理を探究する哲学者たちも、誰も分かりません。

1967年にトロッコ問題を提起したことで有名な倫理哲学者のフィリッパ・フットもこの問いを考察しています。
トロッコ問題というのは、ブレーキの壊れたトロッコが、このままでは5人をひき殺してしまう時、線路の分岐点のポイントにいた人が、もしトロッコの進む線路を切り替えれば、別の1人が死ぬ場合、どうするかという問題です。
これは今も議論が続いている問題です。
そのトロッコ問題を公案したフィリッパ・フットはこう言います。

現存の哲学者であれ、過去の哲学者であれ、
命に価値があるというこの観念を説明できた人を私は知らない。
(フィリッパ・フット『道徳的相対主義』)

人生に目的があれば、それによって生きる意味があり、命に価値があることが分かりますから、これまで生きる目的を説明できた哲学者を知らないということです。

確かに、20世紀最大の哲学者の一人、ウィトゲンシュタインも、
有名な『論理哲学論考』の最後にこう言っています。

ウィトゲンシュタインウィトゲンシュタイン

たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、
生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。

(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)

このように、非常に頭がよく、真理を探究し続けた最高の哲学者でも人生の問題は分かりません。
ましてや生きる目的は到底分からないのです。

現代の哲学者・トマス・ネーゲルもこう言います。

人生は単に無意味であるだけではなく、
不条理であるかもしれないのです。
(トマス・ネーゲル)

このような特に頭のいい知識人たちでも分からないほどですから、
本当の生きる目的はそう簡単に分かるものではないのです。

目的が分からなかった人の人生は?

このように、生きる目的が分からないとどうなるのでしょうか。
生きるのはただでは生きられません。
衣食住が必要です。
現代なら生活するのにはお金が必要です。
年間300万円で生活したとしても、平均80年の人生2億4千万かかります。

それだけのお金を稼ぐために、みんな仕事をもって一生懸命働いています。
そして少しでもたくさんの収入を得ようとして競争になります。
他人と争って生きていくのは苦しいことなのに、ただ生きるだけで目的がないと力が入りません。

働かなかったら生活が成り立たず、死んでしまいますが、働いていてもやがて死んでしまいます。
単に生きて死ぬだけなら、苦しむ為に生きているようなものになってしまいます。
だから生きる目的が分からなかった夏目漱石は、妻への手紙にこう書いています。

夏目漱石夏目漱石

人間は生きて苦しむ為めの動物かも知れない。
(夏目漱石)

芥川龍之介も生きる目的が分からず、さらに印象的に、こう言います。

芥川龍之介芥川龍之介

人生は地獄よりも地獄的である。
(芥川龍之介『侏儒の言葉』)

有名な『ファウスト』で本当の生きる目的を探求したドイツの文豪・ゲーテは、このように歎いています。

ゲーテゲーテ

結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし、七十五年の全生涯において、真に幸福であったのは四週間となかった。
(ゲーテ)

このように、本当の生きる目的が分からないと、死ぬまで苦しむだけの人生になってしまうのです。
その結果、芥川龍之介や太宰治のように自殺してしまう人もありますし、
人間に生まれてこなければよかった
という反出生主義になってしまう人もあります。

本当の生きる目的を知る方法

ところが世界の三大聖人といってもトップにあげられるブッダは、
人は、決して苦しむために生まれてきたのではない
といわれています。

それはこのお言葉です。
人身受け難し今すでに受く
この意味は「人間に生まれるのは難しい。
それなのに、今、人間に生まれることができた。
よくぞ人間に生まれたものだ」
という喜びの言葉です。
つまり「人間に生まれてよかった」ということです。

本当の生きる目的を果たした喜びを
人身受け難し今すでに受く
人間に生まれてよかった
と言われているのです。

人間に生まれてきたのは苦しむためではない。
これまで苦しんだのも、悲しんだのも、この幸せの身になるためであった。
勉強も仕事もすべてはこのためであった、
という生命の歓喜を味わう身になることが本当の生きる意味です。

今まで苦しかったのも辛かったのも、
自殺するほど嫌な目にあったのも
すべてはみんなこの幸せになるためだったんだ。
もしこの世界がなかったら、苦しむために生きていることになってしまう。
人は決して苦しむために生まれてきたのではない、
一切の苦しみも悲しみもすべてが報われる、
この幸せになるために生まれてきたんだ、
とハッキリする世界がある、
と教えられたのが
人身受け難し今すでに受く
というお言葉です。

つまり「人身受け難し今すでに受く」というのは、
生まれがたい人間に生まれてよかった
という本当の生きる目的を果たした生命の歓喜であり、
人間に生まれてよかったと大満足できるものが本当の生きる目的だ
と教えられたブッダのお言葉です。

では、本当の生きる目的は
どうすれば知ることができるのでしょうか?

それをブッダが教えられたのが、仏教です。
この本当の生きる目的こそが仏教の真髄なのですが、
それを電子書籍とメール講座に分かりやすくまとめておきました。
今すぐ読んでみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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