働いてまで生きる意味はあるのか
「働いてまで生きる意味があるのだろうか」
「こんな思いをしてまで、なぜ生きなければならないのか」
朝、目が覚めて、また今日も会社かと思った時。
満員電車に押し込まれている時。
帰宅して、何もする気になれずに座り込んだ時。
ふと、そう思われたのではないでしょうか。
働かなければ食べていけません。
食べなければ死んでしまいます。
ですが、食べていても、いつかは死ぬのです。
それならば、この苦労は、いったい何のためなのか。
この問いが出てくるのは、あなたが怠けているからではありません。
むしろ、まじめに働いてきた人ほど、ある日ふいにぶつかる問いです。
働くことから目をそらさずに生きてきたから、その先が見えてしまったのです。
そこでこの記事では、なぜ「働いてまで生きる意味」が分からなくなるのか、
その原因と、仏教に教えられている答えを、順を追って解説していきます。
働くことは、生きる意味ではありません
結論から言うと、
働くことは、生きる意味ではありません。
生きる意味を果たすための、手段です。
冷たい言い方に聞こえたかもしれません。
ですがこれは、あなたの苦労を軽んじているのではなく、
むしろ逆で、ここをハッキリさせない限り、どれだけ働いても報われないということです。
「なぜ生きる」と「どう生きる」
仏教では、人生における次の2つの問いはまったく別だと教えられています。
1つは、「なぜ生きる」。
何のために生まれてきたのか。
何のために生きているのか。
どんなに苦しくても生きていかなければならないのは、なぜなのか。
これが人生の目的です。
もう1つは、「どう生きる」。
その目的は生きている時にしか果たせませんから、どうやって生きるのか。
これが生きる手段です。
働くこと、お金を稼ぐこと、家を建てること、結婚すること。
政治も、経済も、科学も、医学も、法律も、芸術も、
これらはすべて「どう生きる」、つまり手段のほうに入ります。
もっと分かりやすく言えば、衣食住です。
着るものがなければ生きていけません。
食べるものがなければ生きていけません。
住むところがなければ生きていけません。
働くというのは、その衣食住を得るための行いです。
ですから、働くことはなくてはならないものです。
決して価値の低いことではありません。
ただ、それは目的ではなく、手段だということです。
目的がなければ、手段は意味を持てない
ここで、多くの人が忘れていることがあります。
目的があって、はじめて手段が成り立ちます。
手段があって、そのために目的があるのではありません。
目的がなければ、「手段」という言葉自体が成り立たないのです。
たとえば「駅へ行くために歩く」なら、歩くことに意味があります。
ですが、行き先を告げられずに「とにかく歩け」と言われたらどうでしょう。
一生懸命歩けば歩くほど、何をしているのか分からなくなります。
働くことも同じです。
何のために働くのかが分からなければ、働くという手段は意味を失います。
「働いてまで生きる意味があるのか」という問いは、ここから出てくるのです。
そして、ここに大きな落とし穴があります。
ほとんどの人が、手段を目的だと思い込んでいるのです。
お金を貯めることが目的だと思っている人、
出世することが目的だと思っている人、
家を建てることが目的だと思っている人、
結婚することが目的だと思っている人。
ですが、もしそれが人間に生まれてきた目的ならば、
病気やけがで働けなくなった人は、生きる目的を失ったことになります。
お金を失えば、生きていても仕方がないことになります。
そんなものが、生きる意味であるはずがありません。
「食べるために働く」では答えにならない
こんなことを思う人もいるかもしません。
「そんな理屈より、働かなければ食べていけないでしょう」
全くその通りです。
ですが、少しだけ先まで問うてみてください。
何のために働くのですか?
――食べるためです。
では、何のために食べるのですか?
――生きるためです。
では、何のために生きるのですか?
ここで、絶句します。
食べることも、手段です。
そして生きることさえ、それ自体は目的ではありません。
働くために食べ、食べるために働く。
この輪の中には、どこにも目的がないのです。
手段は、何段積み上げても手段のままです。
一番上に目的が乗らなければ、積み上げたものは宙に浮いたままになります。
だから、どれだけまじめに回しても、「何のために」が出てこないのです。
「働いてまで生きる意味があるのか」という問いは、
この輪に気づいてしまった人の言葉です。
気づかない人は、そもそもこの問いを持ちません。
仕事を生きる意味にすると、どうなるか
手段を目的にすると、必ず行き詰まります。
仕事の場合、それは3つの形で表れます。
1.成功しても、苦しみは形を変えるだけ
「好きなことを仕事にすれば、働く意味が分かる」といわれます。
ところが、好きな道で華々しく成功した人が、
かえって自由を失い、その仕事をやめたくなったと語ることは珍しくありません。
成功すれば、その立場を守る苦しみが始まります。
注目されれば、注目されることの重さが始まります。
左の肩の荷物を、右の肩に移し替えたようなもので、
荷物そのものは減っていないのです。
外から見て「いい仕事をしているな」とうらやまれる人ほど、
外からは見えない苦しみを抱えていることがあります。
仕事が順調なうちは、働くことが幸せに思えます。
ですがそれは、順調なうちだけなのです。
2.ローンを返すための人生になる
念願のマイホームの契約書にサインをした瞬間、
ふいに虚しくなった、という話があります。
返済にあと30年かかる。
その間、たいしてやりがいがあるわけでもない今の仕事を続けなければならない。
では、自分の残りの人生は、ローンを返すための人生なのか。
手に入れたはずのものが、そのまま鎖になってしまう。
これは特別な人の話ではありません。
毎朝、多くの人が同じ思いを胸にしまって電車に乗っています。
3.定年で、居場所がなくなる
かなり前に書かれた『セールスマンの死』という戯曲があります。
主人公は、ローンと日用品の修理に追われながら、年老いるまで働き続けます。
ようやく家の支払いが終わった時、そこに住む人はもう誰もいませんでした。
この主人公が何を売っていたのかは、作品の中で明かされません。
売っていたのは、自分の命だったからです。
私たちの命とは、私たちに与えられた時間のことです。
働いた時間だけ、命をすり減らして、欲しいものと引き換えている。
そう考えると、働くことの意味が定まっていないのは、
値段を知らないまま、命を売り渡しているのと同じです。
実際、定年退職した後、家にいても身の置き場がなくなる方があります。
中には、退職後も毎朝同じ時間に身支度を整えて家を出て、
公園で時間をつぶして夕方帰る、という方まであるといいます。
笑い話ではありません。
仕事が人生そのものだった人は、仕事がなくなった時に、
自分という存在をどこにも置けなくなるのです。
「肩書きを取ったら、何が残るのか」
その問いに答えが出せないまま、黄昏を迎えることになります。
「何のために働くのか」に答えられない
おかしなことがあります。
私たちは、働き方については実によく学びます。
効率のよい働き方、稼ぎ方、時間の使い方、老後の備え方。
書店にも、研修にも、あふれています。
ところが、何のために働くのかを教えてくれるものは、どこにもありません。
何のために貯金するのか分からないまま、お金を貯めます。
何のために働くのか分からないまま、働きます。
何のために生きるのか分からないまま、生きます。
手段については、もう十分すぎるほど教わりました。
足りないのは目的のほうです。
それなのに、目的だけが学校でも会社でも教えられないのです。
「働いてまで生きる意味があるのか」という問いに
誰も答えてくれなかったのは、当然のことでした。
その問いは普通、教わる場所がないのです。
働いても報われないと感じる本当の理由
私たちの一生を思い浮かべてみてください。
生まれて、学校へ行き、就職して、
結婚して、子供を育てて、家を買って、
やがて年をとって、老後の心配をします。
そして、その先はどうなるのでしょうか。
多くの人は、老後までは一生懸命に心配します。
ですが、そこから先については、考えることをやめてしまいます。
ふたをしたまま、ただ前に進んでいる。
その状態で「一生懸命働きなさい」「一生懸命生きなさい」といわれても、
それは行き先を告げずに「もっと速く歩け」と言われているのと同じです。
一生懸命歩けば歩くほど、確実に近づいているのは終着点です。
それでは、どれだけ頑張っても心が晴れるはずがありません。
明るくなりようがないのです。
仏教では、こうしてぐるぐると回り続けることを
「流転輪廻」と教えられています。
回る道には終わりがありません。
ところが、回っている私たちの命には限りがあります。
終わりのない道を、終わりのある命で回っている。
ここに、どうしようもない悲劇があります。
「生きていれば、そのうち何かいいことがあるだろう」
そう思って回り続けます。
ですが「いいことって何ですか?」と聞かれると、答えられません。
それは、目的がないということなのです。
最後は、誰も連れていけない
もう一つ、目を逸らしがちなことがあります。
働いて手に入れたものは、最後にどうなるのでしょうか。
財産も、地位も、名誉も、家も、
一つとして持っていくことはできません。
どれだけ長い時間をかけて築いても、
死ぬ時には、すべて置いていかなければならないのです。
それどころか、連れていける人さえいません。
お釈迦さまは、古い仏典の中でこう説かれています。
独生独死 独去独来
(出典:『大無量寿経』)
独り生まれ、独り死ぬ、
独りで来て、独りで去っていく。
初めから終わりまで、私たちの魂には連れがない、と教えられたお言葉です。
肉体の連れはあっても、魂の連れはありません。
だから、どれだけ多くの人に囲まれていても、寂しいのです。
職場にも家庭にも人がいるのに、誰にも分かってもらえない気がする。
親も、配偶者も、子供も、友人も、上司も、
本当のところは分かってくれない。
この、誰にも開けられない蔵のような心を抱えたまま、
私たちは毎朝、働きに出ているのです。
ここまで読んで、暗い気持ちになられたかもしれません。
ですが、これは絶望させるための話ではありません。
問題がハッキリすれば、解決法も分かるからです。
仏教は、ここから先を教えた教えなのです。
では、何のために働くのか
では、その人生の目的とは何なのでしょうか。
仏教では、私たちのすべての苦しみを生み出している大もとがある、と教えられています。
これを「苦悩の根元」といいます。
失恋や、病気や、貧しさや、職場の人間関係。
一つ一つの苦しみのことではありません。
それらを次々と生み出している、大もとのことです。
この苦悩の根元がなくなると、
何が起きても崩れない、本当の安心と満足の世界に出ることができます。
その世界に出ることこそが、私たち人間に共通する生きる意味であると、
仏教には教えられているのです。
これが「なぜ生きる」の答えです。
そして働くことは、この目的を果たすまで生き抜くための手段ということになります。
生きる意味そのものについては、以下の記事で詳しく解説しています。
➾生きる意味とは?分からない人へ哲学者と仏教の言葉を通して答えます。
目的が定まれば、苦労も悲しみも報われる
ここが、この記事で最もお伝えしたいところです。
目的を知って働く人と、知らずに働く人とでは、
同じ仕事をしていても、まったく違うものになります。
目的を知らずに働くのは、先ほどの、ぐるぐる回っている姿です。
何のために働いているのか分からないまま働くのですから、
どれだけ真剣にやっても、その真剣さが行き場を持ちません。
ところが目的がハッキリすれば、同じ仕事が変わります。
「そうだ、このために働くのだ」と、初めて方角が定まります。
働く意欲の一番の栄養は、給料でも役職でもありません。
人生の目的です。
そして、もっと大きなことがあります。
目的がハッキリすれば、これまでの苦労が無駄ではなくなるのです。
報われなかったと思っていた残業も、
歯を食いしばって耐えた時期も、
誰にも言えずに抱えてきた悲しみも、
すべては、この目的を果たすところまで生き抜くための道のりだったことになります。
苦労が消えるのではありません。
苦労の意味が変わるのです。
それは、生きているうちに果たせる
ここで、こう思われるかもしれません。
「そんな大きなことが、働きづめの自分に果たせるのか」
「それは死んでからの話ではないのか」
そうではありません。
本当の仏教を漢字四字で表せば、「平生業成」と教えられています。
「平生」とは、死んだ後ではなく、生きている平生ただ今ということ。
「業成」とは、人生の一大事業が完成するということです。
生きているうちに、生きる意味はハッキリする。
これが仏教の立場です。
特別な才能や、恵まれた境遇が要るのでもありません。
仕事を辞める必要も、どこかへ入る必要もありません。
今の生活のまま、働きながら果たせることです。
「働いてまで生きる意味があるのか」
そう問われたということは、
あなたはもう、手段と目的が入れ替わっていることに気づいておられるのです。
その問いは、行き詰まりではなく、入り口です。
では、その苦悩の根元とは具体的に何なのか、
それがどうすればなくなるのか。
そこを知っていただかなければ、話は先に進みません。
それについては、メール講座と、電子書籍にまとめてあります。
どちらも無料ですので、一度見てみてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)
東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ
X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)
京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。

