「現代人の仏教教養講座」

 

仏教ウェブ入門講座

仏教の教えと生きる意味を分かりやすく
体系的に学べる仏教の総合サイト

日本仏教学院ロゴ 日本仏教学院ロゴ

生きる意味を、知ろう。

どんな生き方をすればいいか知る方法

どんな生き方をしたらいいかわからない
生き方が分からない時、生き方に迷う時は、誰にでもあります。
なかなか自分の思うような人生にならない時、よかれと思ってやったことが裏目に出た時には、自分の生き方は間違っているのではないかと思います。
また、今は順調でも、何となく漠然と、このままでは後悔するのではないかと思うこともあります。
色々な生き方の疑問や不安が出てきます。

ところが、自分にとって一番いい生き方は、一体どのように選べばいいのかが、仏教に論理的に教えられています。

そこでこの記事では、以下の7つのステップで、生き方に迷う原因と、正しい生き方の選び方を解説します。
これで、人それぞれ、自分にとって最適の生き方が分かるようになると思います。

1.なぜ生き方がわからないのか

なぜ人は、生き方が分からなかったり、生き方に迷ったりするのでしょうか?

誰かと比べるから

理由としてよく言われるのは、誰かと比べて自分の生き方を考えるから、生き方がわからなくなる、ということです。
テレビをみていると、資産家や、スポーツ選手のように多くの人の注目を集めている人がいます。
それに比べてみると自分の生き方はなんてつまらないんだと、落ち込む人もいると思います。

そこまで有名人と比べなくても、両親や兄弟姉妹、親戚、友人、知人、隣人、周囲の人と比べて落ち込む人もいるでしょう。

しかし、比べたからといって同じ人生は歩めません。

そこで、大事なのは生き方を他人と比べることではなく、自分自身が納得できるか、自分が本当にやりたいことを見つけることだといいます。
しかし、どれだけ自分の心を見つめても、本当に納得できる生き方は見つかりません。
それは次の理由からです。

生き方しか考えていないから

生き方がわからなくなる本当の理由は、
生き方しか考えていないからです。
生き方だけ考えていて、正しい生き方が定まることはありません。

なぜなら「生き方」というのは、
どう生きるか」という
生きる手段」だからです。

手段は、目的を果たすためのものですから、
目的がわからないと手段は決まりません。
目的あっての手段です。

生きる目的があって、それを果たすためにどう生きるか
というのが生きる手段であり、生き方です。
生きる目的を知らずに、どれだけ生き方を考えても、
生き方が分かるはずがないのです。

次からは生き方と、生きる目的の関係について、さらに詳しくみていきましょう。

2.生き方と生きる目的の関係

生きることを、歩くことや走ること、
飛行機なら飛ぶことにたとえると、
生き方というのは、歩き方や走り方、飛び方にあたります。

歩き方や走り方には色々あります。
例えば、歩くのでも、歩幅はどの位なのか、
内股なのかがに股なのか、
どのくらいのスピードで歩くのか
歩くときの姿勢はどうか、人それぞれです。

ちょうどそのように、生き方にも色々あります。
学校でどんなことを学ぶのか。
社会に出て、どんな仕事につくのか。
結婚するか、しないか。
20代は独身でいくのか。
結婚しても、子供は生むのかどうか。
仕事に生きるという人もあれば、仕事を辞めて、育児に専念する人もあります。

そのような、自分はどんな生き方をすればいいのかをみんな悩みます。
明るく楽しく快適に生きていくのは、どんな生き方をすればいいのでしょうか?
自分の生き方を決める基準が必要になります。

ではどんな歩いたり走ったりする時の歩き方や走り方の基準は何でしょうか?
どう歩くか、どう走るかはどうやって選べばいいのかということです。

それは、どこへ行くのかという目的地によって変わります。
なぜなら、歩き方や走り方は、手段だからです。

例えば、ゴールが42.195キロ先にある場合、地面に両手をついて、クラウチングスタートで猛ダッシュする、という走り方をすると、すぐに力尽きます。
逆に、100m先にゴールがある短距離走なのに、立ったままのスタンディングスタートで、駅伝のような走り方をするという人もありません。
ゴールによって、走り方が変わって来るのです。

3.生きる目的なしの生き方

もしゴールがどこにあるのか分からずに走り続けたら、必然的にマラソンになり、走っているうちにどんなに走り方を改善しても、最後は走り倒れになります。

走ると疲れるので、歩いて行こうと思っても、歩く目的地が分からずに、歩いているうちに歩き方だけ努力向上しても、最後はやはり歩き倒れになるだけです。
歩いた苦労が水の泡です。

飛行機でも同じです。
飛んで行く目的地の飛行場が分からずに、色々な飛び方をしてみても、最後は墜落するだけです。
燃料がったいない、というより、壮絶な悲劇です。

ところが、人生も同じような状況ではないでしょうか。
生きる目的が分からずに、
色々な生き方をしてみても、
あっという間に人生は終わって
後悔の人生になってしまいます。

目的意識のない人生は、惰性で生きているとまで言われます。
人生というドラマにおいては、自分を主役にして脚本を書いた人と、
目的意識もなく惰性で生きた人とでは、
たいへんな違いができるのです。

生き方よりも先に、
何のために生まれてきたのか、
何のために生きているのか
なぜどんなに苦しくても自殺してはいけないのか
という生きる目的が、もっと大切なのです。

ところが、その生きる目的を誤解している人があります。

4.よくある生き方の誤解

生きる目的は何ですか?
と聞くと、政治や経済、科学や医学の進歩だと
思っている人があります。

確かに政治や経済、科学や医学は、生きるために必要です。
それはとりもなおさず、政治も経済も科学も医学も生き方であり、
どう生きるかという生きる手段ということです。

その理由が一番分かりやすいのは医学です。
医学は、どうすれば快適に、一秒でも長く生きられるかということですから、
やはりどう生きるかという生きる手段です。

快適に生きていく第一条件が、健康です。
どういうものを食べたらいいのか、どんなものを飲めばいいのか、睡眠や運動も大切だと、みんな健康に関心を持っています。

飛行機にたとえると、どうすれば快適に、少しでも遠くへ飛べるか
ということです。
もし目的地の飛行場なしに、
快適に遠くへ飛ぶことばかり追及していたらどうでしょうか?
最後は墜落の悲劇あるのみです。

同じように、政治も経済も科学も医学も、
どうすれば仲良く豊かに便利に長く生きられるかという
生きる手段です。
政治は、ニュースで放送されます。
政治の建前は、国民の生命と財産を護ることです。
まさか本音は私腹を肥やすこと、ではないでしょう。
税金はどうすればいいのか、その使いみちはどうすればいいのかを追及します。
それはどうすればみんながより快適に長く生きられるか、ということです。

特に経済と科学は、どんどん進歩しています。

生き方の向上の先には何があるのでしょうか?

5.生き方だけでは安心も満足もない

経済なら、お金やものが乏しい貧しい日本が、経済発展によって、お金もものも足りなくなりました。
飢饉で餓死する人もありません。
生活必需品は誰でも買えます。
経済発展によって、衣食住を整える苦労が緩和されて、快適に生きられるようになってきたのです。

科学なら、農家の方が、畑を耕す時に使っていたくわが、科学によって耕運機になりました。
非常に快適です。
米作りは脱穀で使っていた「千歯こき」が、科学の力でコンバインになりました。
つい最近まで川で洗濯していたのが、全自動洗濯機ができました。
ボタン一つで乾燥まで行けます。
大変に便利に生きられるようになっています。

ところが天才科学者、アインシュタインはこのように言っています。

アインシュタインアインシュタイン

手段は完全になったというのに、肝心の目的がよくわからなくなったというのが、この時代の特徴と言えるでしょう。
『アインシュタイン150の言葉』

どれだけ科学が進歩しても、
心からの安心も満足もないのはそのためです。

同じように、お金や財産、地位、名誉などを
生きる目的だと思っている人がありますが、
それらもみな生きる手段です。

それ自体どれだけあっても、
これで満足したということはありません。
人間に生まれてきたのはこれ一つためであった」という
本当の生きる目的ではないのです。

6.生き方だけでは安心も満足もない理由

なぜどんな生き方をしたところで、幸せになれず、
心からの安心も満足もないのでしょうか?
仏教では、このように教えられています。

真・仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。

真・仮」とは、
」とは生きる目的
」とは生き方や生きる手段のことです。

知らざるによりて」とは、
区別がつかないから、ということです。

如来広大の恩徳」とは
人間に生まれてよかった」という喜びです。
喜びといっても、欲望を満たす喜びとは違います。
人間に生まれてよかったという生命の歓喜です。

その生命の歓喜が起きず、つまらない人生ないのは、
生きる手段」を「生きる目的」のように思い、
本当の生きる目的と、生きる手段の区別がつかないからだ
と仏教では教えられています。

逆に、本当の生きる目的が分かれば、
それに応じて生き方を選んで行くことができます。

7.正しい生き方選びの原則

では、どのように生き方を選べばいいのでしょうか?

本当の生きる目的は、仏教に教えられていますから、
浄土宗を開かれた法然上人はこのように教えられています。

現世を過ぐべきようは、念仏申されんようにに過ぐべし。
念仏の妨げになりぬべくば、何なりともよろづをいとい捨てて、これをとどむべし。

念仏申されんように」とは、仏教を聞けるようにということです。
本当の生きる目的は、仏教に教えられているから
この世は仏教を聞けるように生きなさいということです。

さらにこのように続きます。
いわく、ひじりで申されずは、妻をもうけて申すべし。
妻をもうけて申されずは、聖にて申すべし

結婚して仏教を聞ければ結婚すればいいし、
結婚せずに仏教を聞ければ結婚しなければいい、
ということです。

また、浄土真宗の蓮如上人はこのように教えられています。

仏法を主とし、世間を客人とせよ」といえり。
仏法の上よりは、世間のことは時にしたがい相働くべき事なり

仏教に教えられる本当の生きる目的が主人で、どう生きるかという生き方はお客さんですよ、
本当の生きる目的にしたがって、その時その時の生き方を考えなさい
ということです。

本当の生きる目的が分からなければ、
生き方は分かりませんし、
生き方に正しいも間違いもありません。
目的なしの「生き方上手」も「生き方下手」もありません。
生き方が分からずに悩むだけです。

ところが、仏教を聞いて、本当の生きる目的が分かれば、
あとは、人それぞれ、
自分に最適な正しい生き方を選ぶことができるのです。
まず生きる目的を知ることが、
生き方選びの原則です。

生きるも目的については、こちらの記事もご覧ください。
本当の生きる目的とは

生き方を知りたければ本当の生きる目的を知る

今回は、生き方がわからない方へ、生き方を知る方法を7つのステップでお伝えしました。
生き方を知るには、先に生きる目的をしる必要があります。
生き方は、生きる目的の手段だからです。
手段は目的があってはじめて、決定しますので、
生き方を知りたければ、まず生きる目的を明確にしましょう。

では、本当の生きる目的は何だと
仏教に教えられているのでしょうか?

本当の生きる目的は、仏教の真髄ですので
電子書籍とメール講座にまとめておきました。
一度目を通しておいてください。

関連記事

目次(記事一覧)へ

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

著作