菩提と菩提心
「菩提」とは、「ぼだい」と読みます。
「菩提」に関連する言葉として以下の言葉があります。
菩提を弔う
死者の冥福を祈ることを、俗に<菩提を弔う>という。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
菩提寺
一家が代々その寺の宗旨に帰依して、そこに墓所を定め、葬式を営み、法事などを依頼する寺。
一家が累代菩提を求める寺。
檀那寺。
香華院。(引用:小学館『スーパーニッポニカ 国語辞典』)
どちらも菩提を死者のような意味で使われていますが、
これは仏教の使い方ではありません。
では「菩提」とは一体どんな意味なのでしょうか。
そして「菩提」に心をつけた「菩提心」とは何なのでしょうか?
菩提の意味
菩提の意味を知る上で、参考に仏教の辞典を参照してみましょう。
菩提
ぼだい
サンスクリット語・パーリ語bodhiの音写。
漢訳して<智><道><覚>などという。
悟りの智慧。
これを得た者が仏であり、これを目指す有情(衆生)を菩薩という。
また広く声聞菩提・独覚菩提・仏菩提を<三菩提>ともいう。
このうちで仏菩提は至高であるため、無上正等覚または無上等正覚(阿耨多羅三藐三菩提)とも呼ばれる。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
これでは少々分かりにくいので、もう少し分かりやすく簡単に解説していきます。
菩提=仏のさとり
菩提とは、仏のさとりのことです。
『阿弥陀経』などに出てくる
「阿耨多羅三藐三菩提」の略です。
「阿耨菩提」ともいいます。
これは、仏教で教えられる52のさとりの中でも、最高のさとりである仏のさとりです。
よく、亡くなった方の冥福を祈ったり、何かお供えして供養することを「菩提を弔う」といいます。
これは、死んだら仏になれると思っている人が使いますが、仏教では死にさえすれば仏になれるわけではありませんので、この使い方は仏教では間違いです。
地球上で仏のさとりを開かれたのは、世界の四大聖人、三大聖人といってもトップにあげられるお釈迦さまただ一人です。
ですから「釈迦の前に仏なし 釈迦の後に仏なし」といわれます。
その大宇宙最高のさとりを「菩提」といわれるのです。
阿耨多羅三藐三菩提について、詳しくは下記もご覧ください。
➾阿耨多羅三藐三菩提(仏のさとり)とは?大宇宙最高の真理
菩提薩埵とは?
菩提と非常に関係する言葉に、菩提薩埵という言葉があります。
菩提薩埵は、仏のさとり(菩提)を求める人(薩埵)という意味で、短縮して菩薩といいます。
「菩薩」のほうが馴染みあるかもしれません。
観音菩薩や地蔵菩薩のことのように思い、
菩薩は自分と関係ないと思う人もあるかもしれませんが、
仏教を聞き、本当の幸せ(さとり)を求める人は全て菩薩です。
そして菩薩のもつ心を、菩提心とも言います。
菩提心とは?
次に「菩提」に「心」をつけた「菩提心」とはどんな意味でしょうか?
こちらも、仏教の辞典を見てみましょう。
菩提心
ぼだいしん[s:bodhi-citta]
<道心><道意><道念><覚意>ともいう。
<無上道心><無上道意>の訳語もある。
悟り(菩提)を求める心、悟りを得たいと願う心などの意味。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
菩提心は非常に大切な心で、
どれくらい大切な心かというと最澄の言葉を借りてみます。
国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。
道心有るの人を名づけて国宝と為す。(引用:『山家學生式』)
道心とは、菩提心のことで、
絵画や彫刻、工芸品、書跡・古文書などが国宝ではなく、
菩提心が国宝だと表現されています。
菩提心の意味が分かれば、なぜ大切なのかが分かります。
菩提は仏のさとりですので、仏のさとりを求める心です。
仏のさとりというのは、本当の幸福ですので、本当の幸福を求める心ともいえます。
この世の幸せがはかなく、続かないことが知らされて、どこかに変わらない幸せはないかと求める心が菩提心です。
また、本当の生きる目的を知りたい、達成したいと思う心も菩提心です。
毎日が同じことの繰り返しで、しかも苦しいことばかりだと
「何のために生きているのだろう」
「自分の人生はこんなものなのだろうか」
「今のまま行くと後悔するのではないだろうか」
という内なる心の呼びかけが聞こえてきます。
そして「本当の生きる目的は何なのだろうか?」
という心が起きるのです。
そして、本当の幸せや、人生の目的は、仏教にしか教えられていませんので、菩提心というのは「仏教を聞きたい」という聞法心です。
菩提心をおこす
このように、
「本当の幸せになりたい」
「本当の生きる目的を知りたい」
「仏教を聞きたい」という心をおこすことを、
「菩提心をおこす」と言います。
ところが私たちは迷いが深いので、普通、苦しいことが次々起きても、問題を解決して苦しみから逃れたいと思うだけで、
「なぜ生きているのだろう?」とか、
「苦しみを根本的に解決したい」とは思いません。
変わらない幸せがあるとも思っていません。
それなのに、菩提心がおきるのはどうしてなのでしょうか?
なぜ菩提心がおきるのか
「袖触れ合うも多生の縁」
といわれるように、仏教では、結果には必ず因と縁があります。
「多生」とは、生まれ変わり死に変わり、輪廻転生してきたたくさんの生ということですから、
「袖が触れ合う」というちょっとした結果も、遠い過去世からの因縁があるのだということです。
ましてや菩提心をおこすというのは、袖が触れ合うとは比較にならない大変なことですので、ちょっとやそっとで起きることではありません。
菩提心がおきるのは、頭の善し悪しとか、職業や年齢、人生経験とは関係ありません。
かなり年がいっても、起きない人は起きませんし、まだ子供でも、起きる人は起きるのです。
それはなぜかというと、遠い過去世から私たちをご覧になられた仏さまが、
「本当の生きる目的を知らず、一時的な幸せばかりに目を奪われて苦しんでいる。
かわいそうだ、何とか救ってやりたい」と思われて
「菩提心をおこさせてみせる」という誓いをたてられたのです。
その絶大な念力に引っ張られ、お育てにあずかった深い仏縁があって、初めておきるのが菩提心なのです。
ですから、何億年、何兆年、果てしなく遠い過去から仏法を聞いてきて、約1400年前の中国の善導大師は、このように教えられています。
過去已曽 修習此法 今得重聞 即生歓喜
(引用:善導大師『観無量寿経疏』)
「過去」というのは、善導大師の過去世です。
「過去にすでにかつて、此の法を修習してきた」
ということは、過去世に仏教を聞いてきたということです。
ですが、救われずに死んでしまったのです。
そして、生まれ変わり死に変わり、長い間、お育てにあずかってきたのです。
そのように重ねて重ねて仏教を聞いてきて、
「今重ねて聞くことを得て、即ち歓喜を生ずる」
千年や一億年の話とは違います。
遠い過去世からの深い仏縁があって、今生に本当の仏教を聞いて、絶対変わらない絶対の幸福に救われた、ということです。
ですから、今あなたも、このように仏教の教えに関心をお持ちで、このサイトにたどりついたということを、たまたまだと思っているとすれば、それは真相を知らないだけです。
実は、過去世からの深い因縁があるのです。
それは仏教の教えによって、本当の幸福に救われたとき、ハッキリします。
本当の幸せになるには?
今回は、菩提と菩提心の意味について、詳しく解説しました。
菩提とは、仏のさとりであり、本当の幸福のことです。
菩提心とは、仏のさとりを求めることであり、
本当の幸福になりたいと思う心で、聞法心のことです。
このような菩提心がなぜ起きるかというと、
生まれる前の過去から仏法を聞いてきて、
仏さまのお育てにあったからです。
しかしまだ本当の幸福になれなかったため、今の苦しみがあります。
では、どうすれば仏教を聞いて、一時的な幸せではなく、色あせることのない本当の幸せになれるのかについては、
仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座にまとめておきました。
何億年、何兆年かかってようやくたどりついた、かけがえのない機会ですので、一度見ておいてください。
関連記事
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)