仏のさとりとは?

阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい」は「仏のさとり」のことで、
大宇宙最高のさとりです。
他にも「仏覚ぶっかく」とか
正覚しょうがく」、
無上覚むじょうかく
ともいわれます。

それはどんな境地なのか、調べようとしてもなかなか分かりません。
一体どんな境地なのでしょうか?

阿耨多羅三藐三菩提とは

般若心経や、阿弥陀経など多くの経典に出てくる仏語なので、
聞いたことがある人は多いでしょう。

阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい」について、
参考までに辞書の意味を確認しておきましょう。

阿耨多羅三藐三菩提
あのくたらさんみゃくさんぼだい
サンスクリット語anuttarā samyaksaṃbodhiḥに相当する音写。
無上の真実なる完全な<悟り>の意で、<無上正等覚><無上正真道><無上正遍知>などと漢訳され、また<阿耨菩提>とも略称される。
仏の悟りをさす。
原始仏教から大乗仏教まで、広く仏教が目的とする悟りの意味で用いられる。

阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい 」を「無上の真実なる完全な悟り」といっているのは、
「あのくたら」が無上の、
「さんみゃく」が真実なる、
「さん」が完全な、
「ぼだい」が悟りということです。
これでは最高無上の、これ以上ない悟りということは分かりますが、
どのような境地なのか分かりませんので、
以下では更に詳しく説明します。

最高のさとりの位

仏教では、さとりといっても、
低いものから高いものまで、全部で52あります。
これを「さとりの52位」と言います。

ちょうど、相撲取りなら、下は下っ端から、
上は大関横綱まであるようなものです。

そのさとりは、1段違えば人間と虫けらほど境涯が違う
といわれるほどの大変な違いがありますが、
そのたくさんのさとりの中でも最高のさとりを、
仏覚ぶっかく」とか、
仏のさとり」といいます。

今日まで、仏のさとりを開かれた方は、
地球上では、お釈迦様です。

お釈迦様のことは下記で詳しく書いています。
ブッダ(お釈迦様)の生涯と教えを分かりやすく簡単に解説

大宇宙の真理を発見

お釈迦様は、仏のさとりを開くことで、
大宇宙最高の真理を発見したといわれます。

釈迦は誰かの言葉を伝える伝達者ではありません。
この人自身が宇宙の真理の発見者です。

お経にはこう説かれています。

縁起の法は我が所作に非ず。
また余人の作にも非ず。
しかるに彼の如来出世するも、及び未だ出世せざるも法界常住なり。

(漢文:縁起法者 非我所作 亦非餘人作 然彼如來出世 及未出世 法界常住)

縁起の真理は、私が作ったのではない。
また、誰か他の人が作ったのでもない。
仏のさとりを開いた人がこの世に現れても、いまだ現れなくても、
大宇宙に常に存在しているのだ、ということです。

仏教でいわれる真理とは何かについては、こちらの記事をお読みください。
真理とは。何の役に立つの?西洋哲学と仏教の真理の違い

ですから仏教は、誰かが考え出した教えではありません。
ただお一人ですから、
釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし
といわれます。

悟りについては、下記もご覧ください。
悟りを開くとは?52段階の悟りの境地と意味を分かりやすく解説
悟りを開く方法、戒定慧の三学について

では、仏のさとりとはどんな境地なのでしょうか?

仏のさとりの境地とは?

仏とは、一言でいうと、こういうものだと善導大師が教えられています。

自覚覚他じかくかくた 覚行窮満かくぎょうぐうまん、これを名づけて仏となす。
(漢文:自覚覚他覚行窮満 名之為仏)

これは、仏とは「自覚覚他じかくかくた 覚行窮満かくぎょうぐうまん
であるということです。
仏のさとりを開いた人は、必ずこうなります。

自覚じかく

自覚じかく」とは自ら覚るということです。
何をさとるのかというと、大宇宙の真理です。
それは、因果の道理であり、私たちが幸せになれる真理です。

覚他かくた

ところが、自分が幸せに救われると、
他人はどうなってもいいとは思えないのが仏様です。
自分が幸せになったら、必ず他の人にも幸せになってもらいたい
という心がでてきます。
それが「覚他かくた」です。

覚他」とは他を覚らしめるということで、
他の人を幸せにする、ということです。

覚行かくぎょう

自分が幸せになったからといって、
他の人はまだ迷いのまっただ中です。
何のために生まれてきたのか、生きる目的が分からず、
生きる手段ばかりで苦しんでいます。

そんな苦しんでいる人を何とか助けたいと
立ち上がらずにおれませんから、
覚行かくぎょう」となります。

覚行」とは覚りのままに行ずるということで、
他人を幸せにする利他の行いをすることであり、
仏法を伝える実行に現れるということです。

窮満ぐうまん

窮満ぐうまん」とは完全無欠で極まりがないということで、
これだけ言っても聞かないのなら、もう勝手にしろ
とは思えません。
その目的を果たすまで行い続けるということです。

このように「自利利他じりりた」満足されている方を仏といい、
仏の心というのは「自覚覚他じかくかくた 覚行窮満かくぎょうぐうまん」なのです。
これが仏教の究極の目的なのです。

これは「自覚覚他」といっても
自利利他」といっても同じことです。

仏法精神は自利利他

今回は、阿耨多羅三藐三菩提のことと、仏のさとりの境地について、解説しました。

阿耨多羅三藐三菩提は、「仏のさとり」ともいわれ、
大宇宙最高の真理のことです。
科学者が物理的真理を発見したように、お釈迦様は大宇宙の真理の発見者でありました。

阿耨多羅三藐三菩提はどのような境地かというと、
自覚覚他覚行窮満」と教えられています。

自覚覚他覚行窮満は、自利利他とも言われますが、
自利利他とはどんなことかというと、
自利とは、自分の幸福、
利他とは、他人の幸福です。

自分が幸せになると同時に、他人も幸せになってもらいたいということです。
自分が喜んでいるだけでなくて、他人にも伝えて喜びの身になってもらいます。
自利のままが利他。
利他のままが自利。
他人の喜びが自分の喜びになります。

自利利他の人は極楽往きですが、自分のことしか考えていない我利我利亡者は地獄行きです。

ある人が、地獄というのは、どんなところだろうと見学に行ってみました。
すると、地獄はちょうど昼時で、テーブルの上にはたくさんの山海の珍味が用意されていました。
ところが、地獄の人たちは、みんな、骨と皮のようにやせ細っています。
どうしてかと見ていると、地獄の箸は、3メートルくらいあって、それで食べようとしても、少しも食べられませんでした。
それを見た男は、
こんなご馳走を目の前にして少しも食べられないとは、何と恐ろしいところだ
と思って、次は極楽へ見学に往ってみました。
すると、極楽も地獄と同じようにテーブルにたくさんの料理が用意されていました。
そして箸も地獄徒同じように3メートルありました。
それなのに極楽の人たちは、ふくよかです。
食事が始まると、極楽の人たちは、
はい、あーんして
と向かいの人に食べさせ始めました。
そしてお互いに食べさせていたので、みんな幸せだったのです。

仏教では、我利我利が一番ダメなのです。
仏のさとりは、自覚覚他ですから、一人で喜んでいることはできません。
自分が救われたら、人に伝えずにおれなくなります。
それでお釈迦様は、七千余巻の一切経を説かれているのです。

仏法精神といえば自利利他です。
自分だけ幸せになるのではなくて、
自分も幸せになる、他人も幸せになる、みんな幸せになるということです。
常に自利利他を心がけなければなりません。

自利利他は仏教の真髄であり、菩薩の目標でもあるのです。

この仏のさとりを開くには、通常大変な時間がかかるのですが、
仏のさとりを開く最短コースについては、電子書籍とメール講座に
まとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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