悟り(さとり)とは?

さとり」というと、何かに気づいたとき、「さとった」と言います。また、人生を達観している人や、年配の立派な人を「あの人はさとりを開いているから……」ということがあります。本当にそれが悟りなのでしょうか?

さとりとは諦めやひらめきのこと?

さとり」という言葉はよく、苦しいことが起きたとき、「人生さとった」という人があります。
これは諦めたというような意味です。

他にも、何か気づきをえたとか、何かがひらめいたことを、「さとった」という人がありますが、さとりは、諦めとかひらめき、気づきとはまったく違います。

さとりは、1段違えば、人間と虫けらほど境涯が違うといわれます。

虫けらに、テレビやパソコンのことを教えようとしても、とても分かるものではありません。

気づきやひらめきの内容は、人間でも説明すれば、充分理解可能ですからさとりではありません。
さとりというのは、そんな程度ではなく、境涯が変わってしまうのです。

さとりの種類と名前

仏教では、さとりといっても1つや2つではありません。
1段違えば人間と虫けらほど違うさとりが、低いものから高いものまで、全部で52あります。
これを「さとりの52位」と言います。

それぞれのさとりはどんな名前かといいますと、
 1段目から10段目を「十信」、
(1段目を初信、2段目を二信、3段目を三信……10段目を十信)
11段目から20段目を「十住」、
(11段目を初住、12段目を二住、13段目を三住……20段目を十住)
21段目から30段目を「十行」、
(21段目を初行、22段目を二行、23段目を三行……30段目を十行)
31段目から40段目を「十回向
(31段目を初回向、32段目を二回向、33段目を三回向……40段目を十回向)
41段目から50段目を「十地」、
(41段目を初地、42段目を二地、43段目を三地……50段目を十地)
といいます。

51段目は、ほとんど仏のさとりと等しいということで、「等覚」と言われます。

そして一番上の、下から数えて52段目のさとりが「仏覚(ぶっかく)」と言われ、仏のさとりです。
これ以上、上が無い、「無上覚(むじょうかく)」といわれたり、妙なるさとり、「妙覚(みょうかく)」とか、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」ともいわれ、仏のさとりには色々な名前があります。

崩れないさとり

このさとりの52位の中で、40段目までを「退転位(たいてんい)」といい、41段目以上を「不退転位(ふたいてんい)」といいます。

退転(たいてん)」とは、油断するとさとりが崩れることをいいます。

ですから、2段目、3段目とさとっても、気を抜くと、がらっと崩れて元の木阿弥になってしまいます。

そして41段目以上の「不退転位」まで行くと、どんなことがあっても崩れないさとりの位となります。

さとりを開くことを山登りにたとえると?

さとりを開くことを山登りにたとえると、最初はみんな「凡夫(ぼんぶ)」といわれ、1段もさとりを開いていませんから、山のふもとにいるようなものです。

それが、山に登り始めて、一合目まで登ると、ふもとにいたときより、遠くまで見えるようになります。

二合目まで登ると、もっと遠くまで見えるようになります。
二合目より三合目、三合目より四合目と、登れば登るほど見える景色が広がっていきます。

51段までいっても、山の片側しか見えませんが、頂上まで登りつめたとき、360度ぐるりと見渡せるようになりす。

そのように、さとりの段階を登って行き、最後、52段の仏のさとりに到達すると、大宇宙の真理のすべてを体得できるのです。

これまでさとりを開けた人は?

今日まで、地球上で仏のさとりを開かれた方は、
釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」と言われるように、お釈迦さまただお一人です。

人類の歴史上、52段目の最高のさとりまで到達できたのはただ一人ですが、2番目は誰かというと、お釈迦さまの700年後、インドに生まれられた龍樹菩薩です。
41段のさとりを開かれました。
その200年後には、無著菩薩が、同じく41段のさとりを開かれています。

人類で2番目に高いさとりを開いたのは、この龍樹菩薩と無著菩薩で、41段です。

面壁九年という手足が腐るほど厳しい修行をして禅宗を開いた達磨でも、30段程度だったといわれます。

天台宗を開いた天台は、臨終に、弟子の智朗から、
先生はどのあたりまでさとりを開かれたのですか?
と聞かれて、
一人で修行に打ち込んでいれば、多分10段まで行っただろうけど、弟子の指導育成に当たっていたために、そこまで行けなかった
と答えています。

八宗の祖師といわれて、あらゆる宗派から尊敬される
龍樹菩薩でも41段、
禅宗を開いた達磨でも30段、
天台宗を開いた天台大師でも10段程度ですから、さとりを開くのがいかに難しいかわかります。

では、地球上で唯一仏のさとりを開かれたお釈迦さまが体得された大宇宙の真理とは何なのでしょうか?

さとりの内容

大宇宙の真理といっても、数学的真理とか、科学的真理ではありません。
すべての人が本当の幸福になれる真理です。
これを「真如(しんにょ)」といいます。

真如は、言葉で表せるものではなく、言葉を離れた世界なのですが、言葉でなければ伝えられません。

その真如を体得され、仏のさとりを開かれた方を、仏とか、仏様、はたまたブッダと言われるのです。

約2600年前、35歳で仏のさとりを開かれて、真如を体得されたのがお釈迦様です。

悟りの段階を決めた人は?

たまに、「悟りの段階は誰が決めたんですか?」とか、「どれ位悟ったかは誰が認定するんですか?」と聞く人がありますが、誰かが決めたものではありません。
分かり易く言えば、お釈迦さまが発見されて、1段悟るとこんなことが知らされてこんな境地になる、もう1段上るとこんなことが知らされてこんな境涯になるということを、お釈迦さまが説き明かされ、それがお経に書き残されているのです。

ですから仏教は、誰かが考え出した教えではありません。
ちょうど、ニュートンが万有引力の法則を作り出したのではないのと同じです。
万有引力の法則は、ニュートンが現れる前からあったのですが、それをニュートンが発見して法則として明らかにしたようなものです。

アメリカ大陸は、コロンブスが創り出したものではありません。
コロンブスが発見して、西洋のみんなに教えたものです。

ですから、万有引力の法則が、ニュートンの思想とは言われないように、仏教も、釈迦の思想というわけでもありません。
地球上で唯一、仏のさとりを開かれたお釈迦さまが、すべての人が本当の幸福になれる道を発見され、言葉を尽くして教えられたのが、仏教なのです。

では、そのすべての人が本当の幸せになれる道とは何かということは、仏教の真髄ですが、メール講座と小冊子に分かりやすくまとめました。
ぜひ一度読んで見て下さい。

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