因縁いんねんとは?

因縁の対決」「因縁をつける
夫婦になったのは過去世からの因縁
など、色々な場面で使われる「因縁」という言葉ですが、
もとは仏教の言葉です。
どんな意味でしょうか?

世間の因縁の意味

因縁」とは、もともと仏教の言葉ですが、
世間では「関係」という意味で使われています。

因縁の対決」であれば、
過去に何らかの関係があった2人の対決です。
例えば、過去に一度対決したことがあり、
負けたほうが「雪辱を晴らしたい」と思っていた対決だったり、
親を倒された子供が、敵討ちに挑む戦いだったりします。
何の関係もない2人は、因縁の対決にはなりません。

因縁をつける」というのは、逆に、
もともと何の関係もないのに、
今にらんでいただろう
などと無理に関係をつけて、
からんでくることを言います。

夫婦になったのは過去世からの因縁だ」というのは、
人間に生まれる前から、何かの関係があったということです。
例えば「生まれかわったらまた夫婦になろうな
という約束があったとか、
逆に、過去世は仇同士で、
今生では第二ラウンドを始めているという説もあります。

このように世間では、
関係のことを因縁というのですが、
仏教ではもっと詳しく教えられています。

すべてのことには因縁がある

仏教では「すべての結果には、必ず原因がある
と教えられています。
これを「因果の道理」といい、
仏教の根幹です。

ブッダは、因果の道理にしたがって仏のさとりを開かれ、
人生に起きる、数え切れないほどの現象は、
すべて原因があって起きたものだと、
このように説かれています。

一切法は因縁生なり。

これは『正法念処経しょうぼうねんしょぎょう』にも説かれ、
龍樹菩薩りゅうじゅぼさつも『大智度論だいちどろん』に教えられていることです。

一切法」とは、一切の法ということで、すべてのもののことです。
因縁」とは原因のことですから、
一切法は因縁生なり」とは、
すべてのものは原因があって生じたのだ、
すべての結果には必ず原因がある
ということです。

因縁」は一つの意味で使うときは
」=「」で、どちらも原因ということですが、
その原因を2つに分けると、
」と「」は違う意味になります。

因と縁の違い

因縁を因と縁に分けた場合、
」は原因ということで、直接的な原因です。
」は助縁ということで、間接的な要因で、
因が結果になるのを助けるものです。

例えば米を結果とすれば、
それを生じる因はモミダネです。
ですが、モミダネを机の上に置いておいたり、
北極の氷の上に置いておいても、
米にはなりません。
モミダネが米になるのを助ける、
土や水、空気や温度や栄養など、
さまざまなものが必要です。

このような、間接的な環境要因や条件を、
」といいます。

図にするとこうなります。
因:モミダネ
 │
 ├──── 果:米
 │
縁:土、水、空気、温度、栄養……

このように、結果は、
因だけでも起きませんし、
縁だけでも起きません。
因と縁がそろってはじめて結果が現れます。

では私たちの人生に起きてくる、
色々な運命の因縁はどうなるのでしょうか?

運命の因縁

私たちの運命を結果とすると、
」は、私たちの行い、
」は、環境や他人の行いなど、
自分の行い以外のすべての要因です。

私たちの行いを「ごう」ともいいますから、
何かの行いをすると、
それは目に見えない業力となって消えずに残ります。
ちょうどポテンシャルエネルギーとしてスタンバイされるようなものです。
そこへやがて縁がきて、因と縁が結びついたときに、
目に見える結果となって現れます。
」は、業力運命になる引き金のようなものです。

そのため、
因だけでも結果は起きませんし、
縁だけでも結果は起きません。
必ず因と縁がそろって、結果となります。

ですから、仏教の根幹である
因果の道理」のことを、
因縁果の道理」ともいいます。

ちなみに、仏教をかたる新興宗教ではよく、この因縁を仏教と違う意味で使っています。
それが先祖の因縁です。

先祖の因縁

新興宗教では、事故に遭ったり病気になったりすると、
それは先祖の因縁だ」とか、
先祖の因縁が芽生えた」といいます。

具体的には例えば、先祖のある人が地主として立派な家に住んでいたりすると、そのあたりをほめた上で、ただそのお金を儲けるためには、知らず知らずのうちに他の人を苦しめることもあった。
その因縁が今芽生えてきて、あなたに病気という苦しみがあらわれた、などといいます。
そして、その因縁を断ち切るための先祖供養といってお金をとるわけです。

これは仏教ではなく、先祖の因縁が子孫に報いるという日本の俗信を活用しているのですが、非常に便利です。
なぜかというと、先祖は無限にいるからです。
どんな人でも1代上の親の世代は2人、2代さかのぼると祖父母は4人、3代さかのぼった曾祖父母は8人……
と倍々で増えていきます。
何か苦しいことが起きるたびに、7代さかのぼった先祖、今度は12代さかのぼった先祖と、違う先祖のせいにして、その因縁を断ち切るためのお金を限りなく納めさせることができるのです。

ところが仏教では、先祖の因縁が子孫に報うということはありません。
自分の行いが結果を報う因果応報であり、自業自得ですから、先祖の悪い行いが子孫に結果を現すというのは、仏教の教えとは異なります。
もしこんな先祖の因縁を仏教にもとづいているという宗教があれば、仏教の伝統と信頼性を利用したですから、気をつけた方がいいでしょう。
仏教の因縁は、因というのは自分の行い、縁は環境や他人の行いなど、それ以外の要因です。
自分が何かの行いをすることによって、目に見えない因がポテンシャルエネルギーのようにスタンバイされます。
そこに縁というトリガーがやってきて、目に見える運命があらわれるのです。

苦しい運命の因縁

では苦しい運命の因縁はどうなるのでしょうか?

例えば、旦那のDVに苦しむ奥さんの場合を考えてみます。
その奥さんは、とても働き者で、思いやりがあり、
近所でも評判のいい人でした。

それにひきかえ旦那は無職で、
一日中遊びほうけています。
夜遅く帰ってくると、奥さんに暴力をふるって、
奥さんが働いて稼いだお金を全部巻き上げ、
パチンコや競馬に使ってしまいます。

最近は浮気をしている気配もあります。
奥さんは毎日、
なんで私がこんなに苦しまなければならないの?
もう全部この夫のせいよ
」と苦しんでいます。

この場合、奥さんが苦しんでいる結果に対して、
旦那の言動は、他人の行いですので
」になります。

では「」である奥さんの行いは何でしょうか?

この奥さんがまだ結婚する前、
奥さんの周りには、たくさんの男がいました。
その全員がギャンブル好きの怠け者で、
暴力をふるう男ばかりではありませんでした。

ところが奥さんは、よりによってこんな悪い男を
好きになってしまったのです。
しかも、当時、2人で両親に結婚の挨拶に行ったとき、
彼が帰った後、
あの男だけはやめておけ
と反対されたのです。
周りから見れば一目瞭然の悪い男だったからです。
それにもかかわらず奥さんは
恋は盲目☆
と反対を押し切って、
結婚してしまったのです。

このように、そんな男を好きになって結婚したのが、
この奥さんが苦しみの「」なのです。

これが「自業自得」です。
自分の行いに縁が結びついて、結果を生み出しているのです。

嬉しい運命の因縁

逆に、どんないい縁があっても、
自分の行いがなければ
いい運命は現れません。

1987年、400年ぶりの超新星爆発から
ニュートリノを検出してノーベル賞を受賞した
東大の小柴昌俊こしばまさとし教授は、みんなから
が良かったですね
と言われました。
もしその時たまたま超新星爆発が起きなければ、ノーベル賞は受賞できなかったからです。

ところが小柴教授は
運がいいなんてありえない。
チャンスは周到な準備をした者だけにやってくる

と答えています。

この例では、超新星爆発が「」です。
その日、ニュートリノは全人類に降り注いだのですが、
観測という行いをした人だけに
ノーベル賞受賞という運命が起きたのです。
やはり自業自得です。

このように、因だけでも結果は起きませんし、
縁だけでも結果は起きません。
結果が起きたということは、
因も縁もそろったということですから、
必ず何かの因が、自分にあるのです。

因縁によってブッダが発見されたこと

自分が苦しんでいるのを、
災害や他人などの縁のせいにしていると、
その災害や他人が変わらなければ、
自分の運命は変わりません。

自分の運命を縁に依存していると、
縁に縛られているようなものですから、
余計苦しみます。

自分でどうにもならない他人や環境などの縁を変えようとするよりも、
自分が変えられる自分の行いを考えることが大事です。
自分の心がけを変え、行いを変えることによって、
未来はいくらでも変えられます。

生まれつきや環境によって
運命が決まっているのではありません。
縁をうらまず、百パーセント自己責任と思って、
自分の行いを変える心がけが、
幸せを生みだして行くのです。

この「すべての結果には必ず原因がある
という因果の道理に立脚して、
ブッダは、私たちの苦しみ迷いの根本原因を発見されたのです。

そして、その苦しみ迷いの根本原因さえなくせば
ありのままで本当の幸せになれることを発見されたのです。

その苦しみ迷いの根本原因については、
仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座にまとめておきました。
一度見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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