勝ち組とは?意味と人生の勝ち組・負け組を分ける本当の基準
「勝ち組って、どういう人のこと?」
「自分は勝ち組?それとも負け組?」
年収、職業、学歴、結婚、持ち家。
同窓会で久しぶりに会った友達や、
SNSに流れてくる誰かの暮らしと比べて、
ふと自分の位置を考えてしまうことがあります。
勝ち組になれば、幸せになれそうな感じがします。
ですが、勝ち組といわれる人ほど、
「本当にこれでいいのか」と悩むこともあるようです。
では、人生の勝ち組とは、本当はどんな人のことをいうのでしょうか。
そして本当の意味の勝ち組とは、どういうことなのでしょうか?
勝ち組とは?意味と負け組との違い
勝ち組とは、競争の中で勝ち残り、
収入や地位、暮らしの豊かさなどで、
社会的に成功した人のことです。
反対に負け組とは、競争に敗れて、
思うような暮らしができていない人をいいます。
どちらも正式な言葉ではなく、
人を勝ちと負けに分ける俗な言い方です。
今では、ちょっとした幸運があった時に、
冗談半分で「今日は勝ち組」と言ったり、
自分を「負け組」と言って笑ったりもします。
では、勝ち組・負け組という言葉は、
いつから使われているのでしょうか?
勝ち組・負け組はいつから?言葉の始まり
勝ち組・負け組という言葉は、
もとは第二次世界大戦の後に、
ブラジルの日系人の社会で使われたものです。
1945年8月に日本が降伏した後も、
遠く離れたブラジルの日系人の中には、
日本の敗戦を信じない人が大勢いました。
日本語の新聞もなく、正しい知らせが手に入りにくい中で、
「日本は戦争に勝った」と信じた人たちは「勝ち組」、
敗戦を受け入れた人たちは「負け組」と呼ばれています。
両者の対立は激しくなり、
命が奪われる事件まで起きています。
もとの勝ち組とは、
「勝った」と信じていた人たちの呼び名です。
それが1990年代の終わり頃から、
競争や格差が広がる中で、
仕事や収入の面で成功した人を勝ち組、
そうでない人を負け組と呼ぶ使い方に変わり、
広く使われるようになっています。
では、今の世間で勝ち組といえば、
どんな人のことなのでしょうか?
世間でいわれる勝ち組の条件
世間で勝ち組といわれるのは、
主に次のような条件を持っている人です。
- 年収が高く、お金に困らない
- 大企業や公務員、医師など、安定した職業に就いている
- 名の通った大学を出ている
- 結婚して、子どもや孫に恵まれている
- 持ち家があり、老後の蓄えもある
- 健康で、若々しい
ただ、物差しは年代や人によって違います。
若い頃は就職先や結婚が気になり、
年を重ねると、出世よりも自由な時間や、
住宅ローンを払い終えたかどうか、
定年後の暮らしや孫の有無が気になってきます。
勝ち組の条件は、時と共に移り変わっていきます。
いくつもの物差しの中で、一番分かりやすいのは年収です。
では、勝ち組といわれる年収は、いくらからなのでしょうか?
勝ち組の年収はいくらから?
勝ち組といわれる年収の目安は、
平均を大きく上回る600万円から700万円あたりからで、
1,000万円を超えれば、文句なしの勝ち組といわれます。
国税庁の「民間給与実態統計調査」によると、
令和6年に1年を通じて勤めた人の平均給与は478万円で、
男性は587万円、女性は333万円です。
この調査では、年収600万円を超える人が、
全体のおよそ4人に1人です。
700万円を超える人は約17%、
800万円を超える人は12%、
1,000万円を超える人は約6%しかいません。
「年収500万円は勝ち組か」とよく聞かれるのは、
平均を少し上回る額だからです。
年収は年齢と共に上がり、男性では55歳から59歳の
735万円が一番高くなっています。
そこで、20代で500万円、30代で600万円から700万円、
40代で800万円から1,000万円を超えることを、
勝ち組の目安にする見方もあります。
では、勝ち組といわれる職業には、
どんなものがあるのでしょうか?
勝ち組といわれる職業
勝ち組といわれる職業には、
年収の高い職業と、安定した職業があります。
年収の高い職業としては、医師やパイロット、弁護士、
総合商社や外資系企業の社員などがよく挙げられます。
安定した職業としては、公務員や大企業の社員、
一生使える資格を持つ薬剤師や看護師などが挙げられます。
高い年収と安定の両方を手に入れようと、
受験や就職活動に早くから力を入れる人もあります。
ところが、女性の場合はさらに別の観点が加わることがあります。
女性の勝ち組とは、どんな人をいうのでしょうか?
女性の勝ち組とは?
女性の勝ち組とは、世間では、結婚や子育てと、
仕事や収入の両方に恵まれた女性をいうことが多いようです。
今でも、結婚相手の職業や収入、何歳で結婚や出産をしたかで、
勝ち組かどうかを考える人もあります。
2003年には、作家の酒井順子さん(1966-)が、
『負け犬の遠吠え』で未婚・子なし・30代以上の女性を、
自分も含めて「負け犬」と呼んでいます。
この本は婦人公論文芸賞と講談社エッセイ賞を受け、
大きな反響を呼んでいます。
一方で、今は自分の力で働いて稼ぐ女性も増えています。
女性の平均給与は333万円なので、
年収500万円を超えれば平均を大きく上回り、
600万円を超える女性は、約10人に1人です。
結婚か、仕事か、その両方か。
女性の勝ち組の物差しも、時代と共に揺れ動いています。
では、人生の勝ち組とは、
どんな特徴を持った人なのでしょうか?
人生の勝ち組の特徴とは?
人生の勝ち組の特徴としては、
条件よりも、生き方や心の持ち方の方が
大切だとして、次のようなことがいわれます。
- 他人と比べず、自分の物差しで生きている
- 今あるものに満足している(足るを知る)
- 心と体の健康を大切にしている
- 家族や友人との関係に恵まれている
- 失敗しても立ち直る力がある
収入や肩書きがなくても、
自分を幸せだと思える人こそ勝ち組だ、
という考え方も広がっています。
どれも大切なことで、そのように生きて、
毎日を充実させている人もたくさんあります。
では、そうと分かっていても、
人はなぜ勝ち負けにこだわってしまうのでしょうか?
勝ち組・負け組はくだらない?それでも比べてしまう理由
人が勝ち負けにこだわってしまうのは、
人と比べて喜ぶ幸せしか知らないからです。
「勝ち組・負け組なんてくだらない」と言う人でも、
気がつくと、誰かと比べています。
子どもの頃から、テストの点数で順番をつけられ、
受験や就職でも、合格か不合格かに分けられます。
人生はマラソンのように、抜いたり抜かれたりして、
いつも順番がついて回ります。
80点を取って喜んでいても、
周りがみんな満点なら、嬉しくありません。
難しい大学に受かっても、
そこではまた、新しい競争が始まります。
上には上がいて、比べる相手はいなくなりません。
反対に、どれほど高い地位にいる人も、
無人島に一人で流されたら、その地位を喜ぶことはできません。
人と比べて手に入れた喜びは、
比べる相手がいる間だけのものです。
そんな勝ち負けの世界について、
お釈迦さまは『法句経』に、このように説かれています。
勝てば則ち怨みを生じ、負くれば則ち自ら鄙しむ。
(漢文:勝則生怨,負則自鄙)(出典:『法句経』)
「勝てば則ち怨みを生じ」とは、
勝てば、負けた人から怨まれる、ということです。
「負くれば則ち自ら鄙しむ」とは、
負ければ、自分で自分を卑しく思う、ということです。
勝ち組になれば、嫉妬されたり、
いつか追い抜かれないかと不安になったりします。
負け組と思えば、自分には価値がないと落ち込みます。
勝っても負けても、心は休まりません。
『法句経』は続けて、勝ち負けの心を離れれば、
争いもなく安らかになると説いています。
ところが、比べるのをやめようと思っても、
私たちの心は、すぐにまた比べ始めます。
比べないでいることができずに、
勝手に近くの人と比べてしまうのなら、いっそのこと、
勝ち組の条件をすべて手に入れてしまえば、
幸せになれるのでしょうか?
勝ち組の頂点にいたお釈迦さまが見たもの
世間の勝ち組の条件をすべて持っていた人が、
実は、お釈迦さまです。
お釈迦さまは、インドの釈迦族の王子として生まれ、
国王の跡を継ぐ身でした。
『中阿含経』の柔軟経には、
その頃の暮らしを、お釈迦さまご自身が
振り返って説かれています。
父の王は、春と夏と冬の季節ごとに宮殿を建て、
宮殿の近くには、青や赤や白の蓮の池を造らせています。
栴檀の香を体に塗り、いつも新しい衣を着て、
昼も夜も、日差しや夜露から傘で守られています。
夏の4か月は宮殿から下りずに音楽を楽しみ、
出かける時には、選び抜かれた30人の騎馬が
前後を固めて付き従っています。
財産も、地位も、名誉も、若さも、健康もあり、
やがて美しい妻と子どもにも恵まれます。
これ以上の勝ち組はありません。
ところがお釈迦さまは、『大無量寿経』にこのように説かれています。
尊と無く卑と無く、貧と無く富と無く、少長・男女共に銭財を憂う。
有無同じく然り。
(漢文:無尊無卑,無貧無富,少長、男女共憂銭財。有無同然)(出典:『大無量寿経』)
「尊と無く卑と無く、貧と無く富と無く、少長・男女共に銭財を憂う」とは、
「尊」とは社会的身分の高い人、勝ち組です。
「卑」とは社会的身分の低い人、負け組です。
「貧」とは経済的に困窮している人、負け組です。
「富」とは経済的な成功者、勝ち組です。
「少長・男女」とは若い人も年長の人若、男も女も、ということです。
社会的身分の高い勝ち組も、社会的身分の低い負け組も、
豊かな勝ち組も、貧しい負け組も、
若い人も年を取った人も、男も女も、
みんなお金や財産のことで心を悩ませている、
ということです。
「有無同じく然り」とは、
「有」はある人、勝ち組です。
「無」はない人、負け組です。
勝ち組も、負け組も、
心配や不安はなくならない。
苦しみ悩んでいることは同じだ、ということです。
勝ち組は、持っているものを失わないかと心配し、
負け組は、欲しいものが手に入らないことを嘆きます。
このようにお経には、勝ち組にも負け組にも同じように悩みがある、
それにもかかわらず世の中の人は、
他人に勝とう、勝ち組になろうと、
急がなくてもよいことを争い合い、
身を削って働いていると説かれています。
この有無同然の世界にいる限り、勝ち組も負け組も、
悩みの形が違うだけで、苦しみは変わりません。
ところが、そうやって他人に勝とうと頑張っている時、
見落としていることがあります。
死の前では勝ち組も負け組も同じ
勝ち組の条件をすべて手に入れておられたお釈迦さまは、
ある時、このように思われたと説かれています。
不多聞の愚痴の凡夫は、自ら老法有りて老を離れず。
他人の老を見ては、憎悪し薄賤して、愛せず喜ばず、自ら己を観ぜず。
(漢文:不多聞愚痴凡夫,自有老法不離於老。見他人老,憎悪薄賤,不愛不喜,不自観己)(出典:『中阿含経』)
「不多聞の愚痴の凡夫は、自ら老法有りて老を離れず」とは、
教えを聞いたことのない愚かな者は、
自分も老いていく身で、老いから離れられない、
ということです。
「他人の老を見ては、憎悪し薄賤して、愛せず喜ばず、自ら己を観ぜず」とは、
それなのに、他人が老いたのを見ると、
嫌がって見下し、それが自分の姿だとは思いもしない、
ということです。
お釈迦さまは、病気についても、
他人の病を見下し、自分のこととは思わないと気づかれ、
死についても、他人の死を憎むだけで、
自分もやがて死んでいくと思わないことに気づかれ、
若さや健康、長い命を誇る心が消えていった、
と説かれています。
どれほど恵まれた条件も、
老いと病と死によって、必ず崩れていきます。
勝ち組だと誇って負け組を見下す心は、
自分もやがて同じ道を行くことを忘れている心です。
お釈迦さまは、城の門の外で
老人・病人・死人の姿を見て、
人生は無常だと深く知られたと伝えられています。
これを「四門出遊」といいます。
負け組から勝ち組になろうと頑張っているうちに、
刻々と時間が過ぎていきます。
そして手に入れたものと引き換えに年をとり、病にかかって、
最後は必ず死んでいきます。
どれほど財産や地位や名誉でも、命と引き換えに手に入れたいでしょうか?
しかも手に入れたといっても、
死んでいく時には、何1つ持っていけません。
それらは実は手に入っていないのです。
一人ぼっちで寂しく命を失うだけです。
このような死の問題は、
ほとんどの人は気づいていませんが、
人と比べてどうなるものでもなく、
1人で向き合わなければならない問題です。
このことに気づかれたお釈迦さまは、29歳の時、
勝ち組の条件をすべて捨てて出家され、
老いと病と死によっても崩れない、
本当の幸せを求めて歩み出されています。
もともと勝ち組とは、負けたことを受け入れず、
勝ったと信じ続けた人たちのことです。
世間でいわれる勝ち組も、勝ったと思い込んでいるだけで、
本当の人生の勝ち組ではないのです。
では、人生の真の勝ち組とは、
一体どんな人のことをいうのでしょうか?
人生の真の勝ち組とは人生の目的を果たした人
人生の真の勝ち組とは、
本当の人生の目的を果たした人です。
人生の目的とは、
何のために生まれてきたのか、
何のために生きているのか、
なぜ苦しくても生きなければならないのか、
ということです。
人間に生まれてきたのは、これ1つのためだった、
これさえ果たせば、死んでよし、生きてよし、
と言えるものが、本当の人生の目的です。
それを果たした人こそ、
人生の最後に「この人生に後悔はない」と
大満足の人生となるからです。
仏教では、その人生の目的には、完成、達成があります。
生きている今、どんなことがあっても変わらない
死によっても崩れることのない幸せになることができます。
その幸せは、誰かと比べて喜ぶ幸せではなく、
一人でいても心から喜べる幸せです。
比べる相手がいなくなっても色あせず、
年を取っても、病気になっても壊れないので、
「絶対の幸福」といわれます。
それは臨終に完成しても、人生の勝ち組といえるものです。

豊臣秀吉
世間でいわれる勝ち組の条件をどれほどそろえても、
老いと病と死によって、やがてそれらは崩れていきます。
それは世間では勝ち組とされている豊臣秀吉(1537-1598)の
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
難波のことも 夢のまた夢」
という辞世からも明らかです。
絶対の幸福は、死によっても崩れません。
だからこそ、この幸せになった人が、
人生の真の勝ち組といえるのです。
では、その人生の真の勝ち組になれる絶対の幸福とはどんな世界で、
どうすれば、その幸せになれるのか。
それについては仏教の真髄なので、
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この記事を書いた人
長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)
東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ
X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)
京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。

