人生やり直したいと思った時に知ってほしい本当のやり直し方
「人生をやり直したい。でも、もう遅い?」
「どうすれば人生をやり直せるの?」
あの時、別の道を選んでいたら。
あんなことさえ言わなければ。
そう思って、眠れない夜を過ごしたことはないでしょうか。
記憶を持ったまま過去に戻って、人生をやり直す。
そんな物語が、小説や漫画で数多く書かれ、多くの人に読まれています。
それだけ、人生をやり直したいと思う人が多い、ということです。
世間では、「過去には戻れないけれど、
人生は何歳からでもやり直せる」といわれます。
確かに、その通りです。
ところが仏教では、もっと驚くことが説かれています。
私たちは、これまでにもう何度も、
人生をやり直してきている、ということです。
それなのに、なぜ今も、やり直したいと思うのでしょうか。
そして本当に人生をやり直すには、どうすればいいのでしょうか?
人生をやり直したいと思う時
人生をやり直したいと思うきっかけは、人によって様々です。
例えば、受験に失敗した時。
選んだ仕事が、自分に合わなかった時。
結婚を悔やんだり、離婚したりした時。
借金を抱えて、先が見えなくなった時。
そんな時、私たちは「あの時に戻れたら」と思います。
あそこで違う道を選んでいれば、
今頃は、もっと幸せになっていたはずだ。
そう思うと、今の自分が、どこかで道を外れてしまったように感じます。
過去の過ちを消してやり直したい
中でも重いのは、取り返しのつかない過ちを犯した時です。
人を深く傷つけてしまった。
信じてくれた人を、裏切ってしまった。
そういう時は、あの日の出来事だけでも、
なかったことにしたいと思います。
こうした後悔は、何年経っても、ふとした時によみがえります。
人生をやり直したいという気持ちの奥に、
消すことのできない過去を抱えていることも、少なくありません。
40代で強くなるやり直したい気持ち
人生をやり直したいという気持ちは、
10代にも20代にもありますが、
特に重くなりやすいのが40代です。
アメリカのダートマス大学の経済学者、
デービッド・ブランチフラワー(1952-)教授が、
132か国のデータを調べたところ、
人が感じる幸せの度合いは、年齢とともにU字を描き、
先進国では平均47.2歳で一番低くなることが分かっています(2020年)。
40代になると、若い頃なら選び直せたことが、
だんだん選び直せなくなってきます。
仕事も、家庭も、体も、
これまでの選択の結果が、ハッキリと形になって表れてくるからです。
人生の折り返しで、それまでの生き方を問い直したくなることを、
中年の危機(ミッドライフクライシス)ともいいます。
人生をやり直したいと思うのは、心が弱いからではありません。
多くの人が、同じ年頃に、同じ思いを抱えています。
では、人生をやり直したいと思った時、
世間では、どうすればいいといわれているのでしょうか。
世間でいわれる人生のやり直し方
人生をやり直したいと思った時、
普通は主に、このようにいわれます。
- 過去は変えられないが、未来は変えられる
- 人生は何歳からでもやり直せる
- 仕事や住む所、付き合う人を変える
- 小さな目標を立てて、一歩ずつ進む
どれも、もっともなことです。
実際に、40代で仕事を変えて、生き生きと働いている人もあれば、
60代で大学に入り直して、学び直している人もあります。
「今日が、残りの人生で一番若い日だから、
先送りにせず今日はじめよう」
ともいわれます。
ゲームなら、うまくいかなければリセットボタンを押して、
最初からやり直すことができます。
ですが、人生にはリセットボタンがありません。
どんなに願っても、あの日に戻ることはできません。

キルケゴール
(1813-1855)
デンマークの哲学者キルケゴール(1813-1855)も、
日記に、このように書いています。
人生は、後ろを振り返って理解するしかない。
哲学者たちがそういうのは、まったく正しい。
しかし彼らは、もう1つの命題を忘れている。
人生は、前に向かって生きるしかない、ということだ。(出典:キルケゴール『日記』1843年)
あの時どうすればよかったのかは、後になってから分かります。
ですが、分かった時には、もうその時に戻ることはできません。
だから、前を向いて、今からやり直すしかない。
世間でいわれる人生のやり直し方は、どれも、この考え方に立っています。
ところが、そうと分かっていても、
やり直したいという気持ちは、なかなか消えません。
前を向こうとしても、心は、何度も過去のあの時へ戻っていきます。
では、私たちが人生をやり直したいと思う時、
心の底で、本当に求めているものは何なのでしょうか。
人生をやり直したいと思う本当の理由
人生をやり直したいと思う時、私たちが本当に求めているのは、
苦しみのない、心から幸せな人生です。
過去に戻りたいと思うのは、あの時からなら、
その人生を始められそうな気がするからです。
では、もし本当に過去に戻れるとしたら、
いつに戻れば、苦しみのない所から始められるでしょうか。
就職の前に戻れば、仕事選びで失敗しなくて済むかもしれません。
ですが、就職の前の私たちは、就職活動のことで悩んでいたはずです。
受験の前に戻っても、その頃は、受験勉強に追われていたはずです。
子どもの頃に戻っても、友達のことや家のことで泣いた日があり、
早く大人になりたいと思っていたのではないでしょうか。
「あの頃に戻りたい」と思う、その頃にも、
その頃の悩みがあったはずです。
苦しみのなかった時は、どこまで遡っても見つかりません。
それでも、やり直したいという気持ちが消えないのは、
私たちの心の底に、
「本当は、こんなはずじゃなかった」
という思いがあるからです。
どこかに、本当の自分、本当の人生があるはずだ。
その本当の人生に、生まれ変わりたい。
人生をやり直したいという気持ちの正体は、
本当の幸せになりたい、という願いです。
いっそ、生まれた時から、一からやり直せたら。
生まれ変わって、まったく別の人生を歩めたら。
そう思うこともあります。
では、生まれ変わりについて、仏教では、どのように説かれているのでしょうか。
何度も生まれ変わって人生をやり直してきた私たち
仏教では、私たちは、始まりのない始まりから今日まで、
数え切れないほど、生まれ変わり死に変わりしてきたと説かれています。
これを輪廻といいます。
車の輪が同じところをぐるぐるぐるぐる回るように、
生死を繰り返すことです。
お釈迦さまは、私たちが、どれほど多くの生を送ってきたのかを、
『涅槃経』に、このように説かれています。
一一の衆生、一劫の中に積むところの身の骨は、王舎城の毘富羅山の如し。
飲むところの乳汁は四海の水の如く、身より出だすところの血は四海の水より多し。
父母・兄弟・妻子・眷属の命終に、哭泣して出だすところの目の涙は、四大海より多し。
地の草木を尽くして四寸の籌と為し、以て父母を数うるも、また尽くすこと能わず。
(漢文:一一衆生,一劫之中所積身骨,如王舎城毘富羅山。所飲乳汁如四海水,身所出血多四海水。父母、兄弟、妻子、眷属命終,哭泣所出目涙,多四大海。尽地草木為四寸籌,以数父母,亦不能尽)(出典:『大般涅槃経』)
「一一の衆生」とは、一人一人の人、ということです。
「一劫の中に積むところの身の骨は」とは、
「劫」とは、気の遠くなるほど長い時間のことですから、
一劫という長い長い間に、生まれては死に、生まれては死にを繰り返してきた
自分の骨を積み上げると、ということです。
「王舎城の毘富羅山の如し」とは、
お釈迦さまの時代のインドの都、王舎城の近くにある、
毘富羅山という山ほどになる、ということです。
毘富羅山は王舎城の付近の山々の中でも特に大きな山です。
「飲むところの乳汁は四海の水の如く」とは、
生まれるたびに母親から飲んだ乳を合わせると、
四方の海の水ほどになる、ということです。
「身より出だすところの血は四海の水より多し」とは、
生まれるたびに、この体から流してきた血を合わせると、
四方の海の水よりも多い、ということです。
「父母・兄弟・妻子・眷属の命終に」とは、
父や母、兄弟、妻や子、親族が亡くなるたびに、ということです。
「哭泣して出だすところの目の涙は、四大海より多し」とは、
声をあげて泣いて流した涙は、4つの大海の水よりも多い、ということです。
「地の草木を尽くして四寸の籌と為し、以て父母を数うるも」とは、
大地の草や木をすべて、四寸(約12センチ)の数え棒にして、
これまでの自分の父と母を数えても、ということです。
「また尽くすこと能わず」とは、
それでも数え尽くすことはできない、ということです。
生まれるたびに、父と母があります。
その父と母が、大地の草木を使っても数え切れないということは、
私たちはそれだけ多くの生を送ってきた、ということです。
しかも、骨の山は、一劫という間だけのものです。
これまでのすべての骨となると、どれだけの量になるか分かりません。
お釈迦さまは、私たちが、計り知れないほどの昔から、
苦しみを受け続けてきたと説かれています。
生まれ変わって、人生をやり直したい、と私たちは思います。
ですが、仏教の視点から見ると、
私たちはもう数え切れないほど生まれ変わって、
人生をやり直してきています。
それなのに、どの生も、苦しみのない所から始まったわけではありません。
どの生にも、大切な人との別れがあり、
涙を流さずに終わった生はなかった、ということです。
なぜ、それほど生まれ変わってやり直しても、
苦しみはなくならないのでしょうか。
それは、苦しみの本を持ったまま、生まれ変わってきたからです。
この苦しみの本がある限り、何度生まれ変わってやり直しても、
また同じように苦しみ、
また同じように「やり直したい」と思うことになります。
では、生まれ変わっても終わらなかった苦しみを終わらせる、
本当の人生のやり直し方とは、どんなものなのでしょうか。
本当の人生のやり直し方
本当の人生のやり直しとは、過去に戻ることでも、
死んで生まれ変わることでもありません。
私たちを、生まれ変わり死に変わりさせて苦しめてきた、
その苦しみの本を抜くことです。
お釈迦さまは、そのために、この世で仏になられたと、
『大無量寿経』に、このように説かれています。
我、汝等諸天人民を哀愍すること、父母の子を念うよりも甚だし。
今吾、この世において作仏し
(中略)
生死の苦を抜き
(中略)
無為の安きに昇らしむ。
(漢文:我哀愍汝等諸天人民,甚於父母念子。今吾,於此世作仏(中略)抜生死之苦(中略)昇無為之安)(出典:『大無量寿経』)
「我、汝等諸天人民を哀愍すること」とは、
私が、天上界から人間界まで、すべての者を哀れみ慈しむことは、ということです。
「父母の子を念うよりも甚だし」とは、
世の中の父や母が、我が子を思うよりも深い、ということです。
お釈迦さまは、すべての人の苦しみを憐れみ、
何とか救ってやりたいと思われています。
「今吾、この世において作仏し」とは、
今、私はこの世で仏となり、ということです。
「生死の苦を抜き」とは、
生まれ変わり死に変わりする苦しみを抜き取って、ということです。
「無為の安きに昇らしむ」とは、
無為涅槃の安楽な境界にさせようと思う、ということです。
数え切れないほどの父と母を持ってきた私たちを、
お釈迦さまは、その父や母よりも私たちのことを深く思われて、
生死の苦しみを抜き、安楽な心にさせるために、
この世で仏になられた、ということです。
苦しみを抜いてやりたい、楽しみを与えてやりたいという仏様の心を
慈悲といいます。
苦しみの本は、欲や怒りの煩悩ではなく、
別にあると教えられています。
その本さえなくなれば、煩悩はそのままで、本当の幸せになれます。
過去に戻る必要もなければ、生まれ変わる必要もありません。
暗い心が明るい心に一瞬で生まれ変わります。
その明るく楽しい心はずっと変わりません。
これまでの人生が、どんな人生であったとしても、
人間に生まれてよかったという歓喜の生命にガラッと生まれ変わって、
今の人生のまま、本当のやり直しができるのです。
本当の幸せの身になれば、もう
「人生をやり直したい」と思う必要はありません。
生きている今、「人生これ1つであった」と心から大満足できます。
この幸せになることが、仏教に教えられている人生の目的です。
今の人生のまま生まれ変われる
仏教に説かれた本当の人生のやり直し方は、
肉体も今の人生のまま、心が生まれ変わり、
新しい毎日が始まる方法です。
年齢も、学歴も、仕事も、これまでの過去も、現在の環境も関係ありません。
20代でも、40代でも、60代でも、
今、この記事を読んでいるあなたにも、そのままでなれる幸せです。
その心になると、どんな日も晴れやかに生きていけるようになります。
では、今、本当の幸せに心が生まれ変われる道とは、どんな道なのか。
どうすれば、人間に生まれてよかったという心になれるのか。
それについては仏教の真髄なので、
メール講座と、電子書籍にまとめてあります。
どちらも無料ですので、今すぐ見ておいてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)
東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ
X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)
京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。

