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王舎城の悲劇とは?

王舎城おうしゃじょうの悲劇」とは、当時インドで最強を誇っていたマガダ国の王、頻婆娑羅びんばしゃら王が、子どもの阿闍世あじゃせに殺されてしまう、仏教の歴史上最大の悲劇です。
観無量寿経かんむりょうじゅきょう』や『涅槃経ねはんぎょう』、その他多くの経典に説かれる実話です。
浄土真宗の法話でもよく話がされます。

この王舎城の悲劇がすごいのは、頻婆娑羅びんばしゃら王の妃である韋提希いだいけ夫人ぶにんが、お釈迦様の導きによって、一瞬で苦悩の根元が断ち切られ、絶対の幸福に救われたことが説かれているところです。
この絶対の救いがなければ、よくある親子ゲンカの話になってしまい、価値が失われてしまいます。
その絶対の幸福まで、お釈迦様はどのように導かれたのか、登場人物たちは何者だったのか、分かりやすく解説します。

王舎城の悲劇のあらすじ

まず、王舎城の悲劇は歴史上の事実ですが、いつ頃起きたのでしょうか。
それを知る手がかりは、王舎城の悲劇のクライマックスが説かれている『観無量寿経』にあります。
観無量寿経』は、阿闍世太子が王に即位した年に説かれています。
阿闍世太子はいつ即位したのかといいますと、『善見律毘婆沙ぜんけんりつびばしゃ』には、こう説かれています。

阿闍世王、王位に登りて八年、仏、涅槃したまえり。
(漢文:阿闍世王登王位八年佛涅槃)

これは、阿闍世が王に即位して8年後にお釈迦様が亡くなられた、ということです。
お釈迦様がお亡くなりになったのは80歳の時ですので、王舎城の悲劇は、お釈迦様73歳の時にクライマックスを迎えた実話です。

一体どんな話だったのでしょうか。
簡単なあらすじはこうです。
世継ぎがなくて苦しんでいた頻婆娑羅びんばしゃら王と妃の韋提希夫人が、占い師に見てもらうと、奥山の修行者が死ねば子どもが生まれるといいます。
子ども欲しさのために2人が修行者を殺害すると、韋提希は懐妊しますが、子どもが怨みを懐いているのではないかと、子どもを剣の林に産み落として殺そうとします。
ところがたまたま子どもは剣の間に落ちて助かり、育てられることになりました。
その子どもが阿闍世です。

やがて阿闍世は凶暴な性格に育ち、父を殺し、母を牢に閉じ込めます。
生み育てた我が子に牢屋に入れられて苦しんでいた韋提希が、牢屋の中でお釈迦様のご説法を聞き、地球上で初めて阿弥陀仏の本願に救われます。
これが王舎城の悲劇のあらすじです。

ですが、これでは大雑把ですので、一体どんなことがあって、お釈迦様はどのように韋提希を弥陀の救いに導かれたのか、『涅槃経』や『観無量寿経』の引用を交えながら、詳しく分かりやすく解説します。

頻婆娑羅王と韋提希の悩み

王舎城というのは、当時インド最強のマガダ国の首都でした。
ちなみに「王舎城」は、サンスクリット語で「ラージャグリハ」ですが、
ラージャ」は「」、
グリハ」は「」ということで、
王の住居という意味です。
その意味をとって「王舎城」と漢訳されています。

その王舎城を首都とするマガダ国の王を頻婆娑羅びんばしゃら王といい、その妃が韋提希いだいけ夫人です。

この二人は、王様夫妻でしたので、生活上の心配は何一つありませんでした。
住む所もあれば、食べ物もありますし、お金もあります。
何一つ不自由はありませんでしたが、たった一つの悩みは子どもがないことでした。
自分が死んだあと、子どもに王位を継承したい、自分の跡取りとなる世継ぎが欲しいと思っていました。
特に韋提希いだいけ夫人は、
このままではすぐに年をとって子どもの産めない体になってしまう
と深刻に苦しんでいました。

二人は「どうして私たちには世継ぎが産まれないのだろうか。
何か悪いものでもついているのではないか

という間違った考えを起こします。
そこで、二人は占い師に見てもらいたいと思うようになりました。


仏教では、占いは否定されていますので、詳しいことは以下をご覧ください。
占いとは何か、占い師の嘘と信じない方がいい理由を仏教視点で解説

占いによる迷い

占いは仏教では迷信ですが、二人は深く悩んだ末、占いにすがります。
占い師に見てもらうと、占い師はこう言います。
「王様、王様のお子様として生まれることになっている人は、 現在、耆闍崛山きじゃくっせんという山で修行しております。
その修行者が死なないことには子どもは生まれないでしょう」
では、その修行者はあとどれくらいで死ぬのか
「はい、あと5年です」
それを聞いた韋提希夫人は、あと5年もすれば、自分は子どもを産めない体になってしまう、とても5年は待てないと思いました。
もっと早く子どもが生まれる方法はないのか?
すると占い師は、
「これは決してオススメすることではありませんが、修行者が死ねば、子どもさんはお生まれになります」
こう答えたのでした。

それから頻婆娑羅びんばしゃら王は、主だった重臣を集めて会議を開きます。
「かくかく確々だが、そなたたちの意見を聞きたい」
すると重臣たちは、
「それは王様、私たちは1日も早いお世継ぎの誕生を願う気持ちは変わりありませんが、何も修行者を殺してまでとは思いません。 5年待たれてはいかがでしょうか」
と異口同音に答えます。
頻婆娑羅びんばしゃら王も、
「そうだな、じゃあ5年待つとするか」
と言いかけた時、韋提希いだいけ夫人に袖を捕まれ、奥へ引っ張っていかれます。

「なんじゃ韋提希」
「あなた男でしょ、あの者たちの魂胆が分からないの?」
「何のことじゃ」
「あなた騙されているのが分からないの?
私はもう5年もしたら子どもの産めない体になるのよ」
「もうそんな年になるのか、早いものじゃのぅ」
「何を言ってるの、世継ぎが産まれなければ、あの大臣達の中で一番力のある者が、私たちの後釜をねらっているのよ」
「そうか」
「だからあなたいいじゃない、
今まで猫の額ほどの土地を争って、たくさんの人を殺してきたのだから、
私たちの世継ぎのために1人くらい殺したって。
みんなも喜ぶことだから」
「そうじゃな……」
こうして頻婆娑羅王は、重臣達の前に姿を現すと、
先ほどそなたたちの意見を聞いた時には5年待とうかと思ったが、
やはり5年は長い、今すぐその修行者を殺害することにする

と決定を下したのでした。

修行者の殺害

さっそく頻婆娑羅王と韋提希夫人は、300騎の兵を引き連れて修行者のいる耆闍崛山に向かいました。

到着すると、占い師が言った通り、1人の修行者が修行をしていました。
頻婆娑羅王は、
「おい、修行者、精が出るのう」
「これはこれは頻婆娑羅王さま、よくこのような山奥までお越しになられました」
「今日はそなたに良い知らせをもってきたのじゃ」
「私に良い知らせとは何でございましょうか」
「実はな、そなたは次の生で、わしの子どもとして生まれることになっておるのじゃ。
 だからこんな苦しい修行などやめて早くわしの子として生まれてはどうじゃ」
これは頻婆娑羅王にとっては良い知らせですが、修行者にとってはとんでもないことです。
「お言葉ではありますが、私この修行を成就するまでは死ぬわけには参りません」
王様の命令をきっぱりと断ります。

権力者は、自分の意にそわない者は許すことができません。
「何そなた、わしの言うことを聞けないのか。そんな者はこの国に生かしておくわけにはいかぬ」
こうして300騎の兵に命じてその修行者を殺害したのでした。

殺されていく時、その修行者は、頻婆娑羅びんばしゃら王と韋提希夫人をにらみつけ、
おのれこの怨み必ずはらしてみせるぞ
恐ろしい呪いの言葉を残して死んでいきました。

頻婆娑羅びんばしゃら王は戦争でたくさんの人が目の前で殺されていくのを見ているので気にも留めなかったのですが、韋提希夫人は生まれて初めて人が殺されていくのを見たので、その死にゆく姿と断末魔の叫びが脳裏に焼き付いて、離れなくなってしまいました。

こうして頻婆娑羅びんばしゃら王と韋提希夫人は王舎城へと帰って行ったのでした。

韋提希夫人の懐妊

その後、どうしたことか、韋提希は懐妊します。
国中大騒ぎになり、頻婆娑羅びんばしゃら王は喜びましたが、韋提希は喜べませんでした。
修行者の最期の姿や恐ろしい呪いの言葉が忘れられず、
一体どんな子どもが宿ったのだろう
それが心配で、とても喜ぶどころではありませんでした。

周り中が喜びに包まれている中、韋提希夫人だけは、食事も喉を通らず、夜も眠れない日々でした。
そして月日が流れ、お腹が大きくなってくると、子どもが動いているのが分かります。
どんな子どもが宿っているのやら居ても立ってもいられなくなり、もう一度、頻婆娑羅びんばしゃら王と共に、占い師に見てもらうことにしました。

占い師は、
「王様、大変なお子様が宿っておられます」
「なんじゃ、どんな子どもだ、どこか悪いのか」
「いえいえ、大変元気な健やかなお子様でございます。
 ですが、王様ご夫婦に、大変な怨みを懐いております。
 やがて成長されたならば、あなた方お2人を害せられるお方となられるでありましょう」
それを聞いた韋提希夫人、
「あーやっぱりそうであったか」
と深く落胆して、頻婆娑羅びんばしゃら王に
「私もうそんな恐ろしい子どもを産んで育てる気持ちはありません」
と言い出します。
頻婆娑羅びんばしゃら王は、
「お前今頃なんてことを言うんだ。
 わしは5年待ったらいいと言っていたのに、
 お前が子どもが欲しいというから修行者を殺したのではないか
 子どもが欲しいのではないのか」
「ええあの時はそう思いました。
 ですが、やがて私たちを殺すかもしれないような子どもをどうして生み育てることができましょうか。
 ですが今となってはこんな大きなお腹ですから、おろすこともできません。
 ですから、1階に剣の林を作って、2階に産室を設けてください。
 そして1階の天井と2階の床を穴でつなげて、そこに産み落とします。
 そうすれば、子どもは生まれたと同時に死ぬでしょう」

阿闍世の誕生

韋提希夫人はこのような恐ろしい産室を頻婆娑羅びんばしゃら王に作らせたのでした。
そして臨月を迎え、韋提希は2階の産室から、1階の剣の林に子どもを産み落としたのです。

ところが生まれおちた子どもは、よほどこの世と縁があったのか剣と剣の間にスポッと落ちて、おぎゃーおぎゃーと元気な産声を上げたのです。
ただ、その時に剣にふれて右手の小指一本切り落としたのですが、命に別状はありません。
さすがの韋提希も、我が子の産声を聞くと、我が子可愛いという心が起きてきて、自分の子を抱き上げて育てることにしたのでした。
こうしてこの男の子は阿闍世と名づけられ、大切に育てられたのです。

阿闍世は、幼い頃は普通の子どもだったのですが、成長するにつれて、だんだん凶暴性が表れてきます。
やがて親を親とも思わず、家庭内暴力を振るう恐ろしい子どもに成長します。
そのことを『涅槃経』にはこう説かれています。

王舎大城に阿闍世王あり。
その性弊悪にして喜んで殺戮を行ず。
口に四悪を具し、貪、恚、愚痴にして、その頃熾盛なり。

(漢文:王舍大城 阿闍世王 其性弊惡 憙行殺戮 具口四惡 貪恚愚癡 其心熾盛)

王舎城の阿闍世王は、性格が凶暴で、体では喜んで殺生を行い、口には、綺語きご両舌りょうぜつ悪口妄語の4つの悪を好み、心ではや、怒りや、愚痴の心が燃え盛っていた、ということです。

阿闍世がこのような恐ろしい性格だったため、頻婆娑羅王と韋提希夫人は、
どうしてこんな子どもになってしまったんだろう
と苦しみます。

やがて阿闍世は、重臣たちでも、自分の言うことを聞かない者は平気で首をはねてしまうようになります。
阿闍世の言うことを聞かなかったら殺されるので、
年をとっていく頻婆娑羅王よりも、次期国王の阿闍世の言うことをみんな聞くようになります。
実質上の権力は阿闍世のほうに移っていきます。

ひょっとしたら占い師の言った通りになるかもしれない
お先真っ暗になった頻婆娑羅びんばしゃら王と韋提希夫人は、
何とかこの真っ暗な苦しみから救われたい。
 心安まる教えはないものか

と救いを求めるようになります。

ビンバシャラ王と韋提希夫人の仏縁

そんな時、マガダ国でお釈迦様という方が尊い説法をされているという噂が二人の耳に入ります。
権力者は仏法を聞こうという気持ちが起き難いといわれますが、阿闍世という親不孝な子どもを持ったことによって、一度、お釈迦様の話を聞きたいという気持ちになりました。
さっそく二人は、お釈迦様のご法話に参詣し、ご説法を聴聞したのでした。

お釈迦様のご説法を聞かせて頂いた二人は、
ああこの方だ、この方しかおられない
と一度のご縁でお釈迦様の教えを真剣に聞き求めようという気持ちになります。
それからというもの、お釈迦様が説法される所に続けて聞法するようになりました。

王様夫妻が仏法を聞かれるようになったので、多くの人たちが関心を持ち、仏教を聞きに来られるようになりました。
するとすぐに聞きたい人がおられても、会場に入りきれなくなります。
頻婆娑羅びんばしゃら王はお金がありますので、広い会場を用意しようと、お釈迦様が法を説かれる会場をどんどん建立して、ますますより多くの人が仏法を聞くようになっていきます。
これは大変すばらしい布施です。

そのように非常に多くの人たちがお釈迦様の教えを聞きに来るようになりますと、 いつの時代、どこの国でも、ねたむ者が現れます。
それが提婆達多だいばだったでした。
提婆達多については、詳しくは以下のページをご覧ください。
提婆達多(ダイバダッタ)最悪の極悪人になった理由と壮絶な最期・正体は誰なのか?

提婆達多のお釈迦様暗殺計画

提婆達多だいばだったは、ただの人ではありません。
お釈迦様のいとこで、もしお釈迦様が現れられなければ、インド一の聖者であったであろうといわれているほどの人です。
ですから学問もあり、修行にも秀でていました。
ですが、お釈迦様が仏のさとりを開かれましたので、お釈迦様のお弟子になっていました。
ですから、お釈迦様のお弟子の中でも最も頭角を現していた人でした。

ところが提婆達多だいばだったは野心家で、お釈迦様をねたみ、
何とか釈迦を倒して自分が教団のトップになりたい」と思っていました。
そこで、お釈迦様の暗殺を企てます。

1回目・落石

ある時お釈迦様が、山道を通られる時、
山の上から大きな石を落として殺そうとしたことがあります。
ところがその時お釈迦様は、足の小指を怪我されただけで、命に別状はありませんでした。
しかしその時に、ダイバ、「仏身より血をいだ
という恐ろしい五逆罪ごぎゃくざいを造ったのでした。

2回目・野象

最初の暗殺に失敗した提婆達多は、次の計画を企てます。

野生の象に酒を飲ませてお釈迦様にけしかけて踏み殺させるというものでした。
今でいえば、大きなダンプカーを突っ込ませて事故死させるというものです。

実際、酒に酔った野象は、ダンプカーのように突進したのですが、
お釈迦様のお姿を拝するやいなや、
仏様の尊いお徳にうたれて、
さっきまで振り上げていた鼻をおろし、
大地を踏みならしていた足を折り曲げて、
お釈迦様の前に猫のようにおとなしくなってしまいました。

3回目・策略

野生の象をけしかける計画も失敗に終わります。
一度ならず二度までも失敗した提婆達多は、
これはちょっとやそっとでは釈迦を殺すことはできない
と深いはかりごとをめぐらすのでした。

そこで
「今あの釈迦があのように威勢を誇っているのは
 釈迦の力ではなくて、バックに国王夫妻がついているからだ。
 将を射んと欲すればまず馬を射よ、
 頻婆娑羅びんばしゃら王と韋提希夫人を倒せば
 釈迦の威勢も地に落ちるに違いない」
と考えます。

その時、目をつけたのが阿闍世です。
あの短気で単細胞の阿闍世を使わない手はない
と提婆達多は阿闍世に急接近したのでした。

提婆達多は非常に頭のいい男だったので、
阿闍世からすれば、知らないとを何でも答えてくれます。
これは役に立つ
と側に仕えさせ、分からないことは何でも提婆達多に聞くようになっていきました。

阿闍世の父殺し

時期を見計らっていた提婆達多は、ある日、阿闍世に
太子様、右手の小指がございませんが、どうかなさいましたか
と切り出します。

「ああ、これか、わしも物心ついた時からおかしいなおかしいなと思っておった。
 周りの者に聞いても知らないという者ばかり。
 提婆達多よ、お前は何でもよく知っておるが、
 わしの右手の小指がないわけを知らんか」
すると提婆達多は、
それは知らないわけでもありませんが、私も命は惜しいですから……
それを聞いた阿闍世は、
「なんだお前、それはどういうことだ。
 わしの右手の小指がないということとお前の命と何か関係でもあるのか」
あなたさまの右手の小指のことについて語った者は死刑という法律がありますので、
 これ以上言うことはできません

それは、阿闍世が生まれた時に、頻婆娑羅びんばしゃら王が作った法律でした。
阿闍世の出生の秘密を将来阿闍世に伝える者が現れたら、占い師の言っていたことが実現するかもしれないので、頻婆娑羅びんばしゃら王はすぐに戒厳令を敷いたのでした。
「提婆達多よ、お前の命はわしが守ってやるから、一体なぜわしは右手の小指がないのか教えてくれ」
そうですか、それほどまでおっしゃるのであれば、申し上げましょう
提婆達多は、あることないこと語ったのでした。

提婆達多は阿闍世に腹を立てさせて親を殺させるのが目的ですので、阿闍世をたきつけたのです。
その様子を『涅槃経』にはこう説かれています。

汝未だ生れざりし時、一切の相師、皆このことばをなさく
「この兒、生まれおわりてまさにその父を殺すべし」。
(中略)
韋提夫人この語を聞きおわりて、既に汝が身を生み、高楼の上よりこれを地に棄て、汝が一指を壊せり。

(漢文:汝未生時 一切相師 皆作是言 是兒生已 當殺其父(中略)韋提夫人 聞是語已 既生汝身 於高樓上 棄之於地 壞汝一指)

あなたさまがまだ生まれる前、どの占い師も「この子が生まれたら、将来父親を殺す子どもになるだろう」と言ったのです。
それを聞かれた韋提希夫人は、あなたさまを殺そうとして、高楼の上から産み落としたために、右手の小指を失われることになったのです、ということです。

阿闍世は怒りに震えながらその話を聞き終わると、
剣を持って、頻婆娑羅びんばしゃら王のもとへ押しかけました。
そして、家来たちに、
すぐにこいつを七重の牢へたたき込め。
 食べ物も飲み物も一切与えるな

と厳命します。

こうして頻婆娑羅びんばしゃら王は、七重の牢に閉じ込められてしまいました。

牢屋の中の頻婆娑羅王

昨日までは一国の覇者であった頻婆娑羅びんばしゃら王は、
深い獄中の罪人になってしまいます。
それまでお釈迦様から、
世の中は無常ですよ、いつ何が起きるか分かりませんよ
と聞いてはいましたが、
あまりにも激しい無常を頻婆娑羅びんばしゃら王は体で聞いたのです。

一方、韋提希夫人は、食べ物も飲み物も断たれていることを知りましたので
毎日、頻婆娑羅びんばしゃら王へ食べ物と飲み物を体に隠して届け、何とか命をつなぐことができました。

その牢屋の中で、頻婆娑羅びんばしゃら王は一人、
自分をこんな目に遭わせた阿闍世に対する怒りで身を焼きます。
ですが、現実にはどんなに阿闍世を憎んでもどうにもなりません。
すると、ちょうどお釈迦様のおられる耆闍崛山の方角に窓があったので、
その方角に
どうかお釈迦様お助けください。
 お弟子の一人なりとおつかわしくだされ

と手を合わせたのでした。

ところが、それを知った阿闍世は、
その姿が気に入らん」と
窓に板を打ち付け、頻婆娑羅びんばしゃら王の手も縛ってしまいます。
そのようなむごい仕打ちを受けた頻婆娑羅びんばしゃら王は、
心の中で手を合わせてお釈迦様に救いを求めたのでした。

その心の叫びがお釈迦様の心に届き、
お釈迦様は、二人のお弟子を派遣されたのでした。
その2人は、釈迦十大弟子の中の、富楼那ふるな目連もくれんでした。

富楼那ふるなの説法

その富楼那と目連が頻婆娑羅びんばしゃら王に話したのは、因果の道理でした。
因果の道理というのは
すべての結果には必ず原因があるといういつでもどこでも成り立つ真理です。
特に仏教では、私たちの運命の原因と結果の関係を教えられています。
それがこの因果応報いんがおうほうの道理です。

善因善果ぜんいんぜんか
悪因悪果あくいんあっか
自因自果じいんじか

これは、善いたねまけば善い結果があらわれる
悪いたねまけば悪い結果があらわれる
自分の運命のすべては、自分のまいたたねまきの結果だ、ということです。
因果の道理について、詳しくは以下のページをご覧ください。
因果応報とは?運命の法則・因果の道理

それを聞いて頻婆娑羅びんばしゃら王が、自分のたねまきを反省しますと、
自分が今こんなに苦しんでいるのは、
自分が世継ぎ欲しさに修行者を殺したからではないか、
生まれてくる子どもを殺そうとしたからではないかと知らされたのでした。
苦しい運命が他人のせいだと思えば腹が立ちますが、
自分が悪かったと知らされると
懺悔の心が起きてきて、苦しみがスーッと消えていきます。

ですがこれは一時的な救いです。
富楼那と目連が帰っていくと、
また「だけどもやはり提婆達多や阿闍世が悪いのではないか
と他人を恨む心が出てきます。
そうすると、また「お釈迦様、お助けください」と救いを求め、お釈迦様はまた目連と富楼那を派遣されるのでした。
こうして3週間が過ぎていきます。

阿闍世の母殺し

阿闍世が「もう3週間も経ったから死んでるだろう」と頻婆娑羅びんばしゃら王の様子を見に来ると、まだ生きています。
飲まず食わずで3週間もどうして生きてるんだ
と門番に尋ねると、
「実をいいますと、韋提希夫人さまが、毎日食べ物や飲み物を運んでおられます。
 そして2人のお釈迦様のお弟子がやってきて説法しておられます。
 それで肉体も心も、まだ元気でおられます」
それを聞いた阿闍世は烈火の如くに怒って、こう言います。

我が母はこれ賊なり
(漢文:我母是賊)

オレのかたきに食べ物を運ぶような者は我が母もまたかたきだと、一刀のもとに斬り捨てようとします。
その時、耆婆ぎばという医師と月光がっこうという大臣が命がけで止めます。
「阿闍世太子様、今まで父を殺して自ら王の位についた者が
 たくさんあったと聞いてはおりますが
 未だかつて母を手にかけて殺したという人は聞いたことがありません。
 もしあなたがどうしてもお母さんを殺すというのならば、
 我が王朝の名誉に関わることですから、私たちにも覚悟があります」
それでさすがの阿闍世も
お前らがそれほどいうのなら殺すのだけはやめてやる。
 だが、許すわけにはいかん。
 こいつも七重の牢の中へたたき込め

こうして韋提希夫人も、我が子のために牢屋へ入れられたのです。

そのために頻婆娑羅びんばしゃら王は、食べ物も飲み物も運ぶ人がなくなり、牢屋の中で餓死していったのでした。

韋提希夫人の苦しみ

韋提希夫人は我が子のために牢屋に入れられ、かわいさ余って憎さ百倍、
阿闍世を心で切り刻んで悶え苦しみます。
病気の時は寝ずに看病してきた、
ほしいものは何でも与えてきた、
それなのにこの仕打ち。
それも提婆達多が阿闍世をそそのかしたからよ。
提婆達多を心ですりつぶして、大声で泣き、牢屋の中を這いずり回って苦しみます。

ですが、どれだけ泣いてもどうにもなりません。
韋提希は最後にお釈迦様にすがるのでした。
ですが、助けてくださいとは言いません。
「私は、今まで夫と力を合わせて、
 仏法を広めるために、お釈迦様のために一生懸命やってきた。
 たくさんも建てた。
 その私が今こんなに苦しんでいることは、
 お釈迦様は神通力をお持ちの方だから
 もうとっくに分かっておられるはずなのに、
 未だに来てくださらない。
 どういうこと?」
こうして韋提希は牢の中で苦しみ続けます。

法華経を中断して観無量寿経を説かれる

ところがその韋提希の悲痛な心の叫びが、お釈迦様に届きます。
その時お釈迦様は、耆闍崛山で、『法華経ほけきょう』を説かれている最中でした。

法華経』というお経は、お釈迦様の説かれた一切経七千余巻の中でも重要な位置を占めます。
詳しくは以下のページをご覧ください。
法華経全文を貫く内容・要約と意味をわかりやすく解説

お釈迦様が、そういう極めて大事な説法をされていた時に韋提希夫人の心の叫びが聞こえてきたのです。

そこでお釈迦様は、
そなたがたよ、今、私のしなければならない最も大切なことが起きた。
 しばらくこのまま待つがよい

法華経』を中断されて、韋提希夫人のもとへ向かわれます。
ついて行かれたお弟子が
どうされたんですか?
と尋ねると、
実はな、仏の慈悲というのは苦しんでおる者ほど重くかかるのだ。
 岸で戯れている者よりも、今溺れている者を早く助けなければならない。
 今王舎城で韋提希夫人が、我が子のために牢屋に入れられて救いを求めている、
 早く助けてやらねばならない

これは、私がこの世に生まれてきたのは、『法華経』を説くためではないのだ。
韋提希のようなものを救う阿弥陀仏の本願を説くのが目的なのだ、ということです。

このように『法華経』を中断されてまで説かれたのが『観無量寿経』の説法です。

無言の説法

お釈迦様が韋提希の目の前に現れられると、
韋提希は、お礼を述べるどころか、
「お釈迦様、お待ちしてました。
 ようやく来てくださったんですか。
 私こんなに苦しんでいたのに、今まで何をしておられたんですか」
という気持ちで、号泣しながらこう言います。
どうして私は、あんな恐ろしい子を生んでしまったのでしょう。
 大事に大事に育ててきたのに、なぜ私がこんな目に遭わなければならないのでしょう。
 あんなにかわいがってきたのに

さらには
それというのも、お釈迦様のいとこの提婆達多がねたんでしでかしたことでしょう。
 お釈迦様のせいではありませんか

と助けに来てくだされたお釈迦様にまで矛先を向けます。
その言葉を『観無量寿経』にはこう説かれています。

世尊、我むかし何の罪ありてかこの悪子を生める。
世尊、また何らの因縁ありてか提婆達多と共に眷属なる。

(漢文:世尊我宿何罪生此惡子 世尊復有何等因縁 與提婆達多 共爲眷屬)

それに対してお釈迦様は何もおっしゃらないで、
半眼のまなこでただ聞くだけでした。

相手の姿を見る時には目を見開きますが、相手の心の動きを見る時は半眼のまなこになります。
お釈迦様はじっと韋提希の心の動きを見ながら聞いておられる、
これが有名な、『観無量寿経』の「無言の説法」です。

それは、お釈迦様が、韋提希を一時的に救うのではなく、根本から救おうとされていたからです。
そこで韋提希は、
お釈迦様が受け取ってくださらないので、
ますます苦しみがたまってきます。
こんなに私が苦しんでいるのに、
 お釈迦様何とか言ってください

人間、そうかそうかと話を聞いてもらえれば楽になるものですが、
お釈迦様は黙っておられるので、
韋提希はますます苦しくなっていきます。

韋提希夫人の五体投地

お釈迦様、私もうこんな世の中いや。
 悪い奴ばっかりで、まるで地獄餓鬼畜生のよう。
 来世は苦しみのない世界へ行きたいの……

韋提希はあまりの苦しさに突っ伏します。

五体投地して求哀懺悔す。
(漢文:五体投地 求哀懺悔)

これは「お釈迦様、助けてください」と前へ身を投げ出した、ということです。
これを「五体投地ごたいとうち」といいます。

するとお釈迦様は、眉間の白毫相びゃくごうそうから光明こうみょうを放たれました。
そこに大宇宙の仏方の国土が照らし出されます。
そしてお釈迦様が、
あれは何という仏の国土だ、
あれは何という仏のおられる所だと説かれていくうちに、
とびきり光明輝くすばらしい世界が
韋提希のまなこへ飛び込んできます。

その時、韋提希は驚いて、
あれは何という仏様の国土でございますか
と尋ねると、
韋提希、そなた気がついたか
 あれこそが本師本仏の阿弥陀仏極楽浄土

それは他の仏様の浄土と比較にならない立派な世界でした。

ちなみに、阿弥陀仏とはどんな仏か知られたい場合は、以下のページをご覧ください。
阿弥陀如来とは?簡単に分かりやすく解説

それを聞いた韋提希は、
お釈迦様、私は、あの阿弥陀仏の極楽浄土へ往きとうございます。
 あの極楽へ往くにはどうすればいいか教えてください

とお釈迦様に言います。

それに対してお釈迦様はにっこり微笑まれると、
そうか、では阿弥陀仏の極楽浄土へいく方法を教えよう
と説かれたのが定善じょうぜん十三観と、散善さんぜん三観です。

観無量寿経の教え

観無量寿経』に何が説かれているのかというと、
定善十三観と散善三観の定散十六観です。
観無量寿経』について詳しいことは以下のページをご覧ください。
観無量寿経とは?意味と内容を分かりやすく解説

定善」とは、心が散り乱れている私たちの心をじっとしずめて、阿弥陀仏と極楽浄土を一心に念ずることです。
それに十三通りありますから定善十三観といいます。

散善」とは、心が散り乱れているままでもいいから善をすることです。
そのやり方に三通りありますから散善三観といいます。

お釈迦様は、韋提希に定善をやってごらんなさいといわれます。
定善十三観の一番最初は日想観にっそうかんです。
日想観とは、太陽が西の空に沈む様を心に思い浮かべて、阿弥陀仏とその極楽浄土を一心に念ずることです。
お釈迦様は、「韋提希よ、日想観をやってみるがよい
といわれます。
韋提希は、お釈迦様の教えの通りに日想観を始めます。
ところが心をしずめようとすればするほど、
阿闍世や提婆達多への怒りや憎しみばかりが噴き上がってきて、心が静まりません。
阿弥陀仏のことも浄土のことも全然思えない自分の心が見えてきます。
それで「できません」とお釈迦様に言うと、次に
ならば水想観すいそうかんをやってみるがよい
といわれます。

水想観とは、波一つない鏡のような水面を思い浮かべて、阿弥陀仏とその浄土を一心に念ずることです。

韋提希は水想観に取り組みますが、やはり阿闍世や提婆達多への怒りや憎しみばかりで、少しも心がしずまらない自分の姿が知らされるばかりです。
これもできません」と言うと、次にお釈迦様は、
ならば地想観ちそうかんをやってみるがよい
しかしこれもできません。
お釈迦様は、韋提希のような者が定善などできるわけがないことをよく分かっておられたのですが、
韋提希は、やろうと思えば何でもできると自惚れているので、
その自惚れ心を叩き壊すために、方便されているわけです。
方便というのは、導きのことですが、詳しくは以下のページをご覧ください。
方便の意味・仏教での使い方とは?(嘘も方便は身の破滅?)

韋提希は、阿弥陀仏のことを思おうとすればするだけ
阿闍世の畜生、提婆の餓鬼めと怒りの心しか見えてきません。
日想観もできない、水想観もできない、地想観もできないと6番目までやった時に、
韋提希は自分の心の姿がハッキリと知らされてきます。

それまでの韋提希は、
私がこんなに苦しまなければならないのは
阿闍世のせいだ、
提婆のせいだ、
お釈迦様のせいだと
目が外を向いていました。
それが、お釈迦様の教えの通りに
を実行しようとしたことによって、
次第にまなこが心に向いてきたのです。
外を向いていた目が内へ向いてきたということです。

そうすると、自分が今までどんな行いをしてきたか照らされて、知らされてきます。
そこで第6番目までやった時に韋提希は、
私はこんな定善なんかできるような善人ではなかった、
子どもを欲しいために夫をそそのかして人殺しをしたのも自分、
またその生まれてくる子どもが自分たちを殺すものだということを信じて
剣の林に生み殺そうとしたのも、私が言い出したことだと
今までの恐ろしいたねまきが知らされてきて
こんな目にあって苦しむのは当たり前だ、
私は地獄に堕ちて当然だと知らされてきます。

その時に、韋提希は、人が悪いという怨みではなく、
自分の罪悪に怖れおののいて苦しみ悶えます。
その姿をお釈迦様がご覧になって、
阿弥陀仏の本願を説く時が来たと感知されて、
韋提希よ、そなたに除苦悩法を説くぞ
と言われます。

除苦悩法とは、苦悩を除く法ということです。
地獄より他に行き場のない自分を知らされて、
自分の罪悪にのたうちまわっているその苦しみ悩みをたちどころになくす法です。
その法が阿弥陀仏の本願です。

阿弥陀仏に救われた韋提希夫人

その時、お釈迦様の姿がパッと消えてしまって、
同時に金色燦然と輝く阿弥陀如来が現れます。
その阿弥陀仏のお姿を見た瞬間に
韋提希の一切の苦しみ悩みの根元が断ち切られて、
踊り上がって喜んだのです。
これを『観無量寿経』にはこう説かれています。

仏身を観ずるを以ての故に、また仏心を見る。
仏心とは大慈悲これなり。

(漢文:以觀佛身故 亦見佛心 佛心者大慈悲是)

仏身」とは阿弥陀仏のお姿です。
阿弥陀仏のお姿を見るものは阿弥陀仏の心を体得する、ということです。
これを「見仏得忍けんぶつとくにん」といいます。

見仏得忍をした韋提希が、絶対の幸福に救われて、
牢屋の中で踊り上がって喜んでいると、
そこへ阿闍世がやってきます。
韋提希が、阿闍世を拝んで、
お前ようこそ、私をこのようにしてくれた。
 お前のおかげで私は阿弥陀如来に救われることができたのじゃ

また提婆達多のいる方角に向かって
提婆さまー、あなたがあの子にあのようなことを言ってくれたなればこそ
 私は牢屋へ入れられ、この阿弥陀仏の本願に救われることができたのじゃ

と提婆達多にも心から感謝します。
私のような悪い者は、このようにしてくれなかったら阿弥陀仏の救いにあうことはできなかった
と阿闍世と提婆達多を拝みたおしたのです。

それを見てびっくりした阿闍世は、
自分の今までの行いを懺悔して韋提希夫人を牢屋から出します。
そして、阿闍世も仏教を聞いて阿弥陀仏に救われ、国中に仏教を伝える王になったといわれます。
これが王舎城の悲劇です。

ではこの王舎城の悲劇の登場人物はどんな人たちだったのでしょうか。

王舎城の悲劇の登場人物の正体

この王舎城の悲劇の登場人物について、
浄土真宗を開かれた親鸞聖人はこのように言われています。

大聖おのおのもろともに
凡愚底下のつみびとを
逆悪もらさぬ誓願に
方便引入せしめけり

大聖だいしょう」とは仏様のことです。
仏さまは、大宇宙にはたくさんおられますので、それらの仏方が、「もろともに」というのは一緒になってということです。
王舎城の悲劇には、頻婆娑羅びんばしゃら王や韋提希夫人、お釈迦様や目連、富楼那、阿闍世、提婆達多、耆婆や月光、門番など、たくさんの登場人物があります。
それらは仏方がキャストを演じられたドラマである、ということです。

凡愚底下ぼんぐていげのつみびと」とは、愚かな最低の人間ということで、
私たちのようなお粗末なすべての人ということです。
縁さえくれば、韋提希夫人や提婆達多と同じようなことをする、
私たちのようなものです。

そんな者を「逆悪もらさぬ誓願」とは、五逆罪ごぎゃくざい十悪じゅうあくを造っている、どんな者でももらさず救うと誓われた阿弥陀仏の本願です。
そこへ方便引入させられたんだ。
この韋提希と同じように私たちも救われるんだと何とか分からせようと、仏方が芝居をして見せてくだされたんだ。
だから登場人物は、仏様が仮に現れた、仏の化身なんだ。
どんな人でも、一瞬で韋提希と同じように生きている時に救われると分からせるために、
仏様方が演じてくだされた如来のドラマが王舎城の悲劇なんだ、ということです。

その阿弥陀如来の本願に救われて、絶対の幸福に救われるには、苦悩の根元が断ち切られなければなりません。
苦悩の根元がどんな心なのか、ということについては、仏教の真髄ですので、
電子書籍とメール講座に分かりやすくまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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