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貧者の一灯とは?意味と由来・長者の万灯より尊い本当の理由

「貧者の一灯って、どういう意味?」
「少ししか出せない私の気持ちにも、意味はあるの?」

募金や寄付、お祝いやお供えをする時に、
周りの人と比べて自分の出せる額が少なく、
肩身の狭い思いをすることがあります。
そんな時、「貧者の一灯」と聞いて、
ホッとする人もあるでしょう。

世間では、貧者の一灯は、
「金額より気持ちが大事」という意味だといわれます。
ところが、もとになったお経によれば、
王様が並べたたくさんの灯火よりも、
貧しい女の1つの灯火が尊いと説かれた理由は、
少ないからでも、気持ちだけだからでもありません。

そこには、お金があってもなくても、
誰もが知っておきたい布施の心が説かれています。
では、貧者の一灯とは、どんな意味なのでしょうか?

貧者の一灯とは?意味と使い方

「貧者(ひんじゃ)の一灯(いっとう)」とは、
貧しい人が真心を込めて捧げる一つの灯火は、
お金持ちが捧げるたくさんの灯火よりも尊い、
という意味のことわざです。
そこから、量や金額の多さよりも、
そこに込められた心のほうが大切だというたとえに使われます。

「長者の万灯より貧者の一灯」は
「富者の万灯より貧者の一灯」ともいいます。
「長者(ちょうじゃ)」とはお金持ちのこと、「万灯(まんとう)」とは、たくさんの灯火のことです。

ここでいう灯火とは、仏様の前にお供えするお灯明(とうみょう)のことです。
お釈迦さまの時代のインドでは、
油を入れた小さな器に芯をひたして火を灯します。
今でいえば、お仏壇に灯すろうそくのようなものです。

では「貧者の一灯」は、どのような時に使われる言葉なのでしょうか。

貧者の一灯の使い方

貧者の一灯は、主に2つの場面で使われます。

1つは、自分が寄付やお祝いを差し出す時に、
「わずかですが、貧者の一灯として」と、
へりくだって言う使い方です。
額は少なくても、心を込めていることを伝えます。

もう1つは、生活が苦しい人が精一杯の寄付をしたと聞いて、
大金の寄付にも優る尊さに、心を打たれた時の使い方です。

ただ、相手の寄付を指して使うと、
相手を「貧者」と呼ぶことになるので、
面と向かって使うのは、避けたほうがよいでしょう。

では、このことわざは、どこから生まれたのでしょうか?

貧者の一灯の由来・お経に説かれた王と貧女の灯火

貧者の一灯は、『阿闍世王授決経(あじゃせおうじゅけつきょう)』や
『賢愚経(けんぐきょう)』に説かれる、
お釈迦さまの時代の出来事から生まれたことわざです。

どちらも同じ灯火の出来事を伝えていますが、
「長者の万灯」にあたる王様の灯火が出てくるのは、
『阿闍世王授決経』のほうです。
この阿闍世王というのは、仏教史上最大の悲劇といわれる
「王舎城の悲劇」の登場人物の1人です。

ある日、当時インド最強であったマガダ国の阿闍世王が、
お釈迦さまをお招きして、食事をお布施します。
お釈迦さまが精舎へお帰りになった後、
王は、王に仕える医師の祇婆(ぎば)に、
「次は何をしたらよいだろうか」
と尋ねます。

祇婆が、「たくさんの灯火をお供えされるとよいでしょう」と答えると、
王は百斛(ひゃっこく)という、おびただしい量の油を用意させ、
王宮の門から精舎までの道に、ずらりと灯火を並べさせます。

同じ頃、一人の貧しい女が、いつも仏様に何かを布施したいと願っていますが、
その日の食べ物にも困る暮らしで、布施するものが何もありません。

王の盛大なお布施を見て、心を動かされた女は、
物乞いをして、ようやく二銭を手に入れます。
そのお金を握りしめて、油屋へ向かいます。

油屋の主人は驚いて言います。
「そんなに貧しいのに、やっともらった二銭で、
どうして食べ物を買わないのか
」

女は、「仏様に、灯火を一つ捧げたいのです」と答えます。
そのわけを聞いた油屋の主人は、心を打たれて、
二銭分の二合の油に三合を足し、五合の油を渡します。

女はその油で灯火を灯し、お釈迦さまにお布施します。
ただ、五合の油では、夜の半分も持ちそうにありません。
そこで女は、
「もし私が後の世に、仏様と同じさとりを開けるのなら、
この灯火よ、夜通し消えずに灯っていておくれ
」
と念じて帰っていきます。

夜がふけると、王の灯火は、番をする人がついていても、
ある灯火は消え、ある灯火は油が尽きていきます。
その中で、女の一灯だけは、一際明るく燃え続け、
油も減らないまま、朝を迎えます。

夜が明けると、お釈迦さまはお弟子の目連(もくれん)に、
「もう朝になったから、灯火を消しなさい」と言われます。
目連は、灯火を次々と消していきますが、
貧女の一灯だけは、三度消そうとしても消えません。

今なら、電気でついているのかと疑うところです。

目連が袈裟(けさ)で扇ぐと、火はかえって明るさを増します。
そこで神通力で大風を起こして吹きつけると、
火はますます勢いよく燃え上がり、
その光は、上は梵天(ぼんてん)まで、
横は三千世界の隅々まで照らします。

するとお釈迦さまは、
「やめなさい。これは、そなたの神通力で
消せるような灯火ではない
」と言われ、
この貧女が遠い未来に、仏のさとりを開くことを予言されます。

『賢愚経』では、同じ灯火の出来事が、
祇園精舎のある舎衛国(しゃえいこく)で、
難陀(なんだ)という貧しい女性の灯火として説かれ、
「たとえ四つの大海の水を注いでも、大嵐が吹いても、
この灯火は消えない
」とまで言われています。

日本では、この難陀という女性が大切な黒髪まで切って売り、
灯火の代金にあてたとも語り伝えられています。

こうして、王が布施した多くの灯火が消えてしまっても、
貧しい女性が布施した1つの灯火は消えず、尊い輝きを放ち続けたことから、
「長者の万灯より貧者の一灯」
ということわざが生まれています。

では、世間の人は、貧者の一灯を
どう受けとっているのでしょうか?

世間でいわれる貧者の一灯の教え

世間では、主に次のように受けとられています。

貧者の一灯について世間でいわれること
  1. 金額や量よりも、真心が大切
  2. 少ない額でも、恥ずかしく思わなくてよい
  3. お金持ちの寄付は見栄、貧しい人の寄付は真心

どれも、もっともなことです。
有り余るお金から見栄で出す大金よりも、
苦しい中から心を込めて差し出したわずかなお金のほうが、
受けとる人の胸を打つのは、間違いないことです。

ですが、これだけでは説明のつかないことがあります。

もし「お金持ちの布施は見栄」なら、
お金持ちは、どれだけ心を込めて布施をしても、
貧しい人には敵わないことになります。
もし「気持ちがあれば少なくてよい」ということなら、
お金のある人も、一灯にとどめておくのが
一番よいことになってしまいます。

実は、お経の中で、阿闍世王も同じ疑問を口にしています。
貧女のことを聞いた王は、祇婆にこう尋ねます。

「私はこれほど大きな功徳を積んだのに、
お釈迦さまは、私には予言をくださらない。
あの貧女は、灯火を一つ灯しただけで、
仏になると予言された。なぜなのか
」

この問いに対して祇婆は、
王の灯火と貧女の灯火の違いを、
どう答えたのでしょうか?

長者の万灯より貧者の一灯が尊い本当の理由

祇婆が答えた違いは、灯火の数ではなく、心の向きです。
『阿闍世王授決経』には、こう説かれています。

王の作(な)す所は多しと雖(いえど)も、心専一(せんいつ)ならず。
此の母の心を仏に注ぐに如(し)かざるなり。

(漢文:王所作雖多,心不専一。不如此母注心於佛也)

「王の作(な)す所は多しと雖(いえど)も」とは、
王様の布施は、数も量も多いけれども、ということです。

「心専一(せんいつ)ならず」とは、
その心が、一筋に仏様に向いていない、ということです。

「此の母の心を仏に注ぐに如(し)かざるなり」とは、
心のすべてを仏様に注いだ貧女には及ばない、ということです。

王様にとって百斛(ひゃっこく)の油は、国の財産から見れば、
ほんの一部にすぎません。
灯火を並べながらも、王の心は他のことにも向いていたのでしょう。

貧女の二銭は、その日の食べ物を買うためのお金です。
油屋の主人が驚いたように、それを手放せば、
その日は食べられません。
女は、持っているもののすべてを、
一心に仏様に布施しています。

貧者の一灯が尊いのは、
持てるものの精一杯を、一心に捧げたからです。

一灯のほうが、万灯より優れているわけではありません。
もし王様が、貧女と同じ心で布施をしていたら、
布施する灯火は万どころか、
億や兆の数になっていたでしょう。

王様の精一杯と、貧女の精一杯とでは、
大きさがまるで違います。
一万円が精一杯の人もあれば、100円が精一杯の人もあります。
出せる額は人によって違っても、
その人の精一杯かどうかは、誰にでも同じ物差しで問われます。

ですから、少ない額しか出せなくても、
それが精一杯なら、恥じることはありません。
反対に、出せるのに出し惜しみをして、
「貧者の一灯です」と言うのは、
この言葉の本当の意味とは違います。

では、貧女の一灯は、なぜ大風を吹きつけても
消えなかったのでしょうか?

貧女の一灯が大風でも消えなかった意味

貧女の一灯が消えなかったのは、
心からの布施の功徳は、どんなことがあっても
消えないことを表しています。

仏教では、因果応報ですので、
自分の行いが種となり、
やがて自分に結果を生じます。
心からの布施は、幸せを生み出す善い種です。

まいた種は、どれだけ時間が経っても、
他人に消されることはありません。
袈裟の風にも、神通力の大風にも消えなかったあの一灯のように、
一度まいた善い種は、
やがて必ず、まいた人に幸せの花を咲かせます。

その功徳の大きさを決めるのは、捧げた心の大きさです。
だからこそ、たった一つの灯火が、
あれほど大きな光を放ったのです。

難陀が貧しい身に生まれた理由

『賢愚経』には、難陀がなぜ貧しかったのかも説かれています。

灯火の出来事の後、阿難(あなん)と目連がそのわけを尋ねると、
お釈迦さまは、遠い昔の出来事を明かされます。

迦葉仏(かしょうぶつ)という仏様がおられた昔、
難陀は、長者の妻として生まれています。
ある日、仏様とお弟子を家に招こうとすると、
仏様は、先に貧しい女性の招きを受けておられます。

それを知った難陀は、自分の財産の多さを鼻にかけ、
貧しい女性を見下して、こう言い放ちます。
「なぜ私の供養を受けずに、
あんな物乞いの招きを先に受けられるのか
」

その悪口の報いで、難陀は、500回生まれ変わる間、
いつも貧しい家に生まれることになります。
ただ同時に、その日に仏様とお弟子を供養した、
敬いと喜びの心が種となって、
今、仏様に遇うという結果が起きたといいます。

貧しい人を見下した長者の妻が、
今は貧しい身で、精一杯の布施をしています。
豊かさも貧しさも、運や誰かに決められたものではなく、
自分のまいた種が実ったものです。
そして、どんな身に生まれても、
今まく種で、これからが変わっていくのです。

では、お釈迦さまは、なぜこれほど
布施を勧められたのでしょうか?

お釈迦さまが布施を勧められた本当の理由

お釈迦さまが布施を勧められたのは、
私たちを本当の幸せに導くためです。

布施は、お釈迦さまが教えられた六波羅蜜(ろくはらみつ)という
6つの善の中でも、一番最初に挙げられる、
すばらしい種まきです。
お金や物を施す財施(ざいせ)だけでなく、
仏様の教えを伝える法施(ほうせ)や、
お金がなくてもできる無財の七施まで説かれています。

お釈迦さまご自身は、
灯火がなくても困られることはありません。
布施をして幸せの種をまけるのは、
お供えする人自身です。
施しは、施された人よりも施した人が宝を得るのです。

貧女が、その日の食べ物よりも
一つの灯火を選んだのには、わけがあります。
実は、油屋の主人に、女はこうも答えています。

我聞く、仏の生(しょう)は値(あ)い難く、百劫(ひゃっこう)に一たび遇うと。我幸いに仏世に逢うも、供養すること無し。
(漢文:我聞,仏生難値,百劫一遇。我幸逢仏世,而無供養)

「仏の生(しょう)は値(あ)い難く、百劫(ひゃっこう)に一たび遇う」とは、
仏様がこの世に現れて、その教えに遇えるのは、
百劫に一度しかないほど、稀なことだ、ということです。
劫(こう)とは、気の遠くなるようなとてつもなく長い時間のことです。

「我幸いに仏世に逢うも、供養すること無し」とは、
せっかく仏様のおられる世に生まれ合わせたのに、
まだ何も布施していない、ということです。

女は、仏様に遇えることがどれほど難しく、尊いことなのか、
聞いて知っていたのです。
だから、食べ物を買うための二銭でも、
仏様のために使うことを、少しも惜しいと思っていません。

私たちは、お金や物を手に入れれば、
幸せになれると思っています。
ですが、お金や地位や名誉を手に入れても、
心からの安心も満足もないことは、
手に入れた人ほど、よく知っています。

そしてせっかく手に入れたものも、
人生を終える時には、何一つももっていけません。
すべてを置いて、一人寂しく次の世界へと旅立つことになります。

そこで仏教では、何かを手に入れて喜ぶ幸せとは全く違う、
本当の幸せに、生きている今、なれる道が教えられています。
お釈迦さまは、その本当の幸せへ導くために、
布施をするように勧められているのです。
その布施の大切な心がけが、
「貧者の一灯」によって説かれる精一杯の尊さです。

どんな布施の結果も及ばない幸せ

仏教を聞いて、教えの通りに進んでいくと、
「人間に生まれてよかった」と大満足できる、
本当の幸せになれる時が来ます。

それは、どんな布施をした結果も及ばない、
限りない喜びの身になれます。
そして、色あせることも薄れることもない、
死によっても崩れない無上の幸せです。
そんな幸せに、生きている今なれると教えられているのが仏教です。

では、その本当の幸せとは、どんな幸せなのか。
どうすれば、その幸せになれるのか。
それについては仏教の真髄なので、
メール講座と、電子書籍にまとめてあります。
どちらも無料ですので、今すぐ見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ

X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。

著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。