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無財の七施とは?

無財むざい七施しちせ」というのは、「無財」とありますように、
お金や財産等の施すものを持っていない人でもできる布施ふせということです。
その布施に7つあるので、「無財の七施」といわれます。

布施」というのは、お釈迦様
あらゆるを6つにまとめられた「六波羅蜜ろくはらみつ」の1つで、
その中の最初に挙げられるほど、非常に重要な行いです。

布施について、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
布施とは?お布施の金額の相場や仏教の意味を分かりやすく解説

では、「無財の七施」とは、どんなことなのでしょうか。
出典やそれぞれの意味について、分かりやすく解説します。

貧しい人は布施ができない?

布施がすばらしいのは分かるけど、人に施すほどは持っていない
という人がいます。
ですが、物質的に恵まれた現代人なら、その心配はありません。
布施をして、その結果、すばらしい幸せに恵まれることができます。

今よりはるかに恵まれない、2600年前のインド、
お釈迦様の時代の乞食でも、
布施をしていたと伝えられています。
それはナンダという女性です。
仏様に何とか灯火をお布施したいけれど、油を買うお金がない」と、
一日中乞食をして回り、何とか得られたお金で
1つの灯火をお供えすることができ、
消えることのない功徳が得られたと説かれています。

この話は「貧者の一灯」といわれ、
お布施は心が大切であることを教えられたものです。
ですから、お金がない人ほど、少ない金額でも布施の心が大きいので、
その分、功徳も大きくなります。

ナンダは、何とかお供えする灯火を手に入れることができたのでよかったのですが、
では本当にお金や財産が全くない場合、
ないどころか借金だらけの場合などは、
布施をすることはできないのでしょうか?

このような疑問に答えるために、お釈迦様は
お金や物を全く持たない場合でも、お布施したいという心さえあれば、
布施はできると「無財の七施」を教えられています。

無財の七施とは

無財の七施」は、お釈迦様が『雑宝蔵経ぞうほうぞうきょう』というお経に説かれている施しです。

施しというと、自分が持っているものを与えるイメージですが、
無財の七施」は、お金がなくても、物がなくてもできる施しです。

その施しに7種類あり、以下がその7つです。

無財の七施
  1. 眼施げんせ
  2. 和顔悦色施わげんえっしょくせ
  3. 言辞施ごんじせ
  4. 身施しんせ
  5. 心施しんせ
  6. 床座施しょうざせ
  7. 房舍施ぼうしゃせ

それぞれ、どんなことなのでしょうか。
雑宝蔵経』のお言葉を出して、分かりやすく解説します。

無財の七施の出典

こちらが、『雑宝蔵経』の「無財の七施」について説かれている部分です。
分かりやすいように、現在使われている漢字で表記します。

七種施因縁
仏説有七種施。不損財物。獲大果報。
一名眼施。常以好眼。視父母師長沙門婆羅門不以悪眼。名為眼施。捨身受身。得清浄眼。未来成仏。得天眼仏眼。是名第一果報。
二和顏悦色施。於父母師長沙門婆羅門。不顰蹙悪色。捨身受身。得端正色。未来成仏。得真金色。是名第二果報。
三名言辞施。於父母師長沙門婆羅門。出柔軟語。非粗悪言。捨身受身。得言語弁了。所可言説。為人信受。未来成仏。得四弁才。是名第三果報。
四名身施。於父母師長沙門婆羅門。起迎礼拝。是名身施。捨身受身。得端政身。長大之身。人所敬身。未来成仏。身如尼拘陀樹。無見頂者。是名第四果報。
五名心施。雖以上事供養。心不和善。不名為施。善心和善。深生供養。是名心施。捨身受身。得明了心。不痴狂心。未来成仏。得一切種智心。是名心施第五果報。
六名床座施。若見父母師長沙門婆羅門。為敷床座令坐。乃至自以已所自坐。請使令坐。捨身受身。常得尊貴七宝床座。未来成仏。得師子法座。是名第六果報。
七名房舎施。前父母師長沙門婆羅門。使屋舎之中得行来坐臥。即名房舎施。捨身受身。得自然宮殿舎宅。未来成仏。得諸禅屋宅。是名第七果報。
是名七施。雖不損財物。獲大果報

雑宝蔵経 巻第六

このように『雑宝蔵経』に、「無財の七施」について教えられています。
これは漢文ですので、読みやすいように書き下し文を載せておきます。

雑宝蔵経の書き下し文

次に、こちらが『雑宝蔵経』の書き下し文です。
これも分かりやすいように、現在使われている漢字の表記になっています。

七種施因縁
仏、七種の施ありと説きたまう。財物を損なわずして大果報を獲。
一には眼施げんせと名く。
常に好眼こうげんを以て父母・師長・沙門しゃもん婆羅門ばらもんる。悪眼あくげんを以てせず。名けて眼施と為す。身を捨て身を受けて清浄の眼を得る。
未来に成仏して天眼てんげん仏眼ぶつげんを得。これを第一の果報と名く。
二には和顔悦色施わげんえっしょくせなり。
父母・師長・沙門・婆羅門に於て顰蹙ひんしゅく悪色あくしきせず。身を捨て身を受けて端正色を得る。
未来に成仏して真の金色を得。これを第二の果報と名く。
三には言辞施ごんじせと名く。
父母・師長・沙門・婆羅門に於て柔軟なる語を出し、粗悪の言に非ず。身を捨て身を受けて言語弁了を得る。言説すべき所、人に信受せらる。
未来に成仏して四弁才を得。これを第三の果報と名く。
四には身施しんせと名く。
父母・師長・沙門・婆羅門に於て起迎礼拝きげいらいはいす、これを身施と名く。身を捨て身を受けて端政の身、長大の身、人敬う所の身を得。
未来に成仏して身は尼拘陀樹にくだじゅの如く、頂を見る者なし。これを第四の果報と名く。
五には心施しんせと名く。
上事を以て供養すと雖も心和善わぜんせずは施をなすと名けず。善心和善し深く供養を生ず。これを心施と名く。身を捨て身を受けて明了心みょうりょうしんを得。痴狂ちきょうの心ならず。
未来に成仏して一切種智心いっさいしゅちしんを得。これを心施と名け、第五の果報と名く。
六には床座施しょうざせと名く。
もし父母・師長・沙門・婆羅門を見て床座しょうざを敷きらしむとなし、乃至自らすでに自坐する所を以て請うて坐せしめば、身を捨て身を受けて常に尊貴七宝の床座を得。
未来に成仏して師子法座を得。これを第六の果報と名く。
七には房舎施ぼうしゃせと名く。
父母・師長・沙門・婆羅門の前に屋舎の中を行来坐臥ぎょうらいざがを得さしむ。即ち房舎施と名く。身を捨て身を受けて自然に宮殿舎宅を得。
未来に成仏して諸の禅屋宅ぜんおくたくを得。これを第七の果報と名く。
これを七施と名く。財物を損なわずと雖も大果報を獲。

これが『雑宝蔵経』の中の「無財の七施」の書き下し文です。
これを現代の言葉でいえば、どういう意味になるのでしょうか。

雑宝蔵経の現代語訳

『雑宝蔵経』の「無財の七施」の部分を現代語訳するとこうなります。

七種の施しの因縁
仏は七種類の布施があると説かれた。
お金や物を失うことなく、大きな果報を獲るものである。
一つ目は、眼施げんせという。
常に優しく温かいまなざしで父母や先生、仏法者、仏にまみえ、きつい目つきをしない、これを眼施という。
この世を去り、次の世に生まれ変わる時、清らかな目を得る。
未来に仏となる時、 天眼てんげん仏眼ぶつげんを得る。
これが第一の果報である。
二つ目は、和顔悦色施わげんえっしょくせという。
父母や先生、仏法者、仏に対して、眉をひそめたり、悪い表情をしない。
この世を去り、次の世に生まれ変わるとき、端正な姿を得る。
未来に仏となる時、真の金色を得る。
これが第二の果報である。
三つ目は、言辞施ごんじせという。
父母や先生、仏法者、仏に対して、柔らかい言葉を話し、乱暴で品のないことを言わない。
この世を去り、次の世に生まれ変わる時、明確で分かりやすい話ができるようになり、
その言葉は人々に信頼される。
未来に仏となる時、四つのすぐれた弁舌能力を得る。
これが第三の果報である。
四つ目は、身施しんせという。
父母や先生、仏法者、仏様には、立ち上がってお迎えし、 礼拝らいはいする、これを身施という。
この世を去り、次の世に生まれ変わる時、スタイルが良くて背が高く、人々から尊敬される身体を得る。
未来に仏となる時、仏身はガジュマルの木のように高く、誰も頭のてっぺんを見ることはできない。
これが第四の果報である。
五つ目は、心施しんせという。
これまで述べてきたような布施をしても、心が和やかで善良でなければ布施とは言えない。
善意で和やかに心の底から施しをすること、これを心施という。
この世を去り、次の世に生まれ変わる時、明らかな智恵を得て、愚かでやおかしな心にはならない。
未来に仏となる時、仏の最高の智慧を得る。
これを心施といい、これが第五の果報である。
六つ目は、床座施しょうざせという。
もし父母や先生、仏法者、仏様を見て、席を設けてお座り頂き、自分の席であってもお譲りしてお座り頂いたならば、この世を去り、次の世に生まれ変わった時、常に高貴な七つの宝石をちりばめられた席を得る。
未来に仏となる時、師子法座を得る。
これが第六の果報である。
七つ目は、房舎施ぼうしゃせという。
父母や先生、仏法者、仏様に、建物の中を行ったり来たり、座ったり、横になったりすることができるようにする、これを房舎施という。
この世を去り、次の世に生まれ変わるとき、自然に宮殿や家屋を得る。
未来に仏となる時、諸々の禅定ぜんじょうを行う住まいを得る。
これが第七の果報である。
これらを七施といい、お金や物を失うことはないが、大きな果報を獲るものである。

これが「無財の七施」の現代語訳です。
では「無財の七施」は、それぞれどんな意味なのでしょうか。

無財の七施のそれぞれの意味

それでは「無財の七施」の原文や書き下し文、意味を
それぞれの項目ごとにまとめています。
さらに、内容が分かりやすいように、補足説明もしていきます。

眼施

一名眼施。常以好眼。視父母師長沙門婆羅門不以悪眼。名為眼施。捨身受身。得清浄眼。未来成仏。得天眼仏眼。是名第一果報。

(書き下し文)
一には眼施げんせと名く。
常に好眼こうげんを以て父母・師長・沙門しゃもん婆羅門ばらもんる。
悪眼あくげんを以てせず。
名けて眼施と為す。
身を捨て身を受けて清浄の眼を得る。
未来に成仏して天眼てんげん仏眼ぶつげんを得。
これを第一の果報と名く。

(意味)
一つ目は、眼施げんせという。
常に優しく温かいまなざしで父母や先生、仏法者、仏にまみえ、きつい目つきをしない、これを眼施という。
この世を去り、次の世に生まれ変わる時、清らかな目を得る。
未来に仏となる時、 天眼てんげん仏眼ぶつげんを得る。
これが第一の果報である。

(補足解説)
沙門しゃもん は、広い意味では修行者ですが、ここでは仏法者のことです。
婆羅門ばらもん は、ここでは当然バラモン教の司祭ではなく、を意味しています。

天眼てんげんというのは、禅定ぜんじょうによって得られるもので、
諸仏が持つという五眼ごげんの一つ。
昼夜、内外を問わず、物質をも突き通して見抜くことができる視力のこと。
仏眼ぶつげんも同じく五眼の一つで、一切を見、一切を知る眼のこと。

まず、7つの布施に共通して、施しの相手が、父母や先生、仏法者、仏になっています。
これは、福田という施しの対象を表されています。
田んぼに種をまくと、やがて何百倍、何千倍の収穫があるように、
福田に施しをすると、大変な福徳が得られるということです。
その福田には、「敬田」「恩田」「悲田」の3つがあります。
敬田」とは、尊敬すべき徳のある人、まずは仏です。
恩田」は恩のある人、お世話になった人です。
親や先生、本当の生きる意味を教えてくれた仏教の先生などです。
悲田」とは、気の毒な人のことです。
このうち、父母や先生、仏法者、仏というのは、敬田と恩田を挙げられていますが、
もちろん悲田に施しても、すばらしい功徳があります。

眼施は、目の施しということで、目で行う布施です。
アイバンクに角膜を提供するのは違います。
優しい温かい眼差しで、周囲の人を明るくすることです。
これは、お金や財産がなくても、目さえあればできます。

眼目」という言葉がありますが、これは物事の肝心なところをいいます。
顔の印象は、目によって大きく変わります。
睨むような攻撃的な視線や、軽蔑したような視線を受けると、
何となく嫌な気分になります。
反対に、優しさや思いやりのある眼差しというのは、それだけで心が温かくなる。
それだけ目には力があるということです。
また、失敗して落ち込んでいる人に、温かい眼差しで接することによって、
心が癒やされ、立ち直る縁になります。
目に優しさや思いやりを込めることが、眼施というすばらしい施しになるということです。

和顏悦色施

二和顏悦色施。於父母師長沙門婆羅門。不顰蹙悪色。捨身受身。得端正色。未来成仏。得真金色。是名第二果報。

(書き下し文)
二には和顔悦色施わげんえっしょくせなり。
父母・師長・沙門・婆羅門に於て顰蹙ひんしゅく悪色あくしきせず。
身を捨て身を受けて端正色を得る。
未来に成仏して真の金色を得。
これを第二の果報と名く。

(意味)
二つ目は、和顔悦色施わげんえっしょくせという。
父母や先生、仏法者、仏に対して、眉をひそめたり、悪い表情をしない。
この世を去り、次の世に生まれ変わるとき、端正な姿を得る。
未来に仏となる時、真の金色を得る。
これが第二の果報である。

(補足解説)
和顔悦色施は、優しい微笑みを湛えた笑顔で人に接することです。
和顔」とは、微笑みを湛えた柔らかな表情のことで、
悦色」とは、心のわだかまりがなくなり、さっぱりした表情のことです。
そういう優しい笑顔で人に接することが施しになるということです。

よく表情があるとか、ないとか言いますが、
表情はドレスです。
どんなも 笑顔つくれば 五割増し
という歌があります。
笑っただけでかなり魅力的になるということです。
美容整形に大金をかけるより、はるかに安く、美しくなります。

逆に、つまらない時につまらない顔をしていると、
つまらない顔に固定されてしまいます。
つまらない時ほど、明るく爽やかな笑顔が大切です。
笑顔の多い人は、笑いの表情が顔の中に彫りこまれて、周りの人も楽しくなります。
えくぼ」を作るように心がけると効果的です。

あるアメリカの学者が、
笑う時には、16本の顔の筋肉を動かせばよいが、
怒る時は、62本動かさなければならない。
エネルギー上からも、笑い顔の方が怒り顔よりも得である

と言っています。

さらに、笑うとナチュラルキラー細胞が活性化して、免疫力が上がるといわれています。
逆に、悲しみやストレスで免疫力が落ちます。
笑ったほうが、感染症にもかかりにくく、ガンにもなりにくくなるということです。
笑顔は健康にもいいのです。

1961年、単独で人類初の宇宙飛行を成功させたガガーリンは、
宇宙飛行士の候補者の中では体重が重くて不利でしたが、
最終選考で「素晴らしい君の笑顔は、いつも心が安定している証拠だ
と評価されて選ばれたといわれます。
笑顔が「地球は蒼かった」とか
神はいなかった」という名言を生むことにつながったのです。

呼べば呼ぶ 呼ばねば呼ばぬ 山彦ぞ
 まず笑顔せよ みな笑顔する

という歌がありますが、自分が笑顔で接することで、
周りの人を笑顔にし、みんな明るくなるということです。

和顔悦色施は、お金はなくても顔さえあれば誰でもできます。
笑顔を出し惜しむほどのケチはありません。
お金はかからず、ちょっと顔を動かすだけです。
目尻を下げ、口角を上げます。
えくぼも出れば言うことなしです。
ぜひ心がけていきましょう。

言辞施

三名言辞施。於父母師長沙門婆羅門。出柔軟語。非粗悪言。捨身受身。得言語弁了。所可言説。為人信受。未来成仏。得四弁才。是名第三果報。

(書き下し文)
三には言辞施ごんじせと名く。
父母・師長・沙門・婆羅門に於て柔軟なる語を出し、粗悪の言に非ず。
身を捨て身を受けて言語弁了を得る。
言説すべき所、人に信受せらる。
未来に成仏して四弁才を得。
これを第三の果報と名く。

(意味)
三つ目は、言辞施ごんじせという。
父母や先生、仏法者、仏に対して、柔らかい言葉を話し、乱暴で品のないことを言わない。
この世を去り、次の世に生まれ変わる時、明確で分かりやすい話ができるようになり、
その言葉は人々に信頼される。
未来に仏となる時、四つのすぐれた弁舌能力を得る。
これが第三の果報である。

(補足解説)
四弁才とは、法無碍弁、義無碍弁、辞無碍弁、楽説無碍弁の4つです。
法無碍弁は、教えに通じていること
義無碍弁は、教えの意味に通じていること
辞無碍弁は、すべての言葉に通じていること
楽説無碍弁とは、相手に応じて自由自在に説法することです。

言辞施は、言葉の施しということで、優しい言葉をかけることです。
無量寿経』というお経に、「和顔軟語」と教えられています。
一般的には「和顔愛語」といわれますが、
この「愛語」というのが、言辞施です。
愛語は、菩薩が人々を導くために、慈悲の心で発せられた言葉のことです。
そういう慈しみの心を持って、優しい言葉を発していきましょう、ということです。

言葉遣い一つで、得られる結果が変わってしまうという、
こんな話がお経にあります。
自分で獲った鹿を町へ売りに行こうとしていた猟師のところへ、
肉を分けて欲しいと、仲の良い4人がそれぞれお願いしに行きます。
1人目は高慢な態度で
おい、あんた。私に肉をくれないか。食べたいんだ」と言いました。
2人目は
兄さん、肉を分けてください。弟である私に食べさせてください」と頼みます。
3人目は
親愛なる方よ、肉を分けていただけませんか。食べたいと思っております」とお願いしました。
4人目は
親愛なる友よ、肉を分けてください。私はただ施しを求めているだけです。私は食べたいのです
と丁寧に訴えます。
それに対して猟師は、
1人目には角だけ、
2人目には足一本、
3人目には心臓と肝臓、
4人目にはすべての肉を与えました。
そのように猟師は、それぞれの態度と言葉遣いの良し悪しに応じて、
肉を分け与えたと教えられています。
(出典:『生経』)

丁寧な優しい言葉を使うことが大切なのです。

アメリカであった心理実験で、健康な人に周りの人が
顔色悪いぞ」と嘘を言ったところ、
その人は本当に病気になってしまったといいます。
ということは、「顔色がいいぞ」と言ったら、病気が治るかもしれません。
温かい言葉をかける「言辞施」が大切です。

褒め言葉という点から言えば、
普通、人は放っておいたら相手の悪い点ばかりが目につきます。
心に任せていれば、注意や悪口ばかりになってしまいます。
そこで、相手のいい点を見つけて褒めるようにすると、
すばらしい親切になります。

ですが、心にもないお世辞をいうと綺語きごというになります。
相手の心にも、あまり響きません。
この2つは一体どこが違うのかというと、心からの称讃かどうかです。
褒めたら、さらに褒めた理由も添えると、
相手も自分は理解されたと思って喜びます。

相手を褒める時、相手が自覚していることを褒めても喜ばれます。
さらに相手が気づいていないことを褒めると
あれ?私ってそんな強みがあるの?
と注意が向きます。
相手の可能性を引き出すことができます。
それがきっかけで、人生変わることさえあります。
すばらしい言辞施になるのです。

そこまでいかなくても、まずは挨拶をするだけで言辞施です。
挨拶をすれば、相手に喜ばれ、その人は心を開きます。
人間関係がスムーズになれば、仕事も恋愛もうまくいく可能性が高くなります。
小さい頃から教えられ、部活動や就職活動でも学ぶ社会生活の基本ですが、
大変すばらしい布施となるのです。
ぜひ実践していきましょう。

身施

四名身施。於父母師長沙門婆羅門。起迎礼拝。是名身施。捨身受身。得端政身。長大之身。人所敬身。未来成仏。身如尼拘陀樹。無見頂者。是名第四果報。

(書き下し文)
四には身施しんせと名く。
父母・師長・沙門・婆羅門に於て起迎礼拝きげいらいはいす、これを身施と名く。
身を捨て身を受けて端政の身、長大の身、人敬う所の身を得。
未来に成仏して身は尼拘陀樹にくだじゅの如く、頂を見る者なし。
これを第四の果報と名く。

(意味)
四つ目は、身施しんせという。
父母や先生、仏法者、仏様には、立ち上がってお迎えし、 礼拝らいはいする、これを身施という。
この世を去り、次の世に生まれ変わる時、スタイルが良くて背が高く、人々から尊敬される身体を得る。
未来に仏となる時、仏身はガジュマルの木のように高く、誰も頭のてっぺんを見ることはできない。
これが第四の果報である。

(補足解説)
尼拘陀樹にくだじゅというのは、ガジュマルのことです。
観葉植物としては、よく「幸せを呼ぶ木」として見かけます。
大きくなると20mを超えます。
仏の三十二相にも、この相が出てきています。
仏の三十二相について、詳しくは以下の記事をご覧ください。
三十二相八十随形好(八十種好)の深い意味を分かりやすく解説

身施は、身体の施しということです。
お経には、立ち上がってお迎えしたり、礼拝したりする例が挙げられていますが、
他にも相手のために行う奉仕活動は身施となります。
重いものがあれば代わりにお持ちしてもいいですし、何かのお手伝いをしてもいいです。
何かの会合やイベントをする時には、準備や片付け、掃除をするのも身施になります。
買い物に行ったり、食事を作ったり、やることはたくさんあります。
特に、みんながやりたがらないことをやるほうが尊い功徳になります。

お経にも、このようなことが説かれています。
ある時、お釈迦様の十大弟子の一人、阿那律あなりつ尊者が、衣を縫わなければならなくなりました。
ところが、阿那律尊者は厳しい修行によって視力を失い、
目が見えなくなっていましたので、針に糸を通せません。
そこで、周りの人に
どなたか針に糸を通してくださる方はおられませんか?
と呼びかけました。
その時、
はいはいはーい!私にさせてください
と近づいて来た人がいます。
それはなんとお釈迦様でした。
驚いた阿那律尊者は
私は善を求めたい人にちょっと手伝ってもらえれば良かったんですけど……
というと、
世の中に善を求めること私以上の者はいない
といわれます。
そこで、
お釈迦様はすべての善と徳を身につけておられるのですから、
もう善を求められる必要はないのではないでしょうか

とお尋ねすると、
仏のさとりを開いたからといって、善をおろそかにしていいはずがない。
仏こそ、善をするのに飽きることはないのである

といわれています。
(出典:『増一阿含経ぞういつあごんきょう』)

このように、お釈迦様が率先して、身施を心がけておられるのです。
私たちも、ぜひさせていただきましょう。

心施

五名心施。雖以上事供養。心不和善。不名為施。善心和善。深生供養。是名心施。捨身受身。得明了心。不痴狂心。未来成仏。得一切種智心。是名心施第五果報。

(書き下し文)
五には心施しんせと名く。
上事を以て供養すと雖も心和善わぜんせずは施をなすと名けず。
善心和善し深く供養を生ず。
これを心施と名く。
身を捨て身を受けて明了心みょうりょうしんを得。
痴狂ちきょうの心ならず。
未来に成仏して一切種智心いっさいしゅちしんを得。
これを心施と名け、第五の果報と名く。

(意味)
五つ目は、心施しんせという。
これまで述べてきたような布施をしても、心が和やかで善良でなければ布施とは言えない。
善意で和やかに心の底から施しをすること、これを心施という。
この世を去り、次の世に生まれ変わる時、明らかな智恵を得て、愚かでやおかしな心にはならない。
未来に仏となる時、仏の最高の智慧を得る。
これを心施といい、これが第五の果報である。

(補足解説)
一切種智いっさいしゅちというのは、仏の有する最高の智慧のことです。
智慧については、こちらの記事をご覧ください。
智慧ちえとは?意味と実践方法と慈悲との違いを分かりやすく解説

心施は、心の施しということです。
これまでの4つの布施を行ったとしても、心が伴わなければ布施とはいえません。
例えば感謝の言葉を述べる時、口だけ「あっしたー」というのではなく、
心から「済みません、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べることを心施といいます。
営業用スマイルのように、自分が儲けるための笑顔ではなく、心からの笑顔。
黙っていると怒られるから「ざーす」と形だけ挨拶するのではなく、
心から「お早うございます」と明るい挨拶をするということです。
また、思いやりの心をもったり、相手の気持ちに共感するのも心施です。

ある時、ロシアの文豪ツルゲーネフが散歩をしていると、
道端で「旦那さま」と声をかけられました。
振り向くと、一人のものもらいが、何かを欲しがっていました。
他の通りすがりの人たちは、無視して通り過ぎていく人ばかりです。
かわいそうに思ったツルゲーネフは、ポケットに手を入れてみましたが、
一銭もありません。
そのまま通り過ぎればよかったのですが、
ツルゲーネフも非常に貧しかった時があったのか、
無視する気持ちになれず、そのものもらいの手をとって
兄弟」と涙ぐんだといいます。
そして「許してくれ、気の毒だが何も持ち合わせがない
というと、
何をおっしゃいますか、旦那さま。私はこれで十分です
と言ったといいます。

お金は一銭ももらっていないのに、何が十分だったのでしょうか。
それは、お金よりも嬉しい、思いやりの心をもらったということなのです。
そんな心施が、この上ない喜びになることがあるのです。

床座施

六名床座施。若見父母師長沙門婆羅門。為敷床座令坐。乃至自以已所自坐。請使令坐。捨身受身。常得尊貴七宝床座。未来成仏。得師子法座。是名第六果報。

(書き下し文)
六には床座施しょうざせと名く。
もし父母・師長・沙門・婆羅門を見て床座しょうざを敷きらしむとなし、乃至自らすでに自坐する所を以て請うて坐せしめば、身を捨て身を受けて常に尊貴七宝の床座を得。
未来に成仏して師子法座を得。
これを第六の果報と名く。

(意味)
六つ目は、床座施しょうざせという。
もし父母や先生、仏法者、仏様を見て、席を設けてお座り頂き、自分の席であってもお譲りしてお座り頂いたならば、この世を去り、次の世に生まれ変わった時、常に高貴な七つの宝石をちりばめられた席を得る。
未来に仏となる時、師子法座を得る。
これが第六の果報である。

(補足解説)
師子法座とは、仏の座席のことです。

床座施は、場所や席を譲り合う親切です。
さらに、立場や地位を譲るのも床座施です。
典型的なのは、電車で、お年寄りや身体の不自由な人に席を譲るのが床座施です。

以前、地下鉄に、英語を話す外国人の夫婦と小さい子供の3人が席に座っていました。
ところがある駅で、年配の男性が乗ってきて、その親子3人の前を通ると、
若いお母さんが立ち上がり、
ジェスチャーと英語で席を譲りました。
その日本人が日本語で
いえいえ、私は大丈夫です」と断ると、
なおも英語で
私たちはもうすぐ降りますから、どうぞ
と真顔で勧めています。
もう一回断って、さらにまた3回目に勧められたところで、
その男性は譲られた席に座っていました。
しばらくして、その親子は降りていきましたが、
周りの人にも心温まる光景でした。

日本人の場合は、席を譲っても、2回くらい断られる可能性がありますが、
そこで諦めてはいけません。
きっと3回目に受けられます。
言葉が通じなくても、文化が違っても、床座施はできるのです。

房舎施

七名房舎施。前父母師長沙門婆羅門。使屋舎之中得行来坐臥。即名房舎施。捨身受身。得自然宮殿舎宅。未来成仏。得諸禅屋宅。是名第七果報。

(書き下し文)
七には房舎施ぼうしゃせと名く。
父母・師長・沙門・婆羅門の前に屋舎の中を行来坐臥ぎょうらいざがを得さしむ。
即ち房舎施と名く。
身を捨て身を受けて自然に宮殿舎宅を得。
未来に成仏して諸の禅屋宅ぜんおくたくを得。
これを第七の果報と名く。

(意味)
七つ目は、房舎施ぼうしゃせという。
父母や先生、仏法者、仏様に、建物の中を行ったり来たり、座ったり、横になったりすることができるようにする、これを房舎施という。
この世を去り、次の世に生まれ変わるとき、自然に宮殿や家屋を得る。
未来に仏となる時、諸々の禅定ぜんじょうを行う住まいを得る。
これが第七の果報である。

(補足解説)
房舎施は、訪ねて来る人、求めて来る人があれば、一宿一飯の施しをして、その苦労をねぎらうことです。
心を込めて、おもてなしをするということです。

これは、知らない人の場合は、セキュリティ上の問題があってできないと思いますが、
家族や親戚、親しい友人などであれば可能だと思います。
もし機会があれば、泊めてあげると喜ばれます。

無財の七施のまとめ

この「無財の七施」を簡単にまとめると、このようになります。

無財の七施
  1. 眼施げんせ:優しい眼差しで、人々に接すること。
  2. 和顔悦色施わげんえっしょくせ:優しい微笑みを湛えた笑顔で、人に接すること。
  3. 言辞施ごんじせ:優しい言葉を人々にかけていくこと。
  4. 身施しんせ:身体を使って、他人や社会のために奉仕すること。
  5. 心施しんせ:心から感謝の言葉を述べること。
  6. 床座施しょうざせ:場所や席を譲り合う親切。
  7. 房舍施ぼうしゃせ:訪ねて来る人、求めて来る人があれば、一宿一飯の施しをして、その苦労をねぎらうこと。

雑宝蔵経』に説かれているように、この7つを実践すると、
大きな功徳を得て、この世も未来も幸せに恵まれます。
しかも、お金や物が減るわけではありません。
やればやるほどお金や物に恵まれ、人格的にも立派になっていきますので、
心がけて実践していきましょう。

無財の七施を説かれた理由

お釈迦様は、なぜ「無財の七施」を説かれたのでしょうか。

実は布施は、すればするほど幸せに恵まれると同時に、
今まで知らなかった自分の心が知らされてきます。
本当の幸せに導くためには、苦悩の根元を知らせて、
それをなくさなければなりません。
それで、お釈迦様は、私たちを本当の幸せへと導くために、
無財の七施」を勧められているのです。

では、苦悩の根元とはどんな心で、
どうすればそれをなくして本当の幸せになれるのかについては、
仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座に分かりやすくまとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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