因果応報(いんがおうほう)とは?

人生には、色々な楽しみや苦しみが起きてきます。
それらの楽しいことや、苦しいことは、どうして起きてきたのでしょうか。

その幸せや不幸を生みだしている法則が、仏教に説かれている「因果応報」です。
一体どんな意味なのでしょうか?

この記事では
1.恋愛での因果応報の実話
2.千年前からある因果応報の詩
3.因果応報の仏典上の根拠
4.因果応報の仏教の教えの上での位置づけ
5.因果応報の意味
6.因果応報の気をつけるべきポイント
などについて分かりやすく解説します。
これが分かれば、幸せや不幸の起きる原因が分かるので、自分にふりかかる不幸や災難を減らして、幸せを多くすることができるようになります。

因果応報の恋愛での恐ろしい実話

まず、因果応報の恋愛上の恐ろしい実話があります。

外国にいた日本のある美しい女性が、
夫が重要な用件で日本に帰った留守中、
ある外人と不倫をしたのです。
その直後、彼女は子供を宿しました。

四方壁で誰も見えない所でした行為が
 3ヶ月後には何かの形をとって必ず世の中に知れる

ということわざもありますので、
彼女は内心ばれやしないかと非常に心配していました。

やがて女の子を産みましたが、
どう見ても日本人の子供だったので、
彼女はやっと安心しました。
後は胸のキズさえ包んで黙っていれば、立派な貞女です。

ところがその娘が19才になって、
ある秀才と結婚しました。

間もなく産まれてきた孫は、
赤い髪に緑色の目、白い肌もどう見ても西洋人でした。

20年間黙り込んでいた悪い行いがあばかれ、
貞女の本性が曝露されたのです。

まいたタネは必ず生える、これを「因果応報」といいます。

千年前からある因果応報の詩

因果応報」は仏教の言葉ですが、 そのよくある具体例を、
中国の有名な詩人、白楽天が詩にしています。
白楽天は仏教熱心なことでも有名で、
最初、弥勒菩薩のもとへ往生しようとしていましたが、
晩年病気になると、極楽浄土を描かせて
すべての人が阿弥陀如来の浄土往生できるよう願ったような人です。

その白楽天の残した「燕の詩」は、
このように非常に人の心をゆさぶる詩です。

雄と雌の燕が、軒下に泥で巣を作り、4羽の雛を産みました。
日に日に育っていく雛たちは、
エサを求めてピーチクパーチク鳴いています。

青虫をとってくるのは簡単ではなく、
雛達はどれだけでも食べたがります。
親鳥は、くちばしや爪が折れそうになっても、
一心にエサを取ってきます。

子供達がお腹をすかせているので
30日の間に1000回も往来すると、
母親はやせて、子供たちは太っていきます。

親は子供に言葉を教えて、毛づくろいをします。
ある日、羽ができたので、庭の枝の上に連れて行くと、
子供たちは風に乗って、
振り返ることなく四方へ飛び立っていきました。

驚いた両親は、空に向かって鳴きながら、
声をからして呼びますが、子供たちは帰りません。
親鳥は、空の巣に帰り、夜通し嘆き悲しみました。

燕よ燕、悲しむことなかれ、自分自身を思い返してみなさい。
自分が雛だったとき、同じように高く飛び立って、
母に背いたのではありませんか。
そのときの父母の思いを今日まさに知るのです。

これが燕の詩ですが、これを日本では五・七・五で
親捨てた 報いで子にも 捨てられる
といいます。
自分が親を捨てた報いで、自分も子供に捨てられるということです。
これは「因果応報」の分かりやすい一例です。

では「因果応報」は、仏教ではどんな意味なのでしょうか?

因果応報とは?

因果応報」は、約2600年前、ブッダが説かれたことで、
因に応じて果が報う」ということです。
これを「善悪応報」ともいいます。
善悪の原因に応じて結果が報いることで、
過去現在因果経』には、こう説かれています。

一切衆生、善悪の為す所は果報を受くに及ぶ。

すべての人は、善悪の所為によって結果が報うということです。
また、『無量寿経』には、こう説かれています。

善悪報応し、禍福相承(かふくあいう)く。

善悪の報いによって、不幸や幸せを受けるということです。

ですから因果応報とは、
たねまきに応じた運命がやってくるという
因果の道理のことです。
因果の道理は、「縁起」と言っても同じで、
縁起説」と言われることもありますが、
この因果の道理のことです。

では、因果の道理とはどんなことなのでしょうか?

仏教の根幹

因果の道理は、仏教の根幹です。
よく「仏教の中心思想は縁起説である」と言われたりしますが、
要するに、因果の道理は仏教の根幹ということです。

根幹」とは、根っこであり、幹である、
ということです。

仏教を木にたとえると、因果の道理は、根っこであり、
幹にあたります。

木には、枝が出て葉がしげり、花が咲いて、実がなります。
それは、根っこがあり、幹があるからです。
根っこや幹がなければ、木は枯れてしまいます。

ブッダの説かれた一切経は、
七千余巻のたくさんのお経ですが、
その七千余巻の一切経を貫いているのが、因果の道理です。

仏教の根幹は因果の道理ですから、
因果の道理が分からなければ、
仏教は一切分かりません

どんなに『法華経』の意味が知りたいとか、
華厳経』の意味が知りたいとか、
般若心経』の意味が知りたいと思っても、
因果の道理が分からなければ、決して分かりません。
それだけ重要なのが、因果の道理です。

では、因果の道理とはどんなことなのでしょうか?

「道理」とは?

まず、因果の道理の「道理」とは、
三世十方を貫くもののことです。

三世(さんぜ)」とは、過去、現在、未来のことで、
いつでも、ということです。
十方(じっぽう)」とは、東西南北上下四惟(北東、北西、南東、南西)のことで、
どこでも、ということです。

いつでもどこでも変わらないものを道理といわれます。

このことについて『雑阿含経』にこう教えられています。
お釈迦さまがある時、クル(拘留)国で教えを説いておられると、一人の修行者がやってきました。
お釈迦さまのお弟子ではありませんでしたが、礼儀正しく挨拶してから、少し下がって座ると、
一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか?
と言います。お釈迦さまが、
何でも尋ねるがよい
と言われると、
「それではお尋ねいたします。
仏教に説かれる因果の道理は、お釈迦さまが作られたのでしょうか?
それとも他の誰かが作ったのでしょうか?

そのことであったか。因果の道理は、私が作ったものでもなければ他の人が作ったものでもない
(縁起の法は我が所作に非ず、また余人の作にも非ず)
如来がこの世に現れようが現れまいが常に存在している真理である
(しかも彼の如来の法は世に出づるも、及び未だ世に出でざるも法界常住なり)
それを悟って仏のさとりを開き、人々に説き聞かせているのが仏なのである
(彼の如来は、自ら此の法を覚して等正覚を成じ、諸の衆生の為に分別し演説し開発し顕示す)
と言われています。

ですから、昔も今も、今からも成り立つ
大宇宙の真理が、
道理」です。

では、いつでもどこでも変わらない大宇宙の真理とは
どんなことでしょうか?

「因果」とは?

いつでもどこでも変わらない、
大宇宙の真理とは何かというと、
すべての結果には必ず原因がある
ということです。
これを「因果」といわれています。

もちろん、原因が分からないことはあります。
例えば、昔はなぜ伝染病になるのか分かりませんでした。
そのため、怒りだとか、魔女のせいだとか、
色々な原因を考えましたが、全部はずれでした。

しかしそれは、原因がないということではありません。

19世紀になると、科学が発展して、
伝染病の原因は病原菌だと分かりました。

原因が分からないことはあっても、
原因がないということは絶対にありません。

この世のことすべては、どんな小さな結果にも、
必ず原因があるのです。

特に仏教では、私たちがもっとも知りたい運命
原因と結果の関係が教えられています。

運命の原因と結果には、どんな関係があるのでしょうか?

運命をつむぎ出す原因と結果の法則

それが、このブッダの教えです。

善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)

これは、善いたねは、善い運命
悪いたねは、悪い運命を引き起こす。
自分のまいたたねは、自分が刈り取らなければならない
ということです。

植物でいいますと、
アボカドのたねをまけばアボカドが出てくる、
柿のたねをまけば柿が出てきます。

アボカドのたねをまいて柿が出てきたり、
柿のたねをまいてアボカドが出てくることは
絶対にありません。

この「たね(因)」というのが、
行いのことですので、
善い行いは、幸せという運命を生みだし、
悪い行いは、不幸という運命を引き起こす、
自分の運命は、自分の行いが生み出すのだ

ということです。

因果応報」とは、
善因善果
悪因悪果
自因自果
という運命をつむぎ出す法則のことなのです。

世界的なベストセラーになっている、ジェームズ・アレンの
原因と結果の法則』も、この仏教の教えを元に
書かれた本であることが知られています。

因果応報のポイント

この因果応報というのは、
幸せがやってきたときには、よく分かります。
大学に合格したのは、自分が頑張って勉強したからだ
と思います。

お金が儲かったのは、自分が頑張って働いたからだとか、
難しい局面を乗り越える自分のアイディアがよかったからだ
と思います。

ところが、因果応報が分からないのは、
不幸が訪れたときです。

テストの点が悪かったときは、
自分の勉強不足とはなかなか思えません。
自分は頑張って勉強したのに、
先生があんな問題を出すからだと思います。

仕事がうまく行かず、損したときには、
自分は頑張って働いているのに、景気が悪いとか、
ライバル社が悪いと思います。

しかし、因果の道理は、道理ですから、
いつでもどこでも成り立つ大宇宙の真理です。
自分の都合のよいときだけ、
自分が頑張ったからだ。因果応報は当然だ」と思って、
自分に都合の悪いときは、
因果応報とはとても信じられない」と思うのは、
一貫していません。

自分の都合に関係なく、
因果応報は、いつでも成り立つ真理なのです。

運命の分かれ道

因果応報は、幸せが来たときには簡単に受け入れられますが、
不幸が来たときには、なかなか受け入れられませんから、
不幸が来たときこそ、自分を振り返ってみなければなりません。

不幸がやってきたときに、自分のたねまきを反省できるかどうかが、
今後の運命の分かれ道です。

例えばパートナーが不倫をしたとき、
相手が悪いと思いますが、接し方に問題があったり、
実は自分も不倫をしていたりするかもしれません。

自分をたなにあげて、相手だけ変えようと思っても、
事態が改善することはありません。

白楽天の燕の詩のように、子供が言うことを聞かずに困っていたら、
実は自分も、親の言うことを聞いていないかもしれません。
はたまた部下が言うことを聞かなければ、
自分も上司の言うことを聞いていないかもしれません。

因果応報、すべては自分のたねまきの報いが現れているのです。
相手を責めるのではなく、自分を振り返ってみなければなりません。

自分の運命を生み出しているのは、善くも悪くも、すべて自分の行いですから、
因果の道理が知らされるほど、自分の行いを反省して、悪いことをやめようという気持ちが起きてきます。
涅槃経』にはこう説かれています。

善因より善果を生ずと知り、
悪因より悪果を生ずと知り、
果報を観じおわりて悪因を遠離す。

都合が悪いときほど、自分のたねまきを反省して、
少しでもよりよい未来を生み出せるよう、
悪いことをやめて、善い行いをするようにしていきましょう。

では、そうやって生きていくと、最期は必ず死がやってきます。
これは誰にも避けることはできません。
では因果応報だとすれば、最後、死んだら
それまでの種まきはどうなるのでしょうか?

因果応報は死んだらどうなる?

仏教では、因果の道理にしたがって、
死ぬまでの行いによって、
死んだ後が決まると教えられています。

次にどんな世界に生まれるかも、やはり因果応報なのです。
そうやって、生まれ変わり死に変わり、
永遠に苦しみ迷いの輪廻転生(りんねてんしょう)を繰り返します。

では、輪廻転生の原因は何なのでしょうか?
すべての結果には必ず原因がありますから、
輪廻転生にも原因があります。

その苦しみ迷いの根本原因を知り、断ち切れば、
苦しみを離れ、永遠の幸福になれると教えられたのが仏教です。

では、その苦しみ迷いの根本原因は何か、ということについては、
仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座に分かりやすくまとめておきました。
以下のページから一度見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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