悪口の意味とその対応

あなたの周りに、他人の悪口ばかり言っている人はいませんか?
悪口は、罪悪であり、苦しい結果がやってくると教えられています。

ここでは、
・悪口を言われたらどんな気持ちになるか
・悪口をどう受け止めたらいいか
・ブッダは悪口を言われた時どうされたか
・自分の話題は自慢、他人の話題は悪口
・悪口の影響
・悪口の報い
・悪口が不幸を呼ぶしくみ
・悪口の対処方法
について分かりやすく解説します。
できるだけ悪口のない世の中にして行きましょう。

周りに悪口ばかり言う人がいませんか?

悪口とは、人のことを悪く言うことです。
そして、口を開けば悪口ばかり言う人があります。

上司の前では、いい部下を演じていますが、
上司のいないところでは、悪口ばかり言っていたりします。

また、学校でいじめの対象になってしまうと、
それまで何年もずっと仲が良かった友達が、
突然自分に悪口を言うようになることもあります。

インターネット上でも、匿名の掲示板を見ると、
活発に書き込まれているのは、他人の悪口ばかりです。

もし他人から悪口を言われたり、
インターネットで誹謗中傷を受けてたりしたら、
どんな気持ちになるでしょうか?

人から悪口を言われたらどんな気持ち?

人間誰しも悪口を言われるのがいやなものです。
普通は、悪口を面と向かって言われたら、
カッとなって、怒りの心がわいてきます。

また、腹を立てることができない相手から悪口言われたり、
インターネットで誹謗中傷を受けると、落ち込んで食欲がなくなります。
それで自殺する人さえあるくらいです。

誰か分からない人はもちろん、
小さな子供にでさえ、何も分からないだろうとは思いつつ、
ほめられたら嬉しい気分になりますし、
悪口言われると元気がなくなります。

それだけ、私たちの
他人からほめられたい、
悪口を言われたくないという
名誉欲が強いということです。

こんな悪口を言われてしまったら、
どうすればいいのでしょうか?

悪口をどう受け止めたらいいの?

お釈迦さまは、
みなにてほむる人もなくみなにてそしる人もなし
と『法句経ほっくきょう』にこのように教えられています。

ただ一向にそしらるる、ただ一向にほめらるる、
かかるもの、過ぎゆきし日にはあらざりき、
今もまたあらざるなり、
やがて来ん日にもあることなからん。

どんなに素晴らしい立派な人でも、
その人のことをみんながみんな、
全員ほめるということはありませんし、
逆にどんなにお粗末な悪人でも、
その人のことを全員そしるということもありません。

お釈迦さまのような
世界の三大聖人のトップにあげられる方でも、
釈迦にダイバ
と言われて、命をつけねらうダイバダッタという者がありました。

お釈迦さまでさえも悪口を言われることがあるのですから、
悪口を言う人があるからといって、
気にする必要はないのです。

では、お釈迦さまは、悪口を言われたとき、
どうされたでしょうか?
雑阿含経ぞうあごんきょう』にこのように説かれています。

ブッダが悪口を言われたとき

ある時、仏教以外の宗教を信じている若者が、
ブッダのところへやってきて、散々、悪口雑言ののしりました。

ブッダは、それをずっと黙って聞いておられます。

そして、悪口が終わると、静かに尋ねられました。
お前は、祝日に、家族や親戚の人達を、
招待し歓待することがあるか

「そりゃ、あるさ」
親戚がその時、お前の出した食べ物を
食べなかったらどうするか

「食べなければ残るだけさ」
私の前で悪口雑言ののしっても、
私がそれを受けとらなければ、
その罵詈雑言は誰のものになるのか

「いや、いくら受けとらなくとも、与えた以上は与えたのだ」
それは与えたとは言えない
「それなら、どういうのを受けとったといい、
どういうのを受けとらないというのか」
悪口を言われたときに悪口を言い返し、
怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。
闘いを挑めば闘い返す。
それらは与えたものを受けとったというのだ。
しかし、その反対に、なんとも思わないものは、
与えたといっても受けとったのではないのだ

「それじゃあなたはいくら悪口を言われても、腹は立たないのか」

ブッダは厳かに、詩によって答えられました。
智慧ある者に怒りなし。
万一吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒り怒りをもって報いるは、
このゆえに愚か者のしわざなり

お釈迦さまに悪口を言っていた若者は、
「私は愚か者でありました。どうぞ、お許し下さい」
と、泣きながら平伏して、
仏教を聞くようになったといいます。

あなたは悪口を言っていませんか?

ところで、私たちの目は外を向いているので、
他人のことばかり非難して、
自分のことが全然分かっていないことがあります。

あなた自身は、悪口を言っていないでしょうか?

あの人は悪口が多い
などと言っている人がいますが、
それ自体が悪口です。

会話でも、嫌な奴の話題になると、盛り上がります。
「そういえば、あいつ、この間、こんなことを言っていたんだよ。
口ではこう言いながら、こんなことをやっていた。
言ってることとやってること全然違うじゃん」

悪口を言うのは大の得意です。

自分の話題は自慢話・他人の話題は悪口

私たちは
自分のことを言うときは自慢話、
人のことを言うときは悪口

と言われます。

自分のことを言うときは、謙遜しているようでも自慢話です。
他人のことになると、ほめているように見えて、
実際は悪口であり、皮肉です。

普段はおとなしい人でも、
悪口を言い始めたら、舌が躍ります。

しかし、会話をするときに
悪口を言わないと盛り上がれないというのは、
つまらない人間になります。

悪口の与える影響

悪口には、ものすごい影響力があるので、のことを
語殺ごさつ」とも言われます。
言葉で殺しているのです。

実際、一言、気にしていることを言うと、
立ち直ることができなくなるくらいの
ショックを与えることもあります。

語殺」は大変恐ろしいので「舌刀ぜっとう」とも言われます。
正宗の名刀よりも鋭い切れ味を持っています。
デブ」「ハゲ」などをはじめ、
身体的な特徴を言うことも、
どれだけのショックを与えるかしれません。

言ったほうは、自覚がなくても、
言われたほうは「あの人にこんなことを言われた
と記憶に刻み込まれて、
死ぬまで忘れられません。

悪口の報い

悪口を言うと、どうなるのかでしょうか。

悪口を言うことは楽しいようでいて、
仏教では、悪口は十悪といわれる代表的な悪の一つですので、
因果応報で、悪口を言った本人に苦しみがやってきます。

この悪口の報いを『増一阿含経ぞういつあごんきょう』にはこのように教えられています。
ある時ブッダのもとへ一人のお弟子がやってきました。
礼儀正しく挨拶するとこう言います。
舎利弗しゃりほつ目連もくれんの日頃の行いがとても悪く、目に余ります」
そんな悪口を言うものではない。
舎利弗や目連は仏弟子の中でも特に頑張っているほうではないか。
怒り妬みの心は捨てて穏やかな心になるがよい

ところが、そのお弟子は一向に改めず、再三悪口を言ったあげく、
「ブッダの教えにははないのですが、舎利弗や目連の行いがひどいので、彼らはブッダの顔に泥を塗っています」
と食い下がります。それを聞いたブッダは、
如来の言葉が信じられないのか。舎利弗や目連の悪口を言うそなたのほうが、悪業を造って恐ろしい報いを受けるのだぞ
と言われます。
すると悪口を言っていた弟子に、悪性のできものができました。
それはみるみるうちに大きくなり、ついに命を失って地獄へ堕ちてしまいました。

自分の悪口を言っていた友達が死んでしまった噂を聞いた目連は、ブッダのもとへやってきて、尋ねます。
彼は今頃どこへ生まれ変わったのでしょうか
彼は人の悪口ばかり言っていたので、地獄へ堕ちていることだろう
ブッダが答えます。
それを聞いた心優しい目連は、
では、私が地獄へ行って、苦しんでいる彼を導きましょう
慈悲の心を起こすと、ブッダは意外にも、
目連よ、やめておけ
と制止されます。
私は彼が哀れでならないのです。どうか助けさせてください
ブッダはそれには返事をされなかったので、目連は黙認して頂いたと思い、神通力によって地獄へ向かいました。

地獄に到着すると、そこは罪人達が苦しむ恐ろしい光景が広がっています。
いつも悪口ばかり言っていた友達を見つけると、体中焼けただれ、百頭の牛のざらざらしたやすりのような舌でケロイド状の火傷をさらにえぐられていました。
目連が近づいて行くと、その友達は、
「お前は誰だ!?」
と吐き捨てるように言います。
ブッダのもとで共に仏教を聞いていた目連ですよ、あなたを助けに来ました
「またお前か。ようやく大嫌いなお前の近くを離れられてせいせいしていたのに、地獄に来てもまたお前と会わないといけないのか」と悪口を言います。
その瞬間、その悪口の報いで牛の数が百頭から千頭に増え、ますます火傷をえぐられて、
「ウギャー!」とのたうち回って苦しみます。

それを見た目連は、せっかくよかれと思って助けに来たのに、ますます相手を苦しめる結果になったと後悔し、すぐに地獄を抜け出して祇園精舎ぎおんしょうじゃに戻りました。

その時、ブッダは、
目連よ、行くなと言ったはずだ。
すべての結果には原因がある。苦しむのは自業自得なのだ。
口の中には斧がある。悪口を言えば、人を斬り、その報いを受けねばならない。
彼が地獄に堕ちたのも自分でやった行いの報いなのだ。
だから心も口も身体も、をやめ、をなさねばならない

このように教えられています。

これは、『スッタニパータ』にも説かれている有名な話です。
スッタニパータ』では、ブッダはこのように説かれています。

人が生れたときには、実に口の中に斧が生じている。
愚者は悪口を語って、その斧によって自分を断つのである。

口は禍の元

このように、悪口を言うと、
スカッと気持ちが良いかもしれませんが、
口は禍の元」と言われるように、
恐ろしい不幸な結果を招きます。

悪口は、相手の目の前で言うこともありますが、
それだとケンカになりますので、
たいていは、相手のいないところで言います。

しかし、それは相手に伝わることになっています。
そして因果応報ですから、人間関係が悪くなるのです。

そして、自分の悪い行いは、目に見えない業力となって、
自分の阿頼耶識あらやしきに蓄えられます。
やがて縁が来たときに、目に見える不幸や災難となって
結果を現すのです。

自覚もなく平気で悪口を言っていますが、
その報いは自分が刈り取らなければなりません。

悪口は不幸を呼ぶたねまきです。
謹まなければなりません。

ではどうすれば?

逆に、幸せを呼ぶ簡単なたねまきがあります。

それは、「他人の長所を発見してほめるようにする」ことです。

私たちは、他人の欠点はいくらでも目につくのですが、
長所はなかなか見つかりません。
ですからまずほめる前に、長所を見つける心がけが必要です。

そして、長所が見つかったら、それをほめましょう。
多くの人がよく言うことで、
」はすぐ見破られてあまり効果がありませんが、
ほめる」ことは非常に効果的であることが知られています。

相手に言いにくい場合は、
他の人に言っても大丈夫です。
必ず巡り巡って相手の耳に入り、
人間関係がよくなります。

そして、悪口を言わないように、
ほめ言葉を言うように心がけると、
自分がいかに普段悪口ばかり言っているか、
今まで気づかなかった自分の姿が知らされて来ます。

自分が幸せになるには、
自分自身を知らなければなりません。
仏教を聞き、本当の自分の姿が知らされたとき、
本当の幸せになれるのです。

ではどうすれば、本当の幸せになれるのかについては、
仏教の真髄ですので、メール講座と電子書籍にまとめてあります。
他人をほめるのも幸せになれますが、
それとは比較にならない幸せになれますので
一度目を通しておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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