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布施とは?

お布施
お布施

ハーバードの人生を変える授業』で、こんな言葉が紹介されていました。
一本のろうそくから何千本ものろうそくに火をつけることができる。
かといって、それで最初のろうそくの寿命が短くなることはない。
幸福は、分かちあうことで決して減らない
」ー仏陀
これが布施ふせの功徳です。
布施」とは、お釈迦さまがあらゆるを6つにまとめられた「六波羅蜜ろくはらみつ」の中でも、一番最初にあげられる重要な行いです。

六波羅蜜(六度万行)についてはこちらの記事もお読みください。
六波羅蜜とは

布施」とはどんなことなのでしょうか。

布施とは

布施」とは、ほどこしをすることです。
参考までに、辞書の意味を見てみましょう。

布施
ふせ[s:dāna]
出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物などを施し与えること。
施すものの内容により、衣食などの物資を与える<財施ざいせ>、教えを説き与える<法施ほうせ>、怖れをとり除いてやる<無畏施むいせ>に分けられ、これらを<三施>という。
大乗仏教では、菩薩ぼさつが行うべき六つの実践徳目(六波羅蜜ろくはらみつ)の一つとされ、施す者も、施される者も、施物も本来的にくうであるとして(三輪体空さんりんたいくう・三輪清浄しょうじょう)、執着の心を離れてなされるべきものとされた。
転じて、僧侶に対して施し与えられる金品をいう。
なお、漢語<布施ふし>も人に物を施し与えることで、先秦諸子の書に用例は多く見える。

上記説明では少しむずかしいですので、わかりやすく解説します。

お寺に払うお布施

お布施」というと、お寺に払うお金だと思っている人があります。
お布施の金額の相場は、だいたい以下程です。
有名なお寺程お布施の金額が高かったり、地方だと地域毎に相場が決まっていたりします。

お布施の相場
  • 葬儀のお布施:10万〜50万
  • 初七日、四十九日法要のお布施:1から5万
  • 納骨式のお布施:1~5万円
  • 一周忌法要:3~5万円
  • 三回忌以降の法要:1~5万円
  • 月参り:3,000円~1万円
  • 初盆(新盆)の法要:3~5万円
  • 2年目以降のお盆の法要:5,000円~1万円
  • 彼岸の法要:3~5万円(個別法要)3,000円~1万円(合同法要)

しかし、お布施は必ずしも寺に払うお金ということではありません。

仏教の布施の意味

まず、お釈迦さまは『増一阿含経ぞういつあごんきょう』に、このように説かれています。

如来は二種の施しを説く。法施ほうせおよび財施ざいせなり。
(漢文:如來説二施 法施及財施)

布施を大きく2つに分けると、法施と財施の2つだ、ということです。

まず、「財施ざいせ」とは、財を施すことです。
」というのは、お金はもちろん財ですが、
お金以外にも物、労力も入ります。
お金だけでなく、お米や野菜、衣類やその他、
何かをプレゼントしたりするのも財施です。

また、お金や物がなくても、あたたかいまなざしや優しい笑顔、
何かのお手伝いも財施となりますので、
布施を一言で言えば、親切のことです。

布施の功徳

布施の功徳について、『根本説一切有部毘奈耶こんぽんせついっさいうぶびなや薬事』にこのように教えられています。

ある時王舎城おうしゃじょうにおられたお釈迦さまは、多根樹たこんじゅ村に托鉢たくはつに行かれました。
そこにはお釈迦さまの出身のカピラ城から嫁いで来ていた釈迦族の女性がいました。
その女性がお釈迦さまが乞食こつじきして歩かれるのを見て
お釈迦さまは、釈迦族で最も尊い方だ。
 国王の位や財宝をなげうって出家され、乞食をしておられる。
 何と尊いことだろう
」と思い、お釈迦さまにむぎこがしを布施しました。

するとお釈迦さまは、お弟子の阿難あなんに、
この女性は、この布施の善根によって天上界てんじょうかいに生まれ、やがて悟りを開くであろう
と言われました。

それを聞いた女性の夫が腹を立て、
お前はおれの妻からむぎこがしをもらうために、ありもしない大きなをついて騙しただろう。
 そんな少しの布施で、そんな大きな果報が得られるものか

とくってかかります。

お釈迦さまは静かに、
私の問いに遠慮なく答えるがよい。
 そなたは珍しいものを見たことがあるか

と尋ねられます。男は
「もちろんだ。おれは世の中で色々な珍しいものを見てきたが、やはりこの多根樹村にある多根樹が一番珍しい。
 この村の東に生えている多根樹は、一本の木陰に500台の馬車をつないでもまだ余裕がある

 この村の名前もその樹からとったくらいだ。
 どうだ珍しいだろう」
そんな大きな木なら、種も大きいのだろう。
ひき臼か、それとも
飼葉かいばを入れて牛馬に食わせるための飼葉桶くらいはあるものか
「そんなことはないね。芥子粒けしつぶよりはるかに小さい。
 そんな小さな種からあんなに大きくなるから珍しいのだ」
そんなことは誰も信じないだろう
「たとえお前が信じなくても、おれはこの目でよく見たから信じるね」
そこでお釈迦さまは、こう言われました。
どんなに小さな布施でも、やがてそれが因縁いんねんとなって、ついには悟りへと導かれることがあるのだ
あまりに当意即妙のお釈迦さまの説法に、男は恐れ入って仏教を聞くようになったといいます。
(出典:『根本説一切有部毘奈耶こんぽんせついっさいうぶびなや薬事』)

小さな布施から、非常に大きな幸せが生み出されるということです。

布施の功徳は雪だるま式に大きくなる

さらにお釈迦さまは、『雑譬喩経ぞうひゆきょう』に同じような小さな種が大木になるたとえを出され、布施による幸せが、雪だるまのように、複利で大きくなることを教えられています。

ある時、舎衛城しゃえいじょうの郊外に住んでいた仏縁深い女性が、托鉢に訪れたお釈迦さまに食べ物を布施しました。
するとお釈迦さまは、
1つの種をまけば10の種が生じる。
 その10の種をまけば100の種になる。
 その100の種をまけば1000の種になる。
 このように、善いたねは、万にも億にもなっていく

と言われ、どこかに去って行かれました。

女性は心から喜んだのですが、その夫は、
そんなことあるはずがない。そんなに騙されるな
と言います。

やがてその夫が、近くの村でお釈迦さまを見かけたので、くってかかります。
するとお釈迦さまは、こう尋ねられました。
あなたはニグローダ樹の高さはどのくらいあると思うか?
「四十里ほどあると思います。
あれは数年で数え切れないほどの実がなります」
その実はどのくらいの大きさか?
「ケシくらいです」
その時お釈迦さまはこう言われています。
一粒の小さな種から、やがて四十里の木が生えて、数十万の種が収穫できる。
 それと同じように、仏教のために布施をすれば、その福徳ふくとくは計り知れない

それを聞いた男は、仏教を信じるようになって夫婦仲良く仏教を聞くようになったと伝えられています。
(出典:『雑譬喩経ぞうひゆきょう』32)

このように、財施には、計り知れない大きな功徳があるのです。

ところが、財施は相手が大事です。

財施の3通りの相手

例えば、悪人にほどこしをすれば、
ますます世の中が悪くなるかもしれません。

また、なまけ者にほどこしすれば、その本人がますます堕落してしまい、
遊び人にほどこしをすれば、ますます身の破滅です。

お釈迦さまは、財施の相手として「福田ふくでん」を説かれています。

福田」の田とは、田んぼのことです。
田畑に種をまくと、いったん自分の財産が減ったように感じますが、
やがて秋になって何倍もの収穫があります。
田畑は私たちの命をつなぐ米や麦を生み出す土地ですが、
私たちの心の糧となる福徳を生み出す「福田」を、
お釈迦さまは3通り教えられています。

それは、「敬田きょうでん」「恩田おんでん」「悲田ひでん」の3通りの人々です。

敬田きょうでん」とは、敬うべき徳を備えた人のことです。
具体的には、まずは仏様、正しい仏教の先生です。
恩田おんでん」とはご恩をこうむった人です。
仏様以外にも両親や学校の先生などです。
悲田ひでん」とは、お気の毒な人です。
病気になった人や妊婦の人など大変な状況の人です。

これ以外の人に何かをほどこしても布施になりませんが
これらの3通りの相手にほどこしをすれば、
大きな幸せがかえってくると教えられています。

心をこめた親切は、親切をした人に報われます。
幸せになるのは、施しを受けた人よりも、
むしろ、施しをした人です。

次に、このような福田に対して、同じお金や同じ物を与えていても、
布施の功徳が大きく変わってくる、重大なポイントがあります。

布施の重要ポイント

それは布施をするときの心です。
布施は、お金や物の量よりも、心が大事なのです。

ある時、ツルゲーネフという、ロシアの作家の門の前に、
乞食が立ったことがありました。

しかし、ツルゲーネフも、その時
自分がその日食べるものがない状態で
何とか何か分けてやりたいと思っても、何もありませんでした。

それで、乞食の手を握って「兄弟」と言ったそうです。
あとからその乞食は、
長い間乞食をしていたけれども、
 あのとき以上にうれしい頂きものをしたことはなかった

と述懐したそうです。

一体、ツルゲーネフは何をほどこしたのでしょうか。
何もなくとも心からの親切が、どんなに周りを明るく、
和やかにするか分かりません。

逆に、100円くれたとしても、乱暴に投げつけられたら
嬉しくないのではないでしょうか。

ではここで、
それなら友達に100円おごろうと思っていたけど、
 ツルゲーネフのように心だけにして、100円はやめておきます

という人があれば、この内容を正しく理解しているでしょうか?

もし、お金がある人が心がある場合、ほどこしが増えるはずだからです。
お金や物の「」よりも、一番大事なのは、「
だということです。

布施の心構え:三輪空

ところが、せっかく何かを施しても、
布施にならなくなってしまう心がけがあります。
それは、
これだけ親切したから、これくらいは見返りがあるのではないか
という心です。これは、商売であって、親切ではありません。

これだけやっているのに何もしてくれない
などと思ったら、よけい腹が立って、自分が不幸になってしまいます。

そこでお釈迦さまは『大般若経』や『涅槃経』に、布施の心構えを教えられています。
例えば『大般若経』にはこのように説かれています。

一つには、我、施者たるに執せず。
二つには、彼、受者たるに執せず。
三つには、施、及び施果に著せず。
これを菩薩摩訶薩、布施を行ずる時の三輪清浄と為す。

(漢文:一者不執我爲施者 二者不執彼爲受者 三者不著施及施果 是爲菩薩摩訶薩行布施時三輪清淨)

それは「三輪清浄さんりんしょうじょう」または「三輪空さんりんくう」といって
他人に親切した時、施者、受者、施物の3つを空じなさい、忘れなさい。
ということです。

施者とは私が、
受者とは誰々に、
施物とは何々を
ということです。

これは、世間でも「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」と言われることです。

布施は、心が大事ですから、
このような心がけで親切をしてこそ、
本当の布施なのです。

無財の七施:お金や物がなくてもできる布施

お金や物がなくてもできる布施があります。
それを無財の七施と言われます。
このように、自分の財産を失わずにできる布施と教えられています。

仏説に七種施有り。財物を損なわずして大果報を獲。
一に眼施と名づく(省略)
二に和顔悦色施(省略)
三に言辭施と名づく(省略)
四に身施と名づく(省略)
五に心施と名づく(省略)
六に床座施と名づく(省略)
七房舍施と名づく

簡単に説明すると、以下のとおりです。
眼施:やさしい眼差しで、人々に接すること。
和顔悦色施:やさしいほほえみを湛えた笑顔で、人に接すること。
言辞施:やさしい言葉を人々にかけていくこと。
身施:身体を使って、他人や社会のために奉仕すること。
心施:心から感謝の言葉を述べること。
床座施:場所や席を譲り合う親切。
房舍施:訪ねて来る人、求めて来る人があれば、一宿一飯の施しをして、その苦労をねぎらうこと。

この無財の七施もすばらしい布施ですので、心がけていきましょう。

法施とは

次に、布施に2つある「財施ざいせ」と「法施ほうせ」のうち、
法施ほうせ」とは何でしょうか?
法施」は、「」を「」すと書きますように、
仏法を施すことで、仏教の話をすることです。

冒頭の『ハーバードの人生を変える授業』の
一本のろうそくから何千本ものろうそくに火をつけることができる。
 かといって、それで最初のろうそくの寿命が短くなることはない。
 幸福は、分かちあうことで決して減らない

も、法施の功徳のことです。
出典は、以下の『四十二章経しじゅうにしょうきょう』です。

人の道を施すをみて、これを助けて歓喜すれば、また福報を得ん。
たずねて曰わく、
「彼の福まさに減ずべからざるか」
仏の言わく、
なおし炬火の、数千百人、おのおの炬をもって来たり、その火を取りて去り、食をたき、冥を除くも、彼の火はもとの如し。福もまたかくの如し
(漢文:猶若炬火 數千百人 各以炬來 取其火去 熟食除冥 彼火如故 福亦如之)

人の道を施すをみて、助けて歓喜する」というのは、法施をしている人を助けて喜ぶということです。
法施をするだけでなく、会場を準備するとか、その手助けをするのも尊い布施行です。
このお釈迦さまの説法を聞いたある人が、
せっかく聞いた貴重な情報を人に伝えてしまったら価値が減るのではありませんか?
とお尋ねすると
そんなことはない。それはちょうど、一本の灯火の火から、たくさんの人が来て灯火を分けてもらって持ち帰り、料理をしたり、暗闇を明るくしても、最初の灯火は少しも減らないようなものだ。
幸せもそのように、分かち与えるほどよいのだ

ということです。

しかも、法施の相手は、三田さんでんに限られませんので、対象は全人類です。
お釈迦さまが一生涯説き明かされた仏教を、
私たちも一生懸命話をするのがいいのです。

人間のできる最高の善

財施もすばらしいのですが、
法施はさらにすばらしいです。

ダンマパダ』(『法句経ほっくきょう』)には、このようにあります。

教えを説いて与えることはすべての贈与にまさる。

これはつまり、法施は一切施中に勝る、ということです。

また『大般若経だいはんにゃきょう』には、こう説かれています。

財施はただよく世間の果を得るのみ。
人天の楽果はかつて得るも還た失し、
今しばらく得といえどもしかも後必ず退す。
もし法施をもってせば未だかつて得ざるものを得、
いわゆる涅槃なり。
(漢文:財施但能得世間果 人天樂果曾得還失 今雖暫得而後必退 若以法施得未曾得 所謂涅槃)

これを分かりやすく言った言葉に、こんな言葉があります。

財は一代の宝 法は末代の宝

財は一代の宝」とは、
お金や物を与える財施は、
相手を生きている間だけ
喜ばせるものだということです。

お金をもらうと喜びますが、
お金は、死んでいくときは持っていけません。
生きている間だけの宝ですから、
しばらくの間、一時的に私を喜ばせるものです。

ところが「法は末代の宝」といわれるのは、
法施を受けて、仏教を聞くと、
絶対の幸福に生かされますから、
不滅の幸せを頂くことになります。

永遠に変わらない幸せを頂くということは、
末代の宝を施されるということ
です。

そんな50年や100年の宝ではありません。

火事にあって焼けることもなければ
洪水に流されることもない、
泥棒にとられる心配もない、
死によっても崩れない絶対の幸福です。

ですから、仏教を聞かせて頂くということは、
何千万円のお金をもらうよりも、
もっともっと幸せなことなのです。

ですから法施は財施よりもケタ違いにすばらしい
布施行
なのです。

ただ、法施をするには、本当の仏教には何が教えられているのか
知らなければなりませんので、絶対の幸福になれる教えを分かりやすく
電子書籍と無料のメール講座にまとめておきました。
ぜひ読んでみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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