ジャイナ教とは
ジャイナ教は、徹底した不殺生を特徴とするインドの宗教です。
戒律に非常に厳格で何も所有しないために、中には裸で修行する人もあります。
仏教と同時代に始まり、インドの外にはあまり伝わっていませんでしたが、仏教がインドでほとんどなくなってからも、現代まで続いています。
そして在家の信者にはお金持ちが多いことでも有名です。
信者数はインドの人口の約0.5%ですが、インドの富の50%を握っているといわれます。
ジャイナ教とは一体どんな宗教なのでしょうか?
ジャイナ教とは
ジャイナ教とは、どんな宗教なのでしょうか?
参考までに、まず辞典を見てみましょう。
ジャイナ教
—きょう[Jainism]
インドの伝統的な宗教の一つ。
徹底した禁欲主義で知られる。
紀元前6−5世紀ごろ、仏教とほぼ同時期にインド東部で成立。
開祖は当時の沙門の一人で、本名ヴァルダマーナ(Vardhamāna)、尊称してマハーヴィーラ(Mahāvīra、大雄)という。
伝承によると30歳で出家し、12年の苦行の後に開悟してジナ(Jina、勝利者)となったという。
仏典ではもっぱらニガンタ‐ナータプッタ(Nigaṇṭha Nātaputta)の名で知られ、六師外道の一人に数えられる(ニガンタは彼の属していた出家の一派の称、ナータプッタは<ナータ族の出身者>であることから生じた通称)。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
これも間違いではありませんが、主に開祖のことが大半で、
禁欲主義であることと、六師外道に数えられることしか分かりませんので、
この記事では、教義や戒律など、それ以外のことについても詳しく解説していきます。
ちなみに「六師外道」については以下の記事もご覧ください。
➾外道とは?仏教でいう外道な人(六師外道)と人生への影響
開祖・ニガンタ・ナータプッタ
ジャイナ教の開祖は、ニガンタ・ナータプッタです。
本名は、ヴァルダマーナですが、通称ニガンタ・ナータプッタといわれています。
仏教の開祖であるブッダより20才年下だったといわれます。
ヴェーサーリーの王族の出身で、クンダ村に生まれました。
お父さんはシッダールタ、お母さんはトゥリシャラといいます。
若くしてヤショーダーと結婚して、娘が1人生まれました。
30才で出家してニガンタ派の行者となります。
12年間の苦行の結果、悟りを開いて勝者になったといいます。
勝者のことをジナと言い、ジナの教えという意味でジャイナ教といわれます。
そしてマハーヴィーラと名乗って布教を始めました。
マハーヴィーラというのは偉大な勇者という意味です。
もともと王族出身だったこともあり、王族に庇護を求めます。
すると、バラモン教ではバラモンより下とされていた王族から帰依を受けることができました。
また、いとこが国王をしていたアンガ国の王女が、女性で最初のジャイナ教の出家者になりました。
また、教団の運営資金としては、大商人アーナンダも味方につけて確保しています。
こうして30年ほど布教を行い、72才で亡くなりました。
ブッダが亡くなって10年後くらいのことでした。
では、ニガンタ・ナータプッタはどんなことを教えたのでしょうか?
ジャイナ教の基本教義
まず、すべての人は、生まれ変わり死に変わり、苦しみ迷いの世界を輪廻し続けています。
そのため、永遠に苦しみ迷い続けなければなりません。
人間に生まれているということは、輪廻の最中ということです。
なぜ輪廻するのかというと、ジャイナ教では、心と口と体による業が霊魂にくっつくためとされます。
それが束縛となって、苦しみ迷いの輪廻から離れられないといいます。
ではどうすれば輪廻を離れて解脱できるかというと、苦行です。
苦行の効果は2つあるとされます。
1つは、過去の業の作用を制止する働きです。
もう1つは、新たな業を最小限にし、できればなくすことです。
過去の業の働きがなくなり、これからの業が魂にくっつくのを防げれば、霊魂が清らかになり、解脱できるという寸法です。
ジャイナ教の教えの特徴
ジャイナ教の特徴は色々ありますが、大きなものとしては、相対主義、宇宙観、苦しみの原因の3つになります。
相対主義
まず1つめの特徴は、相対主義です。
六師外道に数えられるサンジャヤは、懐疑
主義でしたので、五感では答えを確認できない形而上学的な問題は、判断を避けました。
例えば世界は永遠なのかどうかとか、来世があるのかどうか、という問題です。
ですが、何でも思考停止してしまっては、何の解答も結論も得られませんし、何をすればいいのかも分かりません。
そこでニガンタは、色々な対立がある時に、絶対に一方が正しいという判断を避けて、「ある点から見れば」こちらが正しいという限定をつけるべきだと唱えました。
これによって、懐疑的ではありながらも、何も結論がでないというわけではなくなりました。
ある点からみれば世界は永遠だし、ある点から見れば世界は永遠ではない、というように、
ある点から見た場合の結論が得られます。
こうして、ジャイナ教の人が議論する時は、「ある点から見れば」という言い方をします。
これがジャイナ教の特徴の一つである相対主義です。
宇宙観
ジャイナ教の特徴の2つ目は宇宙観です。
宇宙は世界と非世界からなっています。
創造主のような神はいません。
世界は霊魂と非霊魂からできています。
霊魂とは、意識や感覚を持つものすべてで、地・水・火・風・動物・植物に存在する6種の霊魂があります。
伸縮自在で宿るものによって大きさが変わります。
その本質は精神作用です。
非霊魂には、運動の条件・静止の条件・虚空・物質の4つの実体があります。
運動の条件とは、魚を泳がせる水のように、他のものを運動させる条件になるものです。
静止の条件とは、落ちるものを止める地のように、運動しているものを静止させる条件となるものです。
虚空とは、他の実体を存在させる場所です。
物質とは、物体を構成し、色、味、香などの性質を持つものです。
物質は部分がなく、分割も破壊もされない微細なものからできています。
この原子論はインドで初めて唱えられたもので、
やがて六派哲学の一派であるヴァイシェーシカ学派や、仏教の一つの部派である説一切有部でも唱えられるようになります。
非世界は虚空だけで満ちており、運動の条件も制止の条件もないので、霊魂も物質も入ることができません。
苦しみの原因
ジャイナ教の苦しみの原因も特徴的です。
人間は心と口と体で何かの行いをすると、その行為
のために微細な物質が霊魂に吸い寄せられて、付着します。
そのために霊魂が束縛されて自由を奪われ、上昇できなくなります。
そのために霊魂は、地獄、畜生、人間、神々の4つの世界を輪廻し、解脱することができなくなります。
この輪廻を解脱するには、まず苦行を行って、すでにしてしまった業の作用を制止し、新しい業の流入を防がなければなりません。
この苦行によって業の束縛が亡くなり、微細な物質が霊魂から離れてなくなると、霊魂は本性を発揮して、生きている時に解脱できると説きます。
ただし、真の解脱は死後で、肉体が死ねば生きている時に解脱を果たした霊魂は、上昇して世界を脱出して非世界に達します。
そこで涅槃の境地を得たのが、真の解脱だといいます。
ちなみに仏教の涅槃については以下の記事をご覧ください。
➾涅槃(ニルヴァーナ)の意味と涅槃に達する方法を分かりやすく解説
ではジャイナ教では、どんな苦行をするのでしょうか?
ジャイナ教の苦行
解脱を得るためには、出家して托鉢する比丘となり、戒律を守って断食苦行を行います。
とはいえ、無所有という戒律があるので、「鉢」さえも所有せず、「托鉢」という言葉もあてはまらないかもしれません。
出家の戒律
戒律はたくさんありますが、まずは「五つの大誓戒」を守らなければなりません。
それは、不殺生・真実語・不盗・不婬・無所有の5つです。
- 不殺生
- 真実語
- 不盗
- 不婬
- 無所有
この中で最初に挙げられる「不殺生」が最も重視されます。
これを「アヒンサー」といいます。
当時、多くの人が信じていたバラモン教では、神に祈るために、儀式で生け贄を捧げます。
ですが、生け贄は殺生なので罪を造ると言って、ジャイナ教では、バラモン教を批判します。
ではジャイナ教では、どれくらい不殺生を徹底しているかというと、
生き物を殺さないように、道を行く時は車には乗りません。
タイヤで生き物をひき殺すからです。
高速道路を走ると、ライトの所にたくさん虫がこびりついたりもします。
そのため、移動は徒歩です。
しかも歩く時に生き物を踏み殺さないように、孔雀の羽で作ったほうきで前方の道を掃きながら歩く人もいます。
夜になると、暗い中で生き物を踏まないように歩きません。
食事も徹底しています。
果物でも、中に虫がいたら大変です。
無意識であっても食べたら殺生です。
ナスやブロッコリーなどの虫がつきやすい野菜もNGです。
植物の根っこは、掘り返した時に生き物を殺す可能性があるのでダメです。
根菜は食べません。
蜂蜜も取る時に蜂を殺しかねないので食べません。
火を使うと虫が飛び込んで死ぬかも知れないので火も使えません。
水も殺菌した水道水はダメなので、井戸水を濾過して飲みます。
それでも気づかないだけで目に見えない生き物を殺しているかもしれないので、できるだけ水を飲まないようにしています。
呼吸をする時も誤って虫が飛び込んできたら大変なので、マスクをする人もあります。
動植物はもちろん、地水火風にも霊魂があるので、アヒンサーには細心の注意が必要です。
2番目の「真実語」とは、ウソを言わないことです。
3番目の「不盗」とは、他人のものを盗らないこと、4番目の「不婬」とは、一切の性行為を行わないことです。
5番目の「無所有」では衣服も所有してはいけないため、裸で修行をします。
そのため、仏教ではジャイナ教のことを「裸形外道」といいます。
衣服を着ることによって、霊魂の清らかな性質がくらまされてしまうといいます。
この徹底した無所有もジャイナ教の特徴の一つになっています。
ですが3つ例外があります。
1つは孔雀の羽で作ったほうきです。
自分が座ったり歩いたりすることで生き物を殺さないためです。
2つには、水筒のようなものです。
一日一回だけ使用が許されます。
3つには、眼鏡です。
これも目が悪くて生き物を踏んだりして殺さないためです。
このように、無所有というのは、所有しないのが目的ではなく、物に執着しないのが目的です。
仏教では無所有ではないといっても、所有していいのは三衣一鉢 (さんえいっぱつ)だけですので、似たようなものです。
また、仏教の五戒の場合は、無所有の代わりに、不飲酒となっています。
ジャイナ教では不飲酒がないということは、お酒を飲んでもいいのかというと、もちろん禁酒です。
このあたりは仏教とよく似ています。
出家者の日常
そして、実際に行われる苦行については、森に入るか、常に立っていて座らず、歩き続けます。
歩くのは、一カ所にいるとそこに愛着を感じたり、信者の人と親しくなったりするからです。
そのため全裸で何人かの出家者が隊列を組み、一日20キロ移動し続けます。
そして一日一回、午前中に、立ち止まったり森から出てきて人のいるところへ出て、食べ物をもらって最小限の食事をします。
食べ物は、鉢を所有していないので、手で受け取ります。
水を飲んでいいのもその時だけです。
食べてはいけない日もあります。
つまり断食です。
インドは暑く、40度を越えることもあるので、一日一回以下の食事と水で歩き続けるのは大変な苦行です。
人里の信者のもとへ出ていく時も、修行者が行くところに扇風機や電気はありません。
これも不殺生のためです。
沐浴は、基本的にはしません。
沐浴をせず、塵や垢にまみれるという苦行です。
ですが、たまに水筒の水を少しずつ使って体を洗うことがあります。
散髪は、3ヶ月に1回、髪の毛やひげをすべて手で引き抜きます。
髪の毛を蓄えるとその中に生き物が住みつき、殺生をしてしまうかもしれないからです。
そして、激しい痛みにたえるのは、煩悩を抜くことにたとえられます。
もし痛くて涙が流れれば、修行が足りないということで食事抜きになります。
また『アーヤーランガ』という文献によれば、村や森に心をしずめるのにふさわしい場所を探します。
そこに生き物がいないことを確認したら、ワラをしきます。
その上に断食して坐り、苦しみや誘惑があっても堪え忍びます。
裸で森にいると、蚊を始めとして、色々な虫が食べに来ます。
ですが虫に食われても殺してはいけません。
傷口を掻いてもダメです。
鳥や獣に食われても、逃げてはいけません。
喜んで堪え忍ぶ、というものです。
在家の戒律
ここまではできない在家の人でも「5つの小誓戒」を守らなければなりません。
「5つの小誓戒」とは、不殺生・不虚言・不盗・不婬・無所有の5つです。
- 不殺生
- 不虚言
- 不盗
- 不婬
- 無所有
項目は同じですが、4番目の「不婬」とは不倫をしないこと。
5番目の「無所有」とは一定以上のお金や財産を所有しないことです。
ですが、在家でもできるだけ戒律を守り、出家の人に近づくことが理想です。
もし水道水を飲まないとすれば、上下水道完備の先進国では水道水が飲めず、湧き水のペットボトルを買うしかありません。
インドにはベジタリアンのレストランがありますが、その中でジャイナ教のためのメニューを出す所もあります。
インドの飛行機の機内食は、肉か魚かではなく、肉か野菜かです。
さらに、ジャイナ教専用の機内食を用意している航空会社もあります。
ジャイナ教の出家女性は?
このような厳しい戒律がありますが、ジャイナ教で出家した場合、衣服も所有してはならないとされています。
女性はどうするのでしょうか?
ジャイナ教の開祖、ニガンタ・ナータプッタの死後200年くらい経った時、マガダ国に大飢饉が起きました。
当時ジャイナ教の6代目のバドラバーフは、マウリヤ朝の初代チャンドラグプタ王と、南インドに避難しました。
ところが、ストゥーラバドラを中心として、マガダ国にとどまった人たちもありました。
12年後、バドラバーフたちが戻ってきた時、マガダ国にとどまった人たちは、服を着ない実践をやめて、白衣を着ていました。
これが発端となって教団は、空衣派と白衣派に分裂していきます。
空衣派は裸形派ともいいます。
大体紀元1世紀頃には分裂していたといわれています。
この2つの派のうち、空衣派では、女性は裸形の実践ができないため、救われないとしています。
やがて男性に生まれ変わった時に、修行して救われると教えています。
一方、白衣派では白い服を着ることが認められています。
そして出家者は男性よりもむしろ女性のほうが多い状態です。
このように、空衣派と白衣派では、教えはほとんど同じですが、実践の上で違いがあります。
ですから女性がジャイナ教で出家したい場合は、白衣派ということになります。
女性も男性と同様の修行をしますが、服を着るので解脱はできません。
次は男性に生まれ変わり、裸形で修行をすることになります。
金持ちの信者が多い理由
ジャイナ教の在家信者は、インドの人口の0.5%しかいないにもかかわらず、インドの富の50%を握っているといわれます。
なぜジャイナ教の信者はお金持ちが多いのでしょうか。
ジャイナ教では、殺生をしてはいけないという厳しい戒律があるので、在家の信者でも当然、戦争をする兵士にはなれません。
害虫を殺す農業もできません。
動物を育てて殺す畜産もできません。
一体どんな仕事をすればいいのでしょうか?
ジャイナ教では、ほとんどの職業につけないため、学者や商人になります。
特に商人になる人が多くありました。
その上、盗んではいけないとか、ウソをついてはいけないという戒律を厳格に守ります。
商人としてお金儲けに重要な「信用」を得やすかったのです。
そして商才のある人たちが、金融業や宝石商などの信用が要求される職業で大成し、お金持ちになったのでした。
現代ではIT企業などで莫大な利益をあげ、たくさんの寄付をすることでも有名です。
インドの国外に広まらなかった2つの理由
仏教では、アショーカ王が、各国に使節を派遣して、仏教を広めました。
それに対してジャイナ教は、インドの中では経済的に大きく優勢であるにもかかわらず、インドの外にはあまり広まりませんでした。
それは一体どうしてなのでしょうか。
それというのも、1つ目の理由としては、ジャイナ教では、他の宗教の信者と接することを禁じられているからです。
これではジャイナ教の人以外の人に接触できないので、伝えることもできません。
2つ目の理由は、ジャイナ教の在家の信者はなるべく旅に出ない人が多くあります。
それは、戒律によって、食べられるものがほとんどないからです。
現代の日本なら、寿司屋とか豚骨ラーメンとかはもちろんダメですし、それ以外のレストランに入っても、食べられるものが一つもないということがあります。
自分の住み慣れたところを離れたら、食べられるものがなくて、戒律を破ってしまうかもしれないのです。
それで、旅に消極的になり、ジャイナ教は他の地域に伝わりにくいのです。
また、寒冷な地域では裸か白衣というのは寒いと思います。
室内なら暖房を使えますが、外出不可能になってしまいます。
気候的にも温暖なところでなければ難しい教義を持っているのです。
ジャイナ教と仏教との違い
ジャイナ教と仏教は、同時代に起こり、どちらもバラモン教を否定するなど、共通点もありますが、違うところもたくさんあります。
自殺について
例えばジャイナ教の実践で重要なものに断食があります。
アヒンサーを守るために一番いいのは断食です。
そして断食を行って死ぬと、賞賛されます。
理想的な死は断食によって死に至ることです。
実際、ニガンタ・ナータプッタの大弟子11名中、9名までが、ニガンタ・ナータプッタより先に自殺したと伝えられています。
そしてニガンタ・ナータプッタ自身も断食によって死んだとされています。
このような自殺は、ジャイナ教では自殺とは区別して、サンターラーとか、サッレーカナーといい、場合によっては容認されます。
方法としては、老衰や病気のためにまもなく死ぬ状況になった時、修行の最後の段階として、水や食べ物を少しずつ減らしていきます。
そして成功裡にサンターラーを行った人だけが解脱できるともいわれています。
このような断食によって自ら人生を終えるのが、ジャイナ教徒の理想とされています。
一方、現代ではサンターラーを一人で行わず、監督がつくため、サンターラーの指導は自殺幇助にあたるのではないかなど、法的な論争を呼んでいます。
それに対して仏教では、自殺は禁じられています。
詳しいことは以下の記事に出ています。
➾自殺は地獄行き?仏教で自殺がダメといわれる理由
このように、ジャイナ教と仏教では、自殺についての見解にも大きな違いがあります。
業について
「業」についても大きな違いがあります。
ジャイナ教では、業というのは微細な物質です。
業は物質ですから、心と口と体の行いのうち、重要なのは、口と体の行いです。
そして業の物質が霊魂に付着するために、上昇ができなくなり輪廻するといいます。
その霊魂に付着している業をなくすために、厳しい肉体的な苦行が必要になるのです。
そして、業は物質なので、放っておくと壊れてなくなることもあります。
こうして、これまでにあった業をなくし、新しい業が付着しないようにします。
それに対して仏教では、業は物質ではありません。
心と口と体で行った行為は、目に見えない業力となって阿頼耶識
におさまります。
つまり心に蓄えられた潜在的な力です。
そして仏教で特に重視されるのは心です。
口や体を動かしているのは心だからです。
仏教の業は、物質ではないので、放置したらなくなるということはありません。
業力不滅で、結果を現すまでは決して消えることはありません。
仏教では、どちらかといえば肉体的な苦行を否定し、心の修行を重視します。
そして、悪を消滅させるのでは、そのまま善に転じる転悪成善を目指します。
このように業だけ見ても、まったく違う教えになっています。
さらに仏教では、輪廻の根本原因は、業ではありません。
(煩悩でもありません)
苦しみ迷いの根本原因は別に教えられています。
では仏教では、輪廻の根本原因は何か、どうすれば解脱して、本当の幸せになれるのか、ということについては、メール講座と電子書籍にまとめてあります。
ぜひ一度読んでみてください。
関連記事
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)