修行とは

仏教の目的はさとりを開くことです。
それには、単に仏教の教えを学んで、理解さえすればいいのではありません。
仏教の教えの通りに実践してさとりを開くことができます。

教えを学ぶことと修行は、車の両輪のようなもので、どちらが欠けてもいけません。同じところをぐるぐる回って、さとりへ到達できなくなってしまいます。
では、仏教では、どんな修行をするのでしょうか?

修業と修行の違い

しゅぎょう」といっても、漢字で書くと、「修業」と「修行」の2種類があります。

修業」といった場合は、華道や茶道などの芸術や、学問修業、花嫁修業など、世間のさまざまな技術を身につけるときに使います。

ところが仏教では「修行」という言葉を遣います。
仏教の目的は、さとりを開くことですので、修行の目的は、さとりを得ることです。

このように、修業と修行では、発音は同じでも、目的はまったく異なるのです。

ではまず、仏教を説かれたお釈迦さまは、どのような修行をされたのでしょうか?

お釈迦さまの修行とは?

そもそも仏教を説かれたお釈迦さまは、どのような修行をされたのでしょうか?

一国の皇太子として生まれられたお釈迦さまでしたが、29才でさとりを求めて城を抜け出されます。

高度な禅定に満足されない

まず、毘舎離国の名高い跋伽仙人や阿羅々仙人、王舎城辺のウッダラ仙人を尋ねて禅定を行いました。
禅定とは、心を一つにする瞑想のようなものです。
それらの禅定は、当時のインドで最高度の精神集中だったのですが、お釈迦さまはすぐに習得されました。
ところがどの禅定にも満足されず、一人、山奥深く入って、苦行を始められました。

それを知った、お釈迦さまのお父さんの浄飯王や、奥さんのヤショダラ姫が、心配して衣類や食べ物を送られたそうですが、お釈迦さまは堅く辞退され、一日に一麻一米を食べての、私たちの想像もできない修行を続けられました。

お釈迦さまの修行内容

お経に伝えられるお釈迦さまの修行の内容は、食事制限や断食、呼吸の制御、特殊な座り方、立ち方、肉体的苦痛を受ける修行や、五火の苦行などがあります。

これらの修行によって、肉体に打ち勝つ力を養い、忍辱、忍受の精神を植えつけ、
意志の鍛錬をされたということです。

このような苦行を6年間続けられ、肉体が痩せ衰えて、木によりかかってわずかに立てるくらいまで弱られても、さとりを得ることができませんでした。

苦行を捨てて女性と接触

そこでお釈迦さまはついに意を決して、従来の苦行主義を捨てられたのです。

そしてまず苦行によって衰弱した身心を回復しなければ正しい智慧が生じないと考え、ニレゼン河に入って水浴し、身を清められました。

ところが苦行に疲れ切ったお釈迦さまは沐浴の後、ほとんど岸にはい上がる気力もなくなってしまいました。

そこへちょうど通りかかった乳買いの娘、スジャータに一杯の乳の供養をお願いされ、その布施を受けられると、気力を回復されたのです。

最後の固い決意

やがてお釈迦さまはニレゼン河からあがってブッダガヤの菩提樹の下に金剛宝座を造り、結跏趺坐して
我、仏のさとりを開かずんば、ついにこの座をたたず
と覚悟されました。

この時から、心の中にたくさんの怪象の威かくや女性の愛欲や世間の名誉欲や利益欲などの悪魔が襲いかかり、決意をひるがえさせようと誘惑しましたが、静かなること山の如く深遠なること海の如きお釈迦さまの忍耐と剛毅はことごとくこれを征服されます。
ついに35才の12月8日未明、明けの明星を見られたとき、大悟徹底して三世十方の実相を諦観され、三界の大導師たるブッダとなられたのでした。

そして、80才でお亡くなりになるまでの45年間、どんな人でもさとりに至る道を教えられたのが仏教です。

では仏教ではどんな修行をするのでしょうか?

各宗派に共通の修行体系

仏教でどんな宗派でも共通して体系化されている修行の方法は、「三学(さんがく)」といわれます。

三学とは、「」「」「」の3つです。
」とは戒律を守って煩悩をおさえ、
」は観法などで精神を集中して煩悩をさえぎり、
」は煩悩を断つということです。

『首楞厳経』に
心を摂するを戒と為す。戒によって定を生じ、定によって慧を発す
とあるように、戒律を守って心を集中して、さとり智慧を得るということです。

部派仏教(小乗仏教)の八正道といっても、大乗仏教で行われる六波羅蜜といっても、この三学におさまります。

では、現代日本の各宗派では、どんな修行が行われているのでしょうか?

奈良仏教の修行

奈良時代の仏教である、法相宗華厳宗は、学問仏教といわれますが、法相宗では「五重唯識観」、華厳宗でも、観法が説かれています。

仏教に実践は不可欠なので、昔は色々な実践が行われていました。

平安時代の法相宗僧侶、神叡(じんえい)など山へ入って修行をした人もあります。
鎌倉時代の華厳宗僧侶、凝然(ぎょうねん)は、華厳宗の観法を10種類にまとめています。

しかし、大変な難行で、ほとんど途絶えてしまい、現在では各お寺で、修二会(しゅにえ)などの色々な伝統行事が行われているくらいです。

天台宗の修行

現在の天台宗では、最澄が伝えた四種三昧のうち、常行三昧と法華三昧が発達しています。

他にも写経や声明も行われますが、後から伝えられた密教の修行も行われ、色々な修行が行われています。

また、相応(そうおう)という僧侶が始めた千日回峰行という難行もあります。
千日間、毎日30キロの山道を歩くもので、途中700日が過ぎると、9日間の断食断水という飲まず食わずの修行もあります。
その後の100日は60キロ、その後は84キロを歩きます。

もし途中で断念するときは、持参の短刀で自害しなければならないという大変な難行です。

真言宗の修行

真言宗の実践は、「四度(しど)の行法」、「灌頂印可(かんじょういんか)」その他、色々あります。

代表的な修行に「阿字(あじ)」があります。
略観と広観の二種類あります。

略観は、道場で、阿字本尊といわれる、月輪(がちりん)の中に蓮華が描かれ、その上に阿字が書かれた本尊に向かい、一定の作法で、阿字と蓮華と月輪を思い浮かべます。

広観は、すべての現象をそのまま阿字と観じます。

真言宗は密教ですので、基本的には師匠の僧侶について、灌頂を受け、戒律を受けることが必要です。
そして、指導を受けて伝授されなければ、修行はできません。

禅宗の修行

禅宗では、座禅を行います。
臨済宗では座禅の際に公案という問いを出されて工夫してさとりを目指します。
曹洞宗では只管打坐と言われ、ひたすら座禅を行います。

ただ実際には、曹洞宗でも読経もすれば礼拝も行います。
基本は掃除です。

また、インドの僧侶は畑仕事はしませんでしたが、禅宗では畑仕事も行います。
これを「作務(さむ)」といいます。
永平寺は福井県にあり、雪深いので、雪かきも作務の一つです。
そして日常生活の中でも禅の修行を行います。

こうして禅宗のでは、座禅だけでなく、読経、掃除、作務など、色々な修行を行います。

日蓮宗の修行

日蓮宗では、基本的に題目を唱えるのですが、荒行もあります。

加持祈祷の修法を行う僧侶になるには、必ず100日間の修行が必要です。

午前3時、6時、7時、正午、午後3時、6時、11時の1日7回の水を手桶でくんで、水浴びをします。
その間に法華経をひたすら繰り返し読みます。
これは、夏なら気持ちがいいかもしれませんが、この修行の行われるのは、11月から2月の冬の期間です。
大変厳しい荒行です。

浄土宗の修行

浄土宗では、南無阿弥陀仏と称える念仏行を行います。
さらに浄土宗では、期間を決めて道場で木魚を打ちながら南無阿弥陀仏を称え続ける別時念仏が行われます。

さらに、現在の浄土宗は、僧侶には円頓戒(えんどんかい)という戒律が伝えられています。
これが往生を助け、ひいては完成すると思っている人がありますが、浄土宗を開かれた法然上人は、そのようなことは教えられていませんので間違いです。

その点、浄土真宗では、出家して修行をする必要なく、さとりに至ることができます。

修行なしでさとりを得る方法

このような、出家して戒律を守り、厳しい修行によってさとりを求めることは、とてもできることではありません。

お釈迦さまご自身も、難行苦行ではさとりは開けないと、捨てておられます。
そこでお釈迦さまは、どんな人でも修行なしでさとりに至ることのできる道を説かれています。

それは、苦悩の根元を知り、生きているときに断ちきって、苦しみを離れる道です。

この苦悩の根元については、仏教の真髄なので、小冊子とメール講座にまとめておきました。
一度見てみてください。

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