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修行とは

仏教の目的はさとりを開くことです。
それには、単に仏教の教えを学んで、理解さえすればいいのではありません。
仏教の教えの通りに実践してさとりを開くことができます。

教えを学ぶことと修行は、車の両輪のようなもので、
どちらが欠けてもいけません。
同じところをぐるぐる回って、さとりへ到達できなくなってしまいます。

仏教の修行は仏道修行とも言われますが、どんな修行をするのでしょうか?

修行とは

修行とはどんなことでしょうか。
仏教の辞典を見てみましょう。

修行
しゅぎょう
仏道修行の語が示すように、仏教における修行とは、真実の自己を実現するために、みずからの行いを正し修めることである。
対応するサンスクリット語の一つbhāvanāは現しだすことを原義とし、想像や瞑想の意で、<修><修習しゅじゅう>あるいは<観想>とも訳される。
修道(bhāvanāmārga)の<修>も原語は同じ。
abhyāsaはくり返して身につけることを意味し、<数習すじゅう><常習>などの訳もある。
pratipattiは正しい行為の意で、<正行しょうぎょう>とも訳される。
prayogaは準備的な修行の意味あいが強く、<加行けぎょう>の訳もある。
yogaはしばしば<瑜伽ゆが>と音写され、精神集中による心作用の抑制を重んじるインド的な修行法を代表する語。

この説明だと、真実の自己を実現するための行いということですが、真実の自己とは何なのかが分かりません。
そして残りの大部分は、ほとんど言葉の解説に終始しています。
実際にはどんなことなのかよく分かりませんので、修行について分かりやすく解説していきます。

修業と修行の違い

しゅぎょう」といっても、漢字で書くと、「修業」と「修行」の2種類があります。

修業」といった場合は、華道や茶道などの芸術や、学問修業、花嫁修業など、世間のさまざまな技術を身につけるときに使います。
「業(わざ)を身につける(修)」という意味です。
ですから修業の目的はわざを身につけることです。

ちなみに仏教では「業」を「ごう」と読みますが、上記の意味とは異なります。
ごうについては、こちらもご覧ください。
カルマ(業)の法則の仏教的意味を分かりやすく解説

一方、仏教では「修行」という言葉を使います。
「行」とは善のことですから、修行とは「善を修める」という意味になります。
仏教の目的は、さとりを開くことですので、修行の目的は、さとりを得ることです。

このように、修業と修行では、発音は同じでも、目的はまったく異なるのです。

仏道修行と苦行

仏道修行と聞くと、苦しいイメージがあり、仏道修行=苦行と考える人もいるでしょう。
苦行とは、禁欲や断食など肉体的な苦しみを伴う修行をいいます。

しかし、仏道修行は苦行主義ではありません。
仏教を説かれたお釈迦さまは、どのような修行をされたのでしょうか?

お釈迦さまの修行とは?

そもそも仏教を説かれたお釈迦さまは、どのような修行をされたのでしょうか?

一国の皇太子として生まれられたお釈迦さまでしたが、29才でさとりを求めて城を抜け出されます。

高度な禅定ぜんじょうに満足されない

まず、毘舎離国の名高い跋伽仙人や阿羅々仙人、王舎城辺のウッダラ仙人を尋ねて禅定ぜんじょうを行いました。
禅定とは、心を一つにする瞑想のようなものです。
それらの禅定は、当時のインドで最高度の精神集中だったのですが、お釈迦さまはすぐに習得されました。
ところがどの禅定にも満足されず、一人、山奥深く入って、苦行を始められました。

それを知った、お釈迦さまのお父さんの浄飯王や、奥さんのヤショダラ姫が、心配して衣類や食べ物を送られたそうですが、お釈迦さまは堅く辞退され、一日に一麻一米を食べての、私たちの想像もできない修行を続けられました。

お釈迦さまの修行内容

お経に伝えられるお釈迦さまの修行の内容は、食事制限や断食、呼吸の制御、特殊な座り方、立ち方、肉体的苦痛を受ける修行や、五火の苦行などがあります。

これらの修行によって、肉体に打ち勝つ力を養い、忍辱、忍受の精神を植えつけ、
意志の鍛錬をされたということです。

このような苦行を6年間続けられ、肉体が痩せ衰えて、木によりかかってわずかに立てるくらいまで弱られても、さとりを得ることができませんでした。

苦行を捨てて女性と接触

そこでお釈迦さまはついに意を決して、従来の苦行主義を捨てられたのです。

そしてまず苦行によって衰弱した身心を回復しなければ正しい智慧ちえが生じないと考え、ニレゼン河に入って水浴し、身を清められました。

ところが苦行に疲れ切ったお釈迦さまは沐浴の後、ほとんど岸にはい上がる気力もなくなってしまいました。

そこへちょうど通りかかった乳買いの娘、スジャータに一杯の乳の供養をお願いされ、その布施を受けられると、気力を回復されたのです。

最後の固い決意

やがてお釈迦さまはニレゼン河からあがってブッダガヤの菩提樹の下に金剛宝座こんごうほうざを造り、結跏趺坐けっかふざして
我、仏のさとりを開かずんば、ついにこの座をたたず
と覚悟されました。

この時から、心の中にたくさんの怪象の威かくや女性の愛欲や世間の名誉欲や利益欲などの悪魔が襲いかかり、決意をひるがえさせようと誘惑しましたが、
静かなること山の如く深遠なること海の如きお釈迦さまの忍耐と剛毅はことごとくこれを征服されます。

ついに35才の12月8日未明、明けの明星を見られたとき、
大悟徹底して三世十方の実相を諦観たいかんされ、
三界の大導師たるブッダとなられたのでした。

そして、80才でお亡くなりになるまでの45年間、
どんな人でもさとりに至る道を教えられたのが仏教です。

では仏教ではどんな修行をするのでしょうか?

各宗派に共通の修行体系

仏教でどんな宗派でも共通して体系化されている修行の方法は、「三学さんがく」といわれます。

三学とは、「かい」「じょう」「」の3つです。
」とは戒律を守って煩悩ぼんのうをおさえ、
」は観法などで精神を集中して煩悩をさえぎり、
」は煩悩を断つということです。

この戒と定と慧について、『首楞厳経しゅりょうごんきょう』にこのように説かれています。

心を摂するを戒と為す。
戒によって定を生じ、定によって慧を発す。

(漢文:摂心為戒 因戒生定 因定発慧)

このように、戒律を守り、心を集中して、さとり智慧を得るということです。

部派仏教(小乗仏教)の八正道はっしょうどうといっても、大乗仏教で行われる六波羅蜜ろくはらみつといっても、この三学におさまります。

三学について詳しくは下記をお読みください。
悟りを開く方法、戒定慧の三学について

では、現代日本の各宗派では、どんな修行が行われているのでしょうか?

奈良仏教の修行

奈良時代の仏教である、法相宗ほっそうしゅう華厳宗けごんしゅうは、学問仏教といわれますが、法相宗では「五重唯識ごじゅうゆいしき」、華厳宗でも、観法が説かれています。

仏教に実践は不可欠なので、昔は色々な実践が行われていました。

平安時代の法相宗僧侶神叡じんえいなど山へ入って修行をした人もあります。
鎌倉時代の華厳宗僧侶凝然ぎょうねんは、華厳宗の観法を10種類にまとめています。

しかし、大変な難行で、ほとんど途絶えてしまい、現在では各お寺で、修二会しゅにえなどの色々な伝統行事が行われているくらいです。

法相宗の修行はこちらをご覧ください。
法相宗(唯識宗)本山と開祖、その教えとは?

華厳宗の修行についてはこちらをお読みください。
華厳宗の教え・奈良公園の東大寺の教えの秘密を公開

天台宗の修行

現在の天台宗では、最澄さいちょうが伝えた四種三昧ししゅざんまいのうち、常行三昧じょうぎょうざんまい法華三昧ほっけざんまいが発達しています。

他にも写経や声明しょうみょうも行われますが、後から伝えられた密教の修行も行われ、色々な修行が行われています。

また、相応そうおうという僧侶が始めた千日回峰行せんにちかいほうぎょうという難行もあります。
千日間、毎日30キロの山道を歩くもので、途中700日が過ぎると、9日間の断食断水という飲まず食わずの修行もあります。
その後の100日は60キロ、その後は84キロを歩きます。

もし途中で断念するときは、持参の短刀で自害しなければならないという大変な難行です。

天台宗の修行について詳しくは、下記をご覧ください。
天台宗の本山と開祖、その教えとは?

真言宗の修行

真言宗の実践は、「四度しどの行法」、「灌頂印可かんじょういんか」その他、色々あります。

代表的な修行に「阿字あじ」があります。
略観と広観の二種類あります。

略観は、道場で、阿字本尊といわれる、月輪がちりんの中に蓮華が描かれ、その上に阿字が書かれた本尊に向かい、一定の作法で、阿字と蓮華と月輪を思い浮かべます。

広観は、すべての現象をそのまま阿字と観じます。

真言宗は密教ですので、基本的には師匠の僧侶について、灌頂を受け、戒律を受けることが必要です。
そして、指導を受けて伝授されなければ、修行はできません。

真言宗の厳しい修行についてはこちらもご覧ください。
真言宗はやばい・危険な教え?簡単に分かりやすく特徴とお経について解説

禅宗の修行

禅宗では、座禅を行います。
臨済宗では座禅の際に公案という問いを出されて工夫してさとりを目指します。
曹洞宗では只管打坐しかんたざと言われ、ひたすら座禅を行います。

ただ実際には、曹洞宗でも読経もすれば礼拝も行います。
基本は掃除です。

また、インドの僧侶は畑仕事はしませんでしたが、禅宗では畑仕事も行います。
これを「作務さむ」といいます。
永平寺は福井県にあり、雪深いので、雪かきも作務の一つです。
そして日常生活の中でも禅の修行を行います。

こうして禅宗のでは、座禅だけでなく、読経、掃除、作務など、色々な修行を行います。
禅宗とは?総本山・開祖と教えの特徴を簡単に分かりやすく解説

日蓮宗の修行

日蓮宗では、基本的に題目を唱えるのですが、荒行もあります。

加持祈祷の修法を行う僧侶になるには、必ず100日間の修行が必要です。

午前3時、6時、7時、正午、午後3時、6時、11時の1日7回の水を手桶で汲んで、水浴びをします。
その間に法華経をひたすら繰り返し読みます。
これは、夏なら気持ちがいいかもしれませんが、この修行が行われるのは、11月から2月の冬の期間です。
大変厳しい荒行です。

日蓮宗について詳しくは下記に書いています。
日蓮宗の教え・特徴と怖い、嫌い、仏教ではない理由を解説

浄土宗の修行

浄土宗では、南無阿弥陀仏と称える念仏行を行います。
さらに浄土宗では、期間を決めて道場で木魚を打ちながら南無阿弥陀仏を称え続ける別時べつじ念仏が行われます。

さらに、現在の浄土宗は、僧侶には円頓戒えんどんかいという戒律が伝えられています。
これが往生を助け、ひいては完成すると思っている人がありますが、浄土宗を開かれた法然上人は、そのようなことは教えられていませんので、それは間違いです。

浄土宗の修行については下記をお読みください。
浄土宗の教え・末法の悪人も他力念仏1回で救う究極の救済力

無言の行

仏教ではやさしい修行の一つに、言葉を全く発せずに座禅を続けるという「無言の行」という修行があります。

人は、口で、綺語きご両舌りょうぜつ 悪口妄語という4つの悪を造ります。
もし一言もしゃべらなければ、それらの4つの罪を造らずにすみます。
無言の行は、口で造る一切の罪悪を排除しようとする修行です。

ある日、4人の僧侶が煩悩をしずめてさとりを開くために、
お堂に集まり無言の行を始めました。
四角い部屋の四隅に一人ずつ座って、座禅を組みます。
お堂の真ん中には明かりを灯す灯台があります。
修行のアシスタントには、明かりを灯す係として、小僧も待機しています。

準備断端で修行が始まりました。
はじめのうちは無言で修行を続けていましたが、
だんだんと日が暮れて暗くなってきます。
ところが、その時のために待機していたはずの小僧をみると、
あまりに退屈なために、すでにうたた寝をしてしまっています。
それを見た一番立場の低い僧侶が
「暗くなってきたので、小僧よロウソクをつけておくれ」
と言いました。
するとその上の、3番目の僧侶が
「無言の行の最中ぞ、喋ってはならん」
と注意してしまいます。
さらにその上の、2番目の僧侶が思わず
「そういうお主も喋っておるではないか」
と言葉を発してしまいました。
すると一番上の師匠の僧侶が
「無言の行を続けておるのは、わしだけじゃな」
と声に出してしまいました。

結局、無言の行をしていた全員がしゃぺってしまっています。
これは笑い話ではありますが、仏教の中では非常に易しい無言の行ですら、私たちには難しいのです。

その点、浄土真宗では、出家して修行をする必要なく、
さとりに至ることができます。

修行なしでさとりを得る方法

今回の記事では、仏道修行と各宗派の修行について解説しました。

修行とは、さとりを得ることを目的として身を修めることです。
決して苦行主義ではありませんが、
天台宗や、真言宗、禅宗や日蓮宗など各宗派で行われている修行は極めて厳しいものです。

このような、出家して戒律を守り、厳しい修行によってさとりを求めることは、とてもできることではありません。

お釈迦さまご自身も、難行苦行ではさとりは開けないと、捨てておられます。
そこでお釈迦さまは、どんな人でも修行なしでさとりに至ることのできる道を説かれています。

それは、苦悩の根元を知り、生きているときに断ち切って、苦しみを離れる道です。

この苦悩の根元については、仏教の真髄なので、電子書籍とメール講座にまとめておきました。
一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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